1-6

「おい、大丈夫か?」


 ニコラスは裏戸前の人だかり、少年団が囲む中央で頭を抱えて蹲るジェーンに声をかけた。

 ジェーンは「ごめんなさい」と譫言うわごとを繰り返すばかりで、こちらの声は届いていないようだ。裏戸の外からは、クロードを筆頭に客たちが心配そうな顔を覗かせている。


 その場を代表し、クロードが尋ねる。


「おいニコラス。さっきのいけ好かない野郎は誰だ?」


「ジェーンの父親だ。恐らくな」


「……もしかしてTPか?」


 TP――毒親(toxic parents)、すなわち虐待親のことだ。

 「恐らく」とニコラスが頷くと、住民は悲憤を湛えた眼差しでジェーンを見下ろした。


 ニコラスは小脇に抱えていたモッズコートをジェーンに被せ、そっと抱きかかえた。


「俺は『オースティン』に向かう。詳しいことは隙見てハウンドに聞いてくれ。あの男、どうもきな臭い感じがする」


「そりゃ臭えだろうなぁ。最近稀に見るクソ野郎だぜ、ありゃ」


「さっきのあれ見てすぐに察したよ。ニコラスも鼻っ面ぐらいへし折ってやれば良かったのに」


「……そうだな。次はパンチ以上にキツイのお見舞いしてやるさ」


 クロードとルカの言葉を背に、ニコラスは震えるジェーンを抱え、『BROWNIE』を後にした。




 ***




「落ち着いたか?」


 こくりと頷くジェーンに、ニコラスはやや険しい顔を崩した。


 煙草屋『オースティン』に着いた二人は、店の裏戸近く、バックヤードに腰を下ろしている。『オースティン』の女店主とうちの店長は付き合いが長い。

 ゆえに、こうした有事の際の避難所&合流ポイントとして選ばれたのである。


「……聞いてもいいか?」


「(コクッ)」


「さっきの男、あれが父親か?」


「(コクッ)」


「あいつに痛いことされたりしたか? 殴ったり蹴ったり」


「………………ママがいなくなってから、ひどくなったの」


「……朝、うちに来たのは逃げてきたのか?」


「パパが車止めた時に。ドアのカギ開いてたから……」


「そうか。よく頑張ったな」


 こういう時に陳腐な台詞しか出てこない自分の口下手さには腹が立つ。

 しかしもう限界だったのか、ジェーンは全身を震わせながら泣き出してしまった。迷ったニコラスは、彼女の小さな背中を撫でてやった。そのぐらいしかしてやれない。


 と、そこに『オースティン』の女店主ことマダム・アンデルが現れた。


「ちょいとアンタ、なんで地べたなんかに座らせてるんだい? そこに椅子あるんだからそっちに座りな」


 言葉は刺々しいものの、マダムの両手には湯気の立つマグカップが握られている。匂い的にココアだろうか。


 若い頃は手厳しい女教師でしたといった風貌の彼女は、今年68歳になる老婆だ。気難しく口うるさい婆さんではあるが、こういう時の対処は早い。


 そんなマダムは気遣いと同情を覗かせつつも、かなり苛立っていた。


「詳しいことはあまり聞かないけど、しばらくここで大人しくしてな。表に顔出すんじゃないよ」


「何かあったのか?」


「新参者のギャングだよ。いま表に来てるんだ」


「またか。今日多くないか?」


「それなりにデカいグループの暴力団(ギャングスタ)かもしれない。しかも今回のは質が悪いよ。今朝もごみ収集屋のクロードとやり合ったらしいんだ。撃退したらしいけど。その意趣返しか知らないが、あっちこっちで暴れまわってるんだよ。いま住民総出で迎撃してる真っ最中さ。お宅の狼嬢ハウンドは――」


 何かが盛大に割れる音が老婆の言葉を遮った。直後に追随する哄笑を聞くなり、老婆は甲高く舌打ちを鳴らすとマグカップを置いて踵を返した。

 そんなマダムに続きニコラスも立ち上がる。


「アンタは――」


「手伝う。婆さん一人じゃ手に負えないだろ」


「そりゃもちろん助かるけど……」


 マダムはちらりとジェーンを見下ろした。ニコラスはしばし逡巡し、ジェーンの前で膝をついた。


「ジェーン、ちょっと待っててくれ。すぐ戻るから」


 ジェーンはフルフルと首を横に振り、震える手でニコラスのワイシャツを掴んだ。


 ニコラスはあの少年の手を思い出した。爪を全て剥がされたボロボロの小さな手を。己を見上げる静謐な深緑の双眸を。


 『お久しぶりです、英雄ヒーロー


 心臓を鷲掴まれる感覚に喉を詰まらせた。


 違う。俺は英雄なんかじゃない。

 俺のせいでみんな死んだんだ。あの時、俺が見捨てていれば。あの時、奴隷を見棄てて逃げていれば、親友も部下もみんな助かったんだ。


 あの時、奴隷もお前も、助けなければ――。


 『ずっとお礼が言いたかったんです』


 止めろ。


 『あの時は助けてくれて、ありがとうございました』


 止めてくれ。


 俺は、


『ひとりにしないで』


 目を落とせば、少年が縋りついていた。

 泣いていた。


 ニコラスは顔を上げた。

 目の前には、あの子と同じように泣きじゃくる子供が縋りついていた。


 自嘲に歪みそうになる表情筋を制止し、ニコラスは口を開いた。


「大丈夫だ。俺が必ず守ってやる。良い子で待ってられるか?」


 心にもない言葉に吐き気がする。必ず守るとなぜ言えるのか。親友も部下も守れなかった男が、助けなければよかったと悔いる大人が、一体なにを守るというのか。


 しかし、ジェーンは素直に頷いた。頷いてしまった。ニコラスは頭をくしゃりと撫でると立ち上がった。


 いいさ。どうせ俺は偽善者だ。


「で、どいつから片付ければいい?」


 指を鳴らしながら尋ねると、事情の知らないマダムは「やれやれ」と溜息をついた。それがありがたかった。




 ***




「なるほど。娘さんの捜索ですか」


「はい。ちょっと目を離した隙にいなくなってしまって。よく言い聞かせてはいたんですが……」


 先ほどの尊大な態度と打って変わり、涙目で訴える男をハウンドは冷ややかに見つめていた。嘘泣きで潤んだ瞳は大した役者ぶりだが、小刻みに揺れる爪先が男の苛立ちを如実に表している。


 ハウンドはテーブルの上にある名刺に目を落とした。


 ―― 株式会社 トリックスター精工 最高経営責任者CEO アッシュ・ライリー ――


 御大層な肩書だが、トリックスター精工といえば、倒産したリベラルモーターズ社の下請け会社で、自動車の部品製造に携わっていた地元企業だ。


「しかし驚きました。まさかトリックスター精工のCEO自らお越しいただくとは。そういったのに疎い私ですら知っている企業ですからね」


「おや、ご存じでしたか」


 ハウンドが褒めると、ライリーはすぐさま演技をやめ、得意満面の笑みを浮かべた。


 爪の甘い男だ。だがハウンドは話に合わせることにした。先ほどの相棒の借りがある。


「では五年前はさぞ大変だったでしょう」


「ええ。まさかリベラルモーターズが潰れるなど夢にも思いませんでしたからね。噂ではあの五大マフィアが暗躍したとかなんとか。下請けだったうちもあおりを受けて倒産しかけましたが、この五年で何とか立て直しましたよ」


「今後は特区で活躍されるおつもりで?」


「はい。特区は合衆国の法規制に縛られない経営ができる場所ですから。流石は『真に自由な街』だ。税金も払わなくていいし、何より労働基準法を守らなくていいのがいい。好きなだけ利益を追求できる。特区は経営者にとって夢のような国ですよ。五大マフィアに頭を下げなければならないのが腹立たしいですが」


「確かに。しかし、長く使うのであれば多少は労働者に配慮すべきでは?」


「労働者?」


 ライリーは鼻で笑った。


特区ここにいるのはでしょう。犯罪者に配慮する必要がどこに?」


「……犯罪者が多いのは確かでしょう。ですが言い切るのは暴論では? 棄民のほとんどは移住してきた失業者です」


「棄民? ああ、あの五大に上納金も払いもせず居直った馬鹿どもですか」


「払わなかったんじゃなく払えなかったんですよ。払う金があるなら特区なんかに来てないんですから。彼らには特区にしか居場所がない」


 マスメディアを始め国民は棄民を「自ら市民権を棄て、マフィアに与した愚か者」と評したが、ハウンドはこう思っている。


 だと。


 五年前の金融危機以降、膨大な失業者を抱えたアメリカは、特区を失業者向けの雇用対策地として喧伝した。結果、200万人近くの失業者が家族を連れて特区へ移住した。それが実質的な口減らしであったことは、誰の目にも明らかだった。


 同胞たる合衆国民の大半はそれに目を瞑った。

 なぜか? 自分の今の職が失業者に脅かされるのは嫌だったからだ。


 そんな国民の一人、ライリーは傲慢な態度を崩さなかった。


「それはそれまで稼げなかった彼らの努力不足、ただの自業自得です。努力もせずに結果だけを求めるのは居直り強盗と同じ、人間として恥ずべき行いですよ?」


「ではあなたは努力をしてこられたわけだ。表のカマロ、素敵ですもんね」


「ええ。六年前に買ったんです。少し流行遅れですが自慢の愛車ですよ」


「そうですね。あなたがのもその頃でしたか」


 ライリーの顔が笑ったまま歪に硬直する。

 この時、ハウンドもようやく営業スマイルを脱いだ。


「あなたのことはよ~く存じております、ミスター。労働者に無断で五大マフィア御用達の幽霊会社ゴースト・カンパニーに事業譲渡した挙句、工場も土地ごと売り払った改そうですね? うちの27番地区の住民にあなたの工場で働いていた者がいましてね。聞いたら一発でしたよ」


 男、アッシュ・ライリーの素性はすぐ判明した。

 なにせ、27番地区で五大マフィアに徴集された棄民の一割近く、彼らの元勤め先の工場の持ち主がライリーだったからだ。労働契約を無断で改竄され、マフィアの所有物となった彼らの多くは、五年経った今も帰ってこない。


 アホらしくなったハウンドは敬語も投げ捨てた。


「外資系企業を隠れ蓑にしていた五大マフィアはアメリカに十分な土地を持っていなかった。連中は国から奪われない自分名義の土地が欲しかった。だから連中は土地を買い漁り、多くの企業が喜んで売った。特権層の『特区市民』になれると焚きつけられてね。――アンタもそうして唆されたうちの一人だろ?」


 ライリーの表情から笑みが消えると、あとに残ったのは恥辱と憤怒だ。

 けれどハウンドは語るのをやめない。


 棄民を大量に生み出した『特区就職支援制度』は、現代に復活した奴隷制度そのものだ。特区へ追いやられ、市民権すら失った失業者は棄民と名を変え、今も特区の支配者層たる五大マフィアと特区市民に搾取され続けている。

 奴隷制度を排したアメリカで再び奴隷制度に近しいものが生まれるとは、なんたる皮肉だろうか。それとも、最初から排されてなどいなかったのか。


「知ってるか? 特区が設立されて以降、合衆国内で逮捕される犯罪者の七割が特区出身の棄民だ。五大に連行された連中の末路さ。連中は、特区外に出られない五大の代わりに動く働き蟻だ。それ以外は海外に飛ばされる。家族を人質に取られて、下手すりゃその家族すら働いてる間に売られてることもある。逆らえば即死刑。殺されるか、バラされて人体パーツを闇市場に流されるか。女は特に悲惨だな。15歳以上はすべからく徴収対象だったし、死んだ後も映像媒体で残るからな」


 27番地で連行された棄民は2004名。うち生きて帰ってきたのは半数に満たない。

 残り1065名は行方知れずのままだ。生死すら定かではない。


「そうして棄民が稼いだ金は五大の懐へ流れ、そのおこぼれを特区市民が受け取るって寸法なわけだが……その様子だとおこぼれすらもらえなかったか。どう見てもアンタ羽振り悪そうだもんな~、六年前の車をまだ乗り続けてるし。特区市民にもなれず、土地と工場は安く買い叩かれ、アンタは一文無し。挙句に特区から追い出されたってとこか。自業自得の棄民? そりゃ、欲に目が眩んで自分の財産をドブに棄てたアンタのことか」


 パンッと乾いた音が響く。


 ハウンドに平手打ちをかましたライリーの顔が愉悦に歪む。こうやって弱い者に暴力を振ることで、己の自尊心を確立してきたのだろう。ジェーンのように。


 だが生憎と、代行屋『ブラックドッグ』は弱者ではなかった。


 ハウンドはこてんと小首を傾げると、ゆらりと立ち上がった。

 感情を全て排した表情は人形の如く。漆黒の双眸が放つ眼光は、月光に煌めく銃剣の切っ先をそのもの。


 そこに、陽気で小生意気な少女はいなかった。少女の皮を被った得体のしれない何かが立っていた。

 黒妖犬ブラックドッグを目の当たりにしたライリーは凍り付いた。


「失せろ。ジェーンは渡さん」


 ジェーンという言葉にライリーの硬直が解ける。青くなったり赤くなったりと忙しい顔だ。


「やっぱりここにいたのか、あの屑が。今まで誰が育ててやったとっ……!」


 そう言うなり突如、ライリーは怒号をあげた。


「来いっ!!」


 玄関が乱雑に蹴り開けられ、大量のならず者がなだれ込んでくる。それなりに選りすぐったのか、みな大柄で筋骨隆々としている。特に、真っ先にライリーへ駆け寄った筋肉だるまがやけに目立つ――あ。


「誰かと思えば今朝のフライパン男じゃん。また来たの」


「見つけたぞこのアマ、俺を散々コケにしやがって……! あのニガー(黒人の蔑称)はどこだ!?」


「ニガー? ああニコのことか」


「しらばっくれてんじゃねえ! うちの副隊長と参謀をやりやがって! 必ず後悔させてやるぞ!!」


 B級映画の悪役が言いそうなセリフを喚いた筋肉だるまは、ライリーとそっくりな醜悪な笑みを浮かべている。どうやらライリーは最初から新参者の暴力団ギャングスタを護衛に雇っていたらしい。


「娘とこの女を捕えろ! 生かしたままだ、俺がこの手で調教してやるっ!!」


 傲慢に怒鳴り散らすライリーをよそに、ハウンドは落ち着いて店長を振り返った。


 一ミリも動揺することなく凛と立つ老紳士は、いつの間にか店内にあった酒瓶やグラスなどの割れ物類をカウンター下に片づけていた。相変わらず用意周到で助かる。


「少し暴れます。下がっててくださいね」


「あまり無茶はしないように」


 シフトを週六に増やしますと言った時のような悠々とした声。それを皮切りに、暴力団が一斉に襲い掛かった。


 ハウンドはこきりと首を鳴らした。

 さて、仕事の時間だ。

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