第79話 益荒男(ますらお)と手弱女(たおやめ)

 口の悪いものは軍務省長官ヴァレリア・ベルモンド枢機卿すうききょうのことを、


「ただ権力のイスに座っているだけの女」


 と陰口かげぐちをたたく。


 実際のところ、彼女は細剣レイピアひとつ握ったことがない。

 よろいを着たこともない。


 彼女のこなす職務の九割は執務室でおこなわれる。

 ほとんどが書類決済と騎士団長への個別指導だ。


 先代の長官のように大軍の前に立ち、猛々たけだけしい演説をさけんだりはしない。

 やったところでかの貴婦人の体力では、れつの二人目か三人目までしか声が届かないことだろう。


 そんなわけで、ヴァレリア・ベルモンドというご婦人はバリバリの戦闘職人たちからはまるで人気がない。

 命をかけて戦う益荒男ますらおたちの頂点に立つのが楚々そそとした手弱女たおやめでは、どうにも気合がのらないのだ。

 どうもその、


「気合がのらない」


 というのも込みで、彼女が軍務省長官に任命されたような気配まである。


『あの野蛮人どもは、むしろ女に相手させた方が大人しくなるかもしれない』


 と、非力な聖職者どもが小賢こざかしくたくらんだのではないか、と。


 事実として、東西南北そして中央をそれぞれ守る五大騎士団長たちは、教皇から任命されてきたこの貴婦人のあつかいに困り、悩み、そしていきどおっていた。


 一番極端に変わった点は、出陣の時にかけられる言葉だ。

 これまでは、


「神のため、民衆のため、勇敢ゆうかんに戦って死んでこい!」


 と怒鳴られてきた。

 それがおとこの生き様。

 騎士に甘えは不要。

 戦友たちよ漢の美学に酔いながらともに死出しで旅路たびじをゆこう。

 それで良かった。それが良かった。

 

 ところが今は。


「皆さんの無事をお祈りしておりますよ」


 と微笑ほほえまれてしまう。

 時には柔らかくて生あたたかい手で握手をもとめられる。


 むちを欲しているときに愛を与えられてしまうわけだ。


 厳父げんぷ慈母じぼの違いに、戦歴数十年のベテランたちは脳みそをグラグラ混乱させながら出陣するはめになってしまったのである。


 さらにはやれ「守護機兵の定期メンテナンス項目を増やしましょう」とか。

「健康診断を実施して心と身体をすこやかにたもちましょう」とか。

 あげくの果てには「食事のまえには手を洗いましょう」とか「寝る前に身体をきれいにしましょう」とか……。


『あんたいつから俺らのママになったんだよ!』


 などと、中高年のオッサンたちはまるで思春期の少年のように苦しんだものであった。

 しかしこんなことを周囲に愚痴ぐちっても、


「今までのお前らがおかしかったんだ。

 ちゃんと風呂フロくらい入れ」


 と言われてしまうだけ。

 すべてはパフォーマンスの低下をふせぎ、無用な死傷者をへらすため。

 やまい蔓延まんえんをふせぎ、戦力の低下をふせぐため。

 しつけのなっていないクソガキあつかいされるのがイヤなら、子供みたいなだらしない生き方を改善するべきなのである。


 ……という理屈を『理解』はできても、『納得』はできないというのが大人のプライドの厄介やっかいなところ。

 その厄介さを凝縮ぎょうしゅくしつづけてきた結果が、今日のこの事態なのかもしれない。





 軍務省、軍本部指令室内。

 今ここは『聖エウフェーミア女学園占拠立てこもり事件』の対応に追われていた。


教皇きょうこう聖下せいかと軍務省長官猊下げいかの連名をもって、悪魔ディアブル討伐とうばつの大遠征をおこなうと宣言すること』


 これが第三騎士団が恥を捨て、命をかけてでも通したい要求であった。


「……どうも私にはピンとこないのですが」


 ヴァレリアに忠誠を誓う女騎士、『銀の乙女』クラリーチェ・ベルモンドはつぶやいた。


「とりあえずやると言うだけ言って、時期を先延さきのばしにしてしまえば、なし崩しにごまかせてしまう問題のようにも思えてしまいますけれど」

「まあそれで済ませないための手は打ってあると考えるのが自然だろうね」


 クラリーチェの義兄、ランベルトがとなりに立って返事をする。


「公式に発表してしまえば決して軽くない責任が発生する。

 まして聖下の御名誉ごめいよに傷をつけるとなれば、やはり実行せざるを得なくなるんじゃないかな」


 二人の主君にして養母、ヴァレリア・ベルモンドは目をふせて沈黙ちんもくしている。

 主君がなにも言わないのを確認してから、ランベルトは続きを口にした。


「そんなに軽い事ではないんだ。

 身分ある人の肝煎きもいりというのは」





 現代社会であっても、


「これは社長みずから決定なさった仕事だから、必ず成功させなくてはならない」


 というヘンテコな理屈でヘンテコな仕事をさせられるケースは普通に存在する。

 仕事の内容が良いか、悪いか、そんなことは問題ではない。

 決めた人間が『偉いか偉くないか』というだけで優先順序が決定されてしまう。


 他にもっと重要な仕事があったとしても、人材や資金は他より優先的にまわされ、最大限の努力をもって目標を達成しなくてはならない。

 ほかの部分で笑えないレベルの損害が出ても、偉い人の決定を最優先しなくてはならない。


 こういうアホとしかいいようのない出来事は、残念ながら世界中に存在するようだ。

 トップの人間がやると言ってしまったら、下の人間は言われた通りに動かなくてはいけなくなってしまうのである。

 そしてアホな命令を出してしまったトップのほうも、アホだと分かっている可能性がある。

 他者との交渉ごとの結果による場合だ。

 ロクな結果にならないと分かっているおかしな仕事でも、ブーブー文句をいう部下にやらせなくてはいけないのである……。





「イヤな感じっ」


 クラリーチェは乙女らしい潔癖けっぺきさを見せた。

 普段は勇輝にたいして大人のお姉さんぶっている彼女だが、こういう面はまだ未熟だ。

 大人の世界は必ずしも純粋ではない。

 そして不純すぎるというものでもない。

 白でもないし黒でもない。

 この世のほとんどすべては灰色に染まっている。

 白っぽい場所と黒っぽい場所がこの聖都にもたくさんあって、色のさに違いはあっても純然たる白黒は存在しない。

 その曖昧あいまいさは、乙女心に強い不快感をあたえた。 


 ヴァレリアとランベルトはそんな彼女の不機嫌な顔をしばし見ていたが、通信使が場に緊張感をもたらした。


「猊下!

 第三騎士団長殿から通信です!」


 指令室の大スクリーンに、第三騎士団長グスターヴォ・バルバーリの顔がうつし出された。

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