第2話 あるスカウトに届いた動画

 (常川は夏でひと皮むけたかと期待して来たが、やはりまだ荒削りだな。だが時折目を見張るものがあるのも事実。上位指名はあり得ないが、下位もしくは育成であれば……?)


 北九州ファルコンズのスカウトである佐藤 浩二は高校野球秋季大会九州ブロックのとある試合を観戦していた。

 今年のドラフト会議開催まで一ヶ月弱。すでに指名選手のリストアップなどは選定が終わっていて、指名順位の最終調整などが残っているとはいえ、もうそこまで行けば俺の仕事ではないと佐藤は業務部長からのお小言も無視して球場へ足を運んでいた。


 球団は、今年の1位氏名を競合覚悟で夏の甲子園優勝校である大阪藤陽の捕手でありながら超高校級バッターである真鍋 康介を強行指名するようだが、佐藤はその決定にどうしても納得出来なかったというのもある。

 マスコミは過去最高の打者などと祭り上げているが、佐藤からしてみればどこまで行っても高校級であり、プロでは通用しないと見ていたからだ。


 とはいえ佐藤も雇われの身であり、上層部が決めた事に真っ向から反論するつもりはない。

 手にもった缶コーヒーをグビッと飲む。

 普段はさして感じないはずの苦味が妙に口の中に広がって、思わず顔を顰めた。

 若かりし頃に2軍で燻っていた佐藤がとある事情から監督と口論になった結果、さくっと戦力外になった事を思い出しからかどうか。


 毎年それなりの選手を発掘し、球団へ上げているという自負はある。

 一昨年のドラフトで6位指名した左腕ピッチャーの成田 一平は、全国知名度は非常に低く他球団のスカウトからは、流石は金満球団だ金をドブに捨てるのだからと揶揄されたが、周囲からの前評判を覆すように今年は1軍に帯同し続け、気づけば準レギュラーまで上がってきている。


 そういった実績もあり本人はそれなりの自信と矜持は持っていたが、どうにもこの仕事に楽しみを感じられなかった。

 青臭いといえばそうなのかもしれない。

 自分が推薦する・しないで一人の人生を大きく変える可能性がある仕事に従事している者としては意識が低いのかもしれない。

 それでもやはり佐藤は、自分の胸に中にあるはずの熱い『何か』が燃えたぎるものを探していた。


(まぁ、だからその『何か』を探してスカウトしてるんだがな)


 うだうだ言ったところで結局のところ自分には野球しかないのだ。

 本当の本当に野球しかしてこなかったのだ。

 現役時代も含めて夜遊びもほとんどしたことがない。

 女は小学校からの幼なじみでプロになる時に結婚した嫁だけ。

 先輩や後輩との交流もさしてしておらず、ただただ野球を白球だけを追い続けてきたと言ってもいい。

 人間関係がプロ野球界全体要素の五割を占めていると言われる中で、佐藤は恐ろしく独りだった。

 野球脳だけは進化し続けた結果、今の球団に評価されて今の仕事に就けていると考えれば結果的には良かったのかもしれないが。

 

(とはいえ、もう限界かねぇ。田舎に引っ込んでアレの実家の畑を手伝うのもアリかもなぁ……)


 片田舎の高校出身だった佐藤には球界での力は無いが代わりにしがらみもない。

 今の球団から首を切られたら拾ってくるところは無いだろう、であれば身体がまだ動く今のうちに妻の実家で営んでいる農家業を継がせてもらうのも、と考えていた。

 きっと嫁も喜んでくれるだろう。


(昨年も全く同じことを考えていた気もするな)


 思わず苦笑する佐藤。

 結局のところ、どこまで行っても野球が好きなのだろうなと独り言ちた。


 

『佐藤さん佐藤さん! ちょっとすぐ見てほしいものがあるんですけど!』

「あぁ……? やっとホテルに入ったってのにどうしたってんだよ」

『お疲れ様です。……そんな事よりも見てほしいんですよ!』

「そんな事って、んでなんだ? お前まだ本社に詰めてるはずだろ」


 近くの食堂で夕食を終え、ビジネスホテルへチェックインしたばかりの佐藤へ同僚の小宮から連絡が入った。

 小宮は佐藤が十年前にスカウトした選手で、期待されたがあいつぐ怪我で4年前に引退した選手だ。

 高校生時代から周囲に『小監督』と呼ばれるほどに野球脳が高い小宮であったが、まさか自分がスカウトした選手が同僚になるとは思っていなかったので、ひどく驚いたものだった。

 そんな小宮も本社でドラフト指名の最終調整に入っているはずだったので、慌てて連絡を寄越した小宮に訝しく感じた。

 

『とりあえずメールするんですに見てください!』


 後でまた電話しますから!

 そう言って小宮が電話を切った。

 はぁ……と小さく息を吐いてノートPCを立ち上げた。

 早々にメールボックスを見ると、まだ小宮からのメールは届いていない。

 佐藤は近くのコンビニで買い込んだ袋から缶ビールとピーナッツを取り出し、それらに口を付けながらメールを待つ。


「ふっ……」


 ふと、先程の小宮の口調が浮かび上がってきて思い出し笑いがこみ上げる。

 思えば、当時から小宮はあの口調で俺に話しかけてきていたな……。

 ピッチャーで4番だった小宮だが、プレイと性格はまるで異なっていて、人懐っこくて、職人肌気質の小宮のプレイが佐藤は好きだった。

 超一流ではなかったが、140キロ台前半のストレートといくつかの変化球を混じえて淡々と投げる投球術は球界にもそれなりにファンがいたし、佐藤もその一人だった。


 ビールを傾けながら小宮のプレイを思い返す。

 散々に球団からは本当に大丈夫なのかと念押しされての獲得だったが、リリーフとしてそれなりに活躍したのだからやはり自分の見識眼は間違っていなかったと佐藤の自信の一角になる選手だった。


 佐藤が缶ビール片手に回想を浮かべていると、またしても携帯が鳴った。

 画面を見るとそこには小宮の名前。

 まるで昔の恋人か、とでも考えて苦笑してしまう佐藤だった。


「はいはい、なんだ小宮」

『メール送りましたけど見てくれました!?……ってなんで笑ってるんですか』

「いや、何となく昔のお前を思い出したんだよ」

『何スかそれ……』

「そういえばお前が坊主だった時も、俺が学校に行ったらよく『佐藤さん! 佐藤さん!』って言ってたよなぁ、と思ってな」

『……』

「あの怪我がなけりゃなぁ、今頃お前ならまだ現役でいられただろうなぁ……」


 俺みたいな奴とこんな泥臭い仕事なんてしていなかったかもな、そう佐藤がポツリと呟いた。


『俺、今の仕事嫌いじゃないですよ。泥臭くボールを追いかけるか、泥臭く動き回るかだけの違いですし』

「……そうか」

『それに俺、佐藤さんには本当に感謝しているんですから』

「俺に感謝? お前がぁ?」


 小宮の言葉に思わずおどけてしまう佐藤。

 ふざけた口調で言われた事はあったが、こんな風に真剣に言われたのは初めてだったからだ。


『はい、本当に感謝してるんです。それにこれは俺だけじゃなくて、今まで佐藤さんに取ってもらった選手はみんな佐藤さんに心底感謝してますから』

「……」

 

 だ、だからさっさと動画見てください!

 言っていて恥ずかしくなったのか、小宮は早口でそう言うと一方的に電話を切った。


「久しぶりに成田の顔でも見に行くか」


 小宮の言葉に気を良くしたのか、佐藤は笑いながらそう言う。


「さてさて、そんな小宮がさっさと見ろというのは何だァ?」


 すでに届いている事は分かっていた小宮からのメールを慣れない手でポチポチと開く。

 そこには一本の動画が添付されていた。

 ファイル名は【大阪藤陽×大阪府立南野学園 2022年9月22日】とある。


「大阪藤陽との練習試合という事か? しかもごく最近の試合? ……いや待て、そもそも南野学園なんて聞いた事もないぞ」


 佐藤は最近は独り言が増えたと自覚しながらも、ブツブツと言いつつブラウザを立ち上げる。

 大阪府立南野学園と入力、すぐに検索結果が表示される。


 学園のHPを見ると、どうやら屈指の進学校のようだった。

 関西の有名私大に限らず、国公立大学にも多数進学しており、少ないが東大京大などにもポツポツと進学しているようだ。

 サイトのどこも見ても野球部に関わる内容はろくに書かれておらず、唯一、部活動紹介ページに小さく1枚の画像で掲載されているだけだった。


 なぜこんな進学校が大阪藤陽と練習試合を……?

 というかまともに試合になるのか? 早々のコールドゲームでは?


 何一つ理解出来ていなかったが、まずは動画を見ようと思い、2度クリックした。

 すぐに動画視聴ソフトが立ち上がる。佐藤は2本目の缶ビールを開けながら再生を待った。



 三十分後、そこには開けてから一滴も減らないままの缶ビールを片手に画面に釘付けになる佐藤がいた。

 目の前の光景が信じられない。

 瞬きを忘れて目が乾燥で痛みを覚えるほどに集中していた。


「……ん?」


 ふと画面を見ると、何やら注目を一心に浴びているピッチャーが何かをバッターに向けて言っているようだ。

 その相手バッターは、今年の1位指名を決めている真鍋 康介で、苦々しげな表情だった。

 動画を少し巻き戻し、いつもの癖でミュートにしていた音量を最大まで上げる。

 無観客試合の為だろう、風の舞う雑音なども時折聞こえるが、ベンチの応援する声などもはっきりと聞こえた。


『いいですかー! 今からインコースビタビタに投げますからねー! 球種は教えないけど、ちゃんと打ってくださいよー!』


 マウンドに立っているのは小柄な左腕投手。背番号は17を付けている。

 口調は下手だが、言っている内容は煽り以外の何物でも無かった。


『この動画はファルコンズにも見てもらうんですから、本気出してくれないとボクも困るんすよ~』


 ヘラヘラしながら真鍋に言う投手。

 思わず藤陽ベンチは青筋を立てながら【絶対打てー!】【何ならヤッてまえー!】と応援を通り越してもはや暴言まで飛び出している。


 そんな相手ベンチの殺意のこもった言葉にさえ、ヘラヘラと笑うマウンドのピッチャー。

 途端、それまでの態度とは打って変わって真剣な表情に変わった。


『――、フッ』

「ん? 何か言ったが聞こえんな」


 ピッチャーの言葉は拾えなかったが、それまでの態度とは打って変わったピッチャーの様子を真鍋も感じたようだ。

 今にも殺しそうなほどの殺意は変わらずだが、しっかりと落ち着いてピッチャーを睨んでいる。


 ワインドアップポジションから大きく両腕を上げてオーバースロー。

 次々と投げられるその数十秒を見て、ハッとした佐藤は慌てて缶ビールを置くと携帯を手に取った。


 

『はい、小宮でーー』

「おい小宮、あれはどういう事なんだ!」

『フッフッフッ、佐藤さん見てしまったんですね』

「だからあれは一体どういう事なんだよ!」

『ちょっ、そんな大声出さなくても聞こえますって……』


 耳を携帯から離したのだろう、少し小さくなった小宮の声にわずかに落ち着きを取り戻した佐藤。

 佐藤も携帯を一旦離し、ふぅぅ……と大きく深呼吸する。

 なんとなしに心臓の鼓動を確かめるように右手を胸辺りに数秒あて、十分に落ち着いた事を確認してから再度携帯を耳に近づけた。


『どうです? 落ち着きました?』

「あぁ、すまんもう大丈夫だ」

『いえ、佐藤さんの言いたい事は分かりますし。何だったら本社はもっと大混乱してますから』

「そりゃ、まぁ……」


 そうなるだろうな、いや、アレを見て混乱しないわけがないと思った。


『で、本題なんですが……』

「おう」

『僕らにも分からないんです』

「……は?」


 小宮の言葉に思わず苛立ちを隠せずにいる佐藤。

 本気で苛ついているのだと感じた小宮は、慌てて言葉を続ける。


『ちょっ、いや佐藤さんをおちょくっているわけじゃないんです。僕らも本当に何も分かっていないんですよ』

「……どういう事だ?」


 声を荒らげそうになるのを必死に抑え、できる限り抑揚を抑えた口調で言う佐藤。


『いや、実はこの動画は大阪藤陽の真鍋から届いたんですよ。絶対に見てくれって。さっき部長宛に』


 ほら、そのメールも真鍋からの転送になっているでしょ? と言う小宮。

 お前それ、規定上ダメだろ……と呆れつつ、動画元になっていたメールを遡っていく。

 確かに最初の送信元は大阪藤陽の真鍋からになっていた。


 どうやら送り先はファルコンズの総合窓口メールアドレス宛のようで、ファイルサイズの問題の為か、ダウンロードURLとともに、簡素な文章が書かれていた。


【大阪藤陽 真鍋 康介です。 こちらの動画を是非ともスカウトの方々に見て頂きたくメールしました。内容以上の事は僕にも分かりません。ですが、どうしても推薦したくメールします。】


 とあった。

 ますます意味が分からない。

 先程の動画を見る限り、絶対にこの動画を送るはずがない真鍋からのメールにはてなが佐藤の頭上にいくつも浮かぶ。

 あれだけ煽りに煽られたのだ。しかも甲子園優勝校の4番で扇の要が、だ。


『ね? このメールだと意味わかんないでしょう?』

「そう、だな……」

『僕らも今見てますけど、どう考えてもありえない光景じゃないですか』


 確かにそのとおりだ。

 今も画面を流れ続けている動画を見ても、何一つ理解できないし、あり得ない光景だ。

 だが、左腕ピッチャーは淡々と大阪藤陽に投げ続けている。


『だからですね、佐藤さんに明日大阪に行ってもらいたいんですよ』

「はぁ? 明日って明日か?」

『はい、明日っていう明日です。しかもなるはやで』

「明日はいくつかの高校を廻る予定だったんだが」

『それは明日じゃなくてもいいでしょ? この選手は明日見ないとダメなんです』

「……なぜだ?」

『この選手、どうやら三年生らしくって、プロになるなら今週中に志望届け出してもらわないと』

「あっ」


 小宮の言葉に思わず声が出た。

 そうか、この選手が本当に逸材で、是が非でも取るのであればすぐにでも動かないと間に合わない。

 何が何やらまだ理解出来ていないが、とにかく動かねばならないらしい。

 スケジュールを早速今から脳内ではじき出し始める佐藤に小宮が言う。


『本当は僕も行きたいんですが、ほら、佐藤さんってこういうの好きでしょ?』

「あン? 俺が好きって何がだよ」

『泥臭い仕事ってことですよ』

「やかましいわ!」


 佐藤は、小宮の言葉に思わず声を荒らげて電話を切った。

 だがそれは本気の怒りではなく、なかば冗談を言い合っているような感覚だ。


 こんなやり取りを誰かとしたなんて、久しく無かったな……。


 佐藤は小さく笑うと、すぐに思考を切り替えて明日の準備に取り掛かる。

 始発から動けば昼過ぎには大阪入り出来るだろう。

 新幹線の時刻表などを見ながら、佐藤は携帯で明日伺う予定だった数校の監督に詫びの連絡を入れる。

 

 急遽の予定変更であるために、各校の監督に詫びなければならないはずなのに、妙にウキウキした様子の佐藤に監督たちは怪訝な声色だったという。


 その日、佐藤は眠りにつく直前まで何度も何度もその動画を見ていた。

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