12 暗い海
一晩城を空けていた椿木と食堂で会話をした後、自室でひとり、苛立ちを抑えられなかった。
「クソッ」
当たるものはベッドにいくつも乗っているクッションのうちのひとつだ。与えられたもののなかで一番古いが、一番頑丈なのでボロボロになっても交換を要求せず、時折俺の鬱憤を受け止める役割を果たしている。
二、三度殴りつけ、壁にぶん投げる。床に落ちたクッションを拾い上げる頃には落ち着いた。
食堂にいた時、気付いたら大声をあげてしまっていた。
何に苛立ったのか自分でも不思議だ。
理由を考えて、不東のせいだと思い至った。
不東はどうしようもないクソ野郎だ。
家から近いという理由で良槃高校を選んだが、あんな阿呆が入学してきたのは想定外だ。
あいつは元いた世界で、自分より弱い立場の人間を陰湿に虐めていた。
『不東より弱い立場』の定義は、不東自身のジャッジに依るものだから俺の知ったことではない。
ひそひそと囁かれる虐めの噂を静観するうちに、あることに気付いた。
ターゲットは必ずひとりで、そいつが不東より上の立場になった時や、学校に来なくなるとターゲットを変える。
この法則は、この世界に召喚されてからも変わらなかった。
半年前まで不東は確実に、俺たちの中で最強だった。
そして最弱が、横伏。
横伏さえあてがっておけば、俺に火の粉は降りかからない。
横伏の心が折れないよう、俺は必死だった。
治癒魔法で怪我を治してやるのも、横伏を支えているというパフォーマンスだ。
横伏が治癒魔法の後で必ず鈍痛を訴えていたのは、おそらく俺が表面さえ治れば良いと思いながら魔法を使っていたせいだと推測している。
どういうわけか、城の神官までが『治癒魔法とはそういうものです』などと話を合わせてきたから、助かった。
横伏は俺の予想を超えて、我慢強いお人好しだった。
普通に考えれば、庇うだけならもっと上手いやり方はいくらでもあったはずだ。
不東の矛先が自分に向くのが何より嫌だったし、他の連中だってそうに違いない。
細心の注意を払い、全員に気づかれないよう、横伏を生贄にしていた。
不東は何故か自分からターゲットを捨てた。
ここからおかしくなった。
次のターゲットは順当にいって椿木と予想したが、不東は虐めを再開せず、部屋に引きこもった。
意外な展開に心のどこかで戸惑ったものだ。
念の為に横伏を探すという口実で城を出たのは、完全に不要な労力になってしまった。
その後は亜院が最弱と化した。
廃人同然となった人間に手を出すのは、さすがの不東も気が引けたのか、何もしなかった。これも、重たい亜院をわざわざ連れ帰った苦労が水泡に帰した。
この世界に来てから調子がおかしい。何もかも、俺の考えたとおりにならない。世界の根本的な部分に違和感がある。
まず疑ったのは、〝魔力〟の存在だ。自身の情報を事細かに表示できる仕組みや、スキルに魔法。違う部分はいくらでも挙げられるが、全ての基が魔力だと考えた。
城の人間は信用ならないから、本に頼った。城の蔵書量は驚くほど少なく、城の人間に頼んで持ち込ませた本も内容が偏る。
元々、読書は好きだ。城の外へ出た時に探し当てた信頼の置ける書店から定期的に本を仕入れた。こちらの世界での収入は殆ど本の代金に消えたが、他に使い道もないから問題ない。
つい夢中になり関係のない本まで読み漁っている間に、今度は椿木がおかしくなった。
不東の矛先が椿木に向いたのは想定内だったが、不東はいつも最悪を選ぶ奴だ。
あの件に関しては、流石に気の毒に思う。俺も必死で、初めて本気で魔法を使い何とか椿木を蘇らせた。
椿木はその後、さらなる地獄を経験した所為か、不東を力でねじ伏せてみせた。
俺を遥かに凌ぐ魔力を手に入れ、亜院の魔力補給まで買って出た。
毎日魔力を半分も渡す作業は苦行以外の何物でもなかったが、不東が俺から目を逸らさせる手段だったと言える。
椿木はそれを奪った上、膨大な魔力量で強引に回復させた亜院と共に、城からしばらくいなくなった。
「ドーノーちゃーん」
鍵をかけていたはずの部屋の扉が少しだけ開き、不東のねっとりした声が流れ込んでくる。
読書中に食事と緊急の用件以外で声をかけてくるのは、不東のみだ。
「何だ」
心底不機嫌で返事をすると、扉がバンと叩き割られた。
「魔物討伐いこ」
後ろから首を掴まれ、椅子から引きずり降ろされる。
これだ。
不東に腕力を使われると、俺は為す術がない。
「痛い、放せ」
口での抵抗は無意味だが、抵抗したという事実だけでも作っておく。
「もうさ、ドノちゃんがいればいいんだよ。回復と補助頼むわ。オレが椿木よりレベル上げる」
そのまま言葉通り引きずられて、城の西の森へ連れ出された。
「ちゃんと着いていくから、放せ」
森の深くまで進んだところで、何度目かの訴えをようやく聞き入れてもらった。
不東は剣で辺りの木々を薙ぎ払って騒ぎ、魔物にこちらの位置を伝えるやり方でおびき寄せた。
「おい、あんまり無謀なことは……」
囮の横伏はとっくにいない。不東がおびき寄せた魔物から身を挺して俺を庇ってくれる亜院はいない。亜院に捌ききれなかった魔物に止めを刺す椿木もいない。
光属性は攻撃魔法に向かず、俺の攻撃魔法は威力に欠ける。武器の使い方は本で読んだきり。
自分自身の身を守る前に不東に補助魔法をかけなければ、理不尽に殴られる。
不東を止めることもできない。
「椿木よりレベル上げるって、魔王を倒すのに関係あるか!?」
あいつの言を信じるなら、不東はレベル60以上を目指すことになる。
スキル[経験値上昇×10]があってようやくレベル49になった人間が、あとどれほど魔物を討伐すれば、レベル60に至れるのか。
気が遠くなる。
「魔王の討伐にはレベル50で充分だと……」
「ドノっち、城の連中の言葉を信じるのか?」
不東は不意に、今まで見たことがないほど真剣な眼差しで俺を見た。
「魔王ってどこだ? 本当にいるのか? そいつ倒すのに50で足りるのか? 逆に50も必要か?」
馬鹿だと思っていたやつに正論をぶつけられることほど、屈辱的なことはない。
「わからないが、魔王が存在していた歴史はある」
「オレだって城抜け出して町で話を聞くぐらいするんだよ。相手は全員、商売女だけど」
おびき寄せた魔物の第一波が近づいてくる。人型、獣型、植物型など様々な魔物を、不東は手にした剣で次々に切り裂いていった。
「痛って。回復くれ」
いつのまにかケガをしたらしい。言われるままに、治癒魔法をかける。ついでに補助魔法も。
「魔王がいたのは何百年も前。倒された後、また出るって予言があったんだったな」
第一波を全て捌き切り、剣の汚れを倒した魔物の毛皮に擦り付けてから、俺の近くまで歩み寄ってくる。
「で、魔王を倒せるのは異世界から呼んだ勇者のみ。そうでなくても異世界の人間は全員強い。だから喚ぶ。魔王がいなくても喚ぶ。喚ばれたのが、オレら」
胸倉を掴まれる。不東の顔が近い。俺は呼吸をためらった。
「今は魔王なんていない。魔物の様子がおかしいこともないし、世の中は平和だ。……ま、この際どうでもいい」
急に手を放され、俺は踏鞴を踏んだ。
「今オレがやりたいのは、オレをコケにした椿木への復讐なんだよ」
第二波はイソギンチャクのような形をしたスライム、ゼリーヒュドラの群れだ。不東が剣を思いきり振るから慌てて伏せる。衝撃波でゼリーヒュドラの半分が吹き飛んだ。
「協力してくれるよな、ドノっち?」
冷や汗が止まらない。呼吸のし過ぎで頭痛がしてきた。動悸が激しくなる。
町の人間の話を聞いてきたのなら、スタグハッシュ城に関する奇怪についても聞いているはずだ。
あの城は、もう何年も前から王が不在だ。兵士や神官も、使用人名簿に載っている人間にはついに出会わなかった。
城下町は冒険者ギルドや商人ギルドといった組織が協力して運営している。
そういった組織や町の人間は、城に王や兵士たちがいると周囲に見せかけることに気を配って生きている。
だったら、俺たちを喚んだのは誰だ?
何のために召喚された?
不東は、どこまで気づいている?
「ドノっち、自分の身は自分で守れよー」
我に返ると、俺の足元にゼリーヒュドラの触手が数本、切り落とされていた。
不東に助けられてしまった。
「ドノっちー! 怪我した!」
また治癒魔法を使う。
<レベルアップしました!>
「……は?」
何故俺が? 俺は今、まだ一度も魔物を手にかけていない。攻撃魔法さえ使っていない。
ステータスを確認すると、確かに上がっていた。
「そういやさ、魔法使うだけでもレベル上がるだろ? オレの討伐を手伝ってるからって理屈らしいぜ」
ステータスを表示させる俺を見た不東が、全てを見抜いたようなことを言い出す。不愉快だ。
「だから横伏もレベル上がったんだろうなー。アイツの攻撃が魔物に当たった事って殆どないのに10も上がってたの、そのせいじゃね?」
横伏は確かに魔物を倒した数は少なかった。だが、戦闘への貢献度はかなりあった。
何せ囮だ。横伏が肉の盾になっていたおかげで、魔物を倒せたことが多々あった。
10も上がっていたのではなく、10しか上がらなかったのは何故だ。
疑問が次から次へ生まれ、一つも解消されない。
第三波の気配はない。これだけ派手に魔物を討伐してしまうと、魔物は警戒と恐れから近寄らない。
「今日はこんなもんか。お疲れ、ドノっち。ところでさー、転移魔法やマジックボックスって知ってる?」
マジックボックスは既に使えるので、その場で使ってみせた。
いま倒した魔物を全て詰め込めるほどの容量がないとわかると、鼻で笑われた。
転移魔法は魔力量が足りないらしく、まだ使えない。
「椿木は使えるのになぁ。修行が足りないぞ、ドノっち」
不東はどちらも使えないではないかと言い返す気力も失せた。
己の弱さ、不完全さが悔しい。
魔物を倒すのは不得手だが、不東を手伝えばいいのだろう?
何かが狂い始めていたことに、俺は気づかなかった。
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