オリンピックデー


 ~ 六月二十三日(水)

   オリンピックデー ~

 ※一言芳恩いちごんほうおん

  ちょっとしたことにも、いつまでも

  忘れずに感謝すること。

  下手な勉強より先にこいつを

  教えれば、世の中良くなるのに。




 今日の英語の授業は。

 記憶力ゲームから始まった。


「先日、飼育小屋でちょっとした事件があってな。そのそばに、うちのクラスの生徒がいたらしい。……今から、十四日の夜、どこにいたか書いて提出すること」


 バカなやつだと思わなくはない。

 もし仮に、オウムを逃がした犯人がこの中にいたとして。


 正直に書くはずはない。


 でも。

 俺たちのことを心底信じ切ってるこいつに。


 ウソはつきたくねえって思わずにはいられねえ。


 こういった所は尊敬も信頼もできるんだが。

 普段の仕打ちと行って来い。


 とは言え今日の所は。

 ありのままを書いてやるか。


「えっと……、まっすぐ帰っただけ?」

「その前にマーダーミステリーで遊んでたことも書いた方がいいだろう」


 天才なのに受け身体質なことが災いして。

 必要な情報が何なのか把握できずに、言われた通りのことしかできないこいつ。


 舞浜まいはま秋乃あきの


 素直な所は美徳なんだが。

 もうちょっと頭使って生活しやがれ。


「さて……」


 時刻も書いた方が良さそうだ。

 部活の終了時刻を越えてたことも正直に書いて。


 部室から真っすぐ帰った事実と。

 乗った電車の時刻。


 後は家までの経路を書けばいいかな?



 ……クラスの半分くらいだろうか。

 事件のことを知ってるやつらが、知らないやつらにあらましを話してるせいで。


 授業中なのに。

 それなり騒がしい時間。


 だが、今日の先生は。

 それを咎める様子もない。


「よし、書き終わったか? 一番後ろの席から前に。右から左に。記入した紙を安西の所に集めろ」


 そして、コピー用紙が次々と束になって流れていく中。

 俺は、ふと思い出した。


 あの日、帰ってすぐ。

 凜々花が今年初のかき氷に夢中になって。


 1.3キロ入りの氷を半分食い散らかしたところで。

 腹がいてえとか言い出したから。


 カンナさんとこにクスリ貰いに行ってたんだっけ。


「……そこまで細かく書く必要あるのか?」


 すでに授業は始まっていたが。

 なんとなく、私語が続く教室の中。


 俺は委員長の席まで歩いて行って。

 一行書き足させてくれとお願いしようとしたんだが……。


「ん? 委員長も書き直しか?」

「ひあっ!?」


 ごしごしと、消しゴムかけてたところに話しかけてみたら。


 絵に描いたようなリアクションされて。


「……今度は消しゴムなくす気かよ」

「ほほほ、保坂が急に話しかけるから!」


 持ってた消しゴムを、教室後ろへ大遠投。

 飛びも飛んだり十一メートル。


 一番後ろの廊下側。

 りゅう君が見事にキャッチして小さな歓声が上がる。


「ご、ごめんね? こっちまで送ってくれる?」

「ああ」


 そして、クラスを斜めに横断する。

 聖火リレーが開始されたんだが。


「しまっちゅ、いつも頑張ってるからな。二十円チョコ付けちゃおう」

「あたしも、こないだしまっちゅに掃除当番代わってもらったからお菓子付けよ」

「まてまて。しまっちゅが、居眠りしてた俺を庇ってくれた恩を返させろ」

「しまっちゅしまっちゅいうな!!!」


 聖火にくっつくオマケの数々。

 きっとここまで戻ってくる頃には。


 キャンプファイヤー並みの業火に化けていることだろう。


「……まあ、そんな事より。俺のいた場所書き直してえんだが」

「ダメよそんなの。不正は認めないわ?」


 別に不正じゃねえし。

 それに今、お前だって消しゴムかけてたじゃん。


 そう言いたかったが。

 どうしてだろう、指摘する気になれない。


 委員長の瞳の色に。

 やましい心を感じない。


 俺は、そんな曖昧な感覚に従って。

 一旦口をつぐんで熟考した。


 委員長が、手で隠すように押さえたプリントの山。

 一番上に置かれてるのは、メイジの行動履歴か。


 まさか、残る三十一枚の中からスパッと抜き取って。

 自分のを引き当てることなんてでき無かろう。


「よし。正々堂々、正攻法で口説こう」

「不正の時点で正々堂々としてねえわよ」

「委員長、プリン好きか?」

「あんたの頭の中じゃワイロは正攻法なのね、驚いたわ」


 くそう。

 ああ言えばこう言うやつだ。


 別に、書き直す必要はないと思うんだが。

 ここまでくるとムキになる。


 しょうがねえ、最初に思った通り。

 ほんとは秋乃にあげようと思ってたんだが。

 カッププリンを進呈しよう。


 クラスの皆じゃねえけど。

 俺も、委員長には世話になってるし。

 強引に取ったりとか、迷惑かける訳にいかねえからな。

 

「あ! この二十円チョコ好きなのよね! じゃあ三色ボールペンと交換で……」

「おお。ちょうど赤ペン欲しかったんだ。ペットボトルのお茶と交換しよう」


 俺が、カッププリンを持って委員長の席に戻るまでの間に。

 気付けば始まっていたわらしべ長者。


 最終的には何が戻ってくるのやら想像もつかんが。

 こいつに勝てるはずはあるまい。


「ほれ」

「うぐ…………」


 俺は、知ってるからな。

 お前の好物。


 プリンで簡単に買収できる委員長は。

 しばらく俺をにらんだ後。


 観念したようにプリントの束から俺の名前を探し始めたんだが。

 その時。


「……しまっちゅ。これ」


 五十嵐さんの席から。

 消しゴムが戻って来た。



 ……うん。

 戻って来た。



「「これのどこが消しゴム!?」」



 よく見れば。

 消しゴムが添えられてはいるんだが。


 これを称して言うならば。

 いや、待て待て。


「どうしてプリンアラモードになった!?」

「ほんとよ! なんでこんなことに!?」


 直径三十センチはあるガラスの器に。

 ででんと盛られたフルーツに生クリーム。


 そして中央にプルンプルン揺れる。

 巨大なプリンの存在感。


「いや、いつも世話になってっから……」

「自分の欲しいものと交換してるうちに……」


 そんな声が、クラスの至る所から湧きあがると。

 委員長は、俺が持って来た安物を手の甲で払うように押し戻して。


「いつも我慢してみんなのためにやってきてよかった……」


 目に涙を溜めながら。

 みんなの感謝の気持ちを口にする。


「みんな! ありがとう! すげえ美味い!」

「いやいや、いつもありがとうな、しまっちゅ!」

「大好きよ、しまっちゅ!」

「しまっちゅバンザイ!!」

「しまっちゅバンザイ!!」

「ええい、どいつもこいつも! しまっちゅいうな!!!」


 いつもの言葉を口にしながら。

 無邪気な笑顔をみんなに見せる委員長。


 親切は他人のためならず。

 そして、感謝の気持ちは。

 こうして得難い宝物へと昇華する。



「…………おい、保坂」

「なんだよ」

「ここで安西を立たせたら、俺が悪者になるだろう」

「なるほど。だったら貸し一つだ」



 まあ、いつも世話になってるからな。

 先生への貸しって訳じゃねえ。


 俺は、嬉しそうにプリンを頬張る委員長を横目に。

 いつもの場所へと……?


「なんでお前も立とうとしてんだ」

「か、感謝の気持ち……」



 そうか。

 感謝か。


 ならば邪魔なんて思わねえ。


 俺は、感謝の気持ちを忘れねえ、優しい友達を伴って。

 ようやく本格的になり始めた梅雨の景色を窓から一時間ほど楽しんだ。

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