第18話 トラウマの強襲①
「あ、雪子さん!」
それは仕事帰りに不意に遭った事故のようで。
夕方から冷え込んでくる六月の終わり。
竦む身体に応えるように、鞄から下げた
少し鼻にかかる甘い声。
たたたと小走りに駆けてくる小柄な身体に、私の身体はぴたりと固まった。
先程職場で気付いた自分の気持ちと向き合う前に、再びトラウマを突きつけられた心持ちになる。
「……愛莉さん? どうしてここに?」
なんで私の職場なんて知ってるんだろう……
「だって智樹が話してた事があるもの。ねえ、雪子さん、智樹知らない?」
(智樹……何でも愛莉さんに話すのね……)
正直げんなりとしたが、けれどそれ以上に気になる単語に首を傾げた。
え、智樹?
「知らない、けど……智樹がどうかしたんですか?」
「家に帰って来ないの!」
叫ぶような声に、その内容に、ぎょっと身体が強張った。
「ええ?! 大変!! ……って、職場には……あ、ご両親や警察? ど、どこから連絡したらいいの??」
あわあわと焦る私に愛莉さんは白けた目を向ける。
「落ち着いて、仕事には来てるから」
「えっ」
そういえば二人は同じ職場なんだっけ?
目を白黒させる私に愛莉さんは腕を組み睨みつけてきた。
「あなたの家にいるんじゃないの?」
真っ直ぐに見つめる瞳に息を飲む。
(可愛い顔が怒りに染まると、こうなるのね……)
どうしていいか分からなくなる。痛くない腹を探られるというのは、こういう気分なのだろうか。
智樹とは会っていないと、きちんと否定しないと。
ぎゅっと口元を引き結べば、愛莉さんは片方の眉をぴくりと上げてみせた。
「あなた……智樹に何を言ったの?」
「えっ……」
僅かに低くなった声に、こちらの気勢が削がれてしまう。
どこか険を含んだ眼差しに、身体が強張る。
「智樹が帰って来ないのは、あなたのせいなんでしょう?」
「な、何を言ってるんですか? 愛莉さん!」
急いで言葉を紡げば、言い訳がましく聞こえるのは何故だろうか……
事実、愛莉さんはどこか確信を得た、そんな表情でこちらを見つめ返す。
「親友だなんて言い張って智樹に張り付いてた事、こっちはちゃんと知ってるんだから!」
「……」
……親友じゃなくて付き合ってたのだけど……
でも──
何故か言いたく無いと思った。
どうして私ばかり振り回されないといけないんだろう。余計な話をして拗れたら、二人の事情に巻き込まれて、また辛い思いをするだけじゃないか。
何より私がもう智樹を好きじゃ無いのだ。
二股なんて酷い事をして、何食わぬ顔で都合の良い環境を作り上げていて……こんなところまで……
(愛想も、尽きたわ)
だから、もう関わらないと決めて。肩掛けの鞄の紐をぎゅっと握りしめた。
「何の事ですか?」
はっきりと告げたその声は、けれど自分のものとは違い、低く良く通るそれで……
「河村くんっ?」
驚いて声のした方を向けば、神妙な顔の河村君が佇んでいた。
きっちりとスーツを着込んだ姿は初めて見る。
(いつも職場では上着は着ていなかったから……)
なんて場違いな感想でこっそり頬を抑えつつ。
つかつかとこちらに歩み寄る河村君に身体が強張った。
今更ながら、何故職場の近くから移動しなかったのだろう。行き交う人は自分たちに多少興味を持っていたようだが、少し顔を向けた程度で、誰も足を止めていく人はいなかった、から。
ただ何人かの男の人は、愛莉さんを見ては、見惚れた顔を向けては名残惜しそうに通り過ぎて……
漏れそうになる苦笑を飲み込んでみせる。
誰もがそうなのだ。だから、智樹だって……仕方がなかったのだろう。
今更ながら、付き合っていたあの頃、智樹の特別だと信じて浮かれていた自分が滑稽で仕方がない。
(いけない、それはもういいわ)
首を振り、気持ちを切り替える。
取り敢えず場所を変えなければ……
どう言い繕おうかと愛莉に視線を据えれば、こちらもまた、ぽーっと頬を赤らめていて……
河村に向ける眼差し。
先程まで感情が昂っていたせいもあるだろう。けれど目が潤み、頬の紅潮したその様子は、誰がどう見ても、恋する乙女の姿だった。
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