第98話 苦行の進軍

1945年6月5日


 敵艦隊の上空にへばりついていた90機程のF6Fは陸軍の「疾風」隊の奮戦によってその脅威が取り除かれようとしていたが、「疾風」隊も新たに現れた70機のF6Fには対応することができずにいた。


 その結果、1機艦から発進した「彗星」隊が激しい攻撃に晒されようとしていた。


「うまくないな」


 第1次攻撃隊の艦爆隊指揮官を務める永野久少佐は、非常によろしくない今の現状にたいして思わず舌打ちをした。


 永野が率いる艦爆隊は基地航空隊・母艦航空隊の混合で編成されている第1次攻撃隊の最後尾につけており、まだ敵艦隊を視認していない。


 そのような状況にも関わらず艦爆隊の周りにはF6Fが飛び回り、艦爆隊に対して攻撃を仕掛ける機会を伺っていた。


 艦爆隊の前方でも1機艦所属の零戦33型とF6Fとの空中戦が始まっていた。


 零戦はその持ち前の機動力と33型になって大幅に強化された最高速度を活かして、右へ左へと飛び回り、巧みにF6Fの射弾を空に切らせる。


 F6Fの射弾を躱した零戦は即座にF6Fの背後を取り、20ミリ機銃を発射しF6Fに引導を渡す。


 母艦航空隊では割合が大幅に少なくなってしまったベテランによって操られた零戦が左ひねり込みによって一瞬にしてF6Fの搭乗員の視界から消える。


 しかし、零戦33型よりも総合性能では僅かに上回っているF6Fも零戦を排除すべく怒濤の攻めを展開する。


 零戦の直上から嘲笑うかのようにF6Fが12.7ミリ弾を浴びせ、命中した射弾が零戦の搭乗員を射殺する。


 零戦の背後を取ることに成功したF6Fが猛速で零戦との距離を縮め、零戦の後部に12.7ミリ弾の投網をぶちまける。


 1機のF6Fを撃墜するという戦果を挙げ、搭乗員の心に隙が空いていた零戦の正面から別のF6Fが射弾を撃ち込む。


 永野の視界に入るだけでも3機のF6Fと4機の零戦が次々に火を噴いて、空中から消えた。


 味方の戦闘機が何機落とされようが怯む零戦・F6Fはいない。零戦はF6Fから艦爆隊を守るために、F6Fは日本軍の攻撃隊から自分たちの艦隊を死守するためにお互いに必死なのだ。


 零戦の妨害を突破した一部のF6Fが艦爆隊に向かってきた。


 迫り来るF6Fに対して艦爆隊は緊密な編隊を維持しつつ、「彗星」の機首に2丁が装備された7.7ミリ機銃で懸命の反撃を試みる。


 しかし、非力な7.7ミリ機銃では弾幕射撃を行ったとしてもその効果は限定的であり、F6Fは迫り来る銃弾を払いのけるようにして突っ込んできた。


「各機、機体を振って躱せ!」


 永野は「彗星」の機上レシーバーを通して指示を伝え、操縦桿を右に左に倒した。


「彗星」の機体が左右に揺れ、F6Fが放った12.7ミリ弾を紙一重のところで回避していく。


 永野機の後ろに飛び去ったF6Fに対して、後部の機銃が発射された。


 永野とペアを組んでいるのは広田浩一少尉。トラック沖海戦で99艦爆に搭乗していたときからの付き合いであり、その腕には永野も十全の信頼を置いていた。


 広田が放った12.7ミリ旋回機銃がF6Fに命中していると信じたいところではあったが、激しい攻撃に晒されているこの状況下でそんな余裕はない。


「獅子谷機被弾、工藤機被弾!」


 広田が後続機の損害を知らせる。おそらく先程永野機に襲いかかってきたF6Fが銃撃を浴びせたのだろう。


「敵艦隊発見、先頭に位置する基地航空隊所属機攻撃を開始しそうです!」


 この時になってやっと艦爆隊は敵艦隊を視認する事が出来たのだ。


 艦隊までの距離が近いということもあってF6Fは執拗に食い下がってくる。


「山本機被弾、佐藤機被弾!」


 「彗星」1機が被弾する度に空中に火災炎が出現し、辺り一帯が明るくなる。


 正式採用されたときには「零戦21型、32型甲を上回る高速力を持ち、500キログラム爆弾を搭載する事ができる傑作機」として99艦爆に代わる新たな主力艦爆の座に着いた「彗星」が500キログラム爆弾を敵艦に叩きつけることも叶わないまま1機、また1機と台湾沖の空に散っていく。


 艦爆隊96機中20機以上を失ったところで敵機の動きに異変が生じた。このタイミングで手空きになった陸軍の「疾風」が零戦隊の加勢に回り、母艦航空隊の負担が軽減されたのだ。


「『A1』だな」


 永野が右前方の海面を見下ろした。


 何条もの航跡が永野の視界に入ってきた。


 その中で平べったい長大な甲板を持つ大型艦が3隻、巨大な主砲を構えている大型艦が1隻、その周囲を多数の巡洋艦・駆逐艦が固めている。


 そしてその上空に多数の攻撃機が米艦隊を包み込むかのように散開しつつあった。


「基地航空隊の指揮官は頭が切れる方のようだな。この状況下であえて基地航空隊・母艦航空隊との同時攻撃をしようとするとは」


 どうやら先に敵艦隊の上空に到達したはずの基地航空隊所属の攻撃機はそのまま攻撃を仕掛けることはせずに、母艦航空隊の攻撃機と歩調を合わせるために暫く散開しつつ空中待機していたのだろう。


 母艦航空隊の到着を確認した基地航空隊が突撃を開始した。


 この攻撃によって米艦隊にどれほどの打撃を与えられるかで、今後の運命が変わる重要な局面だった。

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