第173話 狂乱水城のルクテュレア8

 ティル・ヘトナは天才であった。水の単色属性として生まれ、僅か10歳で属性転化まで身につけている。それに加え、特筆すべきはその水魔法による支援の力であった。

 ティルは体内にある水を利用し対象の肉体性能を大きく向上させる。当然幾つか条件は存在する。まず大きな条件は定期的にティルが作る水を摂取する事。そうする事でさらにティルの支援魔法の威力は向上していく。ティルは最大でパーティメンバーを2~3倍にその身体能力を強化できるのだ。

 付け加えその力を利用した治癒魔法の威力である。本来であれば対象に触れながらでなければ治癒魔法は使用できない。理由は治癒魔法を使用する際に対象の身体に術者の魔力を流し込む必要があるからだ。だが、ティルは支援魔法と同様の方法でその問題を解決している。



 ティルは両手両足を失い悲惨な姿になっているペトラに対して治癒魔法を遠隔で使用した。肉体に宿る情報より失った欠損部位さえ治癒で回復させることは出来る。しかしそれでも相当な時間が掛かる所業だ。――本来であれば。




「おっと」



 侵入した銀髪の男がそう零しながらの反撃を受けて首を掴んでいた手を離した。ペトラの攻撃も直撃したように見えたがやはりダメージはない。既にペトラに対し治癒魔法をかけた時点で身体能力向上の魔法もかけている。今の一撃だって鉄板ですら簡単に突き破る程の威力はあったはずだ。


「ティル! あれ使って! ユリアも支援頂戴!」

「了解!」

「わかったわ!」


 ティル、ペトラ、ユリアの3名はケスカから血を授かり通常の人間以上の魔力量を保持している。それに加え、ケスカの不死性も僅かに引き継いでおり骨折程度であれば治癒魔法を使わなくても数秒で回復する。その特性を利用したティルの治癒魔法はケスカと同等に近い治癒を与える事が出来た。そしてそれを利用したティルの奥の手の1つ。


「”過剰治癒オーバードキュア”」

 


 ペトラがそれを合図に風の刃を男に放つ。周囲の麦が半ばから切断されるが、まるでそよ風を受けたように相手には何の変化も見られない。ティルは考える。あの防御には何かカラクリがあるはずだと。魔道具か。もしくはペトラと同じ風魔法で防いでいるのか。ペトラが短剣を握って接近戦に持ち込んだ。風の刃を纏いさらに切れ味が増している短剣をペトラは男の首を狙って切りかかる。


 だが男の手刀がペトラの風の刃ごとペトラを切り裂いた。身体を斜めから切り裂かれ赤い血液が漏れ出すが、次の瞬間に傷はきれいに消えていた。


「む?」


 流石に即座に治癒が始まったことに男は驚いた様子だ。これがティルの奥の手の1つ”過剰治癒オーバードキュア”の力。常に遠隔で回復魔法をかけ続けることにより、傷を受けた瞬間から高速で治癒が始まるという魔法。ティルの魔力が続く限りこの魔法は続く。そしてティル自身はケスカの血によって魔力も増幅されているため、この魔法を半日程度はかけ続ける事が可能だ。


「どいてペトラ!」


 大きな影が差す。麦畑から巨大な石像が誕生した。土魔法の属性転化によりユリアの使うゴーレムはただの石像ではない。材質はミスリルへ変化し、その巨大さも単騎で城を破壊できるほどの大きさだ。そのミスリルゴーレムの剛腕が男をとらえた。よほど驚愕したのだろう。銀髪の男は避ける暇もなく直撃した。――かのように見えた。




「へ……?」



 轟音が響き、ティルの視界に入ったものは片腕を失ったミスリルゴーレムの姿であった。



「な、なにが――」



 理解できない。何が起きたのか目の前の現実を受け入れる事を脳が拒否している。



 

(あの男がしたのは、ただ左腕で払っただけ。まるで虫を払うみたいに腕を振るっただけだった……)



 ここにきて、ティルの頭の中でようやく今戦っている相手が自分に手の負える者ではないという考えにいたった。だがそれと同時に違う考えが頭を支配する。

 ティルが常に考えていた事。自分を見下していた連中を抜き去り、最強になること。自分の価値を理解せず、消費するように使う奴に従うのはまっぴらだった。だから幼馴染のパーティを追い出された時、ティルの中にあったのは解放感だった。ようやく自分の力を存分に使える。自分の力を正しく理解してくれる人を探し出し最強の冒険者になろうと思った。

 戦闘狂であったペトラは村で迫害されていた。ティルと出会った時、彼女は既に孤独であり、魔物と戦う事に喜びを見出していた彼女はその村では異端の存在だったのだ。その後、村を追放された彼女はその腕を見込まれ傭兵として体のいい駒として使われていた。

 内気なユリアはティルと同じだった。優秀な能力を利用しようとしているパーティに連れまわされ、何も言い出せない事をいいことに最低限の金と装備だけ与えて、ユリアの魔法を使って名をあげているような連中だった。


 ティルは彼女たちを救おうとした。ペトラはただ戦う事が好きなだけだ。別に狂ったように魔物を殺したりなんかしないし、一方的な殺しだってしていない。ユリアは知識を深めたいと思っていた。世界を巡り、遺跡や神殿など過去の遺物に触れたいと思って冒険者になったのだ。

 だから3人でパーティを結成しもう誰にも利用されない、最強を目指すという意味でエヴァンジルという龍の名前をパーティ名に入れたのだ。


「はああああっ!!」


 目にも映らないような速度で動くペトラだが、攻撃するたびに反撃を受けている。腕が吹き飛び、足が吹き飛び、腹に穴が開いた。それでも1秒にも満たない刹那の間にすべて傷がいえていく。防御を無視した接近戦を挑んでも、まだ相手に傷1つ付けられない。

 ユリアのミスリルゴーレムも既に何十体と破壊されている。機動性を上げた狼タイプのゴーレムも、攻撃力を重視した巨大ゴーレムも、バランス重視の騎士タイプのゴーレムもすべて一撃で破壊されている。攻めの手が見つからない。ティルも隙を見て水魔法による攻撃を加えているがこちらは完全に無視されている状態だった。岩さえ貫通する氷の弾丸も奴の身体に当たった瞬間まるで夢幻だったかのように砕けて消える。


 ティルの中で焦りが募り、応援を呼ぶべきかと考えた時。ずっとその場から動かなかった銀髪の男が一歩動いた。ただそれだけ。ただ足を前に出して歩いただけだというのに、3人に緊張が走る。



「もう飽きた」



 ティルは耳を疑った。こいつは何を言っている?



「せっかくだしギャップを埋めるために少し相手になろうかなって思ったけど、もう無理」

「何を……言っているんだ」

「いや、なんていうんかな。一応10年くらい隠居してたことになるのかな。だから今の強さの基準って奴を埋めたいなって思ってたんだけど、なんかお前らワンパターンなんだもん。飽きたわ」


 俺も暇じゃないのよね。そう口にしながらこちらに向かって歩いてくる男。思わず後ろに飛び距離を取った。


「多分お前らはそこそこ強い方なんじゃない? 少なくとも俺が知っている冒険者の中だと割と上位に入ると思うぞ」


 こいつは本当に何を言っている。どうしてそんなにまるで街の知り合いに声をかける程度の軽い声色で話せるんだ?


「でもその様子から見ると人間の敵って事でいいんだよな?」


 徐々に男を纏う魔力が濃厚になっていく。ティルの肌に刺さるほど強い魔力を感じ、ふとティルの頭の中に先ほどまでなかった記憶が溢れ出した。


 

 首を切断される。頭を破壊される。心臓を握りつぶされる。身体を粉々に切り刻まれる。腕を千切られる。足を千切られる。歯は砕け、喉に血が溜まり何度も窒息しそうになった。そうして刻まれた死の恐怖が止まらない。




 体験した事がないはずの痛みが何故か記憶にある。動悸が激しくなり、息が浅くなる。脂汗が滲みでて目の前の焦点が合わない。何が起きているのか、自分の身体に何の異変が起きているのか分からず混乱する。そしてその症状が起きているのはティルだけではない。ペトラ、そしてユリアも同様だった。ペトラは自分の肩を抱き震えている。ユリアは腰が抜けたのか座り込み、地面を濡らしていた。




 

 

 ティルは目の前の男を知っている。戦った事がある。



 ――いや戦った事なんてないし、見た事もない。



 ティルは目の前の男の強さを知っている。そしてその残忍さも。



 ――いや知らない、何も知らない!!!




 ■■■は知っている。目の前の男は、レイド・ゲルニカはどこまでも追って自分を殺しに来る怪物であると。




「ア、ァアアアアアアアッ!!!」



 

 発狂した。抑えていた恐怖がまるで意思をもったように全身を駆け巡ってくる。ここにいてはいけない。すぐに逃げなければならない。口から吐しゃ物を掃きながら3人は逃げ出した。涙を流し、鼻水を流し、小便を漏らしながら、ただ少しでも目の前の男から逃げようとする。ティルは僅かに残った理性で3人の身体を限界まで強化するもう1つの奥の手。強い反動はあるが、一時的に身体能力を10倍まで跳ね上げる支援魔法。その奥の手をただ逃げるためだけに使用し3人は逃亡した。


 

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