23 偽の者

 夕食後、いつものようにリビングで皆と駄弁っていた。


「このお茶、日本のお茶の木と同じように育ててるらしいの」

 ヒスイが見つけてきた例の緑茶のようなお茶の話だ。ヒスイは食堂でいろいろな話を仕入れてきてくれる。

「じゃあ茶摘みができるのかな」

 ツキコは農業にも手を出しそうな勢いで、ヒスイの話に食いついた。どこまでやるんだ、ツキコ。

 そこへローズがわざわざ挙手してから発言した。

「ツキコ、茶摘みしたことある?」

「ないなぁ。ローズは?」

「ある。ツキコの茶摘みのイメージってどういうの?」

「え? なんかこう、頭に被り物して、着物みたいな服着て、一枚一枚丁寧に……」

「茶摘みは、そんな生易しいものじゃない」

 茶摘みの話をしているローズの雰囲気がおかしくなってきた。

 真実を語る預言者のような空気を纏ったローズに、その場の全員が飲まれる。

「新芽を丁寧に摘むだけなら、ツキコのイメージでいい。でも、実際の茶摘みは……新芽っぽい葉という葉を、両手を使って手当たりしだいにブチリブチリとちぎり取っていくのよ……!」

「ええー!?」

「イメージが……」

「荒々しいな」

「更に機械化も進んでいるわ」

「な、なんですって!?」

「私が聞いた話だと、こっちでも魔道具使って摘採してるそうよ」

「お茶摘みマシーンがあるというのね、見たいわ……」

「旅行でもする?」

 皆の話を聞きながらなんとなく口にすると、注目された。

「旅行かぁ、いいわね」

「この世界にも観光旅行の概念はあるのかしら」

「リートグルク饅頭があるくらいだから、観光地はありそう」

「確かに」

 わいわいと、旅行するならどういう場所がいいかなんて話をしていた。


 ツキコの膝の上で寛いでいたヒイロが、膝から降りてリビングを飛び出した。

 僕も間髪入れずに続く。


 なんだ、この気配。


「どうしたの、ヨイチくん」

「何事?」

 皆もついてきてしまった。

「危ないから家の中に――」


 ごっ、と突風が吹き荒れ、砂埃を防ぐために目を閉じた。

 その刹那に。


「いやっ……!」

 ローズが宙に浮いていた。

 正確には、宙に浮かんだボロボロの黒いローブの男の腕の中にいた。

「ローズっ!」

「あ、あの顔って、もしかして椿木くん?」

 男の顔は骨と皮と皺ばかりだが、確かに椿木の面影がある。

 椿木は幾日にも及ぶ極限生活でガリガリに痩せていたが、あれほどじゃなかった。それ以前に、我が家で寝ている間に栄養や治癒魔法を摂取して、だいぶマシになっていた。


 いや、そんなことより。


 弓を取りに戻る暇はないから、魔法で矢を創る要領で弓ごと創り、男の頭を狙おうとした。

「おっと」

 矢を放つ寸前、男はローズを盾にするように、顔の前に持ち上げた。

「くっ」

 あれでは狙えない。

「ローズ!」

 ツキコの叫び声で我に返ったローズが、自身を抱く腕に小さな拳で抵抗する。

「無意味ぞ」

 男が言ってもローズは男の腕を殴るのをやめなかったが、男はどんな痛痒も感じている様子はない。

「さて、思念を辿ってみれば、良い拾い物をした。これであやつはどうするかな」

 男はローズを盾にしたまま遠ざかっていく。

「待てっ!」

 追いかけようとして……魔法の気配に咄嗟に後ろへ飛び退く。僕が経っていた場所に雷撃が落ち、地面が黒焦げになった。

 男は空の彼方へ飛んでいってしまった。

「逃がすか!」

 僕が走り出そうとすると、ヒイロが「待って!」と叫んだ。

「何だ!? 急がないと!」

「うん。もうすこし力をつけてからにしたかったけど、緊急事態だものね」


 ヒイロが天に向かって「ヒュオオオオオオ」と聞いたことのない遠吠えを上げた。

「ヒイロ、どうしちゃったの!?」

 ツキコが目の前の光景に驚いている。


 トイプードルくらいのサイズだったヒイロが、今や馬と同じくらい大きな狼に変化していた。

「乗って。飛べる」

「乗るって、大丈夫なのか?」

「言ってる場合じゃないでしょ。早く」

 犬って上からの力に弱いから乗騎には向かないって聞いたことあるんだけど、確かにそんなこと言ってる場合ではない。

 意を決してヒイロの背に跨る。あぶみや鞍なんて無いから、ドスンと飛び乗った。ヒイロはびくともしない。

 長い毛を手綱代わりに掴もうとしたら、全身を柔らかい感触に包まれた。魔法で支えてくれるようだ。

「ヒキュン!」

 少し太くなった鳴き声と共に、僕とヒイロは空を駆けた。




***




 もしかしてレベル60って凄いのかな?

 全速力で町まで走っても息が切れないし、汗ひとつかいてないよ。

 自分の体力に感心しつつ、僕に似たアイツを探す。

 アイツは空を飛んでいったから、地上を進むしかないボクでは完全に見失ってしまった。

 町の外れから、反対側の町の外れ……つまり再び、横伏の家の近くに来てしまった。

 アイツが見つからないなら、先に横伏に伝えておくか。

 そう決めて再び走り出そうとして、身体が動かなくなる。


「なあ、やはり依代にならぬか? このとおり、想い人も手に入れられるぞ」

「……!」

 アイツはあろうことか、天使を腕に抱えて宙に浮いていた。

「その人を放せっ!」

「なんだ、要らぬのか?」

 アイツの腕の中で震えていた天使が、ぴくりと反応する。

「モノみたいに言うなよっ! その人はボクの恩人だ!」

 闇魔法でアイツをなんとか……魔法は使えないんだった。

「ふむ。ならば、もう捨てるか」

 そう言ってアイツは、ゴミでも捨てる気軽さで、天使を腕から落とした。

「!!」

 落下地点へのダッシュは、人生で一番速かったと思う。

 天使の落下地点に仰向けで滑り込むことに成功し、天使はボクの腹の上に落ちた。

「ぐぇ」

 情けない声が出た。衝撃で胃液が口まで上がってくるが、なんとかこらえた。

「あ……」

 天使がボクの上で身体を起こす。動けるようで、一安心だ。

「無事? どこか痛みは」

「ない。……そっちは」

「ボクは平気。痛み感じないし」

「え?」

 天使がボクの上から降りようとして、動きが止まった。

「それ、どういう……」

「ふむ。やはり要るのか? わからぬな」

 アイツが寝転がったままのボクの頭の横に立っていて、天使に手を伸ばした。

「やめろって言ってるだろ!」

 立ち上がり、天使の前に出た、はずなのに……。

「あうっ!?」

 背後から天使の声がして、振り返ると天使が再びアイツの腕に捕まっていた。

「こうしよう。お主が我が依代となるなら、これを解放する。否であれば、殺す」

「解った。だから放せ」

 即断即決した。天使の命に換えられるものなんて、無い。

「ならば、近くへ」

 言われたとおりにそいつに近づく。

「ボクは言うこと聞くから、その人は……」


「ああ、もうお前のものだ」

 違う。

 いいたかった言葉は意識とともにかき消えた。




***




『なんだ、要らぬのか』

『ならば、もう捨てるか』


 また言われたし、ゴミでも捨てるように落とされた。椿木のお腹がクッションになって、助かった。

 でもまたすぐに捕まった。

 無理やり連れてきておいて、必要なくなったら平気で捨てられる。

 理不尽な世界に来てしまった。望んで来たわけじゃないのに。

 本当は日本に帰りたい。

 ヒスイやツキコがいてくれても、ヨイチがどれだけ強くても、やっぱり日本に帰りたい。

 こんな世界、もう嫌だ。


 椿木と椿木に似た人が、何か言い合っている。

 ガリガリで、それでも私のより太い腕がお腹に容赦なく食い込んで、苦しい。

 はやく放して欲しい。


『こうしよう。お主が我が依代となるなら、これを解放する。否であれば、殺す』

『解った。だから放せ』

 耳を疑った。

 椿木、依代の意味わかってる?

 たぶんだけど、身体を乗っ取られちゃうよ?


 思わず本物の方の椿木を見ると、目はまっすぐ私を捉えている偽椿木を見据えていた。

 嘘も、後悔も、怯えもない。

 ヨイチみたいな瞳だ。

 どうして。


 ヨイチは捨てたくせに。


 椿木が近づいてくる。偽椿木が椿木に触れると、私は突然支えを失ってその場に倒れ込んでしまった。

 辺りを見回しても、偽椿木の姿がない。


「……てんし、だ、いじょ、ぶ?」

 椿木が頭を両手で抑えてのたうち回ってる。なのに、口から出るのは私の心配だ。

「なんともない」

「よ、かっ……ああああああ!!」

 椿木の全身を、黒いものが包む。

 叫ぶのをやめたかと思ったら、黒いものをまとわりつかせたまま、何事もなかったみたいにスッと立ち上がった。

「しぶといな。絶望が足りぬか?」

 不穏な言葉を口にして、ぐるんと私の方を向いた。

「この娘か。取り込むより、この場で四肢をもいでみせようか」

 やばい。

「逃げても無駄だ」

 萎えそうな足を叱咤して走ったのに、目の前に回り込まれてしまった。

 腰が抜けて、もう立てない。

 伸びてくる手を直視できなかった。




 手はいつまでたっても、私に触れなかった。




「がああああああああっ!」

 怖気立つような叫び声に目を開けると、真っ白な大きな犬と、真っ黒な髪の人が立っていた。

 ヨイチと……もしかして、ヒイロ?

 犬が振り返って、私の頬をぺろりと舐めた。

「ヒキュン」

 やっぱりヒイロだ。かっこよくなったね。

「ローズ、ヒイロに乗ってくれ」

「えっ、乗るって、乗馬もできないよ」

「大丈夫。ヒイロが魔法で支えてくれるから」

 ヒイロがその場に伏せた。恐る恐る背中にしがみつく。全身をもふっとした柔らかい感触に包まれた。これが魔法かな。

 ヨイチの足元をよく見ると、腕が落ちている。多分、椿木のだ。

「あ、あの、ヨイチ、あのね」

「わかってる。ヒイロ、頼む」

「ヒキュン!」

 ヒイロは高々と舞い上がり、ものすごいスピードで飛びはじめた。

 思わず目を閉じてしまって、次に開けたらもう家の前だった。


「ローズっ!」

 ヒスイとツキコが駆け寄ってきて、ヒスイに抱きしめられた。

「ヒスイ……」

「無事でよかった。ヨイチは?」

「まだ椿木のところにいる。椿木が何か変なことになってて……」

「ヒキュン」

 ヒイロは一声鳴くと、また飛んでいった。ヨイチのところへ向かったんだ。

「身体が冷えてるわ。とりあえず家に入りましょう。ヨイチくんならきっと大丈夫」

「う、うん」

 ヒスイに押されて、私達は家の中に入った。

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