03 嘘
「私、字読めない」
「え」
思わず声を漏らして太陽は口を噤んだ。太陽の表情を見て、キヨラは苦笑いする。
「やっぱおかしいかな、この歳でまだ字が読めないなんて」
「……そんなことはない。習って無ければ、分からないのは当然だ」
太陽の言葉にキヨラは少し意外そうに顔を見た。
「ここで待ってろ」
そう言って太陽は店の中に入っていく。
少し経って、一冊の本を手に太陽は店から出てきた。
「え、あの、私……」
困惑しているキヨラに太陽は本を差し出す。差し出された本を受け取り、キヨラは本に視線を落としてぱらぱらとページをめくった。
ぱっとその目が開く。
本の各ページには文字が一つずつ、それから絵が描かれていた。満面の笑みでキヨラは太陽を見た。
「ありがとう!」
再びキヨラは本に視線を戻す。太陽は僅かに顔をそらし、サングラスが下にずれる。
はっと緩みかけた体に緊張を走らせる。神妙な面持ちで太陽は眉間にしわを寄せた。
「……もう、なりふり構ってられないな」
呟いて太陽は片手を鞄の中に忍ばせる。チャックのついた上部から入り込んだ夕方の赤い日光を反射して、小ポケットに入れられたナイフの刃がオレンジに光る。
柄を握って、そっと引き抜く。ページをめくる音、店先に吊るされたガラス細工が風に揺れる音、虫の鳴き声が静寂の中で鳴る。
だが口を開く前に背後から近づいてくる微かな馬の足音に気が付いて振り向いた。村の反対側の門の向こうに砂煙と馬の影が近づいてくるのが見える。
「賊だ、隠れろ!」
声が上がり悲鳴の中村人たちは一斉に家の中に入って行った。バタンと扉が閉められる音にキヨラが辺りを見回していると、いつのまにか太陽の姿が無かった。
「え」
声をこぼしてすぐ舞った砂煙にキヨラは目を瞑り咳をする。
「人質はっけーん」
その横を黒い馬が通り過ぎて行き、石造りの門の方へと向かっていく。覆面の馬乗りは門をくぐろうとしていた太陽をひょいとすくい上げた。
「放っ」
咄嗟に太陽は手を引き抜きかけ、鞄から出る寸前で止める。
「抵抗しても無駄だぜ?」
覆面の馬乗りは穴からにやにやと口角を上げて見せる。
「にしても男のくせに妙にそそる顔してんじゃねえか。どれどれ」
馬乗りの手がサングラスに伸びるも、首をひねらせ避けようとした太陽に馬乗りは表情をしかめる。手に力を入れた瞬間飛んできた小石が馬乗りの顔に当たった。
「痛てっ、あ」
馬乗りの腕が緩んだ隙に太陽は手を引かれて晴れてきた砂煙の中を走り出す。マントのフードを被った人物は太陽を建物と建物の間に押し込めた。
「ここに隠れてろ。逃げたら目を付けられる」
青年らしき声で言ってフードの人物は馬の駆けつける村の中央へと走り出て行った。太陽は農具の影に身を潜め、ずれかけたサングラスを直して空を見上げた。日は地平線に差し掛かったのか、薄い藍色の空に星が幾つかあった。
息をつき、やや不快そうに目を細める。
フードの人物は馬の立ち並ぶ砂煙の中心で止まり、一番大きな栗色の馬に乗った覆面の馬乗りをフードの中から目を細めて睨み、見上げた。
「もういいだろ、俺は充分働いたはずだ」
声量を強めて言ったフードの人物を見下ろして、栗色の馬の馬乗りは口角を上げた。
「ああ、お前はよく働いたよ。ボスが下っ端のお前にあの話をするほどにな」
「その下っ端に何ができる」
フードの人物の意見に馬乗りは唖然として見せる。そして笑った。
「お前ならできるだろ? 幹部昇進の話も上がってたって噂だぜ」
前方の馬に囲まれる。足を一歩後ろに引くも、後方の馬の蹄に当たる。栗色の馬の馬乗りは腰のケースから拳銃を引き抜いて、銃口をフードの人物に向けた。
「選択肢は二つだ。大人しく戻るか、ここで死ぬか」
引き金に黒い手袋をはめた指をかける。フードの人物は顎を引く。
「俺は家族のために働いてただけだ。契約が嘘だった以上、お前らに尽す義理は無い」
「そうか。お前を失うのは実に残念だな」
銃口を下げて引き金を引く。フードの人物は瞬時に足を引き、その靴のつま先を銃弾がかすめた。削がれた靴の革に微かに血が滲む。
栗色の馬の馬乗りは銃口をフードの人物の心臓から斜めにずらした位置に向ける。
「楽に死ねると」
「あの人ならあなたたちなんてあっという間に倒しちゃうんだから!」
突如背後で声を上げたキヨラに覆面の馬乗りたちは振り向く。
息をつき、真剣な眼差しでキヨラは栗毛の馬の馬乗りをじっと睨みつける。
「あの人ってのはこいつのことかい?」
馬乗りは手に持った拳銃で後ろのフードの人物を指した。手を強く握り、キヨラは首を横に振る。
「違う。サングラスをかけた男の人」
キヨラが言った途端馬乗りたちが一斉に笑い出した。後方の馬乗りは横を見る。
「嬢ちゃん、からかっちゃいけないぜ。あの臆病者ならとっくに逃げちまっ……お」
建物の隙間から石壁に足をかけて乗り越えようとしていた太陽の後姿に目を留める。
馬乗りが一人馬から降りて建物の隙間に入って行った。苦虫を噛み潰したような表情で足を下ろした太陽の胸ぐらを掴む。
「へぇ、目つきは悪ぃがなかなかの上物じゃねえか。試しに一発殴ってみろよ」
「やめろ! お前らが用があるのは俺だけだろ!」
フードの人物が声を上げるも馬乗りは掴んだ手で太陽を押して催促する。
太陽は小さく舌打ちした。
「余計なことを言いやがって……」
「あ。何だ、やる気か」
覆面の馬乗りは言葉を詰まらせた。腰に刺されたナイフから血がこぼれる。
「……な、何しやが」
首にかけられそうになった手を太陽は掴んで引き抜いたナイフで馬乗りの首筋を擦った。頸動脈の上に赤い線が引かれ、馬乗りは失神して地面に崩れ落ちる。
刃の反対側の血が拭い取られた、月明りを受けてほんのり光る銀色のナイフの刃先を太陽は馬乗りたちの方に持ち替えた。凍り付くように冷たい両目が前方を捉える。
かえるの鳴き声が塀の先の草むらから聞こえてくる。
「……こいつぁ運がいい」
一番大きな栗毛の馬に乗った覆面の馬乗りは口角を上げた。拳銃を下ろす。
「お前ら、奴を捕えろ。くれぐれも殺すなよ」
「ですが今は逃亡者を始末する方が先決では」
「いや。こっちが最重要だ」
そして引き金に指をかけ、銃口を太陽の方に向ける。
「そこで大人しくしてろ。さもないと痛い目を見るぜ」
馬乗りたちが馬から降りてじりじりと太陽に近づいて行く。太陽はナイフを持った手を引き、走り出した。
「なっ」
フードの人物が声を漏らすと同時に銃声が上がる。
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