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「……おまたせ! ちゃんと話せたよ!」


 弛緩していた凪の意識にマナの声が飛び込んできた。


「ああ! よかったね。向こうはなんて?」

「なんかね」マナが笑顔で話す。「この辺りは本当の隠れ家じゃないみたい。人の受け入れ時はトラブルが多いから、念の為にこういう窓口をワンクッション挟んでるんだって」

「なるほど、用心深いな」


 トラブル──尾行の存在に気づかないまま受け入れ場所に来てしまうケースなどを警戒しているのだろうか。


「今から迎えに来てくれるって。結構時間がかかるから、到着までこの教会でのんびりしててくれだってさ」

「わかった」


 そう返事をした後で、徹夜明けの眠気をようやく自覚した。マナを無事にここまで送り届けることができてホッとしたからだろうか。


「ちょっと寝ておこうかな」

「うん。おやすみ」

「おやすみ」


 腕を組み、顔を伏して目を瞑る。

 窓からの日差しが暖かい。風の音がする。


「ねえ、凪くん」


 マナが小さな声で呼びかけてきた。


「ん?」


 先程のやりとりで何か話し忘れたことでもあったのだろうか。


 目を閉じたまま、彼女の言葉を待つ。


 耳に意識が向く。風に揺られる木々のざわめきが聞こえる。木漏れ日ようにきらきらした、優しい音。建物の周囲を取り囲む緑の匂いまでもが、香ってくるようだ。


 マナも同じようにこの穏やかさを感じているのだろうか。彼女は今、どんな表情をしているのだろう。



「──ありがとう」


 彼女はチカと同じ声の響きで、そう言った。


     *


 扉の開く音がして、浅い眠りの中にいた凪の意識が再び鮮明になった。


 自分はどれぐらい寝ていたのだろう──目を開けて入口の方を見る。


 その人物は今まさに堂内へ入ろうとしているところだった。

 男だ。歳は三十代後半ぐらいだろうか。この暑さにも関わらず長袖のジャケットを羽織っている。バイクか何かで来たのだろうか?


「あの……こんにちは」マナが立ち上がって声をかける。「鑑さんですか? 私がマナです。さっき話したときと姿は違いますが」


 入ってきた男の左手に携えられていたものを視認した瞬間、緊張が走った──猟銃だ。


「まったく……」男が切れ長の鋭い目でマナを睨みつけて言う。「引き渡し場所に無いと思ったら、こんな所まで移動していたのか」


 嫌な予感がする──立ち上がり、マナを体の後ろに隠す。


「えっ何凪くん。どうしたの?」彼女は突然の振る舞いに戸惑っているようだった。


 男が鋭い視線をこちらに向ける。


「君は人間だな。どいてくれ、それを処理しないといけないんだ」


 その口ぶりに、予想が確信に変わっていく──こいつ、晴香がマナを引き渡そうとした相手なんじゃないか? どうしてここがバレたんだ? これまでの事は、全部罠だったのか?


 凪は男の狐のような目と睨み合ったまま動けなくなった。

 服の背中を掴むマナの手が震えている。彼女もこの状況の異常さに気づいたようだ。


「……そうか」男はイヤーマフを装着しながら話を続ける。「君は櫻井君の協力者だね。丁度良かった」


 ここで晴香の名前──やはりそうだ。

 男が猟銃に手をかけた。黒光りする銃身が持ち上がり、窓の光をギラリと反射する。


「このセンサー網から外れた場所なら、人ひとり透明にするのは簡単だ」


 こちらを向いた銃口と、目が合った。

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