第70話 人を呪わば9

Side 七海紬


 最初はどこのモデルなのかなって思った。

明らかに存在感が違うのだ。そこにいるだけで、ただ立っているだけで不思議なオーラを感じた。

一瞬海外のモデルがなぜ大胡さんの近くにいるのか疑問だったが、すぐに今日連れてくる予定の新人モデルの件を思い出した。

あのレベルのモデルを捕まえたという事に驚嘆したが、なぜかこちらを見ているようで視線を感じる。

この仕事を始めてからは、そういう視線を感じる事が多かったけど、特にCMの一件で売れてからはそれが顕著になったと思う。

そのせいで、男性からの視線には嫌悪感を多少持つようになったけど、不思議と彼からの視線はそこまで気にならなかった。

視線が胸や、おしりとかでなく、私全体をみようとしている感じがしたからかもしれない。

それにしてもどこかで見たことがあるような気がする。


 一緒に撮影している男性モデルはずっと小声でこの後食事がどうだとか、美味いお酒が飲める場所があるんだとか、色々言われイライラしていたが、そんな私の心の内が顔に出ていたのか、源さんのOKは中々でず、そのまま一旦休憩という形になった。

そのまま大胡さんの所に行き、面倒だった男をあしらって問題の新人モデルと近い距離で顔を合わせる事になり、そこで私はようやく気付いたのだ。



 礼土と紹介されたこの男。

それは以前、友達が好きで見ていたきりチャンネルで心霊スポット巡りをしていた霊能者だった。

なぜそんな男がここにいるのか頭が混乱したが、確かにこれだけの容姿で街を歩いていれば、スカウトの目に留まるのは仕方ない。

恐らく大胡さんはこの男の職業とかを知らないでスカウトしたのだとすぐに納得できた。

ただ、どうしても霊能者というワードが引っ掛かり、かなり失礼な態度を自分でも取ったのは自覚している。

まぁいきなり名無しさんなんて挑発されて、色々侮辱的な事を言われた時は本気で怒ったが、あれは私は悪くないと思う。

そんなこの男が源さんに連行され嫌そうに写真を撮られていたのを見て、少しだけ気持ちも落ち着いたが、

そのあとにあの礼土が取り出したお菓子を見て私は今までの怒りだとかそういう感情が一気になくなった。



 極堅煎餅。

以前父でも割れなかったあの本当にお菓子なのか? と疑問に思うレベルの煎餅を取り出し、容易く割ったからだ。

実際、カメラマンの源さんでも知っていたらしいが、やはりあれを割る事は出来なかったと言っていた。

源さんは確か元々総合格闘技をやっていた人でかなり身体を鍛えている。そんな源さんでも割れなかった煎餅を容易く割った姿を見て、私は少しだけあの男に興味がわいた。

だから、今までの自分の失礼な態度も謝ってその煎餅を譲ってもらったのだけど、それが本当に堅かった。


 礼土が大胡さんに連れられ、外に出たのを見て、私は源さんに煎餅を持って貰ってから、それに対し拳を突き立てた。

お菓子だとか、そんな事は一切考えず、目の前にあるのはよく空手でもやる板割のつもりで本気で殴った。

でも、返ってきたのは自分の右手の拳の痛みだけで、煎餅にはひびも入っていない。


「うそでしょ!?」

「ふふふ、いいパンチだったけど、その程度じゃこの極堅煎餅MAXは割れないわよ。その程度じゃ多分前のシリーズのヤツも割れないと思うわよ」

「でも、あの人ッ! 普通に手で割ってましたよね!?」

「……あれは、あの子がおかしいわよ。本当はゴリラなんじゃないかしらね?」


 源さんには付き合ってもらい、そのまま私は煎餅を割るために全力で挑んだ。

こういう風に何か目標を作って挑むというのが久しぶりで本当に楽しかった。

結局3回挑んで最後の方でようやくひびを入れる事に成功したけど、結局割る事は出来なかった。

そのあと、大胡さんと戻ってきた礼土に頼んで煎餅を割って貰ったのだが、かなり怪訝な顔をして、本当に、板チョコでも割るかのような気軽さであのとても食べ物とは思えない煎餅を割っていたため、私も段々この男は人間じゃないのではないかと馬鹿な想像もし始めた。

そのあとは、撮影はかなりスムーズに進んだ。

私のイライラがなくなったという事と、私が煎餅を必死に割ろうとする姿を見たためなのか、何故か一緒に撮影していたモデルの男もおとなしくなったので、とても順調に進んだ。



 問題はそのあとだ。




 大胡さんに言われ、そのまま事務所へ移動。

正直ここまでくるとどんな話が来るのかは想像できた。

だから、この礼土が霊能者であり、私に掛けられている呪いを祓うために雇われたと言われた時は少しだけショックだった。

別に礼土が霊能者として何かしようとしたというからではない、身近にいた大胡さんが母と同じようにオカルトに走ったという事がショックだった。

当然それが自分のためだという事は理解できる。でも納得が出来なかった。

それに加え――




「とりあえず手っ取り早い証拠を見せよう」

「……証拠ですって?」


 最初は何をするつもりだと思った。

この手の霊能者がよくやる常套手段といえば、私の守護霊から何か聞き出すとかそういうやつだろうか。



「そうだ。君の身体の怪我をすべてこの場で治療する」

「――ッ!? ふざけないで! いい加減にしてよッ!!!」



 一気に頭の中が真っ赤になった。

思い出すのは訳の分からない水を買わされ、父を治療しようとしていた狂った母の姿。

泣き叫び、目を血走らせ、無理やり水を飲ませようとする母の姿とそれを悲しそうに見つめる父の顔。

気づいたら私は自分の鞄を礼土に向かって投げつけていた。

でも、むかつく事にそれをこの男は容易く受け止め、わざわざ私の元まできて返してきた。



 馬鹿にしてッ!



 私は頭に血が上り、椅子から立ち上がり、右手で渾身のビンタをした。

大きく振りかぶるような事もせず、ただあの顔に当てる事だけを考えて、最低限の力で手首にスナップをきかせこいつの頬を思いっきり叩こうとした。

でもそれさえも簡単に止められてしまった。

私の必死の抵抗が全部涼しい顔で止められ、それが何故か悔しくて、そこからの記憶はかなり曖昧になってしまっている。

ただ、必死に謝る大胡さんから、私がそこまでオカルトを嫌う理由を聞かれ、そこで初めて私は自分の過去を話した。

大胡さんは私の父が交通事故に遭い、私が仕事を探していたのは遊馬から聞いていたらしいが、その直接の原因になった事は知らなかったようで、私の話を聞き必死に謝罪をしてくれた。

でも、大胡さんは異常な形で毎週怪我する私を本当に心配してくれていて、その中で信頼できる伝手を辿ってちゃんとした本物の霊能者を雇っているという事も、また、私が言った報酬に関してもあの男が言ったように成功報酬であり、それに応じて支払う金額は大胡さんが決めるというかなり変わった契約をしているという事も話してくれた。





 翌日、私は自室で目が覚めた。

ぼんやりした頭で昨日の事を思い出し、目覚ましに使っているスマホを手で手繰り寄せ、アラームを切る。

そしてそこに表示されるカレンダーを見てまた違うため息を吐いた。



「そっか、今日は水曜日か……」



 自分でもうすうすおかしいのは分かっている。

毎週必ず水曜日になると怪我をする。それがどういう意味なのかさっぱり分からない。

先週はとうとう当て逃げに遭い、決して軽傷とは言えない怪我もしている状態だ。


「だめ。こんな暗い顔でお父さんに会えないわね」



 慎重にシャワーを浴び、歩く時も足元を確認しながら、着替えを行い、私は自分のマンションを出た。

そしてそのままの足で私は実家への道を急いだ。

いつもなら歩きながらメールのチェックなんかをするのだが、流石にこの日だけは絶対にしない。

少しでも事故や怪我の原因を排除したいからだ。

タクシーを使い、同じ都内の実家へと移動する。

私が芸能界に入ってから、毎週水曜日は出来るだけ半休を貰うようにしている。

理由は、父と母の様子を見るためだ。

今はお手伝いさんを雇い、父の世話はその人に預けているが、それでもずっと心配で比較的仕事が薄い水曜日に必ず家に顔を出すようにしている。

いつもは10時頃に家に行くのだが、変に目が覚めたため今日はいつもより3時間も早く着いた。


「ただいま……ん? これは――」


 玄関を開け、誰もいない虚空に向かってただいまと告げる。

今日はお手伝いさんが来るのは午後の予定のため、午前中は誰もいないはずだ。

だというのに、知らない靴が玄関に置いてある。

すると、家の中から足音がして誰かの気配がこちらに向かってくるのがわかった。


「あれ、紬ちゃんじゃないか。どうしたんだい?」

「……遊馬? なんで家にいるの?」


 そこにいたのは私が芸能界に入る切っ掛けになった幼馴染である三浦遊馬だ。

確かに以前はよく家に遊びに来ていたが、こうして今いる理由が分からない。


「ははは。実は俺も心配で週に1回だけ、こうしておじさんとおばさんの様子を見てたんだよ」

「なんでまた。遊馬だって仕事忙しいでしょ?」


 そういいながら靴を脱ぎ家の中に入る。


「まぁそうなんだけど。やっぱり心配だろ? だから少しでも時間作って来てるんだ」

「そう。ごめんね。でも私の家族の問題だし。そこまでしなくて大丈夫よ」

「何言ってるんだよ。俺だっておじさんにはさんざんお世話になったんだ。少しでも楽にしてあげたいだろ」


 遊馬の妙な言い回しが少し気になったが、勝手に実家に出入りしている遊馬の事は流石に変だと思う。

恐らく今言ったのはただの建前で少しでも外堀を埋めようとしているんだろう。


「でも、やっぱり大丈夫よ。たまに顔を出す分にはいいけど、あんまり頻繁に来ないで。やっぱり家の問題だし」

「……そうかい。わかったよ。そういえば、紬ちゃん怪我してるって本当なの?」

「ッ! してないわ」


 ついに遊馬までその話を知ったみたいだ。


「ねぇいつから?」

「怪我なんてしてないわよ」

「嘘吐かないでよ。聞いたから知ってるんだよ?」

「執拗いわよ。ちょっとぶつけた程度でそんなに騒がないでよ」

「……そう。じゃ、俺はこれから仕事だからもう行くね」


 そうしてそのまま靴を履き遊馬は玄関から出て行った。

何だか様子がおかしかったように思う。

それに一体いつから遊馬は来ているのだろう。

私はそのまま一度自分の部屋に行き、鞄を置いて、そのまま母の元に。


「お母さん。ただいま。何か変わった事あった?」

「……紬? おかしいの。お父さんがね、ずっと寝てるのよ」

「はぁ。お父さんは疲れてるのよ。だから寝かせてあげて。それより遊馬来てたでしょ、何してたの?」


 母はあれから少しおかしくなっている。

父の現状を正しく理解できないのだ。

それ以外は問題ないように見えるけど、父の事になると、一気に話がかみ合わなくなる。


「遊馬君? なんだかいつもお父さんとお話してるわよ。どんな話かまでは知らないけど……」

「――そう。ねぇいつから遊馬は来てるの?」

「何言ってるの。遊馬君はよく遊びに来てたでしょ」

「違うわ。それ昔の話でしょ。最近よ、少なくとも1年くらい前は来てなかったでしょ?」

「あぁそうだったわね。えぇっと多分一か月くらい前だったかしらね。ほら紬と遊馬君が雑誌に載ったでしょ。その頃だったと思うわ」


 一か月前と聞いて背中に冷や汗が流れた。

偶然だろうか。もしかして私がこんな目に遭っているのは遊馬が原因?

でも、それなら何で家にきて父と話しているのか理由が分からない。


「それより聞いて。お父さんずっと疲れが取れなくて寝込んでいるでしょ。私ね、また先生の所に行って色々買ったのよ」

「ッ!! どうしてッ! いつも、いつも、またそんなもの買うのよ!!」

「ひっ!」



 思わず大きな声を出してしまった。

本当に、散々騙されてめちゃくちゃになったっていうのに、それでも母は怪しげなお守りとかをかってきている。

涙が溢れ視界がにじむ。

もうどうしたらいいのかわからない。


「お、怒らないで。確かにちょっと高かったけど、お父さんを悪い気から守ってくれるありがたいものでね。そうだわ。紬の分もちゃんと買ってあるからほら、これ。2ヶ月くらい前に買ったんだけど、これお母さんも付けてるようになってから本当に体調が良くてね」


 そういって、数珠のようなブレスレットを渡された。

それを手で強く握り、そのまま母に返した。もうどうすればいいのかまったくわからない。

もう母が私がなんでこんなに怒っているのかもわからないのだと考えると本当に悲しくなってきた。



「お父さんの所に行ってくるね」



 母の返事も聞かず、私は父がいる部屋に移動した。

一階の玄関近くの洋室。そこの扉を開けると、ベッドで横たわり、うつろな目で外を見ている父の姿があった。

私が部屋に入ると父は顔をこちらに向けて私の顔を見る。

いつもは笑っていた大好きな父の顔。でも今は私の顔を見ると悲痛な顔しかしていない。



「お父さん、ただいま」

「……お帰り」



 前はショックのためかまったく話さなくなった父だが、最近ようやく少しずつ会話をしてくれるようになった。

それだけでも私は嬉しく感じている。


「昨日ね――」



 そうしてとりとめのない会話をいつもする。

そんな私の事を父はいつも黙ってみてくれており、時折返事をしてくれる。

そんないつもの光景だった。



「そういえば、さっき遊馬に会ったよ」


 そう、ただの談笑のつもりで話した会話。

だというのに、父の表情は一瞬目を大きく見開き、驚いている様子だった。


「ど、どうしたの? お父さんと話してたんでしょ。1か月前から家に来てたんだってね。もう何でもっと早く言って――」

「遊馬君は」


 ……本当に驚いた。

ここ数年、父が私の話を遮ったことなんて一度もなかったからだ。


「え?」

「遊馬君は何か言っていたかい?」

「……いや、ただ週に1回お父さんの様子を見に来てるって言ってただけよ。どうしたの?」

「――そうか。ならいいんだ。……済まない紬。少し眠くなってしまった」

「う、うん。わかった。じゃ、私もそろそろ仕事に行くね」

「ああ。いってらっしゃい」



 どこか釈然としない気持ちで私は父の部屋を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る