第14話 唯一無二

 誠の家はだ。

 普通にお父さんとお母さんがいて、妹がいる。妹はイラストレーターになりたいらしく、わたしに非常に懐いていて、時々LINEも送ってくる。

 お父さんは飲む度に暴力を振るったりしないし、お母さんはネグレクトでもなければ過保護でもない。子育て終盤のいまは近所の友だちとフィットネスに通うのが楽しみという元気な人だ。

 でも誠は孤独を拭いされない。

 なぜなら誠はこの家の誰とも血の繋がりがないから。誠は『もらわれっ子』だった。


 誠のご両親はなかなか子供が出来なくて、病院に通ったりもしたけれど、ふたりでよくよく話し合って出した結論が『親のいない子』の親になることだった。

 あれは申請が通るまではなかなか遠い道のりなんだそうだけど、そんなこんなで二歳の誠は『川嶋誠』となった。

 まだ幼かった彼はその時のことを覚えていなかった。


 違和感を覚えたのはそれから五年後、妹の希理子きりこちゃんが生まれた時。

『希理子』の『理』は、お父さんの名前『おさむ』から取ったものだった。

「あら、誠っていう名前はお父さんと同じ一文字名前にしたかったのよ」とお母さんが説明してくれたけど、なんとなくぎこちなく感じた。自分もお父さんと同じ文字が欲しかった。

 十二歳だった。多感な時期だった。

 それまでおとなしかった誠は親に背くようになり、お母さんが学校に呼び出される日もあった。

 ――そんなある日、誠は家出をした。

 どこを歩いたのかさっぱり覚えていないという。「僕はこの家の子じゃない」という根拠の無い考えに取り憑かれて川沿いを歩いた。

 夕暮れになって犬の散歩をする人が少なくなった頃、誠はたまたま遅くに犬の散歩をしていた人に保護されて交番に連れていかれた――。


 まぁ、そんな話だ。

 よくある話かもしれないけど、あまりよく聞かない話でもある。

 わたしも勿論同情した。でもそれまで以上に母性や愛情みたいなものを彼に対して持つようになった。

 同時に、彼にとっての『唯一』になりたいと強く思った。


 そんな彼がわたしの家出に激しく動揺したのは当然で、突発的な別れ話があったとはいえ、わたしは配慮に欠けていたかもしれない。

 タバコは足元に落として踏み消した。

 非力な手のひらで「よしよし」をしてあげる。次第に誠の嗚咽は小さくなり、ようやく顔を上げた。

「ごめんね、勝手に一晩家を出て。心配するのわかってたのに」

「いいんだ。出て行くのが俺なら良かったんだよ」

「誠には無理。だってわたしが羽交い締めにして家出なんてさせないもん」

 手と手が触れて、そこに確かに『愛』を感じる。離れてしまったことを惜しむように、きつく体を抱きしめ合った。

「行かないで、有結」

「そういうわけにはいかないでしょう?」

「舞美には受け止めてもらえる自信が無い。話したいと思えない。彼女は弱くて守ってあげなくちゃいけない人だから。――わかったんだ。俺を支えてくれるのはやっぱり有結だけだって――」


 ドンッ!

 思いっきり強い力で突き飛ばした。誠の体勢が崩れて大きくよろけた。

「馬鹿にしないでよ! そんな理由でほかの女を好きな男と、一緒にいられるわけないでしょう!? 甘えられない女と結婚しようとしてたじゃない。自分の本当の話をできない女と結婚すればいいじゃない。わたしは一抜け。終わりだよ、おままごとは。······大好きだったのに、捨てるんなら最後くらい綺麗に捨てて」

 わたしは部屋に大股で向かって、大きな旅行用のカバンになにもかも、入る限り詰め込んだ。どんどんどんどん詰め込むうちに段々ヤケになってきて、涙と鼻水が怒涛のように押し寄せた。ついでに大きな声を上げて泣いて、ふと思い出してダイヤルする。


 ツーコールで相手は出た。

「なにかあるんじゃないかって心配してたんだよ」

「先生、迎えに来てください。三十分後にメロウなヒップホップの店でいい?」

「メロウはわからないけどヒップホップかかってたとこはわかる。お前を見つけたところだな」

「絶対だよ。大荷物だからよろしくお願いします」

 プッ、と電話は切れて、あとにはわたしの部屋の前にひざまづく誠が残った。

 誠は青い顔をして、歯を食いしばっていた。

 段々冷静な顔に戻って荷造りをするわたしを、背中から抱きしめた。

「男がいるの――?」

 頭の中で考える。なにか誤解されているに違いない。めんどくさいので「そうだよ」と答える。

「ずっと昔に知り合った人。最近、再会したの」

 今日洗濯したシャツもデニムもよく乾いていて、適当に丸めて突っ込む。お洒落なシフォンのスカートも置いていっても仕方ないので突っ込む。

「ちゃんと自立した大人の人。わたしを引っ張ってくれる人。――わたしももう、いい加減ちゃんとした大人にならないといけないから」

「いつから?」

「つい最近」

 そうか、と誠の腕の力は緩くなった。肩の力が抜ける。本当に何やってんだって感じ。わたしが好きなのは誠。その誠が戻ってきてくれるって言ってるのに――。

「男が出来たから出ていくんだね」

「いっそそう思ってくれてもいいよ。誠のこと、好きなの。でも彼女を好きな誠は好きになれないの。浮気されても戻ってきてくれればいいなんて、馬鹿な女の考えることだと思わない? その彼と上手く行ったとしても一生、と戦わなくちゃならない。姿の見えなくなった女の影と」

 誠はなにも言わなかった。諦めてくれたようだった。ボーナスで買った仕立てのいいスーツはぐちゃぐちゃになって、棒立ちしていた。


「帰ってこないの?」

「来るよ。パソコンとプリンター取りに」

「いつも仕事熱心だね」

「この仕事は腕一本だから気が抜けないの」

 じゃあね、とお別れのキスをすると、それは予想を上回る濃厚なキスだった。こんな風になって······。昨日まで背中で突っぱねられて震えていたわたしは、またしても悲しくなってしまった。

「有結······こうするのが一番いいことなのか正直わからない。でも事の発端が自分にあるのはわかってる。責任を取らなくちゃいけないのは自分だってわかってる。荷物が残ってるうちは鍵をまだ持ってて」

「うん、借りていくね」

 手のひらの上でジャラジャラと鍵を弄る。観光地でふたりで買ったイニシャルの入ったお揃いのキーホルダーや、ディズニーランドで買ったキャラクターのペアストラップの片割れがついている。

 そんなものはみんな、ただの感傷的な思い出だ。

 内鍵を中からかける音を聞くのが嫌で、自分で鍵をかけた。

 いまとなっては他人の部屋だけど、何度も、何度もこの鍵を使って······。

 思い出はぐるぐる渦を巻いて目眩めまいのようにおそいかかる。


 しかし重い荷物だ。

 とりあえずパソコンは持てないのでiPad Proを背中のリュックに入れてきた。ちょっとした仕事はこれで済むはず。

 それから両手のバッグには行き当たりばったりのものたちが、包まれたりせず、そのまま突っ込まれていた。足りないものは買えばいいや、と自分の財布の中身を省みずに気軽に考えた。

 そう、わたしはになってしまった――。


 ドアノブを押すと教師はブルーベリーマフィンを食べていた。甘いものばかり食べていてどこで贅肉を削ぎ落としているのか聞いてみたかった。

 今日はアールグレイを頼む。教師がスコーンを奢ってくれる。甘すぎないスコーン。

 本当は『甘すぎない』ことが大切なのかもしれない。甘いものは物事を歪めてだめにしてしまうのかもしれない。

 わたしたちは、お互いの甘さを許容して、べとべとに溶けた砂糖の塊になっていたのかもしれない。

 甘いだけじゃだめなんだ。

 時にはスパイスが必要だと、アールグレイの香りがわたしを慰めた。

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