第6話 去年の合唱祭

 さっきの発言以降、塚本くんは何も言わなかった。


 今回のことは、きっと私たち実行委員だけじゃなく誰にとっても青天の霹靂だったと思う。

 でもあんなふうに語っていた塚本くんが受けたショックは……もしかしたら私の比ではないかもしれない。

 大人な塚本くんのことだから、それを表に出すことはないのだろうけれど。


 だからこそ、私はもう前を見据えなければいけないのだと思う。

 私自身のためだけじゃなく、塚本くんや、合唱祭を楽しみにしてた大勢の人のためにも。中止の原因や理由を突き止めて、そしてその決断を下した誰かに、撤回させないといけない。

 今はまだ、それが誰なのかもわからないけれど。


「……とりあえず、去年の合唱祭がどんな感じだったか振り返ってみるのはどう?」


 山名さんの提案に、私はすぐさまうなずく。

 いい考えだと思う。去年の合唱祭の状況を思い出せば、何かヒントが見つかるかもしれない。



 毎年恒例の行事である合唱祭は、去年も例年と同じく市内の文化ホールで行われた。当日はうちの学校の貸し切りだ。

 生徒は全員現地集合で、集合時間は普段の授業開始よりも早い朝八時半。


 会場となる文化ホールがあるのは図書館や会議室なども備えた複合施設なので、合唱祭の開始もその施設全体の開館時間である十時に合わせられている。

 つまり、八時半から九時半までは各クラスの最後の練習時間というわけなのだ。


 といっても、毎年実行委員はその練習に加わることはできない──舞台のセッティングから照明や音響まで、ホールの人たちと一緒に、いわゆる裏方として準備に奔走しなければならないからだ。


 そして九時半からは、一般生徒や関係者の準備や入場が始まる。

 生徒はみんな一階の観客席に着席することになっていて、たしか上手側から二年、三年、一年という並びだったはずだ。ちなみに、保護者席は例年通り二、三階席だった。


 十時になると合唱祭実行委員による開会宣言があり、校長挨拶、生徒会長挨拶、実行委員長挨拶が続く。

 そしてそれが終われば、最初のクラスのステージが始まるのだ。


「……特に一昨年と変わったとこもなかったよね?」


 去年、一昨年と二度の合唱祭を経験している三年生たち三人に尋ねる。


「うん、別に何か大きな変更とか、トラブルとかもなかったと思う」


 そう山名さんが答えたところで、「あ」と声を上げたのは乾だ。


「トラブルといえば、表彰式の前に何か揉めてなかったっけ」


 乾はそう言って、記憶をたどろうとしているのか眉間を押さえる。

 けれど彼が何かを思い出すより前に、二人の声が重なった。


「あったね」

「ありましたね」


 新垣くんと真紀ちゃんだ。二人はとっさに顔を見合わせ、真紀ちゃんが「どうぞ」と譲るような仕草をする。

 それに応える形で、新垣くんが口を開いた。


「僕も詳しいことは知らないんだけど、たしか審査結果が原因でちょっとした口論が起こったみたいで」


 新垣くんが言うと、真紀ちゃんがなぜか中村くんの方をちらりと振り返った。

 私は(何だろう)と思ったけれど、その理由はすぐに明らかになる。


「あー、俺ですね」


 何でもないことのように言ってのけた中村くんに、部屋中の目が集まった。


「俺、ってどういうことよ……」


 私が言うと、中村くんはのんびりした口調のまま答えた。


「新垣先輩の言う『口論』の渦中にいたってことです。三年生に喧嘩ふっかけられる一年坊主とかまじ漫画かと思いました」


 意味がわからない。いや、当事者であるらしいということはわかったけれど、いったい何がどうなって喧嘩になんかなったのか。

 そんな空気を察したのか、事情を知っているらしい真紀ちゃんがフォローに入る。


「あの、合唱祭って生徒審査もあるじゃないですか。去年この中村がやってたんですけど、なんかその審査?が三年生の負けたクラスの人の耳に入っちゃったらしくて……」


 なるほど。一瞬で理解できた。


 うちの合唱祭では、教員だけじゃなく生徒──基本的には各クラスの学級委員だ──も審査に参加する。

 公平を期すため、それぞれ自分が所属する学年以外の合唱を審査するのだ。


 もちろんその審査内容は極秘で、外部──それも当事者に漏れることなんてあり得ないはずなのだけれど。


「そうそう。それで『なんで俺らが二位なんだよ!?』って突っかかられた感じです──こう、こんな感じで胸ぐらを掴まれながら」


 中村くんはそう言って、無理矢理立ち上がらせた塚本くんの胸ぐらを掴んで見せた。

 突然そんな再現劇場に巻き込まれた塚本くんは、一瞬眉間にしわを寄せたものの、文句を言わずに付き合っている。

 なんというか、男子同士の関係って不思議だ。仲がいいのかそうでもないのか、見ていてもよくわからない。


 それはさておき、ただ自分の感覚に従って審査をしただけの中村くんにとってはとんだ災難だ──本当に、機密情報の扱いは徹底してほしいと思う。

 本人があまり気にしていないようなのは救いだけれど。


「生徒同士の喧嘩か……それが原因って可能性は?」


 乾が問いかける。

 なんとなく嫌な空気が部屋を満たした。というのも実際、部員が暴力沙汰を起こしたせいで強豪校が大会の出場資格を剥奪される、みたいなニュースはたまに見かけるのだ。

 もし学校側が密かに合唱祭の廃止を望んでいたのだとしたら、そんないざこざは恰好のネタになってしまう。


「……違う……んじゃないですかね」


 遠慮がちに口を開いたのは塚本くんだ。中村くんに引っ張られて乱れた首もとを整えながら首をかしげる。


「もしあの喧嘩が原因なら、学校側は去年の時点でもっとおおごとにして『こんなことになったんだから合唱祭なんてもう廃止だ!』って言ってしまった方が……なんていうか、説得力があるというか」


「なるほど、一理あるね」


 新垣くんがうなずいた。同感だ──去年のもめ事では、「今」中止になったことが説明できない。


「じゃあ、やっぱりもっと違う、もっと大きな問題があったってことかな……」


 言いながら、つい首をかしげてしまう。

 私たちは今、まさにその「問題」を特定しようとしていて──言いたくはないけれど行き詰まっている。


 と、そのとき部屋の中にチャイム──部活動の終了時刻を告げるチャイムが鳴り響いた。


「──そろそろ時間だし、今日は解散にしよう。何か気づいたことがあれば共有しておきたいし、些細なことでもメッセージ投げてくれたら」


 新垣くんの言葉に、委員たちがうなずく。

 けれど夜になっても、合唱祭実行委員会のグループメッセージが更新されることはなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る