第4話 見慣れぬ景色


 薄桃色の花びらが散り、桜はひとつの季節を告げる役目を終えた。時は移り変わりを知らせようと、自然界の彩りを変化させる。桜は薄桃色から鮮やかな緑色へと装いを変え、その色は光に照らされて眩しく輝いている。

 道志キャンプ場は、新緑の季節を迎えようとしていた。

 和明は炭の熱を受けながら、額に汗して鉄板で肉や野菜を炒めている。史美や秀輝たちも各自分担で準備をしている。

 秀輝はノンアルコールビールを手に、片隅で食材の仕分けをしている俊一に近寄る。


「佐古さん。田原から聞きましたよ、婚約おめでとうございます。」

「あ、ありがとう。」


 俊一は振り返って、秀輝からノンアルコールビールを受け取った。


「田原、きっと佐古さんのいい奥さんになりますよ。」

「そうかなぁ・・・。」


 俊一は、和明の隣で料理をしている史美に目をやった。


「でも、まだ返事をもらっていないんだ。だから、いい奥さんになるかどうかは、それからだよ。」

「そ・・・そうなんですか。」

「断られるかもね。」

「大丈夫ですよ。きっといい返事が返ってきますよ。」

「そうだといいけど。」

「俊ちゃん、篠塚~。お肉焼けたよ~。」


 2人は史美に呼ばれて鉄板の側へ歩き出した。

 秀輝と俊一は箸を受け取り、鉄板の上に出来上がっている野菜や肉に手を伸ばす。眞江とその恋人である上尾伸次郎は、少し離れたところに腰を下ろし食事をしていた。

 秀輝は肉の焼き加減に注意を払っている史美に、ちょっかいを出そうと機会を伺っている。そして頃合いを見て、史美の皿から焼き上がっていた肉を掠め取った。


「あ、何すんのよ。」

「いつまでも食べないから、嫌いなのかと思ってさ。」

「最後に食べようと思ってとっておいたのに!」

「肉は冷めたら美味しくないだろ。」

「バカ!信じらんない。」

「お肉は焼いたらすぐに食べましょう。」

「ここのエリアから入らないでよね。」

「どこ?」

「ここから、ここまで。」 


 史美は空中に見えない線を引いて陣地を主張する。


「ふ~ん。」

「さぁ食べようっと。」

「はい、頂き!」

「何よ!」


 肉の取り合いという浅ましいやり取りが、史美と秀輝の間で勃発する。

 2人の様子を見ている俊一は、史美の隣で笑い転げている。和明たちは、いつものじゃれ合いが始まったと相手にしていない。


「だって食べ頃じゃん。はい、佐古さん。」

 秀輝は史美の前にあった肉を俊一の皿の上に乗せる。

「それ、アタシが食べようと思ってたのに!」

「へへへっ、早い者勝ちです。あーっ美味しいなぁ。」

「あっち行け。もう!」


 沙帆はじゃれ合っている2人の様子を、秀輝の肩口から見詰めていた。


“ ヒデ君の好きな人って・・・。”


 史美を見つめる沙帆の目が険しくなる。

 史美と秀輝は、そんな沙帆を尻目にじゃれ合いがヒートアップしている。秀輝は史美の両の頬をつまんで左右に引っ張ってからかっている。

 我慢できなくなった沙帆は、秀輝の肩を掴んで二人の会話に割って入る。


「ねぇヒデ君、それ食べたら上流のほうへ行ってみない?」


 突然肩を掴まれ驚いた秀輝が沙帆を見つめる。表情には出していないが、沙帆の瞳の奥には激しい嫉妬が宿っていた。

 史美は突然割り込んできた沙帆に驚き呆気に取られている。史美との会話に割り込まれた秀輝は、不意の出来事に戸惑ってしまう。


「えっ?ん、うん。」

「沙帆ちゃん、こんなヤツの側にいたら馬鹿がうつるよ。」

「んだとぉ!テメェ~!」

「ヒデ君、これ乗っけていい?」


 沙帆は2人のやり取りを無視して、鉄板の上に牛ロースを乗せる。


「あ、あぁ。いいよ。」


 これ見よがしに秀輝に擦り寄る沙帆を、史美は怪訝な表情で見つめていた。



※                 ※                



 食事も一通り終わり、各自適当にくつろいでいた。和明は晶と一緒に持って来たクーラーボックスの整理している。

 史美は飲み干した酒を捨てて新たに酒を取りにくる。


「田原、これ篠塚と沙帆ちゃんに渡しに行ってくれ。」

「うん。」


 和明からビール缶を渡され、史美は沙帆の所へ持って行こうと歩き出した。

 河原で遊んでいる秀輝と沙帆を見つけた史美は、2人のところへ駆け寄る。沙帆が甘えるように秀輝に体を密着させる姿が、史美の目に映り歩みをやめて立ち止まる。

 秀輝は周囲を気にしているようで、さりげなく沙帆から離れようとしていた。視界の隅に史美を捉えていた沙帆が、近寄ってこようとする姿を見て秀輝をその場から遠ざけようと手を引いて歩き出す。


「ねぇねぇ、向こうにも魚がいそうじゃない?」


 沙帆は強引に秀輝の腕を取り、上流へと誘い出した。



※                 ※                



 離れていってしまう2人を見て史美は、ビール缶を持ちながら和明の所へ戻ってくる。


「何だよ、渡して来いよ~。」

「だってどんどん二人で向こうへ行っちゃうんだもん!」

「追いかけろよ。」

「やだよ~、そんなに言うんなら和明が行ってきてよ。」


 和明は、食い散らかした食材の片付けをしている。


「俺は片付けがあんだよ。」

「アタシは、もうヤダからね。」

「じゃいいよ。しょうがねぇ。」


 和明は史美からビール缶を受け取り、クーラーボックスへ戻す。

 史美は、上流へ移動している秀輝と沙帆の背中を見詰めている。秀輝の側で子供のようにはしゃいでいる沙帆が、史美には鬱陶しくて堪らない。


「ねぇねぇ和明~。あの子、篠塚と付き合っているんじゃないんでしょ?」

「そうだよ。電話で話したろ、幼馴染だって。」

「うん。」

「明るくて可愛いし・・・いい感じの子だよなぁ。篠塚も、沙帆ちゃんと付き合っちゃえば良いのに。」

「えーっ!」


 突然大きな声を出した史美の声に驚いて、和明は飲んでいたビールにむせる。


「何だよ、いきなりデケェ声出すなよ。」

「だって、あの子。なんか感じ悪い!」

「どこが?」

「何もあんなにベタベタしなくてもいいじゃん。篠塚も何よ。別に付きっきりじゃなくてもいいじゃない。」

「良いじぇねかよ。ベタベタしたってよ。」


 沙帆を擁護する和明に、納得がいかない史美は口を尖らせている。


「好きなんじゃねーの篠塚が。」

「そうなの?」

「見てれば分かるだろ・・・田原も意外に鈍感なんだな。」

「そ・・・そんな事ないよ。」

「協力してやれよ。」

「何でアタシが・・・。」

「前から言ってたじゃねーかよ、早く彼女作れってさ。」


 “ 彼女”というフレーズが、余計に史美の心をざわつかせる。


「なーにカリカリしてんだお前。」


 残った食材を段ボールに詰め、和明は自分の車に運んで行く。


「カリカリなんかしてないわよ。」


 史美は遠くの方で肩を並べて佇む、秀輝と沙帆の姿をじっと見つめていた。



※                 ※                 



 秀輝は沙帆を自宅まで送るため車に乗せて帰って行った。16号線は横浜方面へ向かう車で渋滞している。

 火起こしや大量に買い込んだ食材等の運搬で、疲れ切っていた俊一は欠伸をしながらハンドルを握り運転をしている。

 帰路に就いた途端、史美は堰を切ったように喋り出す。


「俊ちゃん、篠塚が連れて来た子さ・・・。」

「沙帆ちゃんだっけ?」


 俊一が眠たそうに話す。


「あの子、どう思う?」

「どう思うって?そんなに喋っていないから。」

「あの子さ、アタシが篠塚としゃべっていたのに途中から遮るように入って来るんだよ・・・。」


 珍しく不機嫌な史美の様子に俊一は圧倒されていた。


「それからね、ずっと篠塚から離れないの。サーちゃんやアタシとは殆ど喋んないし・・・。」


 仲間たちと別れてからというもの史美は、車内でバーベキューでの不満を一気に俊一にぶちまけていた。


「別にいいんじゃない。」

「ハァ?何言ってんの!」

「何って?」

「そもそも、ああいう場ってさ。みんなでワイワイやるものじゃないの?」


 俊一は、鼻息の荒い史美に押されて閉口してしまう。


「サッサとアタシたちと離れてどっか行っちゃうし・・・。」

「二人きりになりたかったんだろ?」

「篠塚も何よ。ずっとあの子に振り回されちゃって・・・。」

「彼女、篠塚君が好きなんじゃないの?」

「えっ?」


 和明と同じことを言う俊一に、史美は戸惑い言葉が出なかった。そういえば秀輝が、自分たち以外の女と一緒にいるのを初めて見た。秀輝は女には縁がない男だと、史美は決めつけていた。いつも側にいた秀輝が、少しだけ遠くに感じてしまった。


「多分そうだよ。だから、そんなに怒らなくてもいいん・・・。」

「怒ってなんかないよ。」


 史美は短絡的に結論付けた俊一を睨んだ。


「何だよ。おっかねーな。」

「いいよ、もう!」


 史美は俊一に顔を背け黙ってしまった。俊一に悪気がないのは分かっている。むしろ、いつも一人でいる秀輝を気にかけてくれているのだ。秀輝には特定の彼女がいるわけではないから、沙帆の積極さを応援するべきなのかも知れない。

 そんな事は分かっている。分かっていても、何かが引っ掛かって納得出来ない。秀輝の手を引っ張って上流へと歩いて行く沙帆の姿が、脳裏に焼き付いてなかなか離れない。


“ 何なのよ。”

 

 俊一は不機嫌になっている史美の横顔を、運転に気を配りながら時折心配そうに見ていた。気まずさが漂う車内の雰囲気は、史美の家に着くまで消えることはなかった。



※                 ※                 



 同じ頃、秀輝の車も渋滞に巻き込まれていた。終始無言の車内にやたらとテンションの高いラジオパーソナリティの声だけが響いていた。

 沙帆は車窓の外の暗闇を見つめていた。 


「ヒデ君の好きな人って、あの田原さんって人でしょ?」


 長い沈黙を破って沙帆が口を開いた。


「何言ってんの。」

「・・・ずっと田原さんのこと、気にしてた。」


 秀輝は、すれ違う対向車のヘッドライトに目を細める。


「・・・ごめんね。なんか今日、アタシ嫌な女だったよね?」

「そんなことないよ。」


 秀輝の沙帆を労わる気持ちが痛かった。今日の態度は、自分でも最低だと思っていた。よくあるラブストーリーに出て来るワンシーンを、まさか自分がやるとは思ってもみなかった。

 史美の視線も終始感じていた。


「つまらなかったでしょ。ヒデ君の楽しみ取っちゃったから・・・。」

「そんな事・・・。」

「いいよ。無理しなくても・・・。」 


 車内での会話は、沙帆の家の前までそれだけだった。

 渋滞が続く道から脱し、日付が変わった頃、漸く沙帆の家に着いた。沙帆は運転していた秀輝よりも疲れたように車から降りる。

 沙帆は家の門の前で、立ち止まり振り返って秀輝を見る。


「アタシ、ヒデ君が好き。」


 沙帆は、それだけ言うと家の中へ入って行った。

 俯いたままの秀輝は、暫くその場から動くことが出来なかった。



※                 ※                 



 後味の悪いバーベキューが終わった翌日、史美は仕事が手につかず考え事ばかりしていた。

 考えないようにしようと思えば思うほど、秀輝と沙帆の事が頭にチラついてしまう。朝の職員会議でも独り言を注意された。


“ バカバカしい、アタシには関係ないじゃん。”

 

 冷静に考えれば、自分が沙帆の事で悩む必要はないのだ。秀輝の知り合いであって、自分の友人でもなんでもないのだ。しかし、暫くするとまたバーベキューでの2人を思い浮かべてしまう。


「せんせ~い、2時間目も算数なの~。」


 生徒に指摘され我に返ると、教卓にあるはずの教材が変わっていなかった。1時間目の算数のままだったのだ。


「せんせい、ずっと立ってたよ~。」

「ん?あ、ごめん国語だったよね。」


 チャイムが鳴り響く中を、慌てて職員室に戻っていく。

 史美とすれ違った同僚は、目を丸くしながら呆気に取られ見送っている。職員室に戻ると、池本が慌てて準備する史美を、厳しい顔つきで見つめている。


「もう次の授業が始まってしまいますよ。」

「はい、すみません。」


 史美は自己嫌悪に陥りながら、教材を両手に抱え職員室を出て行った。



※                 ※                 



 夕方の帰宅ラッシュの電車内、史美がつり革につかまり立っている。俊一と食事の約束をしていため、京浜東北線で横浜へ向かっているのだ。

 電車内を見渡すと、いつもよりカップルが多く乗っているように見える。人目につくように体を密着させているカップルが、今日はやけに目立って視線を送ってしまう。

 彼氏に甘い声で囁く彼女たちが、沙帆と重なり合って見えてくる。

 史美の視線に気付いた女が史美に見せつけるように男に体を密着させる。


“ 馬っ鹿みたい ”


 呆れるようにして史美は、カップルから視線を外した。

 とにかく胸の中のモヤモヤを発散したい。そんな日は、酒を飲んで心の憂さを晴らすのが、一番良いに決まっている。

 電車の窓に映る自分と目が合った。心の中にある醜い自分が映し出されている様で、史美は直ぐに顔をそらした。



※                 ※                 



 待ち合わせ場所である横浜駅の高島屋前に着いた。高島屋は横浜駅西口側最大の百貨店であり、東口にあるそごうと売り上げで競い合っている。その前にある駅前広場は、待ち合わせ場所として多くの人に利用されていた。

 行き交う人波の中に俊一の姿を追う。腕時計を見ると待ち合わせ時間に10分ほど早く着いていた。


「早く着きすぎたかな・・・。」


 携帯電話を取り出してバーベキューの時撮った写真を見つめる。

 その中に史美がカメラマンをして撮った写真があった。秀輝はカメラマンである史美に満面の笑顔で撮られているが、沙帆は一人秀輝の方を向いていた。その表情は、とても悲しく寂しそうだった。  

 史美は思いついたように電話をかける。


「夜分遅くにすみません。田原です。」


 電話に出たのは秀輝の母・伊久子いくこだった。


― あら、田原さん久し振り~、元気にしているの? ―

「はい、元気にしてます。おばさんは?」


 秀輝の母は幼少時の史美を知る数少ない人物であった。史美の母とも仲が良く、そのせいかよく可愛がってくれたのだ。


― まぁ、何とかね。でも、もうすっかりおばあちゃんね。―


 久し振りに声を聞いたというのに、史美は懐かしい気分に浸る間もなく沙帆の話を聞いた。


「あの・・・ちょっと聞いてもいいですか?花村沙帆さんって覚えています?」

― 花村・・・沙帆さん?―


 電話の伊久子は訊ねられても即座に答えられない。15年前のことを即座に答えろというのが土台無理なことだ。電話の向こう側で記憶を必死になって辿っている伊久子の姿が想像できた。


― あぁ、沙帆ちゃん!―


 漸く思い出した伊久子が、沙帆の名前を連呼する。


「思い出しました?」

― うん。前に住んでいたところにいた、近所の女の子よ。―

「どんな人なんですか?」

― どんな人ってね~、う~ん、いい子よ。優しくって明るいし。そう言えばあの頃、秀輝のお嫁さんになるんだぁなんてよく言ってたわね。―


 伊久子は昔を思い出して電話口の向こうで笑っている。


― でも・・・田原さん、よく沙帆ちゃんのこと知っているわね。秀輝から聞いたの?―

「いえ、あの・・・、この間、秀輝さんがバーベキューに連れて来ていて・・・、それで。」

― あ、そう。お付き合いでもしているのかしら・・・。―

「そうじゃないみたいでしたけど・・・。」


 史美は、自分でも信じられないくらいに即座に答えた。


― そうよね。あの子が、そんなモテるわけないものねぇ・・・。―

「そうですよねぇ・・・ハハハッ。あ、すみません。」

― 情けない話、そうなのよね。今度、秀輝に可愛い子紹介してもらえない?―

「そうですね・・・あ、あの~。ありがとうございました。また、今度お電話しますね。」


 史美は伊久子に何か後ろめたさを感じて、早々に携帯電話を切った。


“ アタシ、何してるんだろ。”


 衝動的に電話をしてしまった。秀輝の母に聞いたところで、何かわかるものでもない。今頃突然、電話したことを不審に思っているかも知れない。

 史美は、大きくため息をひとつ吐いた。

 俊一は待ち合わせ場所に立っている史美を見つけ、人混みの中を縫うように駆けて来る。


「ごめん、お待たせ。」

「あ、俊ちゃん。」


 史美の笑顔に覇気が感じられなかった。


「どうした?」

「別に・・・。何で?」

「いや、顔色悪いなぁって。」

「大丈夫だよ。早く御飯食べに行こう。」 


 史美の微妙な変化に気付いた俊一だったが、つまらない事で史美の機嫌を損ねたくはなかった。2人は雑踏の中へ消えていった。   



※                 ※                 



 横浜そごうの地下停留所からタクシーに乗ろうとした2人だが、モヤモヤした胸の痞えが消えない史美はタクシーには乗らず俊一とMM地区へ歩いて行く。

 高島水際線公園にたどり着いた2人は公園内を歩いている。海から吹く潮風が心地よく、園内は美しくライトアップされている。


「今度、また行こうな。」

「・・・うん。」


 一呼吸置いて史美は返事をする。


「何が一番美味しかった?」

「うん、全部。」

 それは気のない返事だった。

「全部?ハハハッ凄ぇな~。」

「そう?」


 考え事をしている史美は、俊一の話にも上の空で返事に気持ちがこもっていなかった。史美の変調に気付いた俊一が心配そうに顔を覗き込む。


「・・・どうかしたの?」


 視界に入る俊一に驚いて史美は我に返る。


「えっ?」

「何か考え事しているみたいだけど・・・。」

「ううん、別になんでもない。」

「ならいいけど・・・。」


 史美と俊一は公園内を歩いている。相変わらず史美からの会話はない。


「・・・そういえばさぁ。」


 沈黙が続く状況に耐えられなくなった俊一が口を開く。


「篠塚君と沙帆ちゃん、あれからどうなったかな?」


 俊一の話に反応して史美は顔を見つめる。沙帆のことは考えたくもないのに、俊一が二人のことを会話に織り交ぜてくる。


「知らない。」

「付き合えばいいのに・・・ねぇ。」

「俊ちゃん、それ本気で言ってんの?」

「えっ?」


 秀輝に早く彼女が出来ればいいと言っていたのは史美だった。秀輝を慕っている沙帆と付き合えば、史美の願いが叶うと思って言ったのだ。批判的な史美の目が、真っ直ぐ俊一を見ている。


「本気っていうか・・・。」 


 史美は踵を返して、そのまま無言で歩き出した。立ち尽くしたままの俊一を置いて、史美は歩く速度を速め歩いて行く。

 取り残された俊一は、史美の後姿を悲しげに見つめていた。



※                 ※                 



 食事を終えた秀輝は、自分の部屋でコンクールに応募するシナリオを作成していた。

 しかし、先ほどから全く進んでいなかった。パソコンを約2時間、凝視したままの状態が続いている。バーベキューの帰りに沙帆に言われた一言が、秀輝の頭の中を駆け巡りシナリオ制作を妨げていた。

 手が付かない自分にイラつき天井を見上げ大きく溜め息をついた。

 玄関のインターホンが鳴り、驚いてパソコンに表示されている時刻を見る。時刻は零時を過ぎたばかりだった。


「何だよこんな時間に・・・。」


 和明や尊が訪ねて来たと勘違いした秀輝は、舌打ちしながらドアを開ける。


「沙帆ちゃん!?・・・。」


 ドアの前に沙帆が立っている。秀輝は沙帆の突然の訪問に、唖然として立ち竦んでいる。


「来ちゃった・・・。」

「こんな時間にどうしたの?」

「おばさんに電話して住所を聞いたの。」


 沙帆を見つめる秀輝は黙ったまま立ちすくんでいる。


「・・・入ってもいい?」

「あ、ごめん。どうぞ。」


 沙帆を部屋に入れた秀輝は用意した座布団を居間に敷く。


「とりあえず座ってて。」

「うん・・・。」

「お茶でいいかな?」

「うん、何でもいいよ。」


 秀輝は、お湯を沸かしに台所へ向かう。


「ごめんね、いきなり来ちゃって。」

「ん?・・・。あぁ、別にいいよ。」


 沙帆は背を向けている秀輝を見つめている。


「この間は、ごめんね。いきなりあんなこと言っちゃって。」


 好きだと告白されても、今の秀輝には沙帆の気持ちに応えることは出来ない。沙帆自身もそれは分かっていた。


「でも、ホントのことだから・・・。アタシ、真剣だよ。」


 秀輝は湯を沸かしているヤカンを見つめたまま振り返らない。


「・・・ヒデ君、あの子には彼氏がいるじゃない。」


 無言のまま背を向けている秀輝に沙帆は必死に語り掛ける。


「加藤君から聞いたよ。田原さんは、佐古さんと結婚するって。」


 秀輝は依然として沙帆に背を向けままだ。


「ヒデ君がいくら好きでも、田原さんは何とも思っていないよ。」

「わかってるよ。」


 背を向けたままだが、秀輝は漸く口を開いた。


「えっ?」

「わかってるよ、そんなこと・・・。それでも・・・いいんだ。」


 沙帆には秀輝の気持ちが全く理解できない。


「どうして?結婚したら、田原さんは手が届かなくなるんだよ。」

「そういう問題じゃないんだ。」

「どういう事?」

「アイツしかいないんだ。」

「そんなにあの子のこと・・・。」

「ごめん、沙帆ちゃん。俺・・・。」


 秀輝は必死に何かを語ろうとするが言葉にならない。


「アタシ、諦めないから・・・。」

「沙帆ちゃん・・・。」

「ヒデ君の気持ちが変わるまで諦めない。」


 突き刺さるような沙帆の視線は、振り向かなくても感じることが出来た。沙帆もまた、秀輝の背中から漂う史美への思いを感じていた。

 その日、秀輝の部屋の明かりが消えることはなかった。


 

※                 ※                 



 仕事を終えた史美は、帰り道の国道を歩いていた。普段ならバスに乗って帰るのだが、今日は歩いて帰りたい気分だった。幹線道路である国道は、毎日のように渋滞している。歩いている間、バス3台を追い越した。

 スナック菓子の在庫がない事に気付いて、史美は途中コンビニに立ち寄った。国道沿いにあるコンビニには絶えず客が入って来る。買い物かごを手に取り、普段通り雑誌コーナーで足を止める。目的の菓子を買う前に気になる雑誌を立ち読みするのが、コンビニに立ち寄った時の習慣だった。棚の下の段に、結婚情報誌が数冊置いてあるのが見える。雑誌を手に取ると、結婚式のダンドリや、正しい式場選びの特集でいっぱいであった。しかし、沙帆の事が頭に過って情報が蓄積されていかない。

 雑誌の特集記事に飽きてきた史美は、何気なく視線を外の通りに向ける。国道を走る車は見えない糸に繋がれているように切れ目なく走行していた。流通の重要路線である国道は、大型トラックなど運搬車両も多く通行する。

 史美の視線の先に、秀輝と沙帆が肩を並べて歩いている姿が映る。史美は手に取っていた雑誌を元に戻し、コンビニでの買い物も忘れて2人の後を追った。


“ あの子、何でここにいるの?”


 2人に気付かれないように距離を置きながら歩く。秀輝と沙帆の間には会話は無いようで、互いに前を向いたまま歩いていた。

 秀輝と沙帆は互いに深刻な表情をして、バスの停留所で立ち止まった。沙帆は今にも泣きそうな顔をして秀輝に寄り添うように立っていた。

 暫くしてバスが到着し、沙帆は一人そのバスに乗り込んで行った。

通り過ぎてく車のライトが悲痛な表情の秀輝を映し出す。

“ 何があったの?”

 史美は飛び出して聞きたい衝動を抑え、家路へ歩き出す秀輝の後姿を見つめていた。

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