第18話 条約の締結

ノーマン達がヴィンチザード王国との条約やそれに付随する内容を書類にまとめるために部屋を出ていくと、皇帝は残った老齢の執事に話しかける。


「どうじゃ、お前の部下は活動できそうか?」


「いえ、全くできそうにありません。使用人の仕事としては問題ありませんが、秘かに敷地から出た者は意識を失って送り返されています」


老執事は苦渋の表情をして答えた。彼はローゼン帝国の諜報組織のトップでもある。常に皇帝のそばで皇帝を護衛しながら、手足のように情報を収集していた。


数十年前のヴィンチザード王国との敗戦でバルドーの存在に脅威を覚えた皇帝が、何十年もかけて作り上げた組織である。この組織が無ければ再びヴィンチザード王国と戦争など皇帝は考えなかっただろう。


すでにバルドー程度なら問題なく対処できる組織になったと、皇帝は自信を持っていた。


「昨晩の話は間違いないのだな?」


皇帝は老執事に尋ねた。


「はい、間違いありません!」


老執事は昨晩のことを思い出しながら答えた。


昨晩、老執事は皇帝の寝所に人の気配を感じて赴くと、皇帝のすぐそばに老齢の男が笑顔で立っていた。


老執事はすぐに相手を倒そうとした。しかし、相手に近づこうとした瞬間、姿を見失い、自分の首にナイフが押し当てられていた。そして相手が話すことを黙って聞くしかなかったのだ。


皇帝は大きく息を吐き出して尋ねた。


「ふぅ、ハル様やドラ美様のことは諦めろと。大賢者テックスや黒耳長族やマッスルに失礼なことをすれば、ローゼン帝国もホレック公国のような運命をたどると言ったのだな?」


「はい、間違いありません!」


皇帝は老執事に絶対の信頼を寄せていた。国内の不穏分子の排除や汚職をする貴族を排除して、帝国を安定させてきたのは彼のお陰であるとさえ思っていたのだ。


皇帝はそんなやり取りに寝ていて気付かなかった。老執事が嘘の報告をするとも思えなかった。


「相手は何者だと思う?」


「忍び込んできたのは容姿から、あのバルドーではないかと思います」


老執事の話に皇帝も黙って頷いた。


「バルドーが相手ならお前なら何とかなったのではないか?」


「前回の戦争の時のバルドーか、彼が普通に成長していたとしても何とかなると思っていました。しかし、昨晩のこと考えると差が広がったと感じました」


老執事は虚勢を張ることなく正直に感じたことを答えた。


「ふむ、大賢者テックスによって飛躍的に能力が上がった可能性もあるな……」


「はい、『知識の部屋』にある未公開の情報もタイトルだけは確認できます。タイトル通りの内容だとすれば、バルドーの能力も納得できます」


皇帝は老執事と話しながら考えを整理する。


勇者関連のハルとドラ美を奪われたと焦って皇帝は勢いでバッサンまで来た。バッサンに来てからも勇者の知識が有用であると分かったことで、さらに感情的になっていた。

しかし、街中なのことや戻ってノーマンの話を聞いたことで皇帝は冷静になることができた。


冷静になると皇帝は自分が的確な判断がまるでできていなかったことや、外交に関してまるで理解していないことを自覚したのである。


ノーマンの外交能力が高いことは感じてはいた。それでもノーマンの外交の目的がローゼン帝国の利益を最優先にしているのか確認するために、ノーマンに今回の外交をどうするのか提案させたのである。


悪くない提案だったが、冷静になる前なら不戦までは受け入れなかっただろう。いや、冷静になっただけでは受け入れなかっただろう。


老執事に深夜のことを聞いていて、バルドーも含め大賢者テックスや黒耳長族と敵対するのは避けるべきだと皇帝は考えたのである。


「街中で会ったテンマと呼ばれた少年のことはどう考える。たぶんあの時の執事がバルドーだろう。バルドーが執事をする人物が大賢者とすれば、テンマという少年が大賢者ということになる。しかし、大賢者にしては若すぎると思うがどうじゃ?」


皇帝の問いかけに老執事は考えてから答えた。


「大賢者の親族か弟子では無いでしょうか。それくらいしか現状では思いつきません」


「それくらいしか儂も思いつかんな。やはり情報が足りな過ぎるか……」


そうなるとノーマンの提案が重要になる。時間を掛けて情報を集めてから改めて方針を考える必要があると気付いたのだ。


だが時間を稼いでも、今のローゼン帝国にまともな外交をできる人材がいるのか不安もある。


今後はノーマンの存在がさらに重要になると皇帝は考えるのであった。



   ◇   ◇   ◇   ◇



ノーマンはすぐにヴィンチザード王国との外交方針をまとめてきた。グリード侯爵は不満そうにしていた。侯爵もこのままでは間違いなく大臣職は解任されるのだ。それでもまた失敗を重ねたらまずいと考え、皇帝の反応を見てから文句を言うつもりっだった。


ノーマンのまとめた内容と思惑はこんな感じだった。


・お互いに戦闘行為は行わない

 詳細にはわざと決めないのは、戦争を始める時はヴィンチザード王国側から破った工作をしやすくするためだ。

・お互いに外交使節を定期的に派遣

 必要な規則も決め、情報収集の拠点も作る。

・正式に両国の交易の経路を作る

 陸路と海路に当面は一箇所ずつ用意する。交易を始めれば情報収集しやすくなる。

・研修施設への出入りの許可

 大賢者の知識を学べる研修施設へ人を送り込む。

・エクス群島との交易と訪問の許可

 正式に許可をもらう。


外交としては常識的な内容ではあるが、これまでのローゼン帝国としては譲歩した内容でもあった。


グリード侯爵は不満そうにしていたが、皇帝はノーマンの提案を聞いて褒めた。


「目的に沿った内容で、必要以上に譲歩もしていない。ローゼン帝国としては問題ないがヴィンチザード王国は納得するか?」


皇帝がそう話すとグリード侯爵は驚いた表情を見せた。彼はノーマンの説明で不戦といっても表面的なことだと理解はできたが、ヴィンチザード王国に許可を求める行為が納得できなかった。


「最後の二つは判断できないと、王国側は言ってくると思います。それなら国の許可も必要ないことになります。エクス群島や研修施設に勝手に訪問して、大賢者や黒耳長族と直接交渉する理由になります」


皇帝はノーマンの話を聞いて大笑いする。そして交渉を進めるように命じた。


グリード侯爵は皇帝の反応に驚いていたが、ノーマンの駆け引きに内心では感心していた。そして下手にノーマンと対立するのは、もっと立場が悪くなるとようやく気付いたのである。



   ◇   ◇   ◇   ◇



ノーマンは条約の締結についてヴィンチザード王国側に人を送った。迅速に話を進めるために準備した書類も添えて送ったのである。


ヴィンチザード王国側からは予想以上に早く返事がきた。


予想通り研修施設関連とエクス群島のことはヴィンチザード王国としては判断できないと返答があったが、それ以外は喜んで条約を結びたいと返事があった。


すぐにローゼン帝国側からはノーマンとグリード侯爵、ヴィンチザード王国側はゴドウィン侯爵とマムーチョ辺境侯爵が条約の締結について話し合いが行われた。


内容の微調整はあったが、ローゼン帝国側の想定内の内容であった。ヴィンチザード王国側としても戦争を避けられるのであれば不満などなかったので、すぐに両国の合意は得られたのである。


そして式典の前にヴィンチザード王国の国王とローゼン帝国の皇帝が書類に署名して条約は締結されたのであった。

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