代行屋『ブラックドッグ』～偽善者は一人だけの英雄になりたい～

11－11

【前回のあらすじ】

“失われたリスト”を巡る事件のもう一人の生き証人、ムラカミ氏の助力を得て、ついに絵本の謎を解いたニコラスだったが、事態は好転しなかった。

長引く戦闘に、不足していく物資。27番地内の不安と不満は徐々に膨れ上がっていき――。

【登場人物】

●ニコラス・ウェッブ：主人公

●クロード：27番地住民、商業組合長

●デニス：27番地住民、輸送班所属

●サイラス：27番地住民、通信班班長

【用語紹介】

●合衆国安全保障局（USSA）

12年前の同時多発テロ発生直後に急遽設立された大統領直属の情報機関で、年々発言力を増している。現長官はアーサー・フォレスター。

●失われたリスト

イラク戦争中、国連主導で行われた『石油食料交換プログラム』を隠れ蓑に世界各国の大物たち（国連のトップ、現職の大臣、資本家、宗教関係者など）がこぞって汚職を行った『バグダッドスキャンダル』に関与した人物らの名が記されたブラックリスト。

このリストを公表するだけで、世界各国代表の首がすげ変わるほど破壊力を持った代物。『双頭の雄鹿』の資金源と目される。

現時点、証拠はすべて抹消され、証人もハウンドとシンジ・ムラカミだけとなっている。

●絵本

ニコラスがハウンドから譲り受けた手書きの絵本。人間に連れ去られた黒い子狼が、5頭の犬たちの力を借りながら故郷を目指す物語が描かれている。作者はラルフ・コールマン。

炙り出しで謎の文がページの各所に仕込まれており、それらを解き明かすと『証人はブラックドッグ』、『リーダーはアーサー・フォレスター』となる。

●《トゥアハデ》

『双頭の雄鹿』の実働部隊。世界各国の特殊部隊から引き抜いた兵士で構成されており、長のフォレスターが自ら選んだ幹部“銘あり”が数人存在する。

現時点で確認されている“銘あり”は『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』、『モリガン』、『ディラン』、『スェウ』、オヴェドの七名。

現時点（11節冒頭）で『キッホル』、『クロム・クルアハ』、『ヌアザ』の三名は死亡。

またなぜかオヴェドは名を与えられていない。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

　ムラカミ親子との通話から五日後、合衆国安全保障局（USSA）の宣戦布告から四週間。

「やっと落ち着いてきたな。毎日攻撃は相変わらずだが」

　地上のまだ生き残っている監視カメラ映像を覗きながら、ニコラスは無精ひげの生えた顎を撫でた。

　ここ数日、とある作戦計画の立案と準備で、身支度はおろか寝る間も惜しんでいた。

　真横で同じくPC画面をのぞき込んでいた野球帽の小太り中年、クロードが帽子を脱ぎ、また頭髪の少なくなった頭を撫でる。

「ああ。特区企業からの攻撃がほぼゼロになったのはありがてぇ。だが代わりに自爆ドローンの攻撃が増えてやがる。なんとかして対策打たねえと……」

「それについてはちょっと考えてることがある。少し待ってくれ」

「ほいよ。通信班はなんだって？」

「変化なしだそうだ。相変わらずシートを被ったまま、二等区の工場軒下にほっぽり出されてる」

「例の鷲通信が正しけりゃ、ロバーチが領内に置いてった武器弾薬って話だが。本当に大丈夫なのか？　あの鷲、あれ以来ぱったり来ねえぞ」

「罠だとしても行くしかねえだろ。こっちにはもう選択の余地がない」

　特区企業からの攻勢はほぼ収まったものの、戦況は依然と不利なままである。

　物資の不足、戦闘続きによる慢性的な疲労、終わりの見えぬ攻防。27番地の戦意は下がる一方だった。

　唯一の救いがあるとすれば、水だろう。

　以前からハウンド主導で取り組んでいた非常時の対策により、27番地の地下深くには一世紀前の上下水道が復旧完備され、街全体を循環している。

　今回の自爆攻撃で三割のダメージが出たが、飲料水と下水に困らないのは不幸中の幸いだった。

　クロードが帽子で顔をぬぐうように覆って、呻くように息を吐いた。

「わぁってるよ。けどこの空気、そろそろやべぇぞ？」

　クロードの親指がさす方角の先には、地下食堂があった。

　いつにも増して、険悪な空気が漂っている。

　雑談する者はほとんどおらず、スプーンとフォークが皿を搔く音だけが響いている。

　険しい顔で顔を寄せ合う大人たちの姿に、事情をよく知らない子供たちは困惑気味だ。夕飯も急いでかっ込んで、そそくさと退散していった。

「ごらんの通り、ガキどもにまで気を遣われちまってる。タイソンの野郎が、盗み聞きした挙句、内容ペラペラ喋るからよぉ。やっぱあの野郎、ちっとばかし絞めた方がいいんじゃねぇか？」

「駄目だ」

　ニコラスはきっぱり言った。

「規律と畏怖で統制を図るのもたしかに一つの手だが、俺には無理だ。ハウンドほどの凄みを出せない。今ここでタイソンを処罰しても、俺への反感が強まるだけだ」

　後任は前任と常に比べられるものだ。今の自分は、常にハウンドと比較される立場にある。

　ヴァレーリ一家前当主の暗殺、シバルバ一家との13日の攻防戦。ニコラスにはハウンドのような、聞いた者みなを震え上がらせるような経歴がない。

　中途半端なペナルティを課したところで、舐められ疎んじられるのがオチだろう。

「俺にはせいぜい、ハウンドが守ってきたもんを全力で守るぐらいしかできねえよ。そのために手段を選ぶ気はないがな。それに、タイソンたちの反発だってもっともだろ。俺みたいなのがトップじゃ、遅かれ早かれこうなっていたさ。謹慎と一時的な班長解任で十分だ。それ以上の処罰は必要ない」

「お前なぁ……！　お前はどうして、そう」

「おいおい、お前らまで喧嘩しないでくれよ」

　背後からの発言に、クロードがぐっと言葉を飲み込んだ。

「デニス」

「や、ニック、クロード。お務めご苦労さん。差し入れだよ」

　トレーを片手に掲げた青年はそう言って、にっこり微笑んだ。

　デニスは27番地では数少ない貴重な若手で、一年半前にミチピシから移住してきた住民だ。

　まだ30代前半ながら、輸送班第八チーム隊長を務める。歳が近いせいか、口下手なニコラスにもさりげなく雑談を振ってくれる、気のいい奴だ。

　ミチピシでの騒動（5-7、5-10参照）をはじめ、これまでの任務を陰から支えてくれた立役者の一人でもある。

「ギスりたくなるのは分かるが、お前らまで喧嘩はやめてくれよ。ここ数日、喧嘩の仲裁してばっかなんだ」

「喧嘩じゃねぇよ。ただ、こいつが」

「はいはい。コーヒーとチョコレート。ひとまずこれ食って落ち着きなって」

　デニスがトレーを自分たちの間に置いた。クロードは乱暴に頭を掻きむしると、

「わぁったよ。テメエらで好きなだけ話してろ」

　マグカップとチョコを引っ掴んで立ち去ってしまった。クロードが向かった先には店長がいた。

　ニコラスは溜息を堪え、額から顎へ顔を撫でおろした。

「別にクロードは、お前より店長の方が頼りになるから席を外したわけじゃないと思うぞ？　考えすぎはよくないって」

「……まだ何も言ってないが」

「はは、悪い悪い。ハウンドも言ってたけど、ニックって意外と分かりやすいよな」

　完全に見透かされて、ニコラスはコーヒーに逃げた。マグカップと湯気で顔を隠しながら、再び食堂を一瞥する。

「タイソンは、他の輸送班の連中はどうだ？」

「大丈夫……って言いたいところだけど。やっぱ不満たまってる。特にクロードがさ、今回の件にはだいぶブチ切れてたから」

「クロードは輸送班班長も兼任してるからな」

「うん、そう。今は、クロード派とタイソン派で輸送班が二分しちゃってる。これまでクロードに不満持ってた連中が固まった感じかな」

「そうか。苦労をかけるな」

「俺は平気だよ。どっちの気持ちも分かるしね。その、前に送り付けられたハウンドの拷問動画あったじゃん。あれ、クロードもタイソンも、どっちもショック受けてたから」

　ニコラスはマグカップに目を落とした。

　27番地にある役職の中でも、輸送班はハウンドとの繋がりが強かった。

　物流の要であり、特区内外の仲介業務を一大産業にしていた27番地にとって、輸送班の存在は非常に重要だった。

　ハウンドも輸送班からの要望には最優先で取り組んでいたし、輸送班もまた『六番目の統治者』に頼りにされていることを誇りとしていた。

　そんな彼らが、ハウンドが捕らえられ、弄ばれる様を見て、動揺しないわけがない。

「後任が頼りねえ奴ですまねえな」

「まさか！　ニックはよくやってるよ。それに俺ら、軍事のことはマジで素人だし」

「俺だって素人とそう変わらねえよ」という言葉を、ニコラスはぐっと飲みこんだ。

　元軍人とはいえ、ニコラスが経験した階級は一等軍曹までだ。小隊規模の指揮が関の山、27番地のような数千人単位を動かすのは初体験である。

　所詮は一狙撃手、上級士官レベルの指揮には程遠い。それでも他の人間よりは知っているからやっている。

　そんな泣き言を、一住民であるデニスに話すわけにはいかなかった。

　せっかく励ましにきてくれたのに、どうにもならないことを嘆くてことさら不安にしたくはなかった。

「てかニック寝てる？　いつも隈すごいけど、いつにも増して隈すごいよ。不眠症なんだっけ？」

「いや、忙しいから寝てないだけだ。今後の作戦準備もあるし……」

「30分でもいいから寝てきなよ。ぶっ倒れる方がまずいって。……あ。すまん、コーヒー」

「いい。ちょうど眠気覚ましがほしかったんだ」

　申し訳なさそうな顔のデニスに、「あとでちゃんと寝るから」と手を振る。

　しかしデニスの表情は曇ったままだ。これは何か頼んだ方が、気が紛れるだろうか。

「もし余裕があったら、ジェーンたち年少組の様子みてきてくれないか？　ジャックたち年長組は任務に参加してるから、俺でも様子を見れるんだが、年少組はもう長いこと地下に籠りっぱなしだろ」

「ああ、そっか。あの子ら、ずっと厨房で店長の手伝いしてばっかだもんな」

「ああ。脚気になったら大変だから、これまで安全な時だけ入口付近で遊ばせてたんだが、ここ最近は手が回らなくてな」

「遊びなしで地下に籠りっぱなしじゃ気が滅入るよな。分かった。時間あったら、俺が遊んでくるよ」

「助かる」

「けど地下での遊びってなると……うーん。年少組ってちっちゃい子だと四、五歳ぐらいだよな？　絵本でもあったら読み聞かせでもするんだけど」

「あるとしたら、あの例の絵本ぐらいしかないな。証拠品だから渡せないが」

「敵も狙ってるもんな。今はニックが持ってるのか？」

「ああ。そこのガンケースの中にな。別に疑ってるわけじゃないんだが」

「分かってるって。地下って基本みんな大部屋で雑魚寝だし、こんな状況でも食料盗んでる奴いるみたいだし。そのぐらい厳重にしておいた方がいい」

「そうだな」

　デニスを見送って、ニコラスは木箱から地べたに腰を下ろした。ガンケースを脇に置き、背を地下水道の壁に預け、目を閉じる。

　カフェイン摂取後で眠れはしないだろうが、休むに越したことはない。それに、眠れなくとも目を閉じるだけで、睡眠の七割程度の休息が取れるものだ。

　そんなことを考えながら、ニコラスは目を閉じた。

　しかし思った以上に疲労が溜まっていたらしい。ものの数分で、ニコラスの意識は下へ下へと転がり落ちていった。

　＊＊＊

「――きろ、起きろ、ニコラスッ！！」

　ニコラスは飛び起きた。

　腕時計を見れば、なんと二時間も眠っていた。これまでの疲労がたたったか。

「すまん、クロード。今日の敵はどこからだ？」

　顔を撫でながら立ち上がるが、返事がない。

　ふと視線を上げると、クロードが見たこともないほど険しい顔で重々しく口を開いた。

「敵は……H4ブロック、北西エリアからだ」

「H4？　ターチィ領方面のエリアは、罠と監視カメラで厳重に固めておいたはずだろ。これまで敵が索敵してきた形跡も――」

「ああ。ご丁寧に道案内してくれる、裏切者でもいない限りな」

　息をのんだのは一瞬だった。

　何が起こったかなど、考える間でもない。ついに起こった。

「……タイソンか。連絡手段になりそうなものはすべて取り上げたはずだったんだがな」

「ああ、俺も確認したさ。けど実際に今こうなってる」

「H4の状況は？」

「最悪だ。敵の攻勢に合わせて、ターチィ方面の一部の守備隊が一斉に蜂起しやがった。外と内から挟まれて逃げ場がねえ。タイソンの野郎とその取り巻きもトンズラこきやがった」

「H4ブロックの守備隊を、輸送班中心に固めたのは失敗だったな。俺の落ち度だ。――サイラス！　H4守備隊と連絡は？」

　ニコラスの叫びに、通信班長のサイラスがイヤホンに手を当てたまま振り返る。額にいくつもの玉汗がにじんでいた。

「取れるぞ！　部隊長が戦死して副隊長に指揮権が移ってはいるが、まだ統制は取れてる」

「じゃあ裏切者どもを外へ通してやれ」

「なっ、見逃すのか！？」

「いいや。敵と合流したところを叩く」

　地下水道の出入り口は、偵察衛星やドローン対策にすべて建物の屋内に設けている。

　そして、H4ブロック方面の出入り口は、すべてデトロイト美術館に通じている。

「敵の侵攻に備えて美術館内は至る所に罠を仕込んである。敵にしてみても、大勢が展開するにはあそこは狭すぎる」

「ああ、そうか。出入り口は館内の映画劇場だったな」

「劇場内は万が一の際に立て籠もれるよう要塞化しておいた。今回はその要塞を、敵をぶっ叩くための囲い罠として使う。各部隊、俺の指定したポイントで待ち伏せろ。裏切者どもの尻を小突き回してやれ」

「了解！」

　サイラスをはじめ、それぞれが意気軒高に動き始める。対して、ニコラスには一つの懸念があった。

――問題は、大人しく連中が馬鹿正直に美術館に入ってきてくれるかどうかだな……。

　敵、トゥアハデとて馬鹿ではない。相手の勢力下にある入り組んだ建物に突入する危険性は、重々承知しているだろう。

　となれば無理に突入はせず、ヘリでの近接航空支援かドローン攻撃で、奇襲を仕掛けてから突入してくる線も十分あり得る。

　なんなら空軍の助力を得て、精密爆撃を行ってくる可能性だってあるのだ。

　――自分が指揮官ならそうする。なにより今のUSSAには、それができる。

　その場合はどうするか、と考えていた時だった。

「っ、すまない、もう一度頼む。……はあ！？　んな馬鹿な話があるか！　ちゃんと探したのか！？」

　サイラスだった。彼はイヤホンに片手を添え、死人同然の顔で弾かれたように振り返る。

「非戦闘員を避難誘導中だった班からの報告だ。子供たちがいない」

「は？」

「子供たちだ、年少組の子。さっき厨房で昼食の片づけを手伝ったのを最後に、行方が分からなくなってる。今さっき、ルカたち年長組が気付いて、急いで探してるって……」

　ニコラスはその言葉を最後まで聞かなかった。動脈に氷水を流し込まれた気分だった。

　――「もし余裕があったら、ジェーンたち年少組の様子みてきてくれないか？」――

　――「ああ、そっか。あの子ら、ずっと厨房で店長の手伝いしてばっかだもんな」――

　携帯電話でデニスの名を探してコールするが、当然つながらない。

「おい、デニスを見た奴はいるか！？　なんでもいい、最後にどこで見かけたか、分かる奴を探してくれ！」

「わ、分かった」

　サイラスが全住民への通信回線を開くのを横目に、ニコラスはガンケースに飛びついた。

　嫌な予感がした。

　ジッパーを勢いよく開け、手で掴んで割くように開く。

――絵本が、ない……！！

　念入りに照準調整したM24ボルトアクション銃の下に、厳重に布でくるんで忍ばせていた。

　その布が、中途半端に広がって銃の上に被さっていた。

「おい、ニコラス！　デニスの奴、持ち場に戻ってないそうだ。それと、これ。奴さんの寝床にあった荷物だそうなんだが……」

　クロードが息を切らして手に持ったナップザックを差し出した。中を開け、ニコラスは言葉を失った。

　見覚えのある青いキャップのプラスチック瓶。

　特区に来て間もなくの頃、ニコラスがよく処方してもらっていた、睡眠導入剤だった。

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本職の勤務時間の増加により、誠に勝手ながら、次回から二週間おきの投稿とさせていただきます。

毎度ながらお待たせして申し訳ありません。更新が遅くなっても、最後まで走り切ります。

次回の投稿日　10月18日（金）午前6時