第3話 嵐の予感
エクス自治連合の執政官用の執務室にはムーチョとレイモンド、さらにはレーラもいる。
「これで引継ぎは終わりですね。後はレイモンド殿にお任せします」
あれから1ヶ月が過ぎていた。
バッサン子爵は署名された書類と新たな提案書を持ってすぐに公都に戻っていった。そして20日ほど過ぎた頃、ホレック公国側が領地割譲と不可侵条約を受け入れると。バッサン子爵に持たせた念話の魔道具で連絡がきた。
翌日には公都の隣にドラ美ちゃんが舞い降り、前回と同じ拠点が設けられた。
その日のうちに条約の詳細を宰相とムーチョが話合い条約は締結された。
条約の締結には公王が初めて出てきたが、エクス自治連合の執政官として署名したのがレイモンドであったことに驚き、裏切り者と罵倒し始めた。
すぐにムーチョが公王の首に剣を押し当てたことで、漏らして泣きながら謝罪を始め、宰相が必死に謝罪をする事態となった。
険悪な雰囲気にはなったが、無事に条約は締結された。翌日にはテンマがエクス自治連合とホレック公国の間に石造りの城壁を作り、お互いに行き来できるのは2つの門だけとなった。
「本当に私が執政官でよろしいのでしょうか?」
レイモンドは不安そうにムーチョに尋ねる。ムーチョは仮面を付けていないその状態で話している。
「よろしいのではなく、お願いをしているのです。あなたもエアル様のことはもう分ったでしょう?」
「ふふふっ、本当にエアル様は朗らかで楽しいお方ですわ。ですがあのお方では、エクス自治連合はすぐに崩壊してしまうでしょうねぇ」
レーラが楽しそうに話した。レイモンドは母親の話に頷くしかできなかった。
エアルにしても黒耳長族にしても碌に政治や経済など知らない、自給自足で過ごしてきた一族だとすぐにレイモンドも理解したのだ。
「わかりました。エクス自治連合といっても、ほとんどはホレック公国に見捨てられた領地です。彼らのために務めさせていただきます」
「ククク、本当に見捨てられたのはどちらでしょうかねぇ」
レイモンドの返事を聞いて、ムーチョは悪魔の笑みを浮かべて呟くのであった。その笑いを見つめながらレイモンドも同じような事を考えるのであった。
レイモンドもこの一ヶ月ほどでエクス自治連合の状況は把握していた。
自治領では塩の輸出も再開しており、ヴィンチザード王国との交易も活発に始まっていた。過剰な税を国が掛けなければ、これまでと同じように商売が成り立つことをレイモンドも初めて知った。
新たな海産物である昆布やわかめなども精力的に加工が始まり、塩と共に少しずつヴィンチザード王国でも広がり始めていた。それだけでも十分に各自治領はやっていけるのである。
エクス群島のダンジョンからは自治領で必要な量の魔石も供給され、ホレック公国に頼る必要は全くなったのである。
農地の少ないホレック公国は、小麦など農産物は他国に依存してきた。それらは塩と引き換えにほとんどをヴィンチザード王国から手に入れてきたのである。
エクス自治連合はヴィンチザード王国からも正式に存在を認められ、お互いに一切の関税をかけない通商条約を結ぶこともムーチョがまとめた。近日中にもヴィンチザード王国から使者が条約締結に来ることにもなっているのだ。
「これからホレック公国はどうなるんでしょうか?」
今さら心配をしているわけではない。何となくどうなるのだろうと思ったのだ。
地理的に見てホレック公国はヴィンチザード王国と直接交易はできなくなった。両国の間にはエクス自治連合が挟まる形になり、エクス自治連合との国境ではすべてに100パーセントの関税がかけられている。
これまで塩外交で買い叩いた農産物が通常の価格になり、関税をかけられることになったので、小麦ですら4倍近い価格になるだろう。
そしてホレック公国の海産物は輸出できる当てもなく、ダンジョン産の魔石や素材ぐらいしか他国に売れる商品がない。
ホレック公国もエクス自治連合に対抗して輸出する商品に100パーセントの関税をかけたが、エクス自治連合側で欲しがる商品はなく、輸出ができなくなっただけであった。
「これまで蓄えてきた財貨もあり、ダンジョン島もあるから堅実に政治をすれば何とかなるんですがねぇ」
ムーチョの話を聞いて、レイモンドはホレック公国の公王や重臣たちには無理だと思った。
彼らがこれまでの贅沢な生活を止めるとは思わないし、これまでいい加減な政治をしてきた彼らがやり方を変えられるとも思わなかったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「そんなことよりムーチョさん、お願いがあるのですが聞いてくださる?」
レーラが話の雰囲気を変えるようにムーチョに尋ねてた。
「なんでしょうか? 私のできることであれば対処しますよ」
「レイモンドはホレック公国で微妙な立場だったこともあり、まだ独身ですわ。もう王族でもありませんし、それこそ村娘で構いません。良いお嬢さんがいれば紹介してくれませんか?」
「は、母上!」
ムーチョはレイモンドの焦った姿を見て、その姿を自分に重ねた。
同じ王族で下級貴族から嫁いできた母のフリージアと、そんな母を守ろうとした下級貴族の祖父。そんな自分の生い立ちと、レイモンドの生い立ちや立場が近いことに、今さらながらに気が付いていた。
もしかして無意識にそんなレイモンドを救おうとしたのかと頭に過る。
そんなことを今さら考えても仕方ないと思いながら答える。
「私もそんなことを言う母がいたぐらいです。私には難しいと思います」
ムーチョがそう答えると、レイモンドはホッとしながらも残念そうな表情も見せていた。
「それならマッスル様にお願いできないかしら。マッスル様はあれほど素敵な女性たちに囲まれているぐらいです。他にも沢山の女性に知り合いはいないのかしらねぇ?」
「母上! マッスル様にそんなこと頼めるわけ無いじゃありませんか!」
レイモンドはマッスルの事を思い出して焦って母親のレーラに強く言った。
レイモンド達はすでにマッスルの普段の姿を知っている。見た目は成人したばかりに見える人族の少年で、改めてその姿で紹介された時も冗談だと思っていた。目の前でマッスル仮面に変身して、ようやく信じたぐらいである。
それでも、どこか納得できない気持ちがあった。あんな少年が化け物じみた力があると思えなかったのだ。
しかし、従魔にシルバーウルフだけでなく、人の姿だとリディアと呼ばれるドラ美様まで従魔にしていて、メイド服の美しい少女と女性が常に一緒にいる。伝説のハル様にも会えたのに、伝説のハル様も彼には服従していたのだ。
そして少年の黒耳長族との訓練は驚きの連続だった。
信じられない動きをするウサギ獣人の少女にまずは驚き、全員をマッスルが容赦なく倒す姿に驚き、そんな彼らを即座に治療するメイド女性に驚き、そしてマッスルも含めてそれら全員が一目置くようなメイド少女に驚いた。
レイモンドの中ではすでにマッスルは人外の神に近い存在にしか思えなくなっていた。
そんなマッスルに、自分の嫁の世話をお願いする母親のレーラに驚いたのである。
「マッスル様の知り合いの女性は、ほとんどマッスル様に惚れています。紹介するのは難しいかもしれませんねぇ」
「そうよねぇ~、若くてピチピチの可愛らしい少年で、将来有望ともなればねぇ。私も若ければ絶対に狙っていたと思うわぁ。ねえ、レイモンドの事はどうでも良いから、年上に興味がないかマッスル様に聞いてみてくれない?」
「母上ぇー!」
「いやいや、それは聞くまでもありませんねぇ。私より長くエアル様も惚れていますし、他にも何人か知っています。マッスル様は年上に言い寄られて、それほど嫌な顔はされていませんから、レーラ様ほど美しければ大丈夫じゃないでしょうか?」
「ムーチョ様ぁーーー!」
「あら、それなら頑張ってみようかしら。正妻はジジちゃんだから、たまにお相手を」
「母上ぇーーー!」
レイモンドが叫ぶと同時に執務室の扉がノックされ、使用人が入ってきて報告する。
「ヴィンチザード王国の使者様が到着なさいました。なんと使者は王妃様のようです!」
それを聞いた瞬間にムーチョの顔色が変わる。
「もしかして綺麗な女性が一緒ですか?」
「はい、何人も女性が一緒です。私はよく知りませんが、有名な魔術師の女性も一緒のようです」
それを聞いたムーチョはさらに顔色を変える。
「レイモンド様、引継ぎは終わっています。後の事はお任せします。私は大至急マッスル様に報告を!」
「何を慌てておるのじゃ、バルドー?」
その声を聞き、手遅れだったとバルドーは気付くのであった。
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