第48話 予兆

 いよいよ松田たちは五十階層に達した。


 五十階層から、迷宮はがらりと様相を変え、今度はまるで密林のように草木が生い茂っている。


 天井の高さは四十メートルを超え、太陽ほどではないが月明りよりは遥かに明るい光量を放っていた。


 「どういう仕組みなんだ?」


 『主様、迷宮の構造は考えるだけ無駄というものです』


 「――――わからない、ってことか。こら! ステラ! あんまり遠くに行っちゃいけません!」


 「わふっ?」


 手ごろな草原を見つけたステラは松田の心配をよそに、楽しそうに駆け回っている。


 あれで嗅覚も勘も鋭いので、多分危険はないのだろうが……。


 「わふ~~~~ん?」


 恐ろしい速度で駆け回っていたステラが、何かに感づいたように首を傾げた。


 その視線の先には何の変哲もない森が広がっている。


 まあ、森というほどの面積はないのだろうが。あまり広いと五十一階層へと降りる階段を見つけるのが苦労しそうだ。


 『ステラはよく気がつきましたね。あの左から四本目と五本目の木は擬態です。もう探査にかからないレベルの魔物が出てくるとは、気をつけませんと』


 「えええっ? ど、どれがどれだって?」


 必死で目を凝らしてみるが、どこからどう眺めても同じ木にしか見えない。


 『見ただけではわからないから擬態なのですよ、主様』


 「ぐぬぬぬ…………」


 異世界の擬態というのはナナフシやフクロウを超えるのか?


 確かに、魔力探査にも引っかからないのだから、日本の動物など比べるべくもないだろうが。


 「わふっ? わふっ?」


 「だからステラ! 危ないからつつくんじゃありません!」


 好奇心に勝てなかったのか、微妙な距離を取りながらステラが擬態している木をツンツンとつつく。


 ステップバックが早すぎて、擬態している魔物もタイミングを掴めないようだが、松田は思わず声を張り上げた。


 出来の悪いコントのような気がしないでもないが、ここは前人未踏の五十階層なのである。


 どれだけ注意しても足りるものではない。


 「……つまらないです」


 様子を見ることに飽きたのか、ステラは擬態していた魔物に強烈な蹴りを食らわせた。


 正体がばれている擬態は擬態の意味がない。


 全く無防備にステラの蹴りを食らった木の魔物は、ぽっきりと根元から叩き折られ、緑色の血らしき汁を振りまいて絶命した。


 先日のレベルアップで、ステラは瞬足というスキルを獲得したらしい。


 スキル発動時の移動速度二倍に加え、破壊力も速度の二乗に比例して大きくなる。


 どうやらステラは速度特化の成長型であるようだった。


 もしかしたら人狼そのものが、そうした特性を持っているのかもしれない。なかなか人狼の住処が発見されないのもそのあたりの事情が関係しているのだろう。


 正直松田自身もゴーレムに守られた安全圏でないと、接近戦でステラに勝てる気がまるでしなかった。


 仲間を倒された魔物が触手のような枝を伸ばしてステラに迫るが、それを軽々と避けてバック転をしながらクルクルと独楽のように回って枝を打ち落とす。


 「わっふううう?」


 だがステラが調子に乗っていられたのもそこまでだった。


 擬態していた魔物が仲間を呼んで、数十の大軍がうねうねと枝を揺らし殺到しつつあるのに気づいたのでる。


 「ごご、ご主人様ああああっ!」


 「早く戻れ! ディアナ、援護しろ! 召喚サモン、ゴーレム!」


 『お任せください主様!』


 ディアナは松田に頼られるたびに、心がわくわくと浮き立つのを抑えることができなかった。


 身体を与えられてからはその傾向がさらに強まったように感じる。


 道具ではなくディアナ自身として必要とされている実感を感じるのだ。


 『爆裂アトミック炉心パイル!』


 松田のレベルアップに伴い、ディアナも上位魔法――といっても上位魔法のなかでは下位なのだが――を使えるようになっている。


 ただ身体を操ることに魔力を取られているうえ、全盛期の出力には遠く及ばない状態であるため、松田からの魔力の供給がないと十全に魔法を使える状態ではない。


 そのため松田はゴーレムの召喚を控えめに設定している。


 今回召喚されたゴーレムの数はわずか五十体。しかしドルロイやハーレプストからの知識をもとに大幅に強化されたゴーレムは全長二メートルほど。


 秘宝級アーティファクトクラスの装備が錬金され防御力は比較にならないほどにあがっている。さらに関節部や造形も洗練されてきたことで機動力も向上していた。


 今ならかつての騎士ゴーレムが百体以上で向かってきても、余裕で叩きのめすことが可能だろう。


 上空の援護はヴァルキリータイプの翼を持った戦乙女が警護している。


 まさに常識を激しく逸脱した恐るべき軍団であった。


 もはや一探索者の範疇を遥かに超えている。いまだ低レベルであるにもかかわらず、松田は小国の軍隊に匹敵する軍事力の塊であった。


 ドルロイ師匠には頭があがらないな、とつくづく松田は思う。


 もしドルロイの庇護がなければ、松田を利用しようとする何かの権力の介入があったことは確実である。


 そもそもギルドマスターが松田の秘密を守ってくれたかどうか。


 ゴーレムマスターなどと言われてはいるが、今のところ松田の能力は数体のゴーレムを同時に制御できる恐るべき土魔法士という評価で一致している。


 基本的にゴーレムは一人一体で操ることを考えれば、それでも十分に驚異的なので、まさか松田が数百ものゴーレムを操るとは想像もできないのだろう。


 「機甲陣パンツァーカイル! 前へ!」


 楔形に陣取ったゴーレムがゆっくりと前進を開始した。


 ディアナの上位魔法で半ば近くを吹き飛ばされた魔物たちは、それでも急速に互いの枝同士を接触させ復元しつつあったが、ゴーレムの前進を防ぐほどの力は残されていなかった。


 容赦のない斧が振り下ろされ紙のように枝が切り裂かれるとともに、鉄の足が一トン近い圧力となって地面の根を踏み砕く。


 魔物の反撃は固さと粘りを両立させたゴーレムの鎧にむなしく弾き返された。


 それはまさに、蹂躙と呼ぶにふさわしい光景であった。


 蟻の集団が猫に踏みつぶされるような勢いで、たちまち魔物集団はその数を減らしていった。


 「せーの、です! わふ」


 魔物が減らされるのを待っていたステラが、ギラリと鋭く目を光らせた。


 松田とディアナの活躍を指をくわえて見守るという選択肢はステラにはない。


 主人である松田のために、敵を狩り、褒めてもらうことこそが彼女の存在理由なのだから。


 雑魚の相手はディアナに任せて自分は一番おいしいところを持っていく。


 ステラとしては群れの席次的に、ディアナには負けたくないという思いがあるのである。


 人狼族は群れの序列を大事にする種族であるからだ。ここはひとつ、ディアナ以上の活躍を松田に見せつけなければならなかった。




 「巨狼フェンリル突破ブレイク!」




 ステラの瞳が金色に光り、隠していた耳としっぽが露わとなる。


 そして全身から発散される淡い金色のオーラが巨大な一匹の狼の姿を形作り始めた。


 煙るように立ち上る金色の巨大な狼が、その顎を大きく開けたと思った瞬間、ステラは弾丸のように飛び出した。


 比喩でなく、その速度は弾丸に匹敵した。


 一切の回避を許さない神速の突撃は、当たるを幸いに魔物の枝を蹴散らし、彼らの背後で出待ちをしていた古エルダーえの精霊樹トレントは哀れにも出番を待つことなく木っ端みじんに吹き飛ばされた。


 「に、人間砲弾…………」


 まさにそうとしか表現しようのない過激なステラの攻撃方法に松田は絶句する。


 「ご主人様! ご主人様! ステラやりましたです!」


 撫でれ、とばかりに松田を期待に満ちた目で見上げるステラを、空気の読める日本人松田が抵抗できるはずがなかった。


 「よしよし、よくやったな、ステラ。でも無理するんじゃないぞ?」


 「大丈夫なのです! わふ」


 優しく髪をすくように撫でられて、うれしそうに目を細めるステラを見ると、なぜかディアナの胸はざわざわと騒いだ。


 今まで感じたことのない不快な衝動に、ディアナは無意識のうちについ、と松田の袖口を引いていた。


 「どうしたディアナ?」


 『えっ? いえ、なんでも、ない、です……』


 それでもしっかりと袖口を掴んで離さないディアナに、松田はもう片方の手でよしよしと彼女の頭を撫でた。


 触覚のないディアナには撫でられる感覚はわからないが、なぜか心が温かくなるような気がして、ディアナは松田の手に自らの頭をさらに押しつけるのだった。








 ――――失意のままにメッサラは故郷へと帰郷した。


 マクンバからおよそ五十キロほどの地点にあるメノラーの村は、人口数百人程度ののどかな農村である。


 牛を追い、畑仕事に精を出す、そんな日々を繰り返す村民にとって、メッサラの存在は異質であった。


 探索者といっても上位の存在は貴族なみの待遇と収入がある。


 しかし大半の探索者はならず者と同じくくりであり、都落ちして帰ってきたメッサラに対する評価も同じようなものだった。


 村の中に居場所がないことをメッサラが悟るまで、そう長い時間はかからなかった。


 それでも息子が帰ってきてくれたことを、両親が心から喜び歓迎してくれているのも確かである。


 このまま地道に農作業をして、ひとつひとつ信頼を積み上げていくのも選択肢のひとつではあるだろう。


 だが、本当にぬるま湯に浸ったような危機感のない世界で暮らしていいのか?


 そんな疑問にメッサラは答えることができずにいた。


 ところがそんな平穏を打ち破る話がある日メッサラのもとへやってきた。




 「――――マクンバに続く街道で怪しい光が見えるだって?」


 「ああ、といっても、メノラーから丘を下ると森が不自然に途切れているところがあって、そこから微かに見える程度なんだけどな。メッサラなら何かわかるかもと思って」




 そう首を傾げたのはメッサラにとっては幼なじみにあたるロイだった。


 この村の数少ないメッサラの味方である。




 「――――へへっ! 面白い。少々刺激が足りないと思っていたところだ」


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