華都のローズマリー
みるくてぃー
序章 物語の始まりは唐突に
第1話 気づけばそこは貧乏貴族
うとうと、うとうと……ゴツンッ!
「イタッ!」
突如おでこに走る痛みで襲いかかっていた眠気が一気に覚める。
今日も朝から炊事・洗濯・家事・おやじ、貧乏暇なしとはよく言ったもので、疲れている体に鞭を打ち、夜は縫物に勤しみうとうとし始めていた頃に呼び出しだ。それなのにお説教のように長い話が続けば、誰だって眠くなるのは同然だろう。
だけど……あれ、ここどこだ?
「聞いているのかアリス!」
「あ、はい。聞いてます聞いてます。私の婚約が破棄されたんですよね?」
ん? 婚約? 破棄? 私はいま何を言った?
頭の中が軽く混乱しているようだが、よく見ればここは見慣れた我が家の一室。
一体何十年前に建てられたのだと聞きたいほどボロボロのお屋敷は、内壁が剥がれたり柱の一部が腐りかけたりと、自分の家ながら見るに見かねぬ惨状だが、これで一応貴族の端くれだというからビックリだ。
これだったら私が暮らしていた実家のお店の方が、何十倍も綺麗だったのではないだろうか?
……あれ、私の実家ってここよね?
バンッ!
「何をキョロキョロしている、ちゃんと話を聞けと言っているだろ!」
「す、すみません!」
理不尽に怒鳴られ、反射的に思わず謝るも、怒られている理由がいまいち思い出せない。
そもそもこの人誰?
いやいや、ちょっとまって、確か目の前で私を叱っているのはこのデュランタン騎士爵領の長男、アインス・デュランタン。私の記憶が確かならば、私にとっては異母兄となる人。そしてその隣に座っているのが私の父でこの領地の現当主、エドガー・デュランタン。三男三女の子を持つ優しいお父様。そして近くで私を心配そうに見守ってくれている女性が、アインス異母兄様のお嫁さんであるクリス義理姉様。いつも私と
確か先々代の領主からこの騎士爵家に仕えてくれている、この領地のことを一番よく知る人物。ちなみに私にとっては優しいおじいちゃん。
うん、ちゃんと覚えてる。
「しかし困ったな、アリスの婚約が破棄されたとなるとこの後の嫁ぎ先が……」
「どうせ男爵家に嫁げると思ってうつつを抜かしてたんだろうよ。だからどこぞの商家の小娘なんかに奪われるんだ、お陰で手に入るはずの結納金は入らないわ、無能でクズな異母妹は残されるわでいい迷惑だ!」
うーん、なんだか酷い言われようだけど、断片的な情報で少しづつ今私が置かれている状況理解出来てきた。
この
どの時代でもやはり男性が時代を築き、国を動かす事が多いため、残念なことに女性の活躍はあまり日の目を浴びる事は殆ど無い。そのため異母兄のように女性を子孫を残すため道具だと勘違いしている者もおり、意にそぐわない結婚や互いの利益のみを求めた、政略結婚などが未だに存在している。
これで男性の人口が多ければまだ良かったのかもしれないが、昔あった戦争や過酷な労働なんかで女性の人口が上回ってしまい、婚約破棄されるイコール女性側に問題有りとされてしまい、結婚の糸口が途切れてしまうのだという。
まぁ、
「お言葉を挟むようで申し訳ございませんが、アルター男爵様は随分と借金を抱え込んでいるという噂を耳にした事がございます。それに男爵様の奥様はあまりアリス様の銀髪を好いてはおられぬご様子、このままご結婚されたとしてもあまり良い思いはされなかったかと」
「そうだな、オーグストの言う通り彼方の夫人はあまりアリスを気に入っていなかったようだし、逆に断ってくれて良かったんじゃないか?」
「父上もオーグストも甘いですよ! 彼方の財政事情なんて知ったこっちゃない。要は結納金がこの騎士爵家に入らないという事の方が大事なのです。それなのに金が入らないばかりか、無能でクズの小娘が完全に売れ残った。この騎士爵家には無能なゴミを養う余裕はないですよ!」
机をドンドン叩きながら異母兄のアインスが喚き散らす。
先ほどから『この世界』だとか、『今の私』だとかまるで別人の話をしているようだが、私だって完全に混乱から戻ったわけではないので、そこは少し多めにみてもらいたい。
目覚めてから今までの短い情報と、私の中にあるこの世界で過ごした16年間の記憶、そして前世の日本という国で過ごした約20年ほどの記憶が、ようやく頭の中で整理出来始めたのだ。
それにしてもまさか疲れのあまりの居眠りで、頭を打って前世の記憶が覚醒するとか、もうちょっとロマンティックなシチュエーションはなかったのかと、多少抗議したい気分になってしまう。
「あなた、そんなにアリスちゃんの事を酷く言わなても。婚約破棄されたからって結婚ができない訳じゃないんだし、家のお手伝いだっていつも丁寧にやってくれているんだから、今まで通りでいいじゃないですか」
「バカを言うな! 結婚ができると言ってもどこぞの骨かもわからぬ平民だろうが。そんな見っともない結婚など、由緒ある
まったく、長男である異母兄は何かとつけて貴族貴族と連呼する。
確かに我が家は貴族には属するが、その階級は最下層の騎士爵。領地こそ国から与えられているが、人口わずか600人程度の片田舎。おまけに超がつくほどの貧乏で、二人の異母兄は騎士爵家の名前を捨て王都で独立。今も毎月稼いだお金の一部を実家に送っているというのだから甲斐者だ。
私的には騎士爵の名前を捨てたのだから、わざわざ実家に仕送りなんてしなくてもいいと思うのだが、そこはお金にガメついアインス異母兄様に、無理やり強要させられているのだという。
「しかしなぁ、アリスはまだ16歳だぞ。男ならともかく女性でこの歳だと、そう簡単には仕事は見つからんぞ」
「あなた、義父様の言うとおりですわ、ただせさえお仕事が少ない地域なんですからもう少し様子を見てあげても」
女性はどうしても下に見られる風習がある。これが前世のように男女平等! という思考が多少あればいいのだが、残念な事にこの世界では女性はそれほど必要とされていない。
こればかりは女性ならでは力の無さと、体の構造自体の弱さがあるのだから今更文句も言えない。たとえ体にムチを打って無茶をしても、その先に待つのは限りある死であり、私や父はそんな理不尽な現実を二度も見ているのだ。
お父様は未だに私を見ては、亡くなった母にはすまないことをしたと、涙を流す事もあるぐらいに。
「ふん、仕事なら王都に行けばいくらでもあるだろ。実際フィオーネを売ったのは父上でしょうが!」
「……」
フィオーネ異母姉様、私の5つ上の異母姉で、腹違いである私と
3年前、この国を大飢饉が襲い、領地を立て直すためにと、王都にある娼婦館へと売られていったのが、長女であるフィオーネ異母姉様だ。ちょうどその頃アインス異母兄の結婚話が上がっており、フィオーネ異母姉様と入れ替わるかんじでクリス義姉様が嫁いで来た。
父はその事をずっと後悔しているようだが、異母兄にすれば程の良い厄介払いだったのではないだろうか。
「あなた言い過ぎよ。フィオーネ様の事は領主としての苦渋の決断だったはず、それをそのような言い方をするのは義父様に失礼だわ」
「いや、構わんさ。実際どうする事もできなかった私は無能者だ」
「ですが……」
「ふん、別に後悔する必要もないでしょ。フィオーネも貴族に生まれたからには覚悟はできていたはず。それをもう一度アリスに同じ事をすればいいだけですよ」
……今なんて? 私を娼婦館に売る?
異母兄が放った一言が徐々に脳内に行き渡り、数秒間の沈黙を経てようやく言葉の意味を理解する。
前々からアインス異母兄様には嫌われていると思っていたが、まさか異母妹を平然と売るとか言い出すとは流石に呆れてしまう。確かに私と
それを自分とは母親が違うとは言え、こうもアッサリ非道な言葉が出るとなると、怒りを通り越して呆れの方が先に来てしまう。
「バカを言うな! フィオーネの時とは状況が違うのだ、そんな理由で大切な娘を手放せるか!」
「あなた、それはあんまりだわ」
「えぇ、私もそう思います。せめて18歳になるまでは様子をみてもいいのではありませんか?」
お父様とクリス義姉様、そしてオーグストが順番にアインス異母兄の発言を非難していく。
みんなが良識ある人たちで安心するが、16年間も一緒に育った異母妹を平然と売るという異母兄は、いずれこの地を治める次期当主。今はまだ家督をお父様から受け取ってはいないが、いずれ当主になった暁には、私はおろか妹のエリスまでどうなるか分かったもんじゃない。
だけど独立したとしても私に妹を養いながら生活が送れる? 前世の記憶が蘇ったとは言え、生まれてこの方実家からほとんど出た事もなく、この世界のお金すら未だ一度も見た事がない私に。
よく転生者が異世界で無双するような物語があったが、私は普通のか弱い女の子。(私のことよ!)
この世界には冒険者だのトレジャハンターだのといった職業は存在せず、魔物の類も一切いない。唯一あるとすれば魔法や精霊程度なのだが、例え魔法が使えたとしても、私のように実践を経験したことがない者には無用の長物だろう。
まぁ、暑い夏の日に冷たい氷で騒げるのは、精霊契約をした私の特権とも言えるのだが……。
あれ、精霊契約ってなんだっけ?
「ふん、貴族特有の金髪なら高く売れただろうが、気持ちの悪い銀髪の小娘なんぞどうせ売れんか。だが、呑気に18歳までなんて待っていられるものか!」
「ですがアリス様の歳でお屋敷を追い出すなど死を意味するようなものですぞ」
「知った事か、この小娘はデュランタン騎士爵家に泥を塗ったのだ。このままアリスを屋敷に留めておけば、我が一族は婚約破棄されたクズをいつまでも抱えている家だと、世間からいい笑い者にされるわ!」
この屋敷の重鎮とも言えるオーグストの言葉すら、異母兄の耳には一切届かない。
やはり私は相当異母兄に嫌われているのだろう。思い当たる節は母親の違いと
私達姉妹特有のこの銀髪。
この国では銀髪の人間は非常に珍しい。父や兄達は平民特有の黒髪で、金髪は貴族特有の色だというのが世間がもつ一般的な常識。時々平民の中にも金髪をもつ人間がいるというが、そういった人達は貴族から没落した経緯があるのだと言われている。
私的には自慢の銀髪なのだが、この国ではやはり受け入れ難く、嫁ぐ先であった男爵家の夫人からも、気持ちが悪いと面と向かって言われたこともあった。
だったら最初から私なんかを嫁がせるな、と言いたいところではあるのだが、今となってはどうする事もできないであろう。
「わかりました。私の存在が恥とおっしゃるのならば、私は喜んでこの家を出ましょう。ただ、一つお願いしたい事がございます」
「お願いだと、金など一銅貨もやらんぞ!」
まったく、この人はどこまでお金にガメついのか。
自慢じゃないが私は生まれてこの方この世界のお金を目にした事がない。さすが貧乏貴族と笑うなかれ、基本食事は時給自足だし、足りないものはすべて現品同士の物々交換。スープの素だの調味料などといった贅沢品はもちろん、一般のご家庭にありそうな砂糖ですら我が家には常時存在しないのだ。
そんな生活を送っていれば、お金を見たことがないといっても不思議ではないだろう。
「お願いとは王都で働く異母兄様達のように、毎月お金を求められても入れられないとう事です」
「ふん、構わんさ。どうせマトモな仕事になんぞ有り付けんだろう」
「それともう一つ」
「なんだ、金ならやらんぞ!」
はぁ、どうしてこの人はお金の事しか言えないのだろう。
私はため息を吐きながら一番大事な事を口にする。
「妹のエリスを一緒に連れて行きます」
「なに?」
「異母兄様にとってエリスの髪は私同様望まれない銀髪です。この髪色が気持ち悪いとおっしゃるならば、私がエリスの面倒を見ようと思います」
本音を言えば私がこの家を出た後、妹のエリスが異母兄様にどんな仕打ちをされるのかが想像もつかない。
最近ではお父様は異母兄に歯向かえなくなってきているし、ストッパー役であるはずのオーグストも今はもうかなりのご高齢。クリス義姉様の言葉など聞く気もないだろうし、私という壁が居なくなれば次の対象は間違いなく妹へ行くだろう。
考える中で一番最悪なのは、フィオーネ異母姉のように娼婦館に売られる事だが、その可能性は非常に高いのではと思っている。
まずエリスの性格、もともと引っ込み思案で、小さなころから私の後ろを追いかけてくるような気の弱い性質だ。異母兄のような強引且つ傲慢な人間には怯え、涙を必死に堪えながら耐え忍ぶしかできないはず。そのうえ私譲りの可愛さと、子猫のような愛らしさ、髪の色など染めれば何とでもなるので、エリスの姿を見れば例え国王様でも、王子様のお嫁さんに下さいと言ってくるのではないだろうか。
そこ、私をシスコンと言うなかれ、それほどエリスは可愛いのよ!
「ふん、いいだろう。どうせ残っていても大した働きもしないだろうからな」
「ありがとうございます」
「だが、タダでというわけにはいかん」
「えっ?」
「この家に金を入れないと言うのなら、二度とデュランタン家の家名を名乗るな。流れ着いて娼婦になんぞになって、家名を汚されてはたまったもんじゃない」
まったく、呆れて物が言えないとはまさにこの事を言うのだろう。
もともと家を出ていくと決めた時から家名を名乗るつもりなんてないし、異母兄としても初めから私には名乗らせるつもりもないはず。現に娼婦の館へと売られていっ異母姉様はもちろん、独立した二人の異母兄達でさえ、家名を名乗らせようとはしなかったのだ。
それなのにきっちり二人の異母兄様からはお金をせしめているのだから、今頃王都でウンザリしているのではないだろうか。
「アインス、幾らなんでも騎士爵家の加護がなければ、16歳のアリスではまともな仕事に就けんぞ!」
「父上は黙っていてください。私はいずれこのデュランタン家を継がなければいけないのです。それなのにどこぞの娼婦に、歴史あるデュランタン家の名を汚されてはたまったもんじゃありません」
はぁ……、一体私は何度ため息をつけばいいのだろう。
異母兄の中では私はすっかり娼婦として働くことが決められている。実際騎士爵家の名前がなければ、娼婦への道しか残されていのかもしれないが、売られるのと自ら望むのとではその働き方はまるで違う。それに例え娼婦へとなりさがったとしも、エリスさえ守れれば私は自分を売ったとしても後悔はしないだろう。
「ありがとうございます父様。ですが私としても育てていただいたデュランタン家の名を汚したくはありません」
「だがなアリス、お前にまで苦労させては私は亡くなったあいつに合わせる顔が……」
「お父様……」
お父様の気持ちは痛いほどわかるが、別にお母様が亡くなったのはお父様のせいではない。側室だからと酷い目に合されていた訳でもないし、食事や衣類を与えられていなかったわけでもない。
あえて言うなら貧乏からの過重労働が原因なのだが、世の中には私たちより貧しく、日々の食事さえありつけない人もいっぱいいるのだ。そこをお父様一人だけを責めるのは間違いだろう。
「くだらん、父上もアリスが納得しているならいいじゃないですか」
「お前という奴は……。はぁ、すまんなアリス」
この人は本当にお父様の血を引いているのだろうか。
何か一言いってやりたいが、お父様をこれ以上悲しませるのは私の本意ではない。それにこんな異母兄の元にいても良いことなんてないだろうし、何より領主となった異母兄の姿など想像するだけで吐き気がする。
ならばこれを気に実家とは完全に縁を切り、エリスのためだけに働いた方が何十倍も私の力になるだろう。
たとえこの身を娼婦へと落としても、2年もたてばそれなりに貯金も残せるだろうし、18歳になればそれなりの仕事を見つけられるかもしれない。そうすればエリスを学校に通わすことだって出来るのではないだろうか。
「それでは3日……、いえ2日後には旅立とうと思います」
「好きにしろ、どうせ身支度をしたとしても持っていけるものなど無いだろうがな」
軽く記憶が混雑する中、私は妹連れて旅立つことになる。
何も知らない世界でやっていけるかわからないけれど、自分のため、可愛い妹のためにも立ち止まる事はできない。
せめて物語の主人公のように、私にも力があればいいのだろうが、精々できる事と言えば水と氷が出せるぐらい。まぁ、無いものは強請っても仕方が無いので、ここは前向きに生きていくしかないでしょ。
頑張れ私!
……あれ、私って魔法なんて使えたっけ?
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