第三話「深夜高速」
「……、っ」
だけど、そこで止まった。
首輪を両手に掴んだまま、耳に流れていた曲が終わる。
不気味なほどの静寂と、身をよだつ寒気が襲ってくる。
「……、ふっ、くく」
そして、変な笑いが零れ出た。
だって震えが止まらなくて、視界が涙で滲んでいたから。
頭の中で、こんな時にだけ。弟の顔とか、飼ってる犬とか。嫌いになる前の母親との思い出とか。小さい頃から今までの、幸福な記憶ばかりが浮かんでくる。
そんなこと、もうずっと忘れていたのに。
「――はは、」
何をやってるんだろう私は。馬鹿丸出しじゃないか。
いや実際、馬鹿なのか。
だって、今更気づいたんだ。
何もできないヤツは――死ぬことすらできないんだって。
※■※▲☆■●※~▲▲※■※~
「……っ!?」
その時、不意に。奇妙な高い音が廃墟の外で鳴り響いた。
驚きのあまり、私は足を滑らせてコンテナから落ちる。
自分でも呆れるくらい、しっかりと首輪を払いのけた後で。
(……なんなんだ、いったい)
周囲を見回す。誰の姿もない。でも変な音は聞き違いじゃなくて、今も何処からか鳴り続けている。ひどく途切れ途切れの高い音。よく聞けばそれは曲、なのか。下手すぎて分からない。
だけど何の音なのかは分かった。ハーモニカの音だ。最悪な事に、何故かそれは段々とこっちに近づいてくる。――まずい。こんなところ誰かに見られるわけにはいかない。大急ぎでギターケースを抱え、ひとまずは大きな機械の後ろに身を隠す。
そして、そいつは現れた。
調子はずれの、クソみたいな音色を奏でながら。
背格好からするに、男。
黒のサングラスと黒の革ジャンとボロいジーンズを身につけてギターケースを背負っている。二昔前くらいのロッカーみたいなダサい格好だった。
私は直感した。
あれは、――
見た目からしてもう、やばい。間違いなくヘンタイだ。朝四時にあんな格好してこんなところに来るって時点で神経がどうにかしている。何一つ理解できないし理解したいと思えない。私の存在に気づいているのかいないのか、そいつは部屋の中心で立ち止まったまま、手にしたハーモニカで拙い演奏を続ける。
(……?)
良く聞けばその曲は、どこかで聞き覚えがある気がした。
本当に下手すぎて何かわからないけれど、もう少しで何か分かりそうな。
(……ああ。あれか)
そしてやっと気づいた。呆れるくらいに真っ直ぐなメロディー。一回しかない大サビの部分。それは日本のバンドなんてほとんど知らない私でも知っている有名な曲。
ブルーハーツの、情熱の薔薇だった。
「……ふう」
演奏を終えて一息つくと、そいつは私がさっきまで足場にしていた箱の上に座りこんだ。恐らく頭上にあるロープにも、私がここに居ることにも気づいていない。
(なんなんだ、あいつ?)
よく見れば、まだ年若い奴のようだった。髪の毛は茶色く、いやに前髪の長い、いかにも日本のバンドマンっぽい風貌をしている。
まさか、ここを練習場所にしているんだろうか。ふざけるな。さっさと帰れ下手糞。何でよりにもよって今日、ここを、この時間を選んだんだ――!
「……よし。じゃあ、今日もテンション上げていきますかァ!」
更に、嫌な予感は的中した。アコースティックギターを取り出してチューニングを終えたそいつは、下手糞なハーモニカを奏でながら、マイナーコードを鳴らし始める。……何なんだこの状況。死にに来たのに何でこんな奴の演奏会に付き合わなきゃならないんだ。歯噛みをしながら私はイヤホンを耳に突っ込んで、自分の音楽プレイヤーを弄り始める。
だけど、耳に飛び込んできたその声に思わず指が止まった。
少し力任せな、だけど心地よい響きを持った真っ直ぐな歌声。
歌詞はおぼろげにしか聞き取れない。ブルーハーツの曲ではない、気がした。
だけどその言葉の一つ一つが力強くて、そいつの声がやけにでかい事も相まって、胸を衝くような迫力がある。
そして気づけば私は、そいつの歌に聞き入っていた。ハーモニカは耳を塞ぎたくなるくらいに下手糞だったのに、――思いの他そいつは歌が上手い。
全然知らない曲。ただ、そのゆったりとした哀愁が漂う曲調から思い浮かぶのは、真夜中の街灯の下をひっそりと歩くような静かな情景。夜空を見上げながらとぼとぼと歩く、どこか諦めたような背中。それに、――何故かひどく覚えがあるような。
(……ああ)
それは私だった。ここ最近の、死に場所を探して当てもなく夜を彷徨う自分の姿。
馬鹿馬鹿しいことに、私はそいつの歌に自分自身を重ねてしまっていた。
酷い、不覚。――しかもそれはとんだ勘違いで。
曲の中の登場人物は豹変する。重ねていた自分の姿が、一気に引きはがされる。
それは恐らく、その曲のサビなんだろう。
夜空に向かって吼えるように、泣き叫ぶように。そいつは高らかにその言葉を叫ぶ。何度も何度も、星を落とすような激しい声で。
――生きていてよかった、だなんて。
よりにもよって今、私が一番聞きたくなかった言葉を。
拳を握りしめる。爪が食い込むくらいに。身体が熱くて、たまらない。
悔しくて、いたたまれない。知らない奴に指差されて、笑われてるような。
そんな苛立ちが込み上げてくる。
「……っ!」
やり場のない気持ちが暴発し、背を預けていた機械を思い切り殴りつけてしまう。車のボンネットを叩いたような音が響き、茶髪はハーモニカからファーと間抜けた音を漏らす。
「えぇ!? ちょ、な、何!? 今のなんの音!?」
――ああ。くそ。やってしまった。
「だ、誰かいるのか? いやーまさかそんなわけねえよな……はっはははは……」
口元を拭い、大きく溜息をつきながら、もぞもぞとポケットの中を探る。
無性にあのくそまずい煙草が吸いたくてたまらなかった。だけど既に残っていなかった事を思い出して、舌を打つ。
「ははは……ん?」
軽薄に響いていた声が突然、青ざめる。
奇妙に思いながら私はそっと様子を伺った。
そいつはサングラスを外しながら、その二つを交互に見つめていた。
鉄骨に吊るされたロープ。そして、自分が座っていた箱の姿を。
「……いや。待っ……な、なんだこれ? こんなの前来たときはなかっ……って、ちょ、えええ!? 何!? 誰ぇー!? きゃああああ! いやあああ!」
急に隠れているのが馬鹿馬鹿しくなって、堂々と姿を現して入口へ向かうと、そいつは情けない悲鳴を上げながらのけぞる。
入口までたどり着いたところで、私は一度後ろを振り返ってみた。背負ったギターケース越しに、呆然と立ち尽くすそいつと目が合う。幽霊でも見たような顔をして、口をぽかんと開けている。サングラスの下の顔はまだあどけない。黒の革ジャンも、ボロボロのジーンズも、まるで似合っていない。
――やっぱり。何かと思えば、ただのガキじゃないか。
口元を歪めて、自分を嘲り、私は黙ってその場を立ち去る。
「ぎゃ、ギャアアアアアアアアア!!」
背後からそんな悲鳴が響いた気がするけど、もうどうでもいいことだった。
ただ今は朝日がやけに眩しくて、ぜんぶ馬鹿馬鹿しくて。早く家に帰りたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます