(3)


――


「……ふぅっ」


本日、二度目の帰宅。

私は自転車のカゴから、頼まれていた食材の入ったビニール袋を取り出して、もう一度調理場の引き戸を開けた。


「買ってきたよー」


「おお。ありがとー、柚子ー!助かるよー」


今度は鍋でグツグツと何かを煮込んでいるエプロン姿の母親が私を出迎える。どうやら何かの料理を研究中の様子だ。

火を止めて私のところへ近寄ると、笑顔で私の差し出したビニール袋を受け取った。

私は財布から小銭を取り出す。


「お釣り。結構余ったよ」


「ああ、いいよ。お駄賃ってコトで。とっといて」


「わ、ラッキー。苦労した甲斐があった」


「まだ夕食の支度にも早いし、部屋でちょっと休んどいで。お客さん7人だけだし、来るのも19時くらいらしいから、17時くらいから支度始めようか」


「りょーかい。家に誰かいる?」


「じーちゃんは畑仕事。ばーちゃんは近所の友達のとこにお茶しに行ってるよ。あーと、はるかは家にいると思う。学校終わって出かけてないみたい」


なつは?」


「今日も部活」


「はは、新学期から忙しいねぇ……。それじゃお言葉に甘えて、上でのんびりしてるよ。17時にはくるから」


「よろしくね」


私は母と一旦別れ、家の方へと向かった。


――


「ただいまー。……悠ー?帰ってるのー?」


家の玄関は静まり返っていた。

チク、タクと玄関から正面にある柱時計の音だけが空間に響き渡っている。

鍵が閉まっていなかったので誰かしらはいるとは思うが……それにしては静かすぎる。


しかし、数秒待っていると玄関の左の部屋の方から小さく声が聞こえた。


「……いるよー」


「なんだ、よかった」


私は靴を揃えて家にあがり、すぐにその部屋に入っていった。



大きな洋室に、学習机が三つ。

その一番新しい机に、長い黒髪の少女が1人、灯りをつけて何かを書き綴っていた。

少しだけ鉛筆で何かを書くと……部屋に入ってきた私の方をチラ、と見る。


「おかえり、柚子ちゃん」


少し栗色がかった丸く、愛らしい瞳で私を見て、また机の方へ視線を戻した。


この子は……この民宿の、三女。

山賀美 はるか、10歳。今学期から、小学校の五年生になる。

この家族の中では一番年下で、祖父母からも父母からも……そして私も、つい可愛がってしまう歳の離れた妹だ。


「ただいま、悠。えらいねー、勉強?」


私は自分の鞄を一番奥の、少し古ぼけた自分の机の上に置いて、そう尋ねた。


「ううん、作文の宿題。新しいクラスの先生から、新学期初めての宿題」


「へー、熱心な先生だねー。どれどれ」


悠の机の原稿用紙の一番左には……『私が目指す未来の私』と書いてあった。


「未来の私。つまり将来の夢ってこと?」


私が聞くと、悠は首を少し傾げた。


「わかんない。どんなのでもいいって言ってた」


「未来の自分なら?つまり明日の自分でもいいってこと?」


「うん」


「なんか変わった先生だね~……。新学期からそんな作文書かせるなんて。普通年度末にやらないかな」


「上級生になったからだって」


「はー、なるほど……」


しかし机の上の妹の作文を見ても、何度か消しゴムで消した跡があるだけで本文はさっぱり書いていなかった。


悠は……姉として言うのもなんだが、物静かで、時々何を考えているか分からない。

だからといって全くの無感情というワケではなく、怒ったり、泣いたり、笑ったりはする。ただ、そこまでオーバーに感情を露わにはしない。

少し無口でおおらかで、時々ボーッと物思いに深けている……そんな小学五年生だ。


だからこの作文のテーマには非常に興味があったのだが、やはりというか肝心の本文が思いつかない様子だった。


「難しいテーマだね」


私が言うと悠は小さく頷いて、私の方を椅子に座りながら見上げた。


「柚子ちゃん」


「ん?どしたの?」


悠は、私のコトを『柚子ちゃん』と呼ぶ。

姉が2人いて、お姉ちゃんと言うとどちらのコトを言っているのか分からないし、柚子お姉ちゃん、だと長すぎるから嫌らしく、この呼び方が定着していた。


しかしこう、ジッと見られてそう言われると… 何故だか少し、照れくさくなってしまう。


悠は私に、尋ねてきた。


「柚子ちゃんは、小さい時なにになりたかったの?」


「…………え」


今まで他人事に感じていた難しいテーマがまさか自分に降りかかってくるとは思わず、私の表情は半笑いのまま、固まった。


――

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