第86話 その名はクスコ

 次々と階層をグリフォンで飛び越えてきた松田が、騎士団と交戦中の白狐を飛び越えていったのは、まさにそんな瞬間であった。


 今まさに傲慢な君主のごとく、騎士団を蹂躙しようとしていた白狐ともあろうものが呆気にとられた。


 空中を猛スピードで突破するという考えがそもそもなかったし、激戦をあっさりスルーされるとも思わなかった。


「フザケルナ!」


 侮られた。馬鹿にされた。何より大切な主の命令を一時とはいえ危うくされている。これを許せるはずがなかった。


「コロスコロスコロス! ニクヲムイテナベデニテミソデアジツケテクウ!」


 妙に具体的なことを考えつつ白狐はもう騎士団には見向きもせずに踵を返した。


 それまで必死になって白炎を抑え込んでいた魔法士への負担が一気に消失する。


 ――――が、とても追撃できるような状態ではなかった。


 保有魔力の半ば以上を失っていた魔法士たちは、次々と脱力して膝をつき、またあるものは力尽きたように倒れ伏した。


 誰もが限界まで力を振り絞っていた。


 これまで被害が少なかったために、強敵とは思っていても恐怖の対象ではなかった。


 それがどれほど致命的な誤りであったのか、彼らは身体で思い知らされていた。


 あの白狐は迷宮の氾濫に匹敵する脅威――国家が総力をあげて対処すべき災厄級の脅威だった。


 無念ではあるが、現在投入された騎士団の力では到底相手にならない。


 もっと多くの軍勢と将軍の出馬が不可欠だ。それが純事的に可能かどうかは別として。


「――――助かったのか?」


 マイルズは茫然と呟いた。


 白狐を取り逃がしたのではなく、助かった、と表現していることが彼の本心を何より雄弁に物語っていた。


「どうやら件の探索者が上空から白狐を突破していった模様です。そのため白狐が奴を追っていったものと」


 部下からの報告を受け、マイルズは力のない視線を向ける。


 騎士団としての役割を思うのであれば当然白狐の後を追うべきだ。 


 そして探索者と協力して白狐を討伐する。


 しかし魔法士たちが限界まで疲れ果てた今、騎士単独で戦闘を継続することは自殺行為だ。


 現実とプライド、その狭間でマイルズは懊悩する。正確には懊悩していると自分に言い聞かせた。最初から結論など決まっていた。


「貴重な騎士を無駄死にはさせられない。一度撤退して善後策を練る」


「斥候だけでも出しませんか?」


「あの白狐を相手に戦力を小出しにして生きて帰れると思うか?」


「……無理がありますね」


 どうせ情報を持ち帰れないのなら斥候を出すだけ無意味である。


「そういうことだ。あれは我々の想定を遥かに超える化け物だった。無策で命を捨てさせるわけにはいかん」






 怒り狂った白狐は松田の背後に追いすがった。


 グリフォンにも勝る速度はまさに電光を思わせる。


 そしてただ追いすがるだけではなく、先ほどから白炎の攻撃を間断なく続けていた。


「――――召喚サモンゴーレム!」


「……ウザイ」


 次々と召喚されるグリフォンゴーレムが障害となってなかなか松田に辿りつかない。


 かといって無視するにはグリフォンゴーレムは強すぎる。


 さすがの白狐も放置しておくわけにはいかなかった。


 大迫力の松田と白狐の空中戦は、迷宮が森林型となった百五階層まで継続した。


「…………このあたりでいいか」


 百五階層の森林にはちょうど中央に広い空間がある。何より森林型になってから空にも魔物が増えてきて地味にきつい。


 それにここまでくれば騎士団や探索者が追いついてくるまでかなりの時間が稼げるだろう。


「――それで、どうだ?」


 松田は背後で白狐を凝視し続けているディアナに問いかけた。


「違和感はありますが間違いありません。あれは造物主の使い魔の一、クスコです」






 平地へと着地し、新たに盾騎士を十体召喚する。グリフォンゴーレムは引き続き上空の警戒だ。


 白炎が数発上空から降り注ぐが、盾騎士の巨大な盾がかろうじて凌ぎきった。


 それでも魔力耐性の強いミスリル製盾騎士が一体使用不能になり、改めて松田は盾騎士を召喚する。


「ユユユ、ユルサヌ! ココデチリトナレ!」


「待って、クスコ! どうして貴女がここにいるの? なぜ口調が変わっているの? 造物主様が亡くなったあと何があったの?」


 秘宝でしかなかったディアナたち絢爛たる七つの秘宝は、造物主の死後、各国に分配されるまで倉庫で眠らされたままだった。


 だが使い魔であったクスコたちは違う。


 その後の情報をその耳で聴き、自らの意思で行動できたはずであった。


「ググ……ワレヲソノナデヨブキサマハダレダ?」


「絢爛たる七つの秘宝の一、終末の杖ディアスヴィクティナよ!」


「ディアナハソンナツルペタヨウジョデハナイ」


「誰がツルペタよ! 誰がああああ!」


 あっさりと現在の自分を否定されてディアナは泣き叫んだ。クスコの反応はディアナのもっとも痛い部分に突き刺さったのである。


「氷雪ブリザードの乱舞ロンド!」


 数え切れぬ鋭利な氷の礫がクスコを襲うが、それをあっさりと炎の防御壁を築いてクスコは防ぐ。


「キガミジカク、スグニボウリョクニウッタエルアオリタイセイノナサハ、タシカニディアナニニテイル」


「誰が煽り耐性がないですってえええええ?」


「ソックリダ」


「ディアナはいつもすぐに怒るですよ? わふ」


「ホレミロ」


「お父様! こいつらにまとめて禁呪の許可を!」


「いいから落ち着け」


 涙目で禁呪とかぶっぱなされても困る。ステラにまで煽り耐性のなさを指摘されたのはそんなにつらかったか。


 危うく自分も突っ込みそうであった松田は、空気を読んで黙っていてよかったと心底思うのだった。


「も、もう! そんなことはいいのです! それよりどうしてクスコがここにいるんですか? 私たちと同じように旧王国に封印されたのですか?」


「フウ……イン? メイレイ?」


 ディアナの問いにクスコの様子がおかしくなり始めた。正確には、もともとおかしかったものがさらに壊れ始めた。


「貴女がここにいるのはライドッグ様のご命令ではないのですか?」


「ヌシサマ……ライドッグ……ユルサナイ、コロスコロスコロスコロスコロス!」


「洗脳? いえ、洗脳ならここまではおかしくはならない。いったいクスコに何が……」


「いいから下がってろっっ!」


 松田が思索に浸るディアナを突き飛ばし、鋼鉄の壁を錬成する。


「ソンナモノガッ!」


 全身に超高熱の光を纏ったクスコは、鋼鉄の壁をまるで紙のように軽々と貫く。


 ――――が


「イナイ?」


 鋼鉄の壁の向こうにはすでにディアナの姿はない。地面を操作して地下から別な場所に運ばれていた。 


 鋼鉄の壁は防御のためではなく、目くらましとして使われたのである。


「とはいえあんな簡単にぶちぬかれるとか、おかしいだろ」


 松田のこめかみを冷や汗が流れて落ちた。


 先ほどの白炎はなんとか盾騎士が受け止められたが、今の突撃を受け止められるかとなると全く自信がない。


「クスコは神狐であると同時に火属性を極限まで強化されています。あの熱量を上回るには私でも禁呪を使わないと……」


「厄介な話だな」


「シネエエエエエエ!」


 再び突撃してくるクスコを霜の巨人ヨツンゴーレムを召喚して防御するが、時間稼ぎにしかならない。


 問題なのはあの超高熱が攻撃だけではなく防御としても有効だということだ。


 おそらく騎士ゴーレムのランスアタック程度では、攻撃が届くまでに溶かされて終わりだろう。


 それでは魔法はどうか、というと松田の魔法は土魔法に特化された物理魔法なので、やはり溶かされて終わりである。


 同じ理由でステラの白兵戦闘力も無力化された。


 想像していた以上に凶悪な魔物がクスコという存在であった。


「大丈夫です。クスコの弱点は私が知っています」


 古い盟友にして仇敵のことは、やはりディアナが一番よくわかっていた。


「本来ここにお揚げがあれば一発なのですが…………」


「なにその下らない理由?」


 狐への進物といえば確かにお揚げは定番だが、この異世界でもそうなのか、それともクスコが特別なのか。


「いかん、もうか?」


 早くも霜の巨人が突破されそうなことに松田は驚愕する。対クスコ用の切り札的なゴーレムであっただけに、続くゴーレムが咄嗟に思い浮かばない。


 残念ながらクスコとの戦闘に限っては、松田得意の物量戦術が通用しないのだ。


「――――召喚サモンゴーレム!」


 再び霜の巨人を三体召喚して松田はクスコを抑え込む。だがそう長い時間は保たないだろう。


「お父様、クスコはお父様と同じく火に特化された神狐です。神狐としての身体能力と極限まで強化された狐火による攻撃を得意とします」


「それは今実感しているよ!」


 クスコの熱量もさることながら、恐ろしい速度と変幻自在の方向転換が対応を難しくしていた。


 松田のゴーレムマスタースキルがなければ抑え込むことすら不可能に違いなかった。


「わふ! 当たれええです!」


 素手で白兵をするのを諦めたステラが、適当な石を投擲しているのが地味に利いている。


 もしこれがなければ松田のゴーレムでもクスコを抑えることはできなかったかもしれない。


「ナマイキナ!」


 高熱で瞬時に石を蒸発させても、衝突の衝撃は完全には消せないようであった。


 それを実現するステラの膂力はどれほどのものか、思わず背筋の寒くなる松田である。


「ヌシサマノメイレイヲジャマスルヤツハシネバイイ!」


 鬼気迫るクスコの様子にディアナは首をひねった。


 おそらくはライドッグに秘宝の守護を命令されたのだろうが、これほど理性をなくすことはありえない。


 もともとクスコは理性的で直情的な傾向のあるディアナにとっては苦手な相手であった。


 相手に実力を発揮させることなく奇襲で勝つのがクスコの本領であり、今の力押しのような戦い方は彼女の本来のスタイルではない。


 だからこそ今の限定されたディアナの力でも、クスコに勝てるとも言える。


「悪く思わないでね」


 正直なところ、クスコがライドッグの命令を守っているとするならば、それを破らせることに思うところがないわけではなかった。


 そう考えたとき、いつの間にかディアナにとって松田がライドッグよりも大事な存在となっていることに気づく。


 もちろん契約の主であることも大きいのだが、それ以上に松田を優先したいという自分の意思が存在した。


(だから貴女の望みには答えられないのクスコ)


 かつて肩を並べて(といってもディアナに肩はなかったが)ともに戦った戦友にディアナは心の中で詫びた。


「凍てつく(フローズン)聖域サンクチュアリ」


 火属性特化の使い魔としても、神狐という種族的にも、水属性は弱点である。


 しかし現状のディアナの力ではクスコの炎を完封するとまではいかない。


 だが、今のディアナは一人ではない。かつての仲間たちは誰もいないけれど、新しい仲間がいる。


 ディアナの視線の意味をはたしてステラは誤解しなかった。


「わふっ!」


 初めてディアナが自分を頼ってくれた。


 その事実にステラは無意識に口元が緩むほどの昂揚を覚える。


「巨狼フェンリルの牙ファング!」


 野生の勘というべきか。


 ステラにはクスコの魔力の源がその大きな尾にあることがわかっていた。


 狙うはその付け根。


 ステラは己の持つもっとも貫通力の高いスキルで、勢いよく大地を蹴った。


「ギャアアアアアアアア!」


 ――――耳を塞ぎたくなるような、まるで血を吐いているような絶叫が響き渡った。


 同時に艶めいた純白の尾が、ゆらゆらと空中を揺れとさり、と大地に落ちて静止する。


 急速に魔力を失ったクスコはそのまま空中を飛ぶことができず、痛みに悶えながら地面へと降り立った。


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