第17話 天使さま
事態は急を要する。
いつまでも悲しみに浸っていることを、この状況が許してはくれない。
スフィーティアには、やることがあった。エゴンの願いであるエリーシア・アシュレイを救出すること。そして、出現したクリムゾン・ドラゴンを討伐することだ。
「エゴン、少し待っていてくれ。必ずエリーシアは助けるから、安心してくれ」
エゴンの胸に顔をうずめていたスフィーティアは、顔を上げた。彼女の白磁の頬は、エゴンの血で赤く染まっていた。
先ほどまで悲しみに揺れていた青碧眼の瞳には、もう迷いはなく、次の目標へと向いていた。エゴンを静かに寝かせ、黙とうを捧げると、立ち上がった。
その時、近くに転がっていたエゴンの
スフィーティアは、傍らに行き、大剣を手に取る。
「これは・・」
スフィーティアは、その大剣から、
「マスターを感じる・・」
大剣を見つめていると、スフィーティアは心が安らぐのを感じた。
「エゴン、お前の剣、借りるぞ」
スフィーティアは、
エゴン・アシュレイがドラゴンと対峙している間に、エレノアとエリーシアは村を脱出していた。
目立たないように主要な街道路を行かず、森を抜ける林道の方に逃げていた。そして、少しでも遠くに行こうと急いでいた。
「エリ、早く!」
「お母さん、もう走れないよ」
そう言って、エリーシアは足を止めようとする。
「ダメよ!ドラゴンがやって来るの。さあ、頑張って!」
そう言って、エレノアはエリーシアの手を取って、走ろうとした。
ブウォーーーンっ!
その時だ。赤い大きなドラゴンが、上空を通過した。ドラゴンの舞い起す強風で、木々や葉が激しく揺れている。
エレノアは、ドラゴンに見つからないようにと、林道から森の中にエリーシアの手を取り入って行った。
しかし、それは無駄であった。急にドラゴンが上空で止まり、辺りを確認し始めた。
『フッフッフ、見つけたぞ。小さきもの』
ドラゴンが勢いよく降りてきて、森の木々をなぎ倒して行く。
ブワーッ!バーキッ、バキ、バキ、バキ・・・!
「ウウッ」
「キャーッ!」
エレノアは、巻き起こる突風から娘をかばった。
見上げると、赤色の巨大なドラゴンがそこにいた。
エレノアは、覚悟を決めた。なんとしても、エリーシアだけは守らなければいけない、と。そして、エリーシアに告げるのだった。
「エリ、あなたは逃げるのよ。お母さんとはここでお別れ。それとよく聴いて。お父さんがあなたに伝えようとしたことよ。あなたは、かつて、ドラゴン等を恐怖に陥れたユリアヌス・ブルーローズという大剣聖と私の
そう言って、エレノアは、エリーシアに手紙を持たせた。
「嫌だよ。お母さんと一緒がいい」
「我儘言わないで!あなたに何かあったら、お父さんも悲しむのよ!あなたはここで死んではいけないの。あなたはみんなの希望なの。いいわね。さあ、走りなさい。走るのよ!」
エレノアは、エリーシアの背を押して、走るように促した。
「早く行きなさい!」
ドラゴンが、向かってくるのを確認すると、エレノアは、両手を前に突き出し、詠唱すると右手の指輪が白く輝き始めた。
「ここに、聖なる守護の盾、ホーリー・エスカチェオン!」
すると、エレノアの前方にドラゴンの巨体を覆うほどの光のバリアが展開された。
聖魔道士が使う神聖魔法が発動したのだ。ドラゴンは、勢いよくそれに激突するが、ビクともしなかった。
エレノア・アシュレイは、聖魔道教国ワルキューレ(聖魔道教団)の聖魔導士であった。主君であるアーシア最強の魔女マリー・ノエル・ワルキュリアから実力を認められた魔導士だ。ドラゴンを倒せないまでも、エリーシアが逃げるための足止め位はできると思っていた。
「命に代えても
エレノアは、必死に魔道具である右手の指輪を通して大きな魔力を発していた。魔道具を通してとはいえ、エレノアは相当な魔力を使えるようだ。
「お母さん!」
しかし、エリーシアは、まだそこから逃げていなかった。
「何をしているの!早く行きなさい!ここは・・。」
ズドド-ン!
エレノアの作った光のバリアに、再度ドラゴンが先ほどよりも勢いよく突進してくると、エレノアが動揺したためか、光のバリアが壊されてしまった。
「しまった!」
エレノアは、急いで再度詠唱し、両手を前に突き出し、光のバリアを展開する。
しかし、すぐにドラゴンが突進してきた。
効力が弱かったためか、ドラゴンの突撃による衝撃に耐え切れず、光のバリアは破られ、エレノアは、遠く弾き飛ばされた。
「キャーッ!」
身体は、転々と転がり、止まった。そして、必死に身体を起そうとして、エリーシアの方を向くと、エレノアは、苦痛の中に言葉を振り絞る。
「エ、エリ・・。に、逃げて・・」
そこに、ドラゴンが立ちふさがり、動けなくなったエレノアを摘まみ、目の前に持ってくる。
『人間ごときが、我の邪魔をしおって』
グシャリッ!
クリムゾン・ドラゴンは、エレノアを握りつぶすと、その亡骸を地面に捨てた。ドラゴンの手からはエレノアの血が
「お、お母さん・・」
その一部始終を見ていたエリーシアは、膝から崩れ落ち、顔面を両手で覆う。
「イヤーーーッ!」
灰色の円らな瞳からは大粒の涙が流れ、止めども無く溢れる。
そんなエリーシアの気持ちなどお構いなく、クリムゾン・ドラゴンが、エリーシアにゆっくりと近づく。
『
例の直接、心に語りかけるような籠ったドラゴンの声だ。
「よくも・・。よくも・・。お母さんを!」
やはり、エリーシアは普通の少女ではなかった。あまりにも強い悲しみの感情が、矛先を見つけるや、やり場のない大きな怒りへと変換された。
その時だ。エリーシアの
《汝、
ドラゴンの声とは違うもっと上からの声がエリーシアの中で響いた。
「わたしは、わたしは、あれを、
エリーシアが叫ぶ!
《よかろう。受け取るがよい。それが汝の
その時だ、エリーシアの身体から一瞬白い眩い光が迸ると、彼女の身体を淡い光が包んでいた。そして、エリーシアの灰色の瞳は、
『こ、これは・・』
クリムゾン・ドラゴンは、一瞬、驚いたようだったが、すぐに不敵な笑みに変わったようだ。
『ふふふ、その力だ、我らが欲していたのは・・』
クリムゾン・ドラゴンは、エリーシアの傍までくると、エリーシアを掴もうと手を伸ばした。エリーシアは、その手をすり抜け、ドラゴンの目線の高さまで飛ぶと。右手から白色の光弾を放った。光弾は、ドラゴンの顔に命中し、ドラゴンをよろめかせる。エリーシアは、さらに電撃の矢をその手に作りだし、ドラゴンに投げつけると、ドラゴンを刺し貫いた。
「グウォーーッ!」
クリムゾン・ドラゴンの体内を電流が循環、感電し、ドラゴンは堪らず崩れ落ちた。
『お、おのれ・・』
しかし、これらの攻撃もクリムゾン・ドラゴンには、あまり効果はないようだ。クリムゾン・ドラゴンは、上空に飛び立つと、激しい炎を吐き出しながら、エリーシアに接近する。吐き出された炎が、エリーシアを襲うが、エリーシアを覆う光のヴェールに食い止められた。
「お前は許さない!よくも、お母さんを!」
エリーシアが叫ぶと、エリーシアを覆う光のヴェールが一瞬で広がり、ドラゴンを包み込んでいく。ドラゴンの吐く炎をはじき返し、逆にクリムゾン・ドラゴンは自分の吐いた焔に包まれた。
「グウォーッツ!」
自らの焔に焼かれ、堪らず、クリムゾン・ドラゴンは、落下した。
ズドドーン!
ドラゴンは身体を焼かれながらも起き上がった。
『よもや、小さきモノでありながら、すでにここまでの力を有していようとは・・。その力、あれに利用されれば、あの方の脅威となるのは必定。取り込めないのであれば、この場で始末するまで』
クリムゾン・ドラゴンは、大きく翼を広げると、纏わりついた炎を弾き飛ばし、飛び立った。周囲に炎の雨が降り、森に火が付いた。ドラゴンとエリーシアの周囲は、木々が燃え、炎に包まれた。少し離れたところのエレノアの亡骸も火に焼かれようとしていた。
「お母さん!」
エリーシアはエレノアの遺体の傍に降り立つ。氷属性の魔法を使うと、エリーシアの周囲から火が消え、周囲は氷付いた。
エリーシアは、無意識に数々の魔法を使っていた。魔導士であるエレノアから教わったこともなかったのに。ドラゴンの襲撃によるこの悲劇による心の過大な負荷が、エリーシアを覚醒させたのだ。
エリーシアは、見る影もない酷い姿となったエレノアを抱き起して、泣いた。
「ウワーン、ウワーン・・、お母さーん!」
大泣きするエリーシアの瞳の色は、金色から灰色に戻っていた。
彼女は、まだ8歳の少女だ。この現実を受け止めるには彼女はあまりに幼い。そして、彼女の
『遊びはこれまでだ。あの方のための贄となれ』
クリムゾン・ドラゴンは、エレノアの傍で泣いているエリーシアに空中から襲い掛かり、腕を伸ばした。
その時だ!上空の一点がキラッと瞬いたかと思うと、何かが
グサリッ!
エリーシアに伸ばしたクリムゾン・ドラゴンの腕が切断されていた。そして、地面には、一本の
「グガーーッツ!」
クリムゾン・ドラゴンは、堪らず大きな悲鳴を上げた。
そして、エリーシアとクリムゾン・ドラゴンの間に、眩い光を纏った剣士が舞い降りていた。
「て、天使さま・・」
少女の涙目でぼやけた瞳には、希望が見えていた・・・。
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