お茶をしましょう、若菜さん。
佐伯瑠璃(ユーリ)
本編
第1話 安達四季
「安達さん。先日は妻がお世話になりました」
「お疲れ様です東二佐。いえいえ、妻は世話好きなもので、迷惑でなければいいのですが」
「迷惑どころか、頼りにしちゃってますよ。実家が県外なもんで、つい甘えてしまうようです」
「それならばよかった。妻も喜ぶと思いますよ」
昼休み、とある駐屯地の食堂で愛妻弁当を広げるのは陸曹長の安達と二等陸佐の東。食堂メニューを食べるのは独身自衛官ばかりで、妻帯者持ちは基本的には弁当持参である。ただし、カレーの日は除く。
外見から説明しよう。
身長は170センチ半ば、硬い筋肉の鎧を着たガッチリ体型。何でも握りつぶしそうなほど、太い指を持ち、その皮膚は見たまんまで分厚い。一体どう鍛えたらそうなるのか、太い首。そして職務に相応しい肌の焼け具合に、太い眉が乗っている。目も鼻も口も造りが大きく、入隊したばかりの新人からは恐れられてしまう。
それもそのはず、安達は顔に傷があったのだ。
毛の生え際から眉まで斜めに縫合したあとがあるのだ。隊員ですら恐れるのだから、民間人からしたらなおさらだろう。
「おや。今日は東二佐は愛妻弁当ですな。奥様も腕を上げられましたね」
「これも安達さんの奥様のお陰ですよ。ほら、これなんて今日はお揃いですね」
「お? なるほど。私のこれと同じですね」
最近結婚したばかりの上官は、もともと何でも自分でするタイプで弁当すら自分で作っていた。しかし、週の半分はその弁当が愛妻弁当になっている。
その愛妻弁当のおかずの一部が、安達の妻が作ったものと同じだったのだ。
「若菜さんから教わったのって、ご機嫌でしてね」
「それはそれは」
若菜は安達の妻である。
温厚で世話好きで、誰にでも優しいお母さんを絵にしたような女性だ。
ときどき安達の部下たちを家に招いては、家庭料理というものを食べさせている。
「安達さんはどうやって奥様と知り合ったんです? そういえば聞いたことなかったので」
「うちはアレですよ。見合いです」
「お見合いでしたか。へぇ、意外だな」
「こんな顔してますからね、女性がなかなか近寄らないんですよ。お節介な叔母が持ってきた見合いが、今の妻です」
「安達さん。そのお節介、もらってよかったですね。大当たりじゃないですか」
「あはは。そうでしょうな」
今は懐かしい思い出だ。
妻、若菜との出会いは安達にとっても忘れられない一生の宝である。
◆
高校生活も終わる頃、周りが将来の夢に向かって動いている中、安達はやりたい事を見つけられずにいた。ただ、漠然と人のためになるような仕事をしたいと思っていた。
体は生まれた時から丈夫で、体格にも恵まれていた。成績もまずまずで、性格も大人しく寡黙だった。だからだろうか、当時の担任が自衛隊はどうかとすすめてきた。珍しいことだった。
安達は自衛隊に対して良くも悪くもなんの印象もなく、そういう仕事もありかもしれないという理由で試験を受けた。
安達は見事に合格し、入隊を決めた。
そして、国民のために命をかけて働くということに、次第にのめり込んでいった。自分では気づいていないようだが、ハートは熱かったのだ。
二十歳になるまではがむしゃらに体をいじめ抜いた。理不尽な躾も、しごきに屈する事なく同期とるともに走り抜けた陸士時代。民間人に戻って行く仲間を見送り、自分は曹過程に進むため試験を受けた。
思った以上に自衛隊は自分に向いている。そう思い始めた頃、親戚の叔母、京子から電話がかかってきた。
『シー君、元気?』
「叔母さん。もうそろそろシー君はやめませんか。俺は元気ですよ。どうしました?」
『来週のお盆、帰ってくるわよね』
「はい。一応はその予定ですよ」
『よかった。ねえ、シー君はスーツ持ってたかしら?』
「スーツですか。持ってないですね……もしかして、法事か何かあるんですか?」
『そうよね。持ってないわよね。このあいだ二十歳になったばかりだもんね。成人式もそっちで制服着てやっちゃったんだもんね』
「はぁ……」
『オッケー、叔母さん用意しとくから。楽しみにしてるわ〜』
叔母は聞きたい事だけ聞いて、一人でぶつぶつ言い、何かに納得して一方的に電話を切った。
(法事があるのか? 聞いてないな……)
京子は母の妹で、母と違って活動的な性格をしている。これまでも安達のことを自分の子供のように可愛がってくれた。ゆえに、無碍にできない存在であった。
先日母に今年は盆休みが取れたと伝えたときは、楽しみにしていると返事があった。お盆の行事のことはとくに何も言っていなかった。
(まあいいか)
安達本人もとくに気にすることなく、その日を迎えた。
◇
「ただいま」
「おかえりなさい。まあ、真っ黒に焼けて。立派になったわねぇ。お腹すいたでしょう。ご飯たくさん作ったからね」
母、睦子は変わりなく息子を迎えた。昼近くに帰宅したため、テーブルには大皿に母手製の料理がたくさん並んでいる。それにしても量が多い。
いくら体力仕事の自衛官とはいえ、さすがにこれは多いだろうと思った。しかし、お盆という時期を思えば納得する。きっと、親戚があとからやってくるのだろうと。父が長男で家を継いだので、盆正月は自然と兄弟たちが集まるのだ。
「叔母さんたちも来るの?」
「ええ、後からね。それよりよくあなた、あのお話受けてくれたわね。お母さん、驚いちゃった。スーツはあなたが着られそうなのを買ってきたからあとで試してね」
「買ったのか。いくらした? 俺、払うよ」
「いいの、いいの。成人式に何にもしてやれてないから。お父さんからのプレゼントよ」
「そう? じゃあ、ありがとう」
「良い人だと、いいわねぇ。やっぱり自衛官になると、身を固めたいって早くから思うものなのかしら」
「……うん?」
母は息子に気になる一言を残して台所へと戻っていった。父は静かに甲子園をテレビで観ている。
(身を固めるって、なんの話だ)
「打った! これは入るぞ」
父靖男も公務員で、市の職員として働いている。寡黙で優しくて、あまり怒らない人だった。自衛隊に入ると言ったとき、「そうか」と極シンプルな反応だったのを思い出す。
(まあ気にするまい。おやじもいつも通りだし、変わったことなんてないだろ)
「おい、飲むか」
「うん。俺が注ぐよ、ビール?」
「おお頼む」
初めて父と酒を飲む。なんとなくこれが親孝行のひとつのような気がしていた。些細なことではあるが、息子としては大きな一歩であろう。
「母さん、姉ちゃんは元気?」
「夏枝? 元気よ。今年は海外旅行だから帰ってこないって。あの子も自衛隊に入ればよかったのにってくらい、かしましいわ。誰に似たのかしら、ねぇお父さん」
「私たちではないな」
「ですよねぇ」
姉夏枝は、顔は母に似ているが性格は叔母の京子にとてもよく似ていた。姉の性格や行動を見ていると、母親を間違えて生まれてきたのではないかと疑いたくなるほどだ。
(二人揃ったら朝まで宴会だからな。居なくてよかったよ)
久しぶりに穏やかでゆっくりとした時間が過ぎて行く。駐屯地とはまるで別世界だ。先輩たちがいうシャバを身と心で感じている。やっぱり家が落ち着くと思ってしまうほど、心はすっかりおじさん化していた。
そんな時間をぶち壊す人物が現れた。叔母の京子だ。
「むっちゃーん! 来たわよー」
「京ちゃん、相変わらずねぇ」
「シー君、ちゃんと帰ってきてる! よかったぁ。叔母さんの顔を潰さないでくれてありがとうね」
「そんな大事なことなんですか。というか、何があるんですか」
「えっ、京ちゃん四季に言ってないの?」
「言ったわよ。スーツ持ってないこと確認したもの……あーっ!」
「京ちゃん、もしかして!」
「ごめん、シー君。今日は夕方からお見合いだから! スーツ着て、レッツゴーよ」
京子は一番大事なことを四季に伝えていなかったのだ。スーツは法事ではなく、お見合いで着るということを。
「ぶはっ! ゲボゲボ……なんだって⁉︎」
口に入れたビールを吹き出すほど、衝撃的な知らせだった。
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