第8話
「え…?」
突然、腕に絡みついた縄の様なものにルーシーは目を疑った。何かと振り返えれば、そこには禍々しい殺気を放つ巨大な樹の化け物がいた。
化け物はルーシーが腰を抜かして動けなくなっている間に、いくつも蔦を伸ばしてルーシーを絡めあげる。そして己の幹に張り付け、声を出せないよう口にも蔦を巻きつけた。
「んぐっ……!んんー!!」
『こんな所に人間のガキがいるとは……今日はついてるぜ。安心しな、痛めずじっくり俺の養分にしてやる』
「んー!」
なんとか抜け出そうとするが拘束が固く、ぐもった声を出す事しか叶わない。恐怖や後悔の感情が混ざり涙が止まらないが、体は確実に樹の中へと沈んでいく。
化け物は生きのいい獲物に、大きな口を歪ませほくそ笑んだ。人間、特に若い人間の血肉は蕩けるような甘さが味わえるのだ。
だがそんな化け物の下へ、全てを狩り殺す獣のような瞳を持つ本物の化け物が、森の中を目にも留まらぬ速さで駆けて来ていた―。
ルーシーがいなくなった後、シルヴィアは黙って雨に打たれながら山道を歩いていた。
『シルヴィアは全然笑わない!』
『私がシルヴィアの幸せを奪ってるから、シルヴィアは笑わないんでしょ?!』
少女の言葉が頭の中で何度も繰り返される。何かが、胸の奥で少しずつ重くなり溢れ出してしまいそうだった。
シルヴィアは森に来てからの事を思い出した。ルーシーとの記憶はどれもつまらないものなどではない。むしろ少女が喜べば、不思議と胸の内が軽くなるような、暖かいような気もしていた。その正体が何なのかは定かではなかったが、悪いものには感じなかった。
(あれは、何だったのでしょう……)
胸のあたりをそっと撫でた時だった。かなり奥の方で、何かの魔力が少しずつ膨れ上がっていくのを感じた。
森に来てからいくつかの魔力は感じていたが、それらは全てシルヴィアがルーシーに見えていない所で追い払っていた。だが今感じているものは、明らかにそこらの魔物とは違う。もっと邪悪で、淀んだ汚い魔力。そしてその近くにもう1つ、弱りきった小さな魔力を感じた。
「お嬢様……!」
シルヴィアは鞄を近くの樹に括り付け、その場から全速で駆け出した。
走り出して数分で、シルヴィアの視線の先には動く樹の魔物『トレント』がいた。珍しい種類の魔物で、樹に擬態して他の生物を体内に取り込んで生きている。
シルヴィアは走りながら右手に魔力を流し、腕のあちこちに細長い葉を創り出した。
「
短く詠唱をすれば、葉は腕から落ちてトレントの方へと飛んでいく。針葉樹の葉のように鋭いそれは、トレントの体に浅い傷をつけ、こちらへ強制的に意識を向けさせた。
『だ、誰だ?!』
「シルヴィアです」
トレントは返事のしたものを見て、周りの樹のように固まった。すぐ近くには、明らかに自分に敵意を向ける1人の化け物がいたからだ。
だがそれが人間だと分かると、トレントは先の尖った枝を口から吹き矢のように吐き出した。数えきれない枝が、シルヴィアめがけて飛んでいく。
『串刺しだ!』
「お断りします」
シルヴィアは自分の足元に飛んできたそれを縦横無尽に走りながらかわし、懐に入り込むと勢いよくジャンプした。そしてすぐに、飲み込まれかけているルーシーに手を伸ばす。
『馬鹿め!空中なら避けられまい!』
トレントは好機と、宙に浮かぶ無防備なシルヴィアに更に枝を飛ばした。そのまま枝は彼女の全身を貫通するかと思われたが、彼女は右手を円形の巨大な盾に変形させて矢を防いだ。
『何だ、それは……?!』
敵が驚いているのをよそに、シルヴィアは太ももに忍ばせていた短刀を抜いてルーシーの拘束を一瞬で斬り飛ばした。
そこから左手で小さな体を抱えると、幹を踏み台にして後方にジャンプする。一瞬の出来事に、魔物はしばし理解が追い付いていないようだった。
「お嬢様、ご無事ですか?」
「…シル、ヴィア……?」
シルヴィアの声に、少女はうっすら目を開けて声を絞り出した。目立った外傷は無いが、どうやらトレントに魔力を吸われてしまったらしい。呼吸が浅く衰弱しているようだった。
シルヴィアはルーシーを抱える手に力をこめると、顔を歪めるトレントと対峙した。ほんのわずかな森の静寂が、お互いを包み込む。
『俺の食事を邪魔しやがって……!許さんぞ!』
「許しを乞うつもりはありません」
『馬鹿にしやがってぇぇ!』
「馬鹿にもしてません」
無表情で返すシルヴィアに、トレントは怒り狂いながら太い枝を何本も伸ばしてた。枝はぐにゃぐにゃと触手のように迫ってくるが、シルヴィアはそれらに飛び乗り身軽に避けていく。そして避けながら、右手から出した植物の種を投げつけた。
「
種はトレントに当たった瞬間、小さな破裂音と共に外殻が弾け、中から太い蔦がいくつも飛び出した。蔦は目にも止まらぬ速さで急成長し、トレントの巨体をみるみる包み込んでいく。
『な、何だこれは?!は、離せ!』
わずか数秒で、大きな蔦の球体が出来上がった。シルヴィアはそれを確認すると、ポカンとしているルーシーを抱く手に力を込めた。
「お嬢様、私から決して離れないで下さい」
「え…?」
それだけ告げると、右手の蔦を伸ばし暴れる球体にしっかりと連結した。
ルーシーは側で不安そうに見守っていたが、シルヴィアは気にする事無くハンマー投げのように、体を回転させて球体を回し始めた。かなりの対格差があるはずだが、次第に球体は宙に浮かびだした。
『やめろぉぉおおお!』
「シ、シルヴィア?!」
「……行きます」
そしてある程度回ったところで、空に向けて球体を投げ飛ばした。
当然、シルヴィアの右手は球体に繋がったままなので、2人は上空へと引っ張られる。
「きゃあああああああああ?!」
「安心してください、あと少しです」
球体が空高くまで飛ばされた所で、シルヴィアは右肩にナイフを当てて腕を切り落とした。
それだけで終わらず、すぐに新しい腕をすぐに創り出して左の義眼を取り出し、一定の魔力を流し込んでから瞳の真裏にあるスイッチを押す。小さな起動音がして、義眼は小さく赤色に光り出す。
「…永遠に眠りなさい」
別れの言葉を残し、空へと飛んでいく球体に義眼を投げつけた。
数秒して、投げた義眼が球体の側で輝き、灰色の空は眩い閃光に包まれた。
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