エピローグ③:魔王討伐52年後
世界はさらに平和になった。
魔獣の数は年々減っていき、国家間での人々の流動性がどんどん増していった。
そんな背景もあってか、勇者パーティー
ちょうどパーティー解散の直前である時期に、ラハブさん以外のメンバーがわざわざ俺たちの住処まで来てくれて会ったのが最後だ。
その時ジン君は、パーティーメンバーの一人と結婚して生まれてきた男の子を紹介してくれた。
今はどこかのどかな村で家族みんなでのんびりと余生を過ごしていることだろう。
魔王討伐から38年。
その年、ククレ城塞の当代領主ガリウス君が亡くなった。
父・グリレット・ガルランダと共に魔王からのオゥル皇国侵略を阻み国家を守りきったことが称えられて、盛大な葬儀が執り行われた。
跡を継いだヴァイス君から葬儀参列の依頼が来て久しぶりに城塞に降りていった時、あまりの人の多さに驚いたことを覚えている。
結局、1年に1度、グリレットさん、シルファさん、ガリウス君と3人合わせになったお墓の前で、ヴァイス君の話を聞きながら一杯お酒を飲んで帰る方が俺の性には合っていたということだ。
ヴァイス君も変わらず俺たちへの理解は手厚く、ミノリの剣術道場、ユグドラシルの分枝小屋ともども危険に晒されないように影から支えてくれていた。
そのおかげもあってか、俺とミノリはごくごく平穏な二人っきりの世界で暮らし続けることができていた。
ミノリは剣術道場の師範として30年で数々の魔剣士を生み出すこととなった。
生涯現役に拘るミノリは、雨の日も風の日も道場に通い続けた。
ちょっとやそっとの怪我や病気はすぐに俺が治した。
おかげでミノリが10分以上苦しんだことは一度もない。
超級回復魔法、極致級回復魔法の真髄が表れて良かったと思う。
――だが、魔王討伐から52年後。
ついに
●●●
ある日から、ミノリに回復魔法が効かなくなりだした。
身体はどこも悪くないはずだった。
50年近く、毎日朝5時に起きて剣の修行をしていたミノリが朝9時になっても起きてこないことが増えてきた。
彼女が寝ている間に回復魔法をかける試みはしていたものの、劇的に何かが変わることもなく。
俺もミノリも直接言葉にはしないものの、とうとうその時期を迎え始めたことを悟り始めてしまっていた時期が続いた。
――そんなある日の夜。
「リース様。今日は一緒に隣で寝てくださいませんか?」
ミノリはしわしわになった手で俺の服を引っ張った。
思えば最近はミノリも俺も別々で寝ることが増えてきていた。
ミノリを若返らせる方法や、《輪廻転生》の転生時期の操作など、出来もしないことを追い求めて無理に研究することが多くなってきていたからかもしれない。
そんな俺の焦りを見越してか、ミノリは俺の作業スペースの前でそれを言ってきた。
「……そうだね」
ミノリはくしゃっと笑顔を作って俺の手を引いた。
ユグドラシルの樹木からは、2枚の葉っぱがはらりと落ちた。
●●●
布団の中で手を繋いでいると、ぽつりとミノリが呟いた。
「リース様、わたし達が初めてお会いした時のこと、覚えていますか?」
忘れるわけもない。昨日のことのように思い出せる。
「あの時は、俺が初めて転移魔法を実践してみた時だったんだ。父さんと母さんがいる所に飛んでビックリさせてあげようなんて考えてたら、まさか人間がいる所に飛ぶなんて思ってもみなかったな」
「本当にたまたまだったんですね」と改めて懐かしむミノリ。
目尻はどんどん下がっていった。
「本来ならば、わたしの命は10の時に潰えていました。逆らうことの出来ない奴隷紋と、お日様の当たらない真っ暗闇にいたわたしを救い出してくれたのは、リース様です」
なんとなく怖かった。
当たり前のようにあった日常が、今にもなくなりそうだ。
「あれから64年。ミノリはリース様のおかげでたいそう幸せな時間を過ごせました。こんなにしわくちゃになった老婆を、最期まで愛してくれて、ありがとうございました」
「――最期までなんて……」
そう言いかけて、隣を振り向く。ミノリの瞳に俺が映った。
久しぶりにこんなに近くでミノリの顔を見た気がした。
確かに、外貌上は前のような瑞々しさはなくなっているかもしれない。
それでも――。
「ミノリ。もう一度考えてほしいんだけどね。《輪廻転生》に興味はないかい?」
「……前々からおっしゃっている、もう一度生き返ることが出来るならば、というお話ですか?」
「そうだ、魔王から取り出した因子だ。それを使えば、ミノリは未来の世界でもう一度転生出来る。何百年かはかかってしまうが、俺たちはもう一度会うことが出来るんだよ」
俺の焦り気味の問いかけにも、ミノリは終始落ち着いた様子だった。
「ミノリが
しばしの静寂の後、ミノリはゆっくりと口を開いた。
「わたしはリース様とお会いするまで7年待ち続けました。いつ来るか分からないリース様を待つのも、大変だったんですよ?」
ベッドの上で、ミノリはクスクスと淑女のように柔らかい笑みを浮かべる。
「わたしにとっては、その7年が悠久の時でした。今日かな、明日かな。いつまたお会い出来るんだろう。そう想い続けてひたすらに剣を振るった期間でした」
「待つよ。エルフ族は待つのが得意なんだ」
「数百年、愛した人を待たせてしまう。そんなことが起こり得るならば、わたしがわたしを許せなくなってしまいます」
「……そんなこと」
ミノリは続ける。
「この人生、やりたいことはリース様のおかげで全て為すことが出来たんです。後は、向こうの世界でグリレットさんと、シルファさんと、ガリウス様と、もう少ししたら来るジン君達と」
ミノリは本当に楽しそうに指折り関わったヒト達を数えだした。
「みんなでたくさんお話しながらリース様をお待ちして、一番最後に来るリース様の軌跡を聞きたいなって、そう思ってしまうのです」
一度目の人生、俺は一つも満足することができなかったからこうして新たに転生する道が開かれた。
だが、ミノリは一度目の人生で後悔がないまでに生ききってくれた。
とても素晴らしく誇らしいことだ。
ミノリの生き方こそが、本来俺が一度目にやりたかった生き方だ。
……そんなことを言われてしまったら、もうどうしようもないじゃないか。
「なにか、まだ俺に出来ることは残ってないのか……?」
ミノリはゆっくりと、ゆっくりと時間をかけて考えて――。
「じゃあ、一つだけお願いしましょうかねぇ」
ミノリは力の抜けた手で俺の腰に手を回した。
「今日はずっとお側にいてください。わたしが眠れるまで」
俺は俯きながら頷くことしかできなかった。
「……もちろん。ずっといるよ」
耳元で告げて身体を寄せ合えば、ミノリは力なくにっこりと優しい笑みを浮かべてくれた。
●●●
その日の深夜、ミノリは俺の腕の中で静かに息を引き取った。
享年74。
平均寿命が60歳である人間族からすると、大大大往生の人生だ。
白髪混じりの紅髪、しわくちゃながらも優しい顔つき、細いながらも鍛えられたしわしわの腕はその全てが最期まで美しいままだった。
――旦那の手、あの時と全く変わっちゃいないんスね。白いし綺麗で若々しいままっス。
冷たくなった手をぎゅっと握るとどうしても思い出してしまう。
グリレットさんの死の時もそうだった。
みんな、俺より遙かに早くしわくちゃの手になって冷たくなっていく。
「……白いな」
対して俺の手は一つも変わらない。
皺も増えない。色も真っ白いままだ。
グリレットさんと出会った頃とも、ミノリと出会った頃とも何も変わらない。
雑念を振り払うように、俺はミノリに向き直った。
「おやすみ、ミノリ。今までありがとう」
冷たくなった頬を何度も撫でる。
「でもさ、何回経験しても、やっぱり寂しいんだよ……」
誇らしさと、懐かしさと、やるせなさと、寂しさがぐちゃぐちゃになって一気に押し寄せて止まらない。
木戸稔がエルフになってから、159年目。
エルフとなって人間界に出てきてから100年も経っていないことに気付いたのは、もう少し後のことだった。
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