第二十八話「PADDLE」

                ◇


 本番当日。本番直前。

 ライブ会場である体育館にはもはや全校集会ってくらいの人数が集まっていた。ステージ上では三好先輩たち三年バンドがスタンバイを始めている。周りを見渡すと、私服や他校の制服を着た人達の姿もちらほらと見られた。前々から宣伝してはいたらしいけど、ハルシオンの人気たるや恐るべし。


「うっへえ。やっべえ。あの人数の前でやんのか……」

「燃えてきましたね」


 体育館の入り口付近。扉の中を覗いてビビっている俺の横で、響はニヤニヤと笑っている。


「……はあ。なんかアタシも急に緊張してきた」

「五十嵐さん、ファイト。音無さんは大丈夫? 緊張してない?」

「全然」

「おお。さすが」

「別に。当たり前だろ」


 体育館の扉を開け、振り向きながら音無さんは言う。

 

「――私が一体、何年女子高生をやってると思うんだ?」


 か、……カッケェ。

 いや冷静に考えたら全くかっこよくねえ。何をキメ顔で言ってんだこの人は。

 全員で笑いをこらえながら、音無さんを先頭にして体育館の中へと入る。


「ん? あ、舞子先輩! 居ましたよあそこ! かぁあああえで先ぱあああい!」


 するとそこに、ぞろぞろと、なんだか派手な髪色をした私服の女子達が続々と集まってきた。なんかどっかで見覚えが――ああそうか。ヴィクトリカの人達か。


「何でここにいるんだ、お前ら」

「何でって、アンタが高校生に混じってライブするって聞いたから、面白そうだなって思って」

「誰から聞いた?」

「え、それは響くんから」

「ちょっ、と舞子さん! それ言わないでって」

「……へえ」

「あ、ちょっとオレ用事思い出した。それじゃ先輩、舞台袖で会いましょう」


 じり、と音無さんが詰め寄ろうとしたところで響は人混みの中に消えていく。


「そういや、……」


 辺りを見回す。流石に親は来てないみたいで一安心。あそこに居るのは――水無瀬と安藤か。一成もいっしょに居るな。いや、今はそれよりも。


「あ」


 居た。割とすぐに見つかった。

 帽子被って黒ぶち眼鏡かけて、変装してるつもりか何なのか。でかすぎるタッパのせいで群衆の中から頭一つ飛び出ている。――智也。


「……よう。来やがったなこの野郎」

「……テメーが来いっつったからだろ」


 俺が声を掛けると智也は仏頂面のままそう答える。


「ちゃんと最後まで見てろよ? この俺の晴れ舞台を」

「……は。どうだかな。つまんなかったら帰るだけだ」


 それだけ言葉を交わした後、智也は群衆を堂々と掻き分けて最前列を陣取りに行った。


「……お前ら。いつの間に仲直りしたんだ?」


 鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、五十嵐が声を掛けてくる。


「いやしてねえよ。絶賛仲違い中だ。ただ……」


 あの事件を通じて、智也と二人きりで話す機会があった。何であの時俺を庇ったのかとか、色々話し込んでる内に、あいつとの確執は、ライバル同士だって約束したのに、俺が勝手に一人で野球をやめちまったのが始まりってことに行き着いた。

 だから俺は改めてあいつに宣戦布告した。あいつは甲子園優勝、俺は全国大会優勝。どっちが先に目標を叶えるかって勝負。野球と喧嘩じゃもう敵わねえけど、俺達はライバル同士だとかそんな馬鹿げた事を俺は言って――あいつは呆れながらも、その勝負を受けてくれた。


「……何にやついてんだよ。気持ち悪いな。結局どういうことなんだよ」

「はっは。まあ細かいこた別にいいじゃないですか。さっさと控え室で準備しよ」

「ああ!? なんだよそれ! おい! 待てってば!」


                 ◆


「音無さん」


 ようやくあいつらから解放された直後、一ノ瀬がおずおずと声を掛けてきた。


「頑張ってね。私も下で、ちゃんと見てるから」

「ああ」

「……じゃあ、私はこれで」

「一ノ瀬」


 とぼとぼと去って行く小さな背中を呼び止める。

 そして、振り向いたところを抱きしめた。


「え、……え!? どうしたの音無さん」

 

 私もよくわからないけど。さっきしょんぼりしてたのがかわいかったから。

 ふた月前はこんなことになるなんて想像もしていなかった。今回の事は、高宮に巻き込まれたのもあるけど、きっと一ノ瀬の影響も大きい。初めて昼休みで言葉を交わしたあの時に、ずっと止まっていた私の時計が動き出したんだと思う。

 舞子達だけじゃない。おまえも、私の大切な友達だ。


「……ありがとう。行ってくる」


 そう言った後、ぽんと一ノ瀬の頭の上に手を置く。


「……うん!」


 頷いて去って行く小さな姿を見送った後、あいつらの待つ舞台袖に向かう。

 さあ、そろそろ時間だ。


               ◇


 ついにハルシオンの最後の曲。体育館の熱気は最高潮に達していた。天井まで揺らすような観客の喝采がびりびりと腹の底に響き、身震いを起こす。思わず中学時代の記憶が脳裏に浮かび、俺の心臓がツーバスドラムでリズムを刻み始める。


(落ち着け、落ち着け、落ち着け……)


 人という字を書いては飲み込む無限ループを繰り返していた、その時。


「……っ痛え!?」


 後ろから背中をぶっ叩かれた。

 振り向くとそこには、棒付き飴を咥えた仏頂面の音無さんが立っている。


「最後までちゃんと立ってろよ、フロントマン」

「……は、い!?」


 また背中を叩かれる。

 振り向くとそこには余裕に微笑む響がそこに立っている。


「ぼーっとしてると、オレが主役食っちゃいますよ。先輩」

「……ひび、き!?」


 今度は後ろから尻を蹴り上げられる。

 振り向くとそこには眼つきの悪い五十嵐が立っている。


「カッコつけろよ。ロックスター。お前は昔から、それしかねえだろ」

「カズキ……」


 今の三連打ですっかり不安が吹き飛んでしまった。

 そうだ。俺はもう独りじゃない。

 決して独り善がりなんかでは済まされない。

 これから始まるのは、俺達みんなの闘いだ。


『――! ――!』 


 ステージ上ではハルシオンが出番を終え、拍手の嵐が巻き起こっている。ここから一度幕が降り、俺達は機材のセッティングを済ませなければならない。だから何か話せるのはもう今の内。考えるよりも先に俺は右手を前に突き出していた。


「うわ。やるんですか、そういうの」

「いやいや、やるだろ普通。こういう小さい積み重ねが大事なんだって! 昨日読んだ小説にも書いてあったし!」

「ほんっとお前すぐ何かに影響されるよな。……まあいいけど」


 俺の翳した手の上に五十嵐、響、音無さんの手が重なっていく。

 息を吸って、思い切り俺は叫んだ。


「ぶちかましてやろうぜ! The Rock Study!」

「おおおー!」「かかったなアホ共が!」


 掛け声が重なった瞬間に俺は右手を引き抜き、思い切り上から叩きつけた。

 べちん、と。一番上に重なっていた音無さんの手の甲が鈍い悲鳴をあげる。


「あっ……」


 無言で自分の手の甲を撫でながら、音無さんは俺を静かに睨みつける。


「あーあ。知ーらね」

「先輩。生きてたらステージで会いましょう」


 俺と音無さんだけをその場に残し、二人は幕の下りたステージ上に出ていく。


「……まだ、ステージが怖いか?」

「……。正直、まだちょっと怖いです。音無さんは?」

「……見てみろよ」

「……ん? うわ!?」

 

 ジャージから抜き出した手は、小刻みに震えていた。さっきからあんだけ平気そうな顔してたのに。なんつうポーカーフェイスだ。


「だ、大丈夫すか。俺が言うのもなんだけど」

「別に。ライブ前は昔からこうだし」

「そ、そうなんですか?」

「うん。……でも、もう飽きたよな、こういうのも」

「え?」

「何かにビクついて小さく縮こまってる。本当は、そんなことしたくないのにな」


 震える右手を握りしめ、音無さんは肩から提げたギターの弦に左指を這わせる。 

「なあ、高宮」

「はい」

「どいつもこいつも、私達を取るに足らない存在だと思ってる。を持った時の、私達の怖さを知らないんだ。――いい加減、お前も我慢の限界だろ?」


 顔を上げ、音無さんは俺にピックを握りこんだ拳を突き出してくる。


「だから、演るぞ。私達の音で全員、ぶっ飛ばしてやろう」

「……ッはい!!」


 俺の返事に微笑むと、音無さんは颯爽とステージの上に出て行った。


「高宮」

「三好先輩」


 振り向くと、ハルシオンの面々がそこに居た。みんなネクタイが乱れ、髪が汗で濡れている。いつもはあんなに涼し気な人たちも、ライブの後にはこんなことになるのか。全力を出し切った、そんな印象を受ける。


「……お前の番だ。がっかりさせるなよ」

「……はい。まあ、見ててくださいよ!」


 自信満々に俺がそう言うと先輩たちは嬉しそうに微笑んだ。俺もニヤリと笑い返し、ステージの上に駆けていく。ボーカルマイクの前に立ち、深呼吸をした後、ぐるりとみんなと目を合わせた。――十分だ。もうここに足りないものはない。


 さあ行こう。全員で踏み出そう。

 長い道のりの、本当に長かった俺達の一歩目を。


                

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