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 その男は腹部を抑え、息も絶え絶えになりながらも路地裏を壁伝いに歩いていた。苔の生えた様な色のコートに所々擦り切れたジーンズを履き、酷く汚らしい身なりで、彼は浮浪者だと言われたら、誰でも納得するだろう

 彼が抑えた腹部からは生暖かい鮮血が滲み、ズボンまで染み渡っていた。伸び切った口髭にも吐血した時に付着した赤黒い血液が乾いてこびり付いている。


「悪運が強いのも、ここまでですかね」


 突如、背後からその様な声が聞こえ、男は歩みを止めると振り返った。そこにいたのは上下黒色の服と装備を身に纏い、スラッジハンマーを両手で担いでいる人影であった。

 その影の主は、黒髪の短髪に青髪がメッシュされた端正な顔つきの少年。爽やかな印象だが顔の筋肉を一切動かさず、まるで貼り付けた様な気味の悪い笑みを浮かべる顔と、口から覗く白い歯には返り血らしき液体が付着している。

 男は少年兵──βを睨みつけながら、ズボンに突っ込んでいたS&W M3913を掴むと、荒々しく引き抜いて銃口を向けた。


「おい、クソガキ……お前は同志を殺して、心は痛まなかったのか……どうなんだ、あぁ?」

「国家警備局に買収され、挙げ句の果てに機密漏洩に加担していた人間を同志だなんて、全く思っていませんよ。同じ理想の下に集まった仲間を裏切ったあなた達なんて、俺からすれば屑同然ですよ」


 βは基本的に誰に対しても敬語である。しかし逆に敬語を使い、それが挑発や煽りに繋がって引き起こるトラブルも多々ある。その場合は大抵直属の上官であるαが仲介して事なきを得るが、不運なことに彼女は不在だ。こうなれば必然的に相手に対して挑発に繋がり、トラブルを生んでしまう。

 男性は銃口を向ける右手が怒りに震え、血を含んだ唾を吐き飛ばしながら怒鳴った。


「クソガキが! 貴様は癪に触──」


 しかしβは男の話を最後まで聞く気など、これっぽっちも考えてはいなかった。

 引き金に指が掛かった時点で前方へ飛び出した体を男の目前で踏み込んだ右足を軸に捻り、スレッジハンマーを男の右側頭部へと繰り出した。男は慌てて後ろへ体を倒すと、鼻先を鉄の塊が高速で通り過ぎた。皮膚が擦れ、僅かに熱した。


「おっ…まじか…!」


 ハンマーを素振りした状態になったβは体がぐらついた。その隙を狙ったのか、男は尻餅をつきながらも片手で銃を構え発砲する。

 βは倒れながらも、銃口を一瞥して咄嗟に地面を転がると弾丸を避けた。そこから瞬時に起き上がり、男の方へ体を向けるが男は両手で銃を握り、発砲した。

 βは少々鬱陶しい様に顔を顰めると、ブリッジみたく体の上体を後ろへと仰け反った。胸に装着したマガジンポーチの表面を、高速で回転する9mm弾が削り取り、白く伸びる弾道の軌道を描いた。


「クソッ、なんで当たら──」


 βは顔から笑みを消し、両眼の虹彩が青く発光すると上体を戻しながらスレッジハンマーを両手で掴んで振り上げ、唖然としていた男へ勢いよく振り下ろした。

 瞬間、ハンマーの残像が複数に増える。

 続く幾つもの衝撃波が、まるで肉叩き様に男の頭を叩き潰し、体を地面へと押し潰した。

 鮮血がまるで噴水の様に噴き上がり、辺りへ、そうしてβへと舞い散った。

 多くの血液を浴び、紅く染まった少年兵の前には複数の打撃痕が歪に刻まれた肉塊が転がっていた。


「肉ミンチはやり過ぎましたかね……」


 βは両手でハンマーを持ち上げると、苦笑いを浮かべて呟いた。

 一息ついて目元の返り血を拭っていると、頬を伝い、口端に男の鮮血が流れ落ちてきた。

 その時βは何を思ったのか、少年兵はそれを舌で舐め取った。口の中に鉄分を多く含んだ苦い風味で広がっていくにも関わらず、その味わいを楽しむかの如く自然と笑みが浮かぶ。


「うぇ、クソまずい……」


 βはそのように呟くと、部隊のいる方向にスレッジハンマーを担いで戻って行った。


◆◆◆◆◆


 護衛協会は東京都港区某所に建てられた、地上9階建てのビル内に本部を構える秘密機関である。諏訪がこの本部に着いた時、入り口には『大迫警備保障』と会社名が書かれた看板が取り付けられていたのを見た。しかし董哉曰く、普段は警備保障会社と名乗っているらしいが、その実態は活動実績の無いペーパーカンパニーであるという。

 護衛協会は国家が非公式に認めている評議会の主要人物を護衛する武装集団であり、それが世間に伝わる事があって良い訳がいかないのだ。そのため隠れ蓑用に国が偽装を許可している。


「本当に評議会は政府とズブズブなんだよ」


 エレベータに乗りながら、両手をポケットに突っ込んだ董哉は諏訪にそう言って笑みを浮かべた。現在、諏訪達は事務局で登録に必要な諸々の作業を終え、装備を調達する為に装備部のある階へと向かっている最中であった。


「そうだ、諏訪は知ってるかな?」

「ん?」


 諏訪が反応を示すと、董哉は自分の顔に指を差して、なんて事の無い様な言い方で話し始めた。


「俺さ、孤児なんだよね」

「うん………え、本当に?」

「冗談じゃ無いよ。それに、君も孤児でしょ?」

「いや、まぁ……そうだけど」


 まるで普通に話すので諏訪は反応が遅れた。唐突なカミングアウト、唖然とすると言うよりかは、呆然と彼の顔を見つめていた。呆然とした諏訪を置いていく様に董哉は虚空を見上げ、静かに続きを話し始めた。


「未成年部門の護衛員は孤児が多いんだよね。多くは、準危険区域や危険区域から拾われた奴らか両親を失って頼れる親族も居ない中で避難民として移住して来た奴らばかり。護衛主の家系の分家出身者もいるけど、そっちの方が少ないかな」

「じゃあ、枇代も孤児なのか?」

「はい、私と董哉は孤児院からの知り合いで、同時期に護衛班へ配属されました」


 諏訪が尋ねると枇代は凛とした表情を崩さずに問いを肯定した。しかし、エレベータの扉に顔を背けた。どこか寂しそうな雰囲気である。

 諏訪は再び董哉の方へ顔を向け、疑問に思っていたことを口に出した。


「だが、なぜ未成年の孤児を護衛員にするんだ?」

「両親や兄弟姉妹がいない、親族も内戦で死亡している。だからこそかな、こう言っては悪いけど使い勝手が良いんだ。評議会や護衛協会は国家と手を組んでいるから、たとえ未成年部門の護衛員が死んでも死亡補償をしなくても済むからね」


 使い勝手が良い。

 まるで人を物の様に捉えた言い方に諏訪は思わず顔を顰めた。将来有望な若者を鍛え上げ、護衛員とする。昨日まで銃を握った事の無い子供に、人を殺す技術を施す。さらに襲撃に遭えば主人を守り、真っ先に死の運命を受け入れる。

 酷な運命である。内戦で戦い、戦死する少年兵達と何も変わらないのではないかとも思えてくる。すると、董哉はまるで考えている事は、お見通しかの様に諏訪の顔を見つめて笑みを浮かべた。


「護衛員になれば給料が出る。未成年護衛員の大多数の奴は、まだ学業に勤しむ年齢だよ。学生の身でバイトよりも良い給料が入る、それが理由で選んだ奴も結構いるんだよ」


 董哉はそう言い、まるで悪代官の様な笑みに顔の表情を変えると人差し指と親指をくっ付けた。それを見た諏訪は今朝、紗耶が自分に話した内容を思い出した。


『給料くらいはしっかり貰わないと、やっていけないと思うよ』


 董哉曰く、孤児院に入った子供達はその出自故に金銭に対して個人差はあるが、人並み以上に敏感であるらしい。

 孤児院では数年に一度、補充のために護衛員の募集が掛かり、その時は外部進学者よりも、護衛員への応募が大多数を占める。その理由の大半は給料面が関係しているのだ。護衛員は仕事が命懸けであるが故に、評議会側がやや高額に設定している。評議会序列の高い家系の初任給で月給15万円を超える者もザラにいるという。


「しかも護衛員に任命されたら、主人と同じ学校へ編入できます。ですが、評議会メンバーの跡取りは皆優秀者なので、給料分は勉学も頑張らなければ最悪、護衛員を解雇される事もあります」


 横で話を聞いていた枇代が董哉の話しに補足を入れた。董哉は苦笑いを浮かべ、首を縦に振ってから話しを続けた。


「枇代の言う通りだよ。まだ護衛員を解雇された者はいないが、最悪あり得るから注意しろよ」

「董哉、人のこと言えますか。あなただって、この前のテスト赤点ありましたよね?」

「ゔっ……ま、まぁ頑張れってことだ!」


 直後、タイミング良くエレベータは装備部のある階へ到着した。董哉は扉が開くと同時に、そそくさとエレベータから出て行き、事なきを得た。枇代はそれを見てため息を吐き、諏訪は苦笑いを浮かべていた。

 装備部のある階は事務局や他の階とは違い、ロック系の音楽が流れ、ミリタリー系のポスターや装備品関係の小さなショップも何店かある。時折、前方から同じスーツ姿で同年代の護衛員達が歩いて来たが、皆、笑顔で挨拶をして、初めて見る諏訪に対しては興味を示していた。

 両脇をガラス張りのスパーリング場やトレーニングルームが設置された廊下を進むと、そこではトレーニングウェアに着替えた護衛員が二人、近接格闘の練習に励んでいた。ある少女が自分よりも大柄な少年に右足で蹴りを入れ、掴まれると瞬時に身を捻って左足で首下辺りへ蹴りを入れ、少年を地面へと転がしている。

 諏訪は小さく嘆息してから董哉と枇代に続き、銃砲店と表記された部屋に入った。


「おっ、冬島護衛班の奴らじゃん。後ろの子は?」

「新人ですよ、昨日来たんです」

「へぇ初めまして、新しい銃、入荷してるよ」


 防音設備の施され、壁に様々な銃器が飾られた部屋に入った瞬間、元気の良い女性の声が聞こえ、それに董哉が反応した。

 諏訪は声のした方に視線を向けると、背後に銃を飾った会計カウンターに、バンダナを巻き、迷彩服風の服を着た筋肉質な女性が日焼けした顔に笑顔を浮かべ、諏訪の方を見つめていた。

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