9 筒抜けの企み

***




 まだほんのガキの頃、オレの名字は「縫宇ぬう」だった。

 家庭の事情で不東になったっていう、よくある話だ。


 母親は男を誑し込むのが得意な女だった。

 オレを産んでしばらくしてから母親が捕まえた男は信じられないくらい金持ちで、オレの身の回りの世話をさせる婆さんをさくっと雇って丸投げした。

 後に母親はオレを置いてどこかへ消えたが、男はオレを放り出さなかった。

 案外、本当の父親だったのかもしれない。

 今となっちゃどうでもいいが。


 男はオレに興味のない様子だったが、小遣いはたっぷり貰えた。お菓子やおもちゃを買いまくり、適当に周りに与えて、子分をたくさん作った。

 子分に餌をちらつかせれば、オレの言うことはなんでも聞いた。

 それが楽しくて、幼稚園や学校に通っていたようなもんだった。


 一人だけ、お菓子も物も、金自体さえも頑なに受け取らないやつがいたっけな。


 ガキの顔なんて、誰かの一言でイケメンにもブサイクにもなる。

 女子にモテていたそいつが気に食わなくて、少し吊り目っぽかったのを大げさに言いまくり、子分たちにも言わせた。

 なにせ幼稚園児だ。複数のやつから同じことを何度も言われれば、それが正解だと信じ込む。

 そいつが前髪を伸ばし、常に下を向くようになった頃、そいつをいじるのに飽きた。


 そいつと小学校が同じだったかどうかは覚えてない。

 名字が変わったのはこの頃だ。

 母親が本格的に蒸発し、男が仕方なくオレを養子にした。


 高校に入学すると、男が病気で倒れた。何の病気だったかは知らないが、余命を告げられた。

 オレは馬鹿だが、金に関しては馬鹿じゃない。

 貰った小遣いは全て使わず、常に何割かは手元に残していた。それでも学生の身では豪遊と呼べるほど遊べたが。

 家や学校には内緒でバイトを始めた。そこで、一般人の労働賃金の安さは身に沁みた。

 男がいつか死んで、莫大な財産を相続しても困らないよう、信頼できる人間を探しておいた。


 オレがこの世界に召喚されたのは、男が危篤状態になったと伝えられ、病院へ向かう途中だった。




「カッカッカ、そりゃあ災難じゃったのう」

 ババアことアジャイルが、オレの脳内で嗤う。

「うるさい。勝手に記憶を読むなっつってんだろ」

 横伏を待ち構える算段をつけて、あとは餌に喰い付くのを待つばかりってところで、オレは昔のことを思い出していた。


 そう、昔のことだ。

 オレのささやかな努力は全て水の泡になり、理不尽なリスタートを強いられ、今じゃ盗みから人殺しまで犯罪に一通り手を染めた。


 だけど記憶の中でひっかかっていたあいつ。

 幼稚園児だというのにどこか冷めていて、なのに目の奥には折れない芯のある、不気味なあいつ。

 あれ、横伏だったんだな。

 これが因縁ってやつだろう。オレは昔からあいつが気に食わなかったんだ。


 周りの連中がオレを持ち上げても、あいつは全く興味を示さなかった。

 あいつが前髪で目を隠し、表情を動かさないようになったことだけが、オレにできたことだった。

 生意気なやつだ。異世界に来てまで、オレの前に立ちふさがる。



 最初は横伏と一緒に寝ていた――意味不明なことに本気の添い寝だった――あの女を狙ったが、アジャイルでも解除できないほどの護りの魔法に守られていて断念した。


 女の影にいたときはすぐに見破られたが、別の女たちの影を短時間で渡り歩いている間はバレなかった。

 そこで情報を集めて、女の弱みを握った。


 バイト先のババアだ。


 年増に興味は無いが、多分横伏もそうなんだろう。プラム食堂とかいう店や店員には、護りがなかった。


 オレは殺した貴族が雇っていた傭兵を操って、食堂のババアを誘拐し、屋敷に閉じ込めた。




***




 話はヒスイに告白した日に遡る。


「不東くんが?」

 僕に目つきコンプレックスを与えた張本人。

 でも不東という名字じゃなかった。

「幼稚園でやたらと僕に突っかかってきてさ、あいつ、子分がいっぱいいたんだよ。そいつらまで一緒になって」

 目つきが悪い、怖い。囃し立てられても、僕は特に気にしなかった。

 しかし、それまで友達だと思っていた人たちまで、僕を怖がるようになったのだ。

「怖がらせるのは本意じゃないから、前髪伸ばしたんだよ。そしたら、正面は見づらくなるでしょ? だから自然と下ばっかり見るようになって」

 ツキコが定期的に散髪してくれるため、僕の髪は短いままだ。

 その前髪を手で押さえつけて、無理やり目元を覆ってみせる。

 ヒスイに手をやんわり取り除かれた。

「……ふふっ、やっぱりモテてたんじゃない」

「忘れてたよ」

 これは本当だ。第一、幼稚園時代にモテてもしょうがないというか。




***




「――本当にいいの?」

「ええ。おかみさん、私を守れるなら何でもするっていって聞いてくれないの」

 不東とアジャイル対策として、僕たちは普段どおりに過ごすことに決めた時。

 僕はあえて、メイドさん達以外に護りを施さなかった。


 不東のことだから、町の人を無作為に人質にとるくらい、やってくることは予想できた。

 町の人全員を守るのは、やれないこともない。

 しかしどうしても僕の力は落ちるし、別の町に手を出されては余計に収集がつかない。

 不東はヒスイの影で三日も猶予があったのだから、どこがアキレス腱か把握しているはずだ。

 ならばと、弱点を晒すことで罠に嵌めることにした。


 ヒスイは職場であるプラム食堂のおかみさんことプラムさんを、よく慕っている。

 そのおかみさんが、ヒスイのためならと囮を買って出てくれた。


 当然危険な目に遭わせるつもりはない。

 食堂には、力を抑えて別の容姿に変身したモモを常駐させることにした。




 モモから緊急事態エマージェンシーの連絡が来たのは、貴族のセカンドハウスに死体を見つけて三日が過ぎた頃だった。




 モモがおかみさんに、僕の気配を悟られないように着けた転移魔法の目印で、おかみさんの元へ飛ぶ。

 到着したのは、件の屋敷だった。

 死体を始末しなかったのが仇になった。

 おかみさんは、死体と同じ部屋に縛られて転がされ、顔を顰めていた。


「ごめんなさい」

 謝りながら縄を解くと、おかみさんは縛られていた手のあとをさすりながら、僕に笑顔を向けた。

「早かったじゃないか。もっとかかると思っていたからね、どうってことないよ」

 気丈に振る舞っていると見せかけているわけじゃない。おかみさんは本気で言っている。本当に肝の座った人だ。

「あたしを攫ったのは傭兵くずれの男達だよ。あたしの知る限り、見たことない顔ばかりだった。勝手口の外へゴミを捨てに行った時に襲われたから、だいぶ前から計画してたんだろうねぇ。それと……」

 僕が治癒魔法を使っている間に、おかみさんは情報をくれた。

 不東は直接手を下していないのは、予想通りだ。

「ありがとうございました。モモに送らせますので」

「そうかい、助かるよ」

 おかみさんは去り際に「気をつけてね」と心底僕を心配してくれた。



「ほらみろババア、やっぱり罠だったじゃねぇか」

「この場へ呼べただけで上等じゃろうが」


 不愉快な声がふたつ。

 ひとつはエルドの時に似た、どこか遠くから聞こえるような声だ。


 もう一つは、不東。


 が、僕は不東たちを無視して、部屋を出た。


「おいコラ横伏ぇ! 無視すんな!」

 かまわず屋敷の中を進もうとする僕に、不東が持っていた剣で斬りかかってくる。

「お前の相手は後回しだ。最悪なことしやがって」

 剣を風魔法で弾き、ヒイロに合図すると、ヒイロは不東の首根っこを咥えて引きずり倒した。

「って! なんだこの犬っころ」

「ヒキュン!」

 ヒイロは「犬じゃない!」と吠えた。不東に間違えられるのは我慢がならなかったらしい。不東の二の腕にがぶりと噛み付いた。

「痛ぇ! このっ! 躾できてねぇぞ!」

 不東にだけは言われたくない。


 ヒイロは僕とソウルリンクした聖獣だ。

 僕が強くなればなるほど、ヒイロも強くなる。

 今のヒイロに敵う奴はいない。


「邪魔な聖獣じゃ」


 油断していた。

 もうひとつ〝声〟がいたことを忘れていた。


「ヒキュンっ!?」


 ヒイロが弾かれて、壁に叩きつけられた。

 すぐに起き上がり、自分に治癒魔法を施す。なんとか無事そうだ。


「姿を見せろ」

 魔力を乗せた言葉でも、そいつの姿を確認できない。[魔眼]や[心眼]も通じない。

 どうしたものかと考えあぐねていると、僕の横に誰かの気配がふわりと漂った。

 敵意は感じられない。


「初めまして。タイヴェと言います。エルドの仲間って言えば信じてもらえるかな」

 少年の声だ。エルドの名前を出したし、このタイミングで現れたということは何が意味があるのだろう。

「アジャイルの相手は任せて。君は助けに行ってあげて」

「助かる」


「タイヴェじゃと? お主まだいたのか」

「ばあさんみたいな人が残ってるからね」

「誰がばあさんじゃ!」


 気配同士で何か始まった。

 不東にも感じ取れるようで、呆然と空中を眺めている。

 その隙に僕は屋敷を駆け回った。


 二、三日前から、モルイでは失踪事件が発生していた。

 老若男女問わず、ある日突然姿を消すのだ。


 やったのは不東か、アジャイルだ。無人の屋敷のはずのここに、その全てが集まっている。


 不東たちは町の人を無作為に攫い、僕との交渉材料か、肉の盾にでもするつもりだったのだろう。


 広い屋敷の部屋という部屋――客室、主寝室、応接室、書斎、キッチンや果ては風呂やトイレといった場所にまで、ご丁寧に一人ずつ縛って監禁されていた。


 おかみさんを送り届けたモモが戻ってきて、解放を手伝ってくれた。

 何人か解放するたびに転移魔法で警備兵の詰め所の近くへ送った。


 全部で二十人、無事を確認した頃、ヒイロを振り切ったと勘違いした不東が僕を探し当てた。


「くそっ、人質全員解放しやがって!」

「無関係な人によくこれだけのことができるな」

 人質の皆さんにはろくな食事も与えていなかった。

 差し入れしたかったが、不東たちに見つかるわけにもいかず困った。

 警備兵の詰め所には話を通し、胃に優しい食べ物の準備はしてある。


 不東は自分が準備万端だと思いこんでいたらしいが、こちらも準備を整えていたのだ。


「お前は絶対許さないぞ、横伏!」

「こっちの台詞だ不東」


 問答無用と斬りかかってくる不東に、僕は剣で対応した。

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