第35話 元カレも来た①

 

「何でお前がいるんだよ?」

 

 それはどちらが言った科白だろう。

 智樹も河村君も、どちらも同じように、お互いを嫌悪した表情で睨み合っている。

 河村君は隠しているようだったけれど、学生の頃から智樹を苦手にしていた。


 智樹もそんな河村君をあまり好きでは無かったようで……

 卵が先かの話なのだが、お互い距離を保って付き合っていたような二人だ。こうして顔を合わせれば、嫌悪感を露わにするのは寧ろ当たり前のように思える。


「智樹、何しに来たの?」

 河村君を睨みつけていた智樹は、私の声にはっと振り返って目を細めた。

「雪子」

 目が合うと嬉しそうに笑う智樹に内心で首を傾げる。


(何だろ……?)

 智樹がこんな風に笑いかけるなんて、あっただろうか?


(それに……)

 いつもどこか、穏やかな──余裕のある笑みだったのに。


(何かしら、随分と雰囲気が……変わったわ……)

 痩せたというか、やつれたというか……

 眇めた眼差しは、どこか険のあるようにも見える。


 以前は、その笑顔を見ては、幼馴染の愛莉さんの存在を感じて。寂しくもあったけど、智樹らしさを感じていたのに……


 馴染みのない彼の表情に戸惑いを覚える。

 ずっと見てきた元恋人が見せる笑顔に、違和感しか感じられないのだ。


(……何の用かしら)

 

 何故か胸がざわめいて、それを誤魔化すように腕を摩った。


 ずっと別の誰かを見ていた人。

 恋人になった時も変わらなかった。

 そして、だからこそ終わった関係。


 一度もこちらを見なかった人が、今更自分に向ける表情が、どうしてこんなに居心地悪く感じるのだろう。


「雪子、すまなかった」

 謝りながらこちらに踏み出す足に、身体がびくりと反応する。


「な、にが……?」

 喉の奥で引きつれる声を何とか絞り出せば、智樹は困ったように笑って、告げた。


「愛莉とは別れたんだ、だからもう一回やり直さないか?」


 心臓が嫌な音を立てる。


「何を言ってるのか、分からない」

 私は急いで首を横に振った。

 だってずっと、ずっと──

(見てくれなかったでしょう?)

 何で今更──


 意味が分からず混乱する私の身体をふわりと温もりが包み、智樹が眉を顰めるのが見えた。


「やめろ、三上さんが困ってるだろう」

 振り仰げば、河村君が私を抱え込むように両腕で包み、智樹を威嚇していた。

 一人で立っていなくていい事が有り難くて、つい涙ぐみそうになる。


「関係ないだろ、放っておいてくれ」

 河村君の発言を煩そうに拒み、智樹はもう一歩、こちらに踏み込んだ。

「こ、来ないで……」


 やっとの事で絞り出した声は震えていたけれど、その言葉の意味を理解したらしい智樹は一瞬ぽかんと惚けた顔をした。


「何だって?」

「やり直しなんてしない!」

 

 気付けば私は河村君の腕に縋り付くように立っていた。

 その様を見て智樹は得心したように声を上げて笑う。


「馬鹿だな雪子、そいつは俺が嫌いなだけだ。学生時代から何かとお前に構っていたのは、俺に対する当て付けだよ。

 何を言われたのかは知らないけど、そいつがお前を好きな筈無いだろう」


 容赦ない言葉が胸に刺さる。

 河村君の腕がぴくりと反応したけれど、それを抑えるように腕を握る力を込めて、声を発した。

「河村君とは友達よ! 変な言い方しないで!」


 叫び声に河村君の腕が僅かに強張った。

 言った言葉がブーメランになって胸に刺さるけれど、今は気にしてはいけないのだと自分に言い聞かせる。


「……河村君は関係無い。私はあなたとやり直す気はもう無いの」

 意味がわからないという風に眉を顰める智樹をじっと見つめる。


「好きになれないなら、付き合おうとしないで」

 溢れるように落とした言葉に、胸が軋んだ。


 好きだった、好かれたかったあの時の自分。

 いつも智樹を一番優先してきた時間は、結局全て愛莉さんのものだった。

 そうやって心を摩耗してきたのだと知った、あの時、私は自分の中に何も残らなかったような虚無感に襲われて。あの虚に今更水を掛けたところで、萎れた花は息を吹き返さない。

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