第2話 こんにちは異世界

 「――――こんな綺麗な青い空は久しぶりだな」


 ふと目を覚ませば松田の目には、どこまでも吸い込まれていきそうな透き通った見事な青空が映っていた。


 とりあえずあの白い部屋でなかったことには感謝しよう。


 無趣味な社畜ではあるが、実は二十代までは密かに通勤やトイレでラノベやアニメを嗜んでいた松田である。


 この手の異世界転生のシチュエーションを自分で味わうとは思ってもいなkったが。


 マイナスイオンがあふれたかのような爽やかな空気に、ごく自然と松田の頬は緩んだ。


 あの気取った経営者かみの言っていたことが本当であれば、自分は異世界に転生したということなのだろう。


 松田は草の柔らかな絨毯から起き上がると、ゆっくり背伸びをしながらあたりを見回した。


 「さて、ここはどこかな?」


 草原と思われたのは実は森のなかの少々開けた場所らしく、周囲は見上げるような大きな鬱蒼たる樹木で覆われていた。


 さすがの社畜でも、森でサバイバルをした経験はない。ひと月の食費一万円というサバイバルをしたことはあるが、あれはあくまでも文明圏での話だ。


「どうしろって言うんだろう…………」


 行動指針が見つからず松田が途方に暮れるのも無理からぬ話であった。


 ふと、そのとき松田は目の前の景色に違和感を覚える。その違和感の原因に気づき、松田はピシャリとおやじ臭い動作で額を叩いた。


 「そういえば転生したんだっけ…………」


 気づいた違和感の原因は視点の高さである。前世において松田は身長百七十センチ弱で小太りのおやじであったが、今はおそらく百八十センチ以上の身長があるように思われた。


 大きく突き出た腹に隠れてみえなかった自分の足が見えているから、相当にスリムな体になったとも言える。


 確認はできないが、おそらく容姿も相当に変わっているのだろう。


 声の感じから察するに、十代から二十代前半程度まで若返っているようにも思われた。


 それ自体はありがたいことである。めっきり体力の衰えた四十路のまま転生とか、本気で拷問でしかない。


 「ステータスに補正とか土属性の才能がどうとか言ってたよな……」


 右も左もわからないこの環境では、気に食わない男ではあったがあの言葉だけが唯一の救いであった。


 「…………と言っても魔法とか知らないぞ。土魔法とか言われても……」


 松田はふう、と溜息を吐くと天を仰いでかつて読んだファンタジー小説の記憶を辿った。


 「土魔法というと……岩を飛ばしたり、穴を掘ったり――ああ、それとゴーレムを作ったりも土魔法だっけ?」


 学生時代に読んだスレ○ヤーズやロー○ス島戦記を思い出して、松田はその言葉を口にした。


 「――――召喚サモン、ゴーレム」


 不意に体内にあったなんらかの力エネルギーがごっそりと抜き取られるのを自覚して、松田は慌てて全身を襲う倦怠感に抗った。


 もしかしたらこれが魔力を使用した、ということなのか?


 期待に目を輝かせて子供のように松田は決めポーズのまま魔法が発動する瞬間を待つ。


 こんなにワクワクしたのは学生のとき以来かもしれない。社会人になってついぞ忘れていた感覚である。


 ――――だがその先が進まなかった。右手を前方に伸ばし、詠唱した格好で固まっていた松田をしん、とした長い沈黙が襲った。


 「うわっ! めっちゃ恥ずかしい~~~~!」


 何が召喚サモンゴーレムだ。こんなの会社の部下に見られたら恥ずかしさで憤死するか家に引きこもる自信がある。


 先ほどの倦怠感はもしかして自意識過剰か。


 もだえるように頭を掻きむしる松田をよそに、静かに大地が震動を開始した。


 「って、うおおおおおおおおおおっ!」


 草原の草が飛び散り、うねうねと意思を持ったがごとき土が巨大な人形ひとがたを形作っていく。


 松田はあずかり知らぬことだが、膨大な魔力を全開でぶちこんだためにこんな規格外の大きさになってしまったのである。


 とはいえ魔法のイロハも全く知らないのだからやむを得ないところではあるだろう。


 半径二十メートルほどの大地から大量の土を吸い取って、巨大な土ゴーレムが召喚された。


 と、同時に急激に土が吸い取られたことで、落とし穴のように開いてしまった空間に松田は頭から滑るように転がり落ちていった。




 「いってててててててて!」


 何か硬いものに頭をぶつけた疼痛に松田はブルブルと頭を振る。


 穴の深さはおよそ二メートル近くはあるだろうか。あの高さから落ちて頭が痛い程度で済んだならむしろ僥倖というものだろう。


 起き上がろうとした松田はふと手のひらに伝わる硬い感触に違和感を覚える。


 「なんだ? ……レリーフ?」


 そこには一人の戦女神が使いの鷲を右手に乗せ、雄々しく断崖に立つ姿が描かれていた。


 土を失った地下から、隠されていた何かのモニュメントらしき構造物が露わとなっていたのである。


 もし松田が意味もなく召喚呪文など唱えなければ、永久に地下に埋もれたままであったかもしれない。


 社畜であったころにはついぞ感じる余裕のなかった知的好奇心が、松田の胸で渦巻いた。


 やはり男ならばお宝とか埋蔵金と聞いて胸を高鳴らせなければウソであろう。


 意味もなく宝物を友達と桜の木の下に埋めた幼い日を思い出して、松田は本当に自分の意識が若返ったことを実感した。


 松田の見るところその構造物は、縦七メートル、横五メートルほどのちょうど石棺のような形をしていた。


 「…………開かない」


 蓋に手をかけ、全身の力をこめてみるがビクともしない。


 当たり前である。松田の膂力は所詮は人間のものにすぎず、起重機クレーンのような出力パワーがあるはずがなかった。


 どうしたものかと首をひねった松田は、そのときようやく召喚したまま放置していたゴーレムを思い出す。


 直立したまま命令を待つ巨大なゴーレムの姿は、心なしか寂しげにみえた。


 「放っておいてすまん。とりあえずこれ開けてくれるか?」


 明確なイメージができていなかったせいか、まるで小学生の作った泥人形のような大雑把な造形のゴーレムである。


 松田が、これ僕の思ってたゴーレムとちゃう、と思ったのはここだけの秘密だ。


 ボロボロと指先から砂をこぼしながら、ゴーレムは圧倒的な膂力で蓋をこじ開けにかかった。


 ――――ギシ、ギシ


 ふと思ったけど、ゴーレムってどこからあの力を出してるんだろう。筋肉はおろか骨格すらないはずなのに。やっぱり魔力なのかな?


 ――――ギシ、ギシ、ドスン!


 数トン以上はあるであろう重い蓋がこじあけられた。


 ぽっかりと開いた空間には、お約束のように暗い地下へと階段が続いていた。


 「って、……ダンジョンかよ……」


 予想外の展開に腕を組んでほんの数瞬考えると松田は決断した。


 「悪いけどもう一回この蓋閉じてくれる?」


 社畜は危うきには近寄らない。敏感な危機回避力がなければ二十年以上も社畜を続けることなどできはしないのである。


 『――――お待ちください!』


 その声は直接松田の脳へと届いた。聴覚として認識したわけではないにもかかわらず、甘い二十代前後のしっとりとした女性の声であるのがわかった。


 「閉めるのを急いでくれ。こんなお化けがでるダンジョンとか絶対に関わりたくない」


 『お待ちなさい! この機会を逃がすと二度とこんな幸運には出会えませんよ?』


 「悪いけど懸賞詐欺には慣れてる」


 おめでとうございます! このたび貴方は当社のキャンペーンにおいて特別特典に当選なさいました! そんな詐欺うそではないが実はメリットもなく負担ばかり大きい、という懸賞詐欺で家庭を崩壊させた同僚を松田は知っている。


 ますます胡散臭い言葉への不審を強める松田であった。


 ゴーレムの手が蓋をゆっくりと押し戻し始めた。すると謎の声も松田が本気でダンジョンを封印しようとしていることを悟ったらしい。


 地下に埋もれた目印ひとつない小さなダンジョン。松田がゴーレムを召喚しようなどと考えなければ永久に発見されなかったはずである。


 『待って待って待って! こういってはなんだけど、私はとても貴重なのよっ?』


 「はいはい、お客様は本当に運がいいですね~~。当選された人だけに特別! 金額五百万円相当のキャッシュバックが! 世の中はそんなに甘くねえんだよっ!」


 この相当という言葉が曲者である。いらない格安の家財道具であったり、キャッシュバッグした分金利が高く設定されていたりということもある。


 うまい話は疑ってかかるのも社畜の重要な資質であった。


 ゴゴゴ……と蓋が半ば以上閉まりかけると、声の主は恥も外聞もなく泣訴した。


 『お願い! 見捨てないで! 仕事もないのにこんなところにたった一人でいるのはもう嫌ぁ!』


 「自宅待機……だと……?」


 半ばダンジョンへの興味を失っていた松田の瞳に、突如猛然と怒りの炎が宿った。


 「ゴーレム! もう一度蓋を開けろ!」


 一言の文句も言わずゴーレムは閉じかけた蓋を再び開き始める。もっともゴーレムなのだから最初から表情などないのだが。


 「自宅待機など……自宅待機などそんな非道、断じて許すわけにはいかん!」


 社畜殺すに刃物はいらぬ。仕事を与えず自宅待機させとけばいい(もちろん待機中の給料は払わない)


 いかに鋼鉄の忍耐力を持つ社畜でも、自宅待機を命じられてしまえばもはや抗う術はないのである。


 ブラック会社は往々にして社員を解雇するのではなく、自宅待機を命じることで日干しにすることを松田は思い出していた。


 救わなくてはならない。自分はそんな社畜のない世界を求めているのだから!


 「待っていろ! 今助けるからな!」


 なぜか白馬の王子のごとく騎士道に目覚めた松田に困惑しながらも、謎の声は期待に声を上ずらせた。


 『よ、よくわからないけど待っているわ!』


 松田は若返って力のみなぎった身体を躍らせて、勇躍ダンジョンの中へと飛び込んだのである。

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