第85話 バカ兄へのお仕置き4

「まずお子様の親権はお兄様がお持ちください」

「……当然だ、彼奴はいずれ俺の後を継ぐのだからな」

 最初に最大の問題である親権問題を私が後押ししたことに対し、わずかに安堵の様子を見せる兄。だけど……

「ですが、こちらの環境やお子様の教育面を考えると、やはりクリス義姉様が引き取る方が賢明かと思われます」

「なにっ!? 貴様、言っていることが……」

 親権をあげると言った後の裏切りに、すぐさま怒りを向けてくる兄だが、私はその言葉を遮るように片手で静止させる。


「お兄様の言いたいことはわかります。私も実家を出たとは言え、元は騎士爵家の人間。お兄様と義姉様が対立すれば、当然実家の方を最優先します。ですが現実お一人でお子様を育てられるとお思いですか? 例えお金の面は解決出来たとしても、環境面、養育面、共にすぐには解決できません。更に問題は他にもございます。先ほども申しましたが、この地には学校がなく、教育には住み込みの家庭教師が必須となります。お兄様が仕事に合間に教育されると言うのなら何もいいませんが、領地の仕事をやりながらお子様の面倒を見れるのでしょうか?」

「……くっ」

 兄のことだ、今まで炊事洗濯から子育てまで、全てクリス義姉様に任せていたはず。たとえその姿を見ていなかったとしても、今の仕事をこなしながらそれら全てが出来るとは思わないだろう。


「人を雇うにもお金が必要です。ましてやここは都市部からは離れた辺境の地、好き好んで働きに来てくれる方などそうはおられないでしょう。そんな状況でお兄様はお子様を引き取って育てられるとお思いですか?」

「……」

 現実を突きつけ、まずは義姉様のありがたさと、自分では子供を育てることが難しいと理解してもらう。

 ここで『それでも俺が育てる』なんて開き直られると困るのだが、私は事前に騎士爵家の味方をすると言って、その可能性を潰している。

 実際、兄に味方をするとは一言も言っていないのだが、兄にとって孤立感は拭えているのではないだろうか。


「ですのでお兄様。親権をこのままお兄様が持ち、お子様は義姉様が育てるというのはいかがでしょうか? そうすればもしこの先お兄様が再婚されても、お子様との縁を切ればいいだけですし、後々後継者にとおっしゃるのであれば……そうですね、18歳辺りを目安に改めて引き取られれればいい。その頃には立派な青年に育っておられるでしょうから、お兄様のお役にも立てるはずです」

 要は親権はあげるけど、お子様はクリス義姉様に預けなさい、ということ。

 どうせ子供の育てかたなんて知っているわけはないだろうし、自分の子供だといっても働き手の一人程度にしか思ってはいない事だろう。ならばその面倒な幼少時期を一切放棄させ、やがて青年となり立派な働き手となった時に、改めて今後の事を決めればいいと提案したのだ。

 事実お子様の親権さえ渡しておけば、今後兄がどう扱おうがこちらからは手が出せないわけだし、再婚された上でやっぱり後を継がせられないと判断すれば、その時に親子の関係を解消すればいい。義姉様との離縁とは違い、子供との親子関係は、兄の一存だけで対応は可能なのだから。

 ただお子様本人の意思を無視する形にはなってしまうが、18歳ともなれば立派な大人なので、自分の主張は言えるぐらいには成長していることだろう。


「如何ですか?」

「ふむ……………」

 兄はしばらく悩んだ末、ある質問を投げかけてくる。

「確かにお前の提案には考える余地はある。だがクリスがこの先行方をくらまさないという保証はどこにある? もし息子を手放したくないと考え、行方知らずともなれば、俺はいい笑い者ではないか」

 なるほど、どうやら私の提案は兄の中では前向きに考えておられるようだ。

 私はすかさずその不安を取り除くため、一つの約束を提示する。


「その点はご心配いりません。今後お義姉様とお子様が暮らす家は私がご用意しますし、お子様が教育を受けられるよう学校の手配もいたします。もしお兄様がおっしゃるようにお義姉様とお子様が行方をくらまされたら、私が……いえ、公爵家の力を使ってでも必ず見つけ出すとお約束します」

 兄を納得させるために思わず公爵家の名前を出してしまったが、お義姉様が約束を違えて逃げるとは思えないし、ジーク様も小さく頷いてくださっている事から、特に大きな問題にはならないだろう。

 兄は少し悩んだ様子の末。

「……いいだろう。お前も異存はないな?」

「えぇ、それで構わないわ」

 二人から了承の返事を受け、私はホッと心の中で安堵をなで下ろす。


 お義姉様は申し訳ないが、この程度の譲歩がないと兄は納得出来ないだろうし、離婚が成立しなければいつまでも兄の拘束からは逃れられない。

 後は互いに約束を破らないよう誓約書を交わし、私から兄へ今回の慰謝料を支払えば全てが終わる。

 実際お子様が成長した後の事はまだ解決していないのだが、後を継がせたいと言ってくれば義姉様の元から通わせればいいし、縁を切りたいと言えばどこかいい就職先を紹介してもいい。もし兄が横暴な態度に出れば、公爵家の力を使って領主の座を無理やり奪う事も不可能ではないだろう。


「では今の内容で誓約書を残したいと思うのですが」

 善は急げ、兄の気持ちが変わらない内に誓約書の用意に動こうとするも……

「まて!」

 兄の一言で再び止められる。

「誓約書を書く前に金の話だ」

「お金? お兄様に支払う慰謝料件ですか?」

「そうだ、忘れたとは言わさんぞ!」

 いや、もちろん覚えてはいるけれど、お子様の親権問題の方を優先するのは当然じゃないの?

 私は呆れたように一つため息をつき、兄の要望の通り先に金銭問題の方を提示する。


「わかりました。それで如何程お支払いすればよろしいでしょうか? ご存知かどうかわかりませんが、私はまだ正式に公爵家には嫁いでおりません。仮に公爵家から借り入れしようにも、そのお金は領民からの税収。ですのでお支払い出来るのはあくまで私個人の資産からだとお考えください」

 先ほど慰謝料の金額はお兄様が決めてくださいと言っている関係、私の方には不安しかないのだが、この件に公爵家は関われないと告げておけば、バカげた金額までは要求してこないだろう。

 だが兄は私の予想を裏切り、少し嫌な表情を魅せると……


「10年分だ!」

「10年分? それはどう言う意味でしょうか?」

「分からんか? お前に要求するのはこの領地で得られる10年分の領税を支払えと言っているのだ」

「「「なっ!?」」」

 そう来たか。

 因みに驚きの声を上げたのは私ではなくバカ兄を除くお兄様達。領税といえば一個人がどうこうできる額ではなく、また簡単に稼げるような金額でもない。あくまで一個人だった場合は、ではあるのだが。

 私の場合それらを補填できるほどの収益があるわけだし、個人・お店共に多少の蓄えも存在している。問題は兄が金額ではなく、あえて10年分の領税と曖昧な金額を提示した事だけ。

 このまま正確な金額を提示されず、誓約書を書いた後で支払えない金額を告げられれば、私に逃げる道は残されてはいない。最悪お金の支払いだけを続け、最後は支払いが滞ったとかの理由で、無理やり誓約書を履きされかねないのだ。


「待てよ兄貴! 領税相当だなんて個人で支払える金額ではないだろうが」

「そうだ、いくらアリスだって10年分の領税だなんて支払えるわけがないだろう!」

「貴方、アリスが支払えないと思ってワザと遊んでいるのね」

 お兄様達が代わる代わるバカ兄に文句を言ってくれるが、問題は領税という言葉ではなく金額だ。


「お兄様、そのような曖昧な表現では私も気軽に返答できません。せめてもう少し具体的な金額を……」

「無理だな。お前は要求金額を俺が決めていいと言ったが、金額そのものを提示しろとは言っていない」

「ですが、その様な表現ではお支払いしようにもお支払いできないではないですか」

「心配するな教えてやるさ、誓約書を書いた後でな」

 ダメ元で聞いてみたが、やはりその辺りも計算ずくので提示なのだろう。

 一瞬クリスお義姉様にこっそり聞いて見ようかと思うも、視界の端に映る様子には顔を左右に振っておられるし、ツヴァイ兄様の様子を伺うも、どうやら領税が幾らかはやはり聞かされてはいないという事なのだろう。

 私は情報を得る事を諦め、頭の中で提示されるであろう金額を素早く計算する。


 確かアルスター男爵家の領税が、一年で金貨8,000枚程だと聞いた覚えがある。

 これは男爵家が抱え込んでいた借り入れから逆算したもので、正確な金額だと判断するには浅はかなのだが、他に目測として用意できる金額がないだから諦めるしかない。

 さて、これを基準とするなら、単純に計算をして金貨8,000枚×10年分という事になるのだが、男爵領と騎士爵領との違いを考慮し、金貨3,000枚×10年分……いや、最悪の事態を考慮し、金貨5,000枚×10年分と仮に考えるとする。すると合計金貨5万枚という事になるのだが、ローズマリーの月の売り上げがおよそ金貨1,500枚で、そこから支払いなどを除いた純利益は金貨500枚ほど。それを1年と考えると、単純に金貨6,000枚という事になる。

 そう考えると金貨5万枚は決して支払えない金額ではないが、新店舗やニーナとクリス義姉様の新居と色々物入りな時期なので、結構な痛手である事には違いない。

 私は事前に金貨2,000〜5,000枚ほどは覚悟していたのだが、これは予想を遥かに超えた痛い出費である。


「アリスちゃん、もういいわ。これ以上貴女に迷惑を掛けられないわ」

「ダメだ義姉さん、ここで引き下がってはこの先辛い思いをするだけだ」

「そうね、大体10年分もの領税支払えなんて言ってくるアインスが悪いのよ」

「兄貴、幾らなんでも横暴すぎるぜ!」

 ワイのワイの。

「うるさい黙れ! お前達には関係ないだろう!!」

 ツヴァイ兄様達が私側に立ってバカ兄に反論するが、肝心のバカ兄はこれは私が言い出した事だと言って譲らない。


 金貨5万枚かぁ、ローズマリーの売り上げおよそ5年分は確かに痛いが、個人・店共に多少の蓄えがあるのと、最近じゃクリーム工房やチョコレートショップからも、協力金という名目で収入も入って来ている。

 それに私が公爵家に入れば、公爵領にあるチョコレート工場から、幾らか自由に出来るお金を頂けるとも聞いているので、頑張れば金貨5万枚はなんとかなるかもしれない。

 さすがに一括支払いというのは無理なので、分割という事にはなるのだろうが、支払い方については今のところ言及されていないので、話を上手く誘導していけば問題ないだろう。何よりここで引き下がるのはバカ兄に負けたようで、私の気持ちがスッキリしない。


 私はある種の決意と共に。

「分かりました。この領地の為に使われると約束して頂けるのであれば、領税10年分の金貨をお支払いしましょう」

 こう、高らかに宣言するのであった。

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