第61話 明かされた真実

 「――――なんだ?」


 ようやく松田はひびが入った壁の先に空間があること。そしてどうやら彼女に誘導されていたらしいことに気づいた。


 「そこに入れ、ということなのか?」


 『そうだと思われます。自分でそれをしないということは、おそらく命令に抵触する部分があるかと』


 「…………乗ってやるか」


 松田は先ほどよりも巨大な鋼鉄槌アイアンハンマーを錬成する。


 鋼鉄槍の数倍以上の質量を伴った衝撃は、罅の入った壁を粉々に打ち砕いた。


 その瞬間、彼女はうれしくも寂しそうに、そして今にも泣きそうな顔で確かに笑った。




 ――――――ガラガラガラガラ




 長い年月で十分すぎるほど痛んでいたらしい壁は瞬く間に崩れ落ち、薄いあかりに照らされた部屋の内部が明らかとなった。


 「なんだこりゃあ…………?」


 夥しい数の標本、眼球や内臓まで含めた莫大な数のガラス瓶をみた松田は気味悪そうに顔をそむけた。


 背けた視線の先には、明るい微笑みを浮かべた一人の美しい少女の細密画があった。


 どこか人形の彼女に似ている。というより少女が成長したならば目の前の彼女になるのではあるまいか。


 そこまで考えたとき、松田の脳内で閃くものがあった。


 「――――複製クローン、か!」


 数々の標本と少女によく似た人形、おそらくはこの部屋の主が家族の複製を造ろうとした可能性が高い。


 『これは……造物主ライドッグ様より一世代ほど古い術式です。まさかこれほどの魔法士が埋もれていたなんて……』


 ライドッグこそは魔法史上最高の天才であるという確信に揺るぎはない。


 だがこと錬金に関する限り、この工房の主はライドッグと同じ地平に立っているのは明らかであった。


 何より彼女の感情のこもった表情がそれを物語っていた。


 形だけは真似しているが、ディアナにはあれほど心のこもった表情ができているという自信はない。


 「止めてええええええええええええええええええええええ!」


 鈴が鳴るような可愛らしい声とともに、一人の少女――まさに細密画の少女に瓜二つの少女がやってきたのはそのときであった。


 「針ニードル磁力砲レールガン」


 声と外見は可愛らしくても、少女の放った攻撃は途轍もなく恐ろしいものである。


 鋼鉄よりも固い魔力付与の針を磁力で加速させて打ち出すのだ。その破壊力は鋼鉄槍に勝るほどであった。


 「くそっ! 鉄壁アイアンウォール!」


 盾としてゴーレムを並べるだけではなく、さらに鉄壁を錬金しての徹底した防御。


 かろうじて松田は少女の攻撃を凌ぎきる。


 「お姉さま! 早くこの侵入者どもを排除してください!」


 どうしてお姉さま――005がこの部屋へ入りたがったのかはわからないが、敵の排除はマスターに与えられた絶対の命令である。それに逆らう道理がなかった。


 だが――――


 鋼鉄槍のダメージで、右足が踏ん張れない不格好な姿で005はよろよろと歩きだすと松田に、とある装置を指さした。


 「俺に動かせってのか?」


 ――――コクン、と005は頷く。


 それは少女の――006の心に不可視の大きな衝撃をもたらした。


 自分と同じ、マスターによって創造された試製マリオンである姉が、よりもよってマスターを裏切った。


 そんなことがあってよいはずがなかった。


 「――――お姉さまああああああああああ!」


 抑えきれぬ激甚な怒りに駆られ006は姉の005へと再び針磁力砲を射出する。


 不可思議な装置に注意を惹かれていた松田は、思わぬ仲間割れに為すすべがなかった。


 凶悪な針に全身を乱打され、一瞬にして人工皮膚を切り裂かれ、人口骨格を砕かれて005は無残な屍と変わり果てた。


 だが偶然にも損傷のなかった顔は、満足そうに何かを成し遂げた微笑に彩られていた。


 「なぜ? なぜなのです? お姉さま!」


 まだ混乱したままの006をよそに、ディアナは005が最後に指さした装置のコンソールへと指を置いた。


 まだ造物主ライドッグとは世代の近い術式である。すぐにそれが旧世代の記録装置であることを理解したディアナは、迷わずに再生のスイッチを押した。




 「――――マスター!!」




 少女の愛らしい唇から歓喜の悲鳴が漏れた。


 ずっとずっと会いたくて会いたくてたまらなかった、この世で何よりも大事な人であった。


 たとえ本人ではなくその記録であるとしても、少女にとって無上のものであることに変わりはなかった。


 ――その喜びは、すぐに儚く崩れ去ることになる。


 「この映像を見ているであろう者に告げる。わしはゴルディアス・フッケバイン。狂気の隠者などと呼ばれたこともあるが、おそらくもう知るものはいないだろう。どうかわしの願いを聞いてほしい。この迷宮に残された試製人造人間を破壊して欲しいのだ」


 「――――えっ?」


 うそでしょう、と言いたかった。だが被創造物である006にはマスターの言葉を疑うということができない。


 まさか、と006は冷たい躯と化した姉の姿を振り返った。


 「知っていらしたのですか? お姉さま」


 そう考えれば姉の行動に納得がいく。彼女たちマリオンは自分で自分を破壊することが許されていない。


 ならば他人に破壊してもらう以外に方法がなかった。


 005がどうやって、いつの時点で知ったのかはわからない。


 だが彼女はマスターのマリオンを破壊して欲しいという要求を、彼女なりの方法で実現したのだった。


 最後の瞬間まで、彼女はひとつたりともマスターを裏切ってなどいなかった。


 裏切れないからこそマリオンなのだから。


 「わしは失った娘との生活をもう一度取り戻そうと人造人間の研究を続けた。だがそうして出来上がったのは娘とは似ても似つかぬ出来損ないばかりだ。最後の作品になった006についてはもはや出来損ないを通り越して悪夢だ。娘ではない人形の分際で――――愛して欲しいだと? ふざけるな! わしが愛するのは娘だけだ!」


 すでに寿命を迎え思考が空回りしているな、と松田は感じた。


 耄碌した老人の繰り言とはいえ、それを聞かされる少女の胸中は如何ばかりか。


 「いやらしい女の目だった。わしと娘を捨てたいやらしい女を006は受け継いでしまった。許しがたい。だが姿かたちだけは娘に瓜二つなのだ。とてもわしには破壊することができん」


 どこまでも老人は傲慢で自分勝手に言い放つ。


 「それにわしの命もそう長くはないだろう。二日ほど前から心臓が弱っているのが自分でもわかる。まず明日の朝日を浴びることはあるまいて。どうか哀れな老人の最後の頼みだ。人形を破壊してくれ。わしの最後の出来損ないを消し去ってくれ」


 唐突に映像は途切れた。


 老人がどこで死んだのかは定かではないが、ずっとずっと遠い昔に死んでしまっているのは確実であった。


 「そんな……そんな……マスターはもう……」


 マスターが存在すればこそ、少女は命令を忠実に守り再び会える日を心待ちにしてきたというのに、もっとも残酷な形でその思いは裏切られた。


 「私は……なんのために生まれたの? なんのために生きてきたの? マスターに愛されたいと思うのはそんなに罪なの?」


 自分が拠って立つ存在理由そのものを失った。


 少女はもはや自分で自分を支えることができないことを悟った。


 ただひとつ、わかるのは自分がマスターのためにできることがあるとすれば、それは彼らに破壊してもらうことしかないということだった。


 「攻撃を向けてしまって申し訳ありませんでした……見ての通りです。私を破壊してください。私は迷宮の管理権限を所有していますから、私を破壊すれば魔物の増殖は停止するでしょう」


 この期に及んでも自殺することのできない秘宝の身が虚しい。


 『それでいいのですかっ!』


 ディアナは血を吐くような思いで絶叫した。


 思わず松田が眉を顰めるほどの強烈な思念であった。


 「これは――――貴女は人造人間でしたか。うらやましい。貴女にはちゃんと主人がいるのですね」 


 あまりに強い思念を少女も感知したらしい。


 秘宝にとって、主人に必要とされることが存在理由である。


 不要とされた秘宝ほど無惨なものはいない。人なら未来に希望をみることもできるだろう。新たな出会いが人生を変えることもあるだろう。


 しかし秘宝は主人に対する愛情の束縛プログラムから逃れることはできないのだ。


 憎むことも忘れることもできない愛しい人に捨てられて、それでも狂うこともできない絶望と呼ぶにも生易しい感情を、ディアナはどこかで知っている気がした。


 (――――どこで? そんな記憶、私には――)


 「壊さないというなら私は貴方たちを破壊します!」


 それで敵として破壊してもらえるならば――――。


 少女が松田に向けて針磁力砲を向けたのを見て、ディアナはつい反射的に動いた。動いてしまった。


 同じ秘宝としてどれほど少女がつらい思いをしているか、十分に理解しながらも主人に対する害意を見逃すという選択肢は秘宝であるディアナにはなかった。


 『雷光ライトニングの剣舞ソードダンス!』


 少女が避ける気のないことはわかっていた。


 それでも詠唱してしまった術を止めることはできない。


 ディアナの手を放たれた光の剣は、少女に剣山のように突き刺さった。


 『だめっ! こんなところで死んではいやああああ!』


 半狂乱になるディアナの頬が乾いた音を立てた。


 松田がディアナの正気を取り戻させるために頬を張ったのである。


 「――――持つべきものはいい師匠ってな。アリアスの針でこいつの時は止めた。急いでハーレプスト師匠のところに持っていくぞ!」

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