第12話
薄く広がる魔力は全体像で感じられた。
頭の中で浮かぶ地図と、精霊に共感して視る魔力を合わせれば全て把握できている。
俺は戦場を全て掌握した。
――そして今、平原での戦いが始まろうとしている。
不気味なほど静かだった森を前に騎士団が隊列を組んでいく。
横一列に並んだ騎士に左右に点々と固まる冒険者達。
その後ろには詠唱を唱える魔法師団が控え、兵士と傭兵が守るかのような立ち位置でぞろぞろと一塊となっていた。
――開戦の合図は魔法師団による遠距離高火力での一斉攻撃が行われた。
全て火属性で統一された魔法は森を焼失させる勢いで爆音を轟かし、森の至るところへ着弾していく。
火が燃え、黒い煙が上がる。
静寂だった森は慌ただしくざわめき、魔物の怒号が鳴り響く。燃え盛った木の合間からは、怒り狂ったゴブリン達が出てきた。
ぱちりと木の枝が燃え折れ、背の低い雑草へと落ちていく。それを踏みにじって現れたのは軍勢と呼ぶべき数の魔物。
ゴブリン、オーク、トロール、オーガ、コボルト。
五種類の魔物によって編成された数は千を超え、魔物の王が三体も姿を現した。
――一番先に出てきたのはゴブリンキングだ。
数多くの小さなゴブリンを尖兵に、巨大な体躯で木々をかき分けて平原へとやってくる。
二つ名は『国堕とし』と付けられたゴブリンの最上級変異種。
緑色の巨大な図体に鎧を着込み、血がこべりついた大剣を片手に持っている。王の証とも呼べる王冠を頭に飾り、首には人骨らしき髑髏が飾られていた。
ゴブリンキングが浮かべているのは憤怒の形相。
地面が揺らぐほどの体躯を持つ魔物の王は、一歩一歩とゆっくりと平原へと踏み入れ、肺から振り絞った怒号を平原に響かせた。
対する騎士達は本物のゴブリンキングを前に、青白い顔を浮かべて腰が引けていた。
火の粉が舞った森を背中に、ゴブリンキングは深い笑みを浮かべ、人では決して理解できない言葉をゴブリンキングが放つ。
剣や弓を持ったゴブリンの尖兵が呼応する。
「キヒッ!」
ゴブリンが次から次へと森から出て、王の言葉に従うように駆け出していく。
「総員、剣を掲げよ!」
『はっ』
反面、騎士団長による一喝によって騎士達は片手で持った剣を縦に掲げ、戦闘体勢に入った。
士気が上がった騎士団だが、それを見計らう二体目の魔物の王がやってくる。
「エイユウ、を、コロせ?」
「エイユウ、を、タベる?」
「エイユウ、を、ナブる?」
爛れた醜い顔が三つの巨大な魔物がのっそりと森から這い出てくる。
トロールキング。別名、『三首の悪意』。
人語を理解し、魔法を使うとされる魔物の最上級変異種。
泣き顔、怒り顔、困り顔と、それぞれ皺が多い顔は三方向を向いており、別名のとおりに首が三つある。
悪意に満ちた魔物と言われ、人を玩具のように扱う性質がある。心が折れるのを楽しむかのように人を殺し、容赦なく蹂躙していく様から三首の悪意と名を付けられた。
トロールキングの頭には骨で作られた三個の王冠が飾られ、王の証として存在している。
眷属のトロール達は丸太を武器にするが、トロールキングは魔法を使う。
片手で丸太を引きずりながら前進するトロールを肉壁にし、魔物の王は醜い顔を更に歪めながら歩いていく。
「ブフォォッッオオ!」
次にやってきた魔物の王はオークキング。
『略奪者』という別名は全ての物を奪っていく様から付けられたもの。
同族以外は敵と認識し、目の前に走るゴブリンすら後ろから頭を掴み、口へと持っていき咀嚼する。
涎を撒き散らし、狂った瞳に豚の顔をした二足歩行のオークキング。胴体だけとなったゴブリンを放り投げ、前方にいる者を全て喰らい尽くしていく。
出揃った魔物の王達。
前線に立つ騎士達は三体の王を前に統率が危うくなる。
数十年もの間、誰もが討伐できずにいた魔物がすぐそこにいるのだ。
ゴブリンキング金貨五千枚。
トロールキング金貨三千枚。
オークキング金貨二千五百枚。
討伐報酬としてこれほど額が高い理由は高名な冒険者が挑んで敗れているからだ。討伐隊が組まれて挑んでも全滅し、人では勝てないと言われている魔物の代表格である。
そんな化け物に相対するのは人族の英雄。
剣聖が青く輝く剣を一振りし、ゴブリンを数十体まとめて切り裂く。
赤髪を靡かせ、肩に担いだ剣は血を滴らす。
後ろにいた魔法師団の中で、先頭に立った女性が魔法を紡ぎ、特大の魔方陣が空に顕現して火の槍が創られる。
長い金髪の巻き髪を横へかき上げた女性は魔物を一瞥し、魔法の槍が撃ち下ろす。火炎の槍が無差別に魔物を貫いていき、前線のほうで歓声が上がった。
最後方に陣を置く聖堂教会は神官達が聖女を筆頭に、神への祈りを紡いでいく。
言霊と共にゴブリンの集団の中心点、光輝く結界が作られて攻勢を阻み、次第に圧縮していく。
なすすべなく、ゴブリンはまとめて固められていき、結界の内側にいたゴブリンは収縮と共に圧殺されていった。
――剣聖、賢者、聖女。
英雄も出揃った。
戦場となっている平原とは打って変わり、警備を任せられた俺達は暇であった。
無人となった店先の軒下で座り込み、体力を消費しないように休んでいる。
ティリアは大きめなバックを下ろし、お菓子をもぐもぐと食べていて、リティは横で軽いストレッチを始めている。
そんな俺は石畳に座り、弛緩した背中を店の入り口に預けて魔力の流れを読み取っていた。
平原に浮かぶ精霊体に意識を集中し、状況を確認している。
「……今のところ優勢だな。英雄の力が凄まじい」
「遠いのに、そんな、分かるもん?」
両腕を上に伸ばしたまま左右に体を曲げたリティが聞いてくる。
「意識を集中すればいけるよ。長くやってると凄い疲れるけど」
「お菓子は疲労に効きますよ。ハルトさんも食べます?」
「なら、頂こうかな」
差し出された甘味を頂戴し、食べると爽やかな風味に甘いサクサクとした食感。
「……上手いな」
「ふっふっふーん。ですよね!? これ、とっても美味しくて人気なんですよー」
「ねえ、ティリア。ずっと思ってたけど……そのバックの中身、お菓子ばっかりな気がするんだけど」
「そ、そんなことないですよ。ほら、魔力回復薬もたくさんありますよ!」
バックの中身を地面に置いて、ポーション類が敷き詰められた底を見せてきた。
二十本以上はある。充分な量である。
「……でも、七割はお菓子なんだな」
「……遠足に来たわけじゃないのよ?」
「わ、わかってますっ。でも、甘いもの食べないと落ち着かないんです!」
必死に訴えてくるティリアに苦笑いしつつ。
「ま、まあ、いいんじゃないか。必要なものはあるし、甘いものはストレス軽減になるしさ」
「ハルトがそういうならいいけど……」
そんな賑やかに話しているとコツコツと音を立てて、一人の冒険者がやってきた。
十代後半ぐらいの歳で、俺と同じぐらいの男だ。
「あー、隣の区画で警備してる者だけどよ。真面目にやらないとしばかれるぞ……?」
「ど、どなたですか。この人」
いきなり現れた男にティリアとリティが二人して顔を見合わせる。
「わりぃ、挨拶がまだだったな。おれはカーセル。Dランクのパーティーリーダーやってる。あっちで警備してんだけど、あんたらが駄弁ってるの見えてな……」
指差した先にはカーセルという男のパーティーメンバー達がこっちを見ていた。
五人居て、四方に立って警戒している。
「……ああ、そういうことか。すまない、俺はハルト。パーティーリーダーをやってる。ここに魔物が押し掛けてくるときは城壁に設置された鐘が鳴るはずだ。戦うときまで体力温存の指示を出してたんだ」
「いや、悪いな。体力温存ってのも分かるし、暇っていうのも同感だ。ただ、あんまり寛いでるのをおれのパーティーメンバーが見ててさ……生真面目なやつが多くてよ。注意してこいって、すまねえ」
「いやこっちこそ、すまない。そういうことなら、挨拶しに行ってもいいか?」
「いいのか? できるなら頼みたいが」
「非常事態で連携を取るかもしれないしな」
「なら、頼む」
「あ、ハルトさん! これ、差し入れに持っていってください」
ティリアがお菓子の詰められた袋を渡してくる。
「ありがとう。渡してくるよ」
受け取ったお菓子の詰め合わせを片手に、隣の冒険者達へ挨拶していく。お菓子を渡すとめちゃくちゃ喜ばれた。王都一の有名店のものだったらしく、中々手に入らないものらしい。
それなりに仲良くなってティリアとリティも混ざったりして、冒険者同士の交流を広げながら時間を消費していく。
王都内に緊迫した状況が訪れたのは昼過ぎであった。
「やばい、来るぞ……!」
「え、え?」
「ハルト、どういうこと? 説明して」
魔力を読んで魔物と討伐隊の動きを読んでいた俺は慌てて立ち上がり、城壁を睨んだ。
平原では騎士や冒険者、魔法師団と神官のおかげもあって戦況はやや優勢であった。
しかし、それを許さなかったのは三体の魔物の王。
始めに、トロールキングが魔法を唱え、大地をせり上げたのだ。
――土属性の魔法。
大地が割れ、傾斜になる単純な魔法。
それが広範囲に渡って行使され、交戦している騎士やゴブリンがまとめて足場を失って転がっていく。
戦線が崩されたところをオークキングが突貫し、騎士を捻り潰していく。
多数の魔物も加わり、前線の維持が難しくなった。
徐々に劣勢となってすぐに騎士達は体勢を直そうとするも、またしてもトロールキングの魔法によって転ばされる。
魔物と騎士が入り乱れた状況で、一気に戦況が動いていく。
そこで、ゴブリンキングがせり上がった大地へ跳躍した。ゴブリンの死体や騎士の亡骸を踏み潰し、どんどんと突き進んでいく。
ゴブリンキングが吠え、トロールキングへ顔を向けて叫ぶと力を溜めた。
足が徐々に太くなり、魔力に覆われた筋肉が纏っていく。
――跳ぶ気だと、見る者は解った。
『国堕とし』
眷属のゴブリンが多数いるからでは埋められない差を単体で埋めるほどの強さ。
実際に単独で国を堕としたからこそ語られる二つ名であり、ゴブリンキングは膂力と跳躍力が魔物の中でも飛び抜けていた。
ゴブリンキングが両足に溜めた力で地面が陥没する。
剣聖センラがいち早くゴブリンキングに気付き、至近距離で剣を振るう。
だが、大剣で受け止められ、脇腹に丸太のように太い腕を横凪に吹っ飛ばされた。
跳ぶのを邪魔をされたゴブリンキングは唸り声を上げると片足を前に踏み込み、体全体を使って大剣をぶん投げる。
それは、体勢を崩した剣聖に向けられた攻撃ではなかった。
一直線に飛来した大剣は本陣を無視し、城壁へぶち当たる。壁の一部を粉砕し、上にいた兵士が巻き込まれ、壮大な音を響かせた。
唖然。
城壁が崩れ堕ちたのを、誰もが後ろを振り返って眺めていた。
目の前にいる騎士達を無視するとは思っていなかったのだろう。
交戦中に起きた僅かな隙を狙って、ゴブリンキングはせり上がった大地を踏み抜き跳躍を始めた。
――数十秒、僅かな時間で城壁の直ぐそこまでゴブリンキングは辿り着いた。
騎士も、冒険者も、魔法師も、神官も、全てを無視して国の入口へたどり着いてしまったのだ。
剣聖が、賢者が、聖女が、全力をもってゴブリンキングを止めようとする。
しかし、他の魔物の王と眷属達が邪魔をして許さなかった。
「――――ァァアァッっ!」
俺が見上げた先、破壊された城壁から見下ろすのは、魔物の王が一体。
通称、『国堕とし』のゴブリンキング。
「……あれって、ゴブリンキングよね」
「……う、嘘ですよね。なんで……」
「……リティ、ティリア。二人でギルド本部へ走って報告してくれ。予想しなかった緊急事態だ」
ゴブリンキングから目を逸らすことができず、二人へ指示する。
俺達は長期戦を予想していた。魔物の数が相当多く、長引くと見据えていた。しかし、戦力が手薄となった王都内部を真っ先に狙ってくるとは考えもしなかった。
「わ、わかったわ」
「い、行ってきますっ。ハルトさん、すぐ戻りますから!」
駆けていった二人に報告を任せた俺は深呼吸した。
もう、王都内だからといって、どこも安全とは言えない。
殺るか、殺られるか。
「おいっ! ハルト! あれって……」
駆け寄ってきたのは隣の区画を警備してるカーセルだ。
「……ゴブリンキングだ。カーセルたちも逃げたほうがいい。ここはもう安全じゃなくなる」
「ゴブリンキングって!? はぁ!? お前はどうすんだよ?」
「俺も逃げるさ。ただ、やれることはやるつもりだ」
「っ、分かった。この辺の警備のやつらに声かけて避難させる。何すんのか知らねえけど、気を付けろよ」
「ああ。そっちもな」
城壁で大剣を突き刺し、睥睨するゴブリンキングは王都を一度見渡すと城壁を越えて中へと降りてきた。
――カンカンカンッ!
と、鐘の音が辺りに鳴り響く。魔物が中へと侵入した合図だ。
本来ならこれで魔物を警戒し、倒せる魔物なら倒すか手に負えない魔物なら迅速に報告するのだが、やってきたのは英雄が相手にするべき最上級魔物。
城壁内で待機していた兵士や冒険者が混乱の最中に包まれる。突如として現れたゴブリンキングに近くにいた者は抵抗することもできず、一捻りで殺されていく。
血飛沫が舞い、大剣の一振りが風圧となって吹き荒れる。
手掴みで兵士を潰し、遺体となった亡骸を建物に放り投げるゴブリンキングは雄叫びを上げながら暴れている。
近くにいた者を手当たり次第に殺し回る暴君を、誰も止められずにいた。
――兵士が真っ二つにされ、冒険者が握りつぶされる。
「――くそッ」
俺は弓矢を取り出す。
鎧を着込んだゴブリンキングに効果は無いにしても、みすみすと殺させるわけにはいかない。
誰もが逃げ惑う中、俺は弓を引いた。
――集中し、ゴブリンキングの眼球へ狙いを定める。
動きを予測し、風の流れを掴み取る。
薄い魔力の感知を全て放棄し、ゴブリンキングへと焦点を当てた。
ゴブリンキングが内包する魔力はとてつもなく多く、化け物と呼ぶに相応しい。あれだけの魔力量ならどれだけ離れようと感知できるが、居場所を特定できたところで対抗策が浮かばない。
一先ず、頭上に五本を立て続けに放ち、弓矢は方向を変えてゴブリンキングの頭部へ吸い込まれていく。
だが、カキンと、矢の穂先が弾かれた。
ゴブリンキングは目を庇うように首を少し曲げると、頭部の皮膚で弓矢を弾いたのだ。
二本目、三本目は片腕でなぎ払い、避けることもなく残る二本の弓矢を掴んでへし折った。
――やはり、効かない。
弓矢では傷を与えることすら叶わない。
しかし、ヘイトが向いた。
近くにいた冒険者は這いつくばって逃げてくれたのを確認し、俺は震える足を叩いて走った。
ゴブリンキングとはまだまだ距離がある。逃げ切るしかない。
だが、どこへ?
どこに逃げればいいのだ。
分からない。だけど、人が居ないところへ、何も考えが纏まらないまま俺は走った。
「――くそ、どうするッ。どうすればいいッ」
大通りから入り組んだ路地裏へ駆け込む。
天気が曇りなこともあって真っ暗な道を走り、角を曲がって更に曲がる。
ゴブリンキングは俺の方に意識が完全に向いていた。
一歩の距離が馬鹿げているほど異次元な跳躍力で迫ってきていて、標的となった俺は距離をできるだけ取ろうとする。
――直後、近くで建物が粉砕した。
建物に突き刺さった何かが瓦礫を撒き散らし、粉塵がまき上がる。
「――けほっ、なんだよ。……って、うっそだろッ」
――そこには、ゴブリンキングが持っていた大剣が突き刺さっていた。
木っ端微塵となった建物。あまりにも強大な破壊力に腰を抜かしそうになる。
俺が通ったばかりのところ、寸出のところを通過した俺に大剣が投げられていた。
「――くっそ! 英雄たちは何してんだよ!」
この場には居ない三人の英雄へ八つ当たりをする。
それぐらいにはどうしようもなかった。
泣きそうだ。
俺には勝ち目のない相手。
本当なら剣聖や、賢者、聖女が戦うべき相手なのだ。
ドシンッ、ドシンッ。
とてつもなく重いものが跳躍して迫ってくるのが耳が捉え、ゴブリンキングが間近なことを否応なく実感する。
俺は全力で逃げに徹し、せめてもの抵抗で背中を向け走りながら弓矢を射る。
三本まとめて掴み、弦に乗せて放った。
流れた弓矢はゴブリンキングに直撃したと直感が告げているが、顔だけ振り返って様子を確認してみる。
――全くもって効いていなかった。
知ってた。魔力の反応が鈍ることなく近付いているのだから。
そもそも、弓矢を避けなかったのだ。奇襲でなければ避けることも足を止めることもしないらしい。
強靭な肉体を持つゴブリンキングには蚊に刺された程度の痛みしかないのだろう。
怯むこともなく、ゴブリンキングとの距離が着実に狭まっていく。
俺との距離、僅か二百メートル。
路地裏に入っている俺を見失うこともなく、建物を粉砕しながら俺の姿を確認して確実に追い詰めてきている。
路地裏を抜け出て、通路のど真ん中で足を止めて息を整える。
「これは、死んだな。……ティリアとリティはちゃんと報告できたかなぁ」
俺は立ち止まると空を仰ぐ。
いつの間にか、ぽつぽつと雨が降っていた。
ぱらぱらと雫が頬に落ちる。
どんよりとした黒く厚い雲が空を覆っていて、夕方過ぎには本降りになりそうだった。
「……どうにもならない、か」
逃げ場なんてものはない。
遮蔽物の概念もなく、壊して進むゴブリンキングとの距離は狭まるばかり。俺がどれだけ走ったところで数分稼ぐのがやっとだ。
何より、これ以上進むと噴水広場に出てしまう。あそこにはギルド員や救護役の非戦闘員が沢山居るから、ここから先は進めない。
ドシンッと音を立てて、目の前に降りてきたゴブリンキングは立ち止まる俺を怪しむように大剣を構える。
どうやら、俺を敵として認識しているようだった。
そんな構えるなよ。何も出来ねえから。
周りにある建物と同等な背丈に横も太いゴブリンキングに、俺が何を出来るというのか。
ゴブリンキングはお伽噺に出てくる鬼の見た目そのものだ。ゴブリンと同じ種族とは到底思えない。
とにかく巨大な体躯だ。人骨の髑髏を首飾りがおぞましく、血に汚れた横広な大剣を持っている。
人間ではとても太刀打ちできないと言われている魔物の代表格。俺はそれに納得しかしない。
勝てる気なんて更々無い。
その太い手に挟まれただけで俺は死ぬだろう。
だけど、そんなゴブリンキングと真っ正面から向かい合っているのに俺は酷く冷静だった。
勝てないとハナから分かっているからだろうか。
やっと冒険者になれて、仲間が出来て、これからだっていうのに。
――超有名な冒険者に、三人でなるって言ったばかりなのにな。
俺は死ぬ。
ゴブリンキングは巨大な図体を俺へと近づけながら、値踏みするかのように俺を下から上へ視線を動かした。
腐臭が届き、吐きそうになる。
ああ、俺はなぶり殺されるのか、それともあっさりと殺されるのか。
「……どっちも嫌だけどな。やっぱり、死にたくはないなぁ」
生存本能がそうさせるのだろうか、俺の頭は透き通るぐらい冷静なのに、心臓が早鐘を打っている。
――はやく、にげて。
そんな言葉が俺の胸に何度も響いてきた。
「……逃げるって、どこにだよ」
俺の虚しい呟きに答えるように、ゴブリンキングが嗤った。
「――ヒャヒャ」
息が吹き掛けられ、前髪が上がる。
「……死にたくない。……なんで、俺なんだ。英雄がいただろ、こっち来んなよ」
足が震えてくる。
ゴブリンキングは顔を斜めに傾けると口を開き、ギザギザの歯が並んで長い舌がちらりと覗く。
生きたまま喰われるかもしれないと思うとゾッとする。
「エイユウ、コロせ、イワレた。オマエ、エイユウ、ダロ?」
驚いた。人の言葉で話しかけられた。
しかも、発音がしっかりしていて、抑制がある。話せる魔物がいるとは聞くが、ゴブリンキングが話せるとは思いもしなかった。
黄色に濁った目には知性が宿っていた。
「英雄は平原に居ただろ! 三人居たはずだ!」
「アノ、ザコが、エイユウ? ウソ、ツクな。オマエ、フシギな、チカラ。エイユウ、ダロ?」
なんで分かるんだ。
そうだよ、俺は英雄に選ばれている。
だけど、まだ何もしてないだろ。
「違うッ! 平原に、剣聖、賢者、聖女が居るぞ! 英雄と戦いたいってんならそっちに行けよッ!」
話が通じるんだ。俺が英雄じゃないと証明できれば見逃してもらえるかもしれない。
一縷の希望だ。これに懸けるしかない。
何なら案内してやってもいい。剣聖センラなら大層なこと言ってたし、ゴブリンキング連れて行っても喜んで戦ってくれるだろ。
「アノ、チカラ。エイユウ、ダロ。シネ」
「だから違うって言ってんだろッ!」
ゴブリンキングは言葉を話せるのに一方的だ。意志疎通できていない。
巨体が動き、大剣を振りかぶる。問答無用の殺意だった。
血に汚れた剣に当たれば、いとも簡単に押し潰されて真っ二つだ。
俺は咄嗟に左半身をずらした。
大剣が髪の毛に触れるぐらいの距離で通過していく。薄汚れ、黒い血が染み付いた大剣だ。
――研ぎ澄まされていくような感覚に陥っている。酷くゆっくりと時間が流れ、横切った大剣の隅々まで視認できた。
切迫した緊張感のおかげなのか。
左腕が少しカスったかもしれないが、でも大丈夫、全然痛くない。
大剣がすれすれに通りすぎ、地面に当たる直前に地面の石礫が跳ねるのまで見える。
――これが身体強化をする人間が見てる世界なのかと、死ぬ間際に味わっている俺は体が宙に浮く。
ゴブリンキングの膂力によってなされた風圧が剣先から放出され、大地に直撃した瞬間に吹き荒れる。
「――ぅあああぁぁあ!?」
一撃を運良く避けれたが、回避不能の風圧に俺は巻き込まれ、俺は異常な速度で吹き飛んだ。
建物を何度も貫き、石畳の上を三回ほど転がって止まった俺は息を吐き出した。
体中が痛い。特に背中。あと左腕がやたらと熱を持って訴えてくる。
「――いっ、てえ……ッ」
「ハルトさん!? そ、そんな……!」
「……ハルト、あなた」
聞き慣れた声が掛けられる。
ティリアとリティが駆け寄ってきて蒼白な顔をしていた。
建物に衝突した俺が見渡すとギルド本部だった。
ギルド員がせっかく汗水垂らして作ってくれた簡易建物をぶっ壊している。時間と労力が掛かった柱の部分をちょうどよく俺が打ち抜き、半分ほど壊れていた。
いや、これは不可抗力なんだ。ゴブリンキングに吹っ飛ばされたんだ。
遠巻きに何だ何だと騒がしく集まってきたギルド員や非戦闘員の救護班が顔を覗かせる。
ガヤガヤとうるさくなっているが、やたらとぽたぽたという音が耳をつく。雨の音か。
耳鳴りがして、心臓が騒がしく鳴る。
「……ッぅ。すぐそこにゴブリンキングが来てる。ここにいる人たちにも伝えて早く逃げてくれッ」
「そんなことよりっ! ハルトさん! 動いちゃダメです! ヒーリングっ!」
「医療班、早く来なさい! 負傷者よ!」
ティリアが泣きそうな顔で大声を出し、俺の左腕部分へと両手をかざす。
「は……?」
左腕を見ると流血が滴り落ちていて、肘から先が無かった。
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