第16話 間話 聖女の消えた崖の国


「はじめまして! 新人のグニマと申します!」

「あー、はいはい、聞いてるわ。アタシはディニア、よろしくね。じゃ、さっそく中に案内するわよ」

「よろしくお願いします!」


 焦茶色の髪の少年が頭を下げる。

 金色の髪の美女ディニアは気怠げにその少年を一瞥して城の中へと入っていく。

 そこは城の中でも倉庫に近い、様々な分野の研究や実験、薬の生産が行われるエリア。

 王族の住むエリアとはかけ離れた、優美さのかけらもない建物。

 中も殺風景で、灰色の煉瓦が打ちっぱなしになっている。

 装飾物も一切なく、通り過ぎる研究者や文官、薬師などは皆、他者に無関心。

 そのエリアをすぎて階段を三階に上る。

 薬師が各々の研究室——工房を構えるエリアに移った。

 個人工房とは、そのエリアで集団で研究を行わず、個人で研究する者に与えられる個室と研究室がひとつになった部屋。

 通常は複数人で工房を使い回す。

 新人の少年があてがわれたのは、狭い小部屋だった。


「ここ、あんたの部屋。で、さっき通った時に見せたのが工房。依頼書が入り口の木箱に入ってるから、やりたいやつが依頼書の薬を作るの。言っておくけどいくら数作ろうが、難しい調合できようが、新人の給料は月額決まってるから頑張るのは無意味よ。ま、でも頑張って作ってよ。アタシらその分楽できるし」

「は、はあ……。え、えっとあの、木箱の依頼書ってあれですか?」

「そうそう。あれ、随分溜まってんなぁ。みんなサボってんのかしら。ま! アタシも人のこと言えないけどー。あはははは!」

「ええ……?」


 彼女は「いいのいいの、薬作りたいやつが作れば」と悪びれもなく笑う。

 当然だ、城の薬師は公務員。給料は一律。薬を作っても作らなくても給料がもらえる。

 むしろ、国中から舞い込む依頼をすべて処理していた、これまでが異常だった。

 しかもそのは、国の薬師が十人集まって数日で作る薬の量を一晩で仕上げる。

 そのによって、城の薬師は絶望した。彼女は、それを知らない。

 秀ですぎた才能は、他者を絶望させて無気力にさせる。

 サボっても金は出るし、彼女はあらゆる不可能を可能にするから誰も彼女に近づかない。

 城お抱えの薬師になるほど努力を積み重ね、その自負がある者はなおさら。

 だから皆、彼女を無き者のように扱う。そうしなければ心が壊れてしまう。

 悪びれもなく笑う女も、そのうちのひとりだ。


「天才様が全部作ってなんとかするわよ。アンタはアタシらみたいにお抱え貴族様でも探して、専門薬作って媚びてりゃ生きられるわ」

「え、そ、そんな……城の薬師がそんなんでいいんですか? もうすぐ斑点熱が流行る季節ですよね?」

「平気平気。“薬師の聖女”がなんとかするわ。だってなんとかするんだもん、あの女。火聖獣を癒す薬まで作ったのよ? あんな化け物がいるのに、アタシらにできることなんて、あるはずないでしょ。諦めなさいよ、アンタも早く。……凡人はどんなに努力しても、凡人でしかないんだからさ」

「……っ」


 先輩である女薬師が立ち去ると、自室としてあてがわれたその部屋に取り残される。

 新人の少年薬師は荷物を早々整理して、工房に向かう。

 工房を覗き込むが誰もいない。

 工房のあとは薬品庫へ向かう。

 そこにあったのは凄まじい量の薬の数々。

 崖の国で使用される、数年分が保管されていた。

 薬品庫の中はひんやりしていて、常温保管と冷凍保管の二箇所。

 数十メートルある保管庫の二階はこちらもまた、びっしりと箱で埋め尽くされている。

 こちらはポーションの保管庫。下級、中級と部屋が分けられていた。

 二階の奥には小さな部屋があり、そちらは貴重な薬が保管されているらしく、鍵がかかっている。


「ここにも誰もいない……いくら鍵がかかっていても、不用心すぎるんじゃないか?」


 一階に戻ると、身なりのよい男が使用人を数人引き連れ薬品庫に入ってくるところに遭遇して驚いた。

 確かに薬品庫の入り口に鍵はかかっていなかったが、無断で入り込んでよい場所ではないはずだ。

 ものによっては危険な薬品もある。

 それなのにその貴族は勝手知ったるとばかりに二階に上っていく。


「え、あ、あの!」

「む? なんだ貴様は。見ない顔だな、新人か?」

「は、はい! あ、あの、その上にはポーションが保管してあって……」

「知っておるわ。なんだ、誰からも説明を受けていないのか? わしのような貴族には、ポーションは無料で好きなだけ持っていってよいことになっておる」

「え、ええ?」


 なんだそれは。

 そんなことがあるのか?

 驚く新人薬師をよそに、使用人たちが続々二階に上り、箱を持って下りてくる。


「旦那様、おいくつほど持って帰ればよろしいですか?」

「風呂用のポーションがもうないから、二十箱ほどだ。まったく、わざわざわし自ら赴かねばならんのはなんとかならんものか」

「本人確認が必要とのことですから仕方ありますまい」

「え、ええ……」


 どうやら貴族本人が赴くことで“本人確認”となるらしい。

 そんなバカな。

 ゆるすぎる。

 彼らが続々箱を運び出して持ち去っていくのを呆然と眺めていると、また別な貴族が使用人を引き連れてポーションの箱を持ち去っていく。

 彼は先に来た貴族と「おたくもポーション風呂用のポーションがなくなったんですか?」と世間話を始めた。


「ポ、ポーション風呂?」

「下級ポーションを風呂に溜めて中に入る、貴族の“嗜み”だよ。“薬師の聖女”様のおかげで、ポーションが有り余ってるからな」

「え!」


 持ち出し係の使用人が、新人薬師に告げて去っていく。

 ポーション風呂。

 有り余るポーションを、そうやって贅沢に消費するのが貴族の嗜み。

 体の悪い部分は立ち所に癒えるし、毎日入ることで病の予防にもなる——らしい。

 そんなことがあるだろうか、と首を傾げ、新人薬師はまた工房のある三階に戻る。

 工房にはやはり誰もいない。

 新人薬師はいよいよ、満を辞した気持ちで例の天才様とやらがいる個人工房の扉をノックする。

 返事はない。


「し、失礼しま〜す」


 彼はどうしてもこの個人工房にいる薬師に会いたかった。ここの薬師に会うために、わざわざ城の薬師になったのだ。

 どうしても、どうしても、あの薬——聖獣治療薬を作った者に会いたかった。

 ひと目会って、そして直接——。


「あれ……いない」


 工房はがらんとしていた。

 ただ、この工房の主はよほど人嫌いなのか扉を開けると依頼書が山のように散らばっている。

 出所は扉の横の壁の縦長い穴だ。

 あそこから扉を経由せず直接依頼書を部屋に入れられる仕様になっていた。

 ここの工房の主は、これほどの依頼をひとりでこなし、なおかつ他の薬師が使い回す工房前に置いてある依頼書にまで手を回していたのだろうか。

 いや、あるいは面倒くさがった他の薬師が、溜まった依頼をここに投げ込んでいる可能性もある。


(だが、それにしても妙だな。人が生活する匂いがとても薄い。散らばった依頼書も日付が一ヶ月近く前のものまである)


 拾い集めた依頼書を、日付の新しい順に整えてテーブルに置く。

 カーテン一枚隔てた工房の隣は個人スペース。

 竈や保存箱、ベッドや風呂、トイレと食材を買い込めば確かにいくらでも引きこもれそうだ。

 しかし保存箱の中を見ると中身はほぼ空。

 コーヒー粉は出しっぱなし。

 生活感があるようでない。

 奇妙な感覚を覚える部屋。


(せっかく我自ら礼を言いに来たというのに不在ということか? うーむ、ならばもうひとりに会いに行くか。あれからまるで会いにこない。せっかく我自ら加護を与えてやったというのに……)


 ぱさり、と新人薬師の少年の髪の色が真紅に変わる。

 鋭い蛇のような眼。

 口元には笑みを浮かべて窓ガラスに映る姿に「おっと、いかん」と元の新人薬師の姿に戻る。

 焦げた茶色い髪を整えて、改めて個人工房を見回した。

 個人工房の主が、聖獣治療薬に関して書き記したものはないかと家探しをしてみるが、終えるまで人は誰もこない。

 本当に城の薬師たちは、この工房の主に興味がないと見える。


「少し眠っていた間に、すっかりつまらん国になったな。この国は」

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