神の娘は上機嫌
広野香盃
0. プロローグ - コロール平原の奇跡
(シロム視点)
コロール平原の奇跡が起こったのは今から3年ちょっと前のことだ。その時僕は10歳、あと一月もすれば11歳になって学校に入学するという時だった。
その不思議な感覚を始めて感じたのは自分の部屋で隣の家に住む幼馴染のカンナと、妹のスミカの3人で遊んでいる時だった。だけど何をやっても楽しくない。それは他の2人も同じだ。
突然部屋の中なのに、まるで外に出て温かい日の光を全身に浴びている様な感覚が僕を包んだ。思わず天井を見上げたが穴は開いていない。それにも関わらず光が降り注いでいる様に感じる。
「ちょっと外に出て来る。」
そう言って僕は立ち上がった。
「待ちなさいよ。外にでたら叱られるわよ。」
カンナが反対する。祖母ちゃんから外に遊びに出ない様に言われているのだ。
「大丈夫、店の前に出るだけだよ。」
そう返して僕は部屋を出た。僕がカンナに逆らうのは珍しい。同じ歳だけど力関係は完全にカンナが上だ。だけどどうしても先ほどから続く感覚が気になった。外にでて空を見てみたい。
僕は1階に降りると店に向かう。僕の家は食堂を営んでいるのだが、数日まえから閉店したままなので店にお客はひとりもいない。なんとなく心細くなって急いで沢山のテーブルの間を通り過ぎ、表に通じる扉を開けた。
店の前の通りにも人っ子一人いない。今この町は多くの人が隣の国との戦争に出掛けている。道の真ん中に立った僕は迷わず空を見上げたが、曇り勝ちの空には特に変わったものは見えなかった。
「ねえ、あれ!」
僕を追いかけて来てくれたのだろう、背後でカンナの声がした。
振り返ると、カンナが空を指さしている。その方向を見た僕は
とにかくさっきから感じている不思議な感覚の原因があの鳥にあることは間違いない。曇っているにも関わらず、鳥の方向から陽光が差している様に感じる。
「貴方達、外に出ては危ないわよ。お家に入りなさい。」
店の入り口から祖母ちゃんの声がした。思わず祖母ちゃんにも鳥を見てもらおうと思ったが、その時は既に次の雲の影に隠れた後だった。祖母ちゃんに心配を掛けては申し訳ない。僕とカンナは素直に家の中に戻った。
「お兄ちゃん。スミカを置いて行っちゃダメ! 」
部屋に戻るとスミカが強い語調で文句を言う。その顔は不安で一杯だ。理由は簡単、父さんも母さんも、それに祖父ちゃんまで隣国との戦争に義勇軍として参加していて、今この家には祖母ちゃんしか残っていないからだ。カンナの家も同様で、タンおじさんにラーズおばさん、それにカンナの兄のヤラン兄ちゃんまで戦争に行っている。ひとり残ったカンナを僕の家で預かっているわけだ。
子供の僕にも今の状況が只事でないのは分かる。もし父さんや母さんがこのまま帰って来なかったらと考えると恐ろしくて我慢できない。
「貴方達、おやつでも食べない?」
祖母ちゃんが、僕達の為にクッキーとジュースを持って来てくれた。
「ねえ、お祖母ちゃん。お母さんはいつ帰ってくるの?」
スミカが溜まりかねたように尋ねる。祖母ちゃんがスミカの頭を撫でてやりながら口にする。
「大丈夫よ。この国は聖なる山の神様が守って下さっているの。だからどんな悪い奴等が攻めてきても大丈夫。神様がやっつけてくれるからね。」
「本当?」
「もちろんよ。スミカも神様に守られているのよ。もちろんお父さんもお母さんもよ。だからね、おりこうさんにして待っていましょうね。」
「うん」
さすが祖母ちゃん、うまくスミカを宥めてくれた。泣かれたらどうしようかと思っていた。
今僕達の国は未曾有の危機にある。この大陸一番の大国、ガニマール帝国に攻められているのだ。僕達の国は小国に過ぎない。だけど大人たちは口を揃えて『この国は聖なる山の神様に守られているから、どんな強国が攻めてきても負けることはない』と言い切る。本当にそうであってくれたら良いが、僕は今一信じ切れていない。神の奇跡なんて見たことがないからだ。
大人たちはどうして逢ったこともない神様を信じられるのだろうと不思議に思っていた。
「奇跡? もちろん見たことがあるさ。この国はな、儂とスーラン祖母ちゃんが移民してきた40年前から只の一度も飢饉になったことがない。毎年毎年豊作ばかりさ。飢えで誰かが死んだなんて聞いたこともない。恐ろしい伝染病が流行ったこともない。おまけに子供達は国の費用で学校に行かせてもらえる。この国から出たことの無いシロムには分からんだろうが他の国では考えられないことなんだ。神様の加護による奇跡としか思えないさ。」
というのが祖父ちゃんの口癖だった。そうなのかもしれないが完全には不安を払拭してくれなかった。
その日の夜、祖母ちゃんが作ってくれた晩御飯を食べながら昼間見た大きな鳥の話をした。僕だけでなくカンナも見ているのだ単なる見間違いではないと思う。
僕とカンナの話を聞いた祖母ちゃんは嬉しそうに言った。
「おやまあ、まるでカルロ様を背中に乗せて飛んだという
カルロ様というのは僕達の国、カルロ教国の祖となった預言者だ。神の啓示を受け数々の奇跡の技を行われたと伝えられている。そう言えば神様から遣わされた大きな鳥に乗って旅をした話を聞いたことがある。おとぎ話だと思っていたけれど、昼間の鳥なら人を乗せて飛べるかもしれない。
あの鳥が本当に
カラン、カラン、カラン、カラン、カラン、カラン、カラン、カラン、カラン、カラン、カラン......
いつまでも鳴りやまない鐘。それが意味することは僕にも分かった。あれは勝利を知らせる鐘だ!
僕はベッドから飛び起きて、パジャマのまま部屋の外に飛び出した。家の前の道から歓声が聞こえる。勝利の鐘を聞いた人達が家から飛び出して来たのだろう。
「やったぞ~! 勝ったんだ!」
「ガニマール帝国の奴等、ざまあみろだ!」
「お父さん帰って来る?」
「神様ありがとうございます。」
そして昼には神殿から正式に発表があった。町に残っていた人達が総出で発表を聞きに神殿前の広場に集まっていた。神官様が話されたことによると、コロール平原と言うところで両軍が睨みあっているところに、鳥の姿をした
奇跡って本当に起きるんだ! 僕はそれまで半信半疑だった聖なる山の神様に心から感謝の祈りを捧げた。
そしてそれから3日後の夕方、両親や祖父ちゃん、それにカンナの家族も全員無事に帰って来た。僕は嬉しくて帰って来た母さんに抱き付いた。スミカは父さんに抱っこされている。
「シロム、長い間留守にして御免ね。」
母さんが涙を流す僕に優しく言ってくれた。僕は焦って首を振った。僕は只待っていただけだ。母さんこそ大変だっただろうに。母さんの手には手製の槍が握られている。棒の先に店で使っていた包丁の刃を取り付けただけの粗末なものだ。義勇軍の人達はこんなものを持って敵の軍隊と戦いに出掛けて行ったのだ。農民の人達は鋤や鍬を武器にしたと聞いた。たぶんまともに戦っては勝負にならなかっただろう。
その日の夕食は皆笑顔だった。
「シロムは
「
「大きいぞ! 馬車くらいは優にあったな。」
「あなた、違うわよ。小屋くらい大きかったわ。」
「いや、もっと大きかったぞ。それでな、
と祖父ちゃんが自慢気に言う。
「あれは痛快だったな。それまでガニマール軍の奴等は散々俺達をバカにしていたからいい気味だ。」
「本当にすごかったわ。あれならもう私達の国を征服しようだなんて思わないでしょうね。」
「聖なる山の神様に感謝しないとな。少しでも恩をお返しできれば良いのだけどな。」
「私達に出来るのは、日々神様に感謝して御心に沿って生きることですよ。」
「そうだな。明日からは食堂を開けて精一杯旨い物を作って皆に食べてもらおう。」
「そうだよ。それが私達に出来るご恩返しだよ。」
と祖母ちゃんが締めくくった。神様は本当にいて僕達を守って下さっている。その事実を僕が確信した日だった。
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