[16]

 護衛協会本部6階に店を構える『荻原銃砲店』の店内から繋がる通路を通ると、防弾ドアの先には4つのブースを備えた室内射撃場が存在する。

 防弾・防音の機能を持つ特殊な素材で出来た壁で四方を囲われており、ドアを開け放たない限りは外に音が漏れることは無いし、貫通して通路へ銃弾が飛び出る危険もない。

 その射撃場の2番ブースにて、防音イヤーマフと防弾グラスを掛けた諏訪匡臣は、両手をこめかみの位置まで上げ、腰を少し落として20m先のターゲットを見つめていた。

 視線の先で佇むターゲットに集中し、神経を研ぎ澄ます。外界の音が僅かに遠のき、漏れ出す吐息の音だけが耳に残る。

 直後甲高いブザー音が鳴り響き、ハイライドのヒップホルスターからSAR USA SAR9CXを引き抜いた。標準をターゲットに合わせて二度、 ダブルタップで引き金を引いた。

 9mm弾を排出した際のマズルジャンプ、薬室から飛び出す二つの空薬莢、その全てがスローモーションの様に遅く感じた。

 コンマ数秒の後に感覚が戻り、両手の手首から体全体に伝わるのを感じ、伸ばした両腕を胸元まで曲げると、ホルスターに銃を戻した。

 一息ついて後ろを振り向くと、背後に立ち、タイマーを持った筋肉質でバンダナを巻いた女性、もとい銃砲店の店主──荻原麻緋に視線を向けた。


「何秒でしたか?」

「えーと……わぉ、ジャスト1.00秒」

「クッソ…マジかよ」


 荻原麻緋は口角を上げ、タイマーの画面を諏訪に向けた。結果を聞いた董哉は両手で顔を覆い、呻いていた。僅かに覗いた顔は、悔しさで顰めている。

 頭を抱えた董哉を一瞥した枇代は、特に表情を変える事なくメモを取ると、諏訪達に視線を向けた。


「では諏訪君が一位、私が二位、董哉が三位なのでお昼代は全部董哉持ちですね」

「はぁ…マジかぁ……」


 先ほど装備類の調達を終えた諏訪は、早撃ちのタイムが一番遅かった者が、昼ご飯を奢るという董哉考案の勝負を行っていた。因みに枇代は1.02秒、董哉は1.04秒で中々に僅差、コンマ1・2秒の結果である。

 脱いでいた上着を拾い上げ、ブース側に戻ってきたターゲットを見つめた。穿たれた六つの弾痕は、いずれも中心付近に集中している。

 董哉と枇代の射撃を見ながら衝撃の逃し方や狙いの付け方が上手いと感じていたが、改めて二人の腕前に諏訪は嘆息していた。


「流石、序列第五席の護衛班員。腕が良い」


 諏訪が声のした方向へ顔を向けると、荻原店長がターゲットに近づいて用紙を乱暴に剥がした。そうして多少破けたターゲット用紙を丸めながら、笑みを浮かべて諏訪へと振り向いた。


「君の射撃技術も凄いね。鍛えられたその腕が、銃のリコイルを吸収しているのかな。まぁ、それぐらい筋肉と体幹、それに射撃技術があれば、現場で早死にはしないと思うよ。屈指の襲撃度を誇る冬島紗耶の護衛班に配属されただけあるね」


 そう言って荻原は屈託の無い笑顔で諏訪の腕をツンツンと指で何度も突いた。諏訪は高校二年生と同年代であるが、体格は他の少年よりも良い方ではある。鍛えられてはいるので全体的に程よく筋肉が付いており腕もある程度は太い。

 荻原店長は元国防陸軍特殊作戦群出身なので、身体的な事、技術的な事についての褒め言葉を受けた諏訪は素直に嬉しく、小さく笑みを浮かべた。すると荻原店長はふいに諏訪のベルトに視線を向け、僅かに眉を顰めると小首を傾げた。


「あれ、そのベルト傷だらけじゃん」

「……ああ、これですか」

「確か新品の支給があった筈だけど……もしかして装備部の奴らに不良品を掴まされた?」

「いえいえ、そんな事ありませんよ」


 訝しむ荻原店長に諏訪は苦笑いを浮かべ、顔を横に振って否定した。諏訪が身に付けているのはナイロン制のベルトで、拳銃とテーザー銃を収めたホルスター以外に拳銃用予備弾倉二つも装着している。

 護衛協会から支給されたのならば、普通は新品で傷ひとつなく綺麗な筈である。しかし身に付けているベルトは何らかのシミで薄汚れ、幾つもの細かな傷が付いていた。

 普通ならば取り替えを要する事だが、諏訪はあえて新品を受け取るのを断っていた。


「私の大切なベルトです」


 諏訪のベルトは収容所脱出の際、国家警備局の女性士官が渡してくれた代物で、他者や自分の命を守る為に託してくれた大切な証だ。諏訪はベルトに視線を落として指先で優しく撫で始めた。


「このベルトは、ある人が自分に託してくれた物であり形見でもあります。たとえ傷物でも捨てる事など到底出来ませんし、新しい物に変えるつもりもありません」


 諏訪の言葉を聞いた荻原店長は、少し驚いた様にキョトンとしていた。しかし、すぐに諏訪が発した言葉の意味を理解した様で、小さく頷きながら再度話し始めた。


「なるほど、それなら大切にしないとね。でも、万が一損傷したら、早めに私の所に来てよ。その時は修理、もしくは新しい物を提供できるからさ。装備不良で殉職なんてしたら、それを渡してくれた人の思いを無駄にしかねないからね」


 荻原店長はそう言って小さな笑みを見せた。諏訪も、腰に手を当てて彼女の話を聞きながら頷き、お礼を言おうと口を開きかけた、その時だった。

 室内射撃場の扉を荒々しく開放する音が響き、直後に声が反響し、周囲に響き渡った。


「おい、二人とも大変だ!」


 諏訪と枇代、そして荻原店長が扉の方へ顔を向けた。すると、そこにはいつの間にか射撃場から出ていた董哉が右手にスマートフォンを握り、どこか焦っている様な顔つきで立っていた。

 諏訪と枇代は彼の表情を見て、その一瞬で何らかの異常事態が発生したと悟った。枇代は表情筋が引き締まるのを感じながら、顔を向けて尋ねた。

 

「董哉、どうしたんですか。まさか、何か──」

「お嬢達と連絡が途絶えた」


 枇代の問いかけが終わらないうちに、董哉はスマホを内ポケットにしまいながら答えた。

 その衝撃的な情報に諏訪は僅かに目を見張ると、徐々に表情が無意識に険しくなっているを感じた。

 状況を素早く頭の中で整理した枇代が、険しい表情のまま、更に董哉へ問いかけた。


「連絡が途絶えたのはいつ頃ですか?」

「約十分前だ、夏朋なほが何度か連絡を入れてるらしいが、繋がらないらしい。ジャミングの可能性があるから、襲撃されている事は間違いない」


 董哉曰く、紗耶は千代田区にいるらしい。既にそこへ向かう為の移動手段のタクシーを呼び寄せており、すぐに出発するとの事だった。

 董哉は枇代と諏訪の顔を見渡し、頷くと再び声を張った。


「よし、二人ともすぐに出発だ。急ぐぞ」


 ──悪いけど、ご飯は無しだ。と、付け加えた董哉の話を聞いていた荻原店長は、表情を引き締めたまま口を開いた。


「なら、早く行きなさい。後片付けは私が代わりにしておくから」


 その言葉を聞いた諏訪と枇代は頷き、身に付けていた防音イヤーマフとグラスを外してその場に置くと、既に走り始めた董哉に付いて行く為に走り出した。


「あっ、諏訪ちょっと待って!」


 枇代に続き、諏訪が射撃場から走り出て行こうとした時、背後から荻原店長の呼び止める声が聞こえてきた。諏訪は勢いよく振り返ると、荻原店長は何かを投げ渡してきた。空中に投げ出された物体を両手で受け止めると、手の中の物体を見る。

 ピンが付いた、長さ十五センチほどの円筒。白色と紺色でペイントされた表面には、《Fー255》と灰色の文字で小さく書かれていた。


「それ持っていきな、いざって時に役に立つよ!」


 諏訪は円筒を手に持ちながら荻原店長に顔を向けると、彼女は表情を引き締めながら、左手を掲げ、親指を上げると、サムズアップした。


「幸運を、また会おう」


 諏訪は荻原店長を見つめながら力強く頷くと、円筒をスーツの内ポケットにしまい込み、踵を返すと同時に、董哉と枇代の後を追って走り始めた。


◆◆◆◆◆


 某所にあるパーキング。そこには2台のハイエースが駐車されていた。

 その内の一台、後部座席を取り外してスペースを拡大させた荷台には、黒色の戦闘服や、物流倉庫から略奪してきた迷彩服に着替えた十代後半の民兵達が五名ほど乗車していた。

 武装は皆一様に、一般的な構成員が所持するAKだけではなく、西側諸国の高性能ライフルであるARー15や、Angstadt Arms社UDPー9を所持しており、動作を確認している。

 その中の一人、黒色の戦闘服に同色の防弾ベストを重ね着し、赤髪の頭部をツバ付き帽子で隠した少女兵はUDPー9の弾倉を引き抜き、弾丸を確認してから再び戻し、チャージングハンドルを少し引いて薬室に弾丸が装填されているのを確認した。全ての確認を終え、深く息を吐いた。

 すると、運転席と隔てたボードが叩かれ、運転手の声が聞こえてくる。


「ゴーサインだ、出発するぞ」


 その言葉を受け、荷台に座る民兵達は表情を強ばらせた。赤髪の少女兵──αも目を閉じ、襲撃対象である諏訪匡臣の姿を思い浮かべ、顔を伏せると小さな笑みを浮かべた。


「また、会える。次こそは……」


 誰にも聞こえないほど小さく呟くと同時に、ハイエースにエンジンが掛かり、車内が僅かに揺れると車両が走り始めた。

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