第6話
翌日、騒がしいギルドでシルヴィアは椅子に座って静かに本を読んでいた。その姿は、男達が大半を占める場に一輪の花を添えたかのような美しさを醸し出している。周りでは笑い声や怒号が止まないが、彼女は一切気にする様子なくページをめくっていた。
今日も仕事をしようとしたのだが、グレイがそれを許さず休みにした。
だが休みと言われても特に趣味もない彼女は、以前貰った小説を読み進める事にしたというわけだ。グレイから、『小説には様々な感情が紡がれているんだよ』という言葉と共に受け取った本だが、彼女は淡々と物語を読み進めていく。文字を一文字ずつ、読みこぼしの無いように。
(……涙)
半分ほど進んだところで、めくる手を止めて一節を指でなぞった。主人公がヒロインに感謝の言葉を贈りながら涙する場面だが、シルヴィアは主人公が何故泣いているのかわからなかった。前に辞書で『涙』という言葉を調べた時は、『目の涙腺から分泌される―…』のような小難しい文章があるだけで、それ以外の記述は特に無かった。
何も汲み取る事が出来ず黙って考え込んでいたところで、肩をトントンと誰かに叩かれた。少し前までは冒険者達が勇気を出して声をかけていたが、全て鉄壁の無表情に阻まれ、今では声をかける者は殆どいない。
いるとすれば―
「ルージュ様」
「何読んでるの、シルヴィア」
ルージュと呼ばれた女性は、長めの赤髪を揺らしながら本を覗きこんだ。シルヴィアが会話を交わす数少ない人物のうちの1人で、受付嬢の先輩でもある。白の制服に赤い刺繡が入った制服を着こなし、優し気な笑顔はギルドの冒険者の多くを虜にしている。本人の自覚はないようだが。
「ルージュ様、何か用で―…んっ」
質問をしようとしたシルヴィアの唇に、ルージュはそっと指を当てて遮った。大人っぽい仕草とは対照的に、その顔は少しだけ頬を膨らませ、駄々をこねる少女のような表情を浮かべている。
「その様付け、やめてって言ったでしょ?」
「……ルージュさん、何か用ですか?」
「さんも禁止」
「ルージュお嬢さ―」
「もう!呼び捨てでいいわよ!」
いくら言っても敬称を付けるのをやめないシルヴィアに、ルージュは痺れを切らして可愛らしく怒った。そのやりとりに、男の冒険者達が騒ぐのを止めて愛娘を見るような眼差しをしていたのは、彼等だけの秘密である。
そんな視線に気づいていないルージュは、ため息を漏らしながら隣に座った。
「ねぇ、私今から昼休憩なの。ランチにでも行かない?」
「わかりました」
彼女の返答にルージュは満足そうに頷き、2人はギルドの外へ歩いて行った。
王都の大通りを歩きながら、ルージュは適当に辺りのレストランを探した。どの店からも香ばしい香りが漂っており、なかなか決めるのが難しい。
そこでふとシルヴィアに視線を向ければ、彼女は少し後ろでじっとルージュを見てトコトコ着いてきていた。まるで雛が親鳥の後を追いかけているようで可笑しくなるが、それと同時に彼女に疑問を抱く。
(……シルヴィアって何者なんだろう)
彼女に初めて会ったのは1ヶ月ほど前。週の始まりの日に、ギルドマスターから直々に紹介されたのだ。『これから受付嬢として働く、シルヴィア・ルナセイアッドだ。指導の方お願い出来るかな?』、と。
ギルドのトップに言われて最初は張り切ったのだが、次第に違和感を感じていった。仕事の覚えは驚くほど早いのだが、全く表情に変化を見せなかったのだ。話しかけても『はい』『わかりました』『申し訳ありません』くらいしか返ってこず、それ以外の会話は皆無。
(この子……ドワーフの
土人形とはその名の通り大地から造られる人形の事で、ドワーフの大陸では力仕事や危険な任務を土人形に託している。彼等は土から出来ているので、体が壊れるのも気にしないし喋る事もないのだ。
彼女もまさにそれと似通っており、ルージュはそういう子なのだと割り切る事にした。だがそうして1週間ほど仕事を共にした所で、ルージュはある事に気付く。
シルヴィアは、他の受付嬢―特にルージュを見ている事が多かったのだ。最初は気のせいかと思ったが、仕事が無い時は殆どそんな風にしていた。どこにいても、彼女は話しかけてくるわけでもなく、じっとこちらを見つめるだけ。
だが流石に四六時中凝視されて視線が気になったので、思い切って仕事以外の事を聞いてみる事にした。
「ねぇ、あなたって人間観察が趣味なの?」
好奇心から出た質問に、シルヴィアは少し考える素ぶりを見せてから答えた。
「……わかりません。ただ、他の方が何を想い何を考えているのか知りたいのです」
「なんで?」
「マスターは、受付嬢は笑顔で冒険者を送り出す人だと仰いました。私にはそれが出来ないので、他の方々を参考にしようと思ったのですが……やはり難しいですね」
そう言って少し悲しそうに俯く彼女を見て、ルージュは自身の庇護欲が刺激されるのを感じた。今までの変わった印象が全て洗い流され、すぐにでも目の前の子を抱きしめて頭を撫でたくなるが我慢するよう努める。
それは彼女が実家では長女だった事もあるせいなのか、あるいは単に面倒見がいいだけなのか定かではないが、シルヴィアの肩に手を置いて元気づけるようにした。
「ま、まぁすぐには無理かもしれないけど、きっと出来る日が来るわよ!」
「そうでしょうか?」
「うん!あ、そういえば近くに新しいレストランが出来たんだけど、良かったら一緒に行かない?」
「わかりました」
それ以来、2人は行動を共にする機会が増えた。シルヴィアから語りかける事はなかったが、ルージュは仕事の休憩などを彼女と過ごす時間に費やしていた。
(あれから1ヶ月かぁ……時って早いわね)
少し懐かしい記憶に口元を緩ませていると、前方に気になるレストランを見つけた。ずって前から知っていたが、忙しくて行けていなかったお店だ。決して1人で入る勇気がなかった訳ではない。
ルージュはちょうど良いと思い、シルヴィアを連れて行こうとした。だが同時に、後ろから『ドサッ』という何かが倒れる音がした。
「シルヴィ……ア?」
振り返るとそこには、地面に倒れてもがく友人の姿があった。
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