第4話
「あ、あなたは……?」
「逃げろ、バカ野郎ッ。死にたくないならその足、引き摺ってでも逃げろ!」
必死に俺が叫ぶと、同調するように正面にいるオークが咆哮を上げた。
「ブフォォォォッ!」
獲物がついに姿を現したと。これからなぶり殺してやると。
そんな言葉になっていない思考が読めた。
状況の有利は無くなっていた。
逃げて体勢を整え直すか。怒りに任せて俺のことを追ってくるだろうが、そもそも俺は逃げ切れるのだろうか。
それに、彼女達へ被害が及ぶ可能性も捨てきれない。
オークの足の速さは未知数。
逃げるか、迎え撃つかの選択を迷っているとオークは醜い鳴き声を上げ、でっぷりと肥やした腹を揺らして走ってきた。
たまらず、俺はオークへ慌てて弓を射る。
オークの頭を通りすぎた矢。
――まさかこんな距離で外すのか。
空中に漂う青色の塊――精霊達が慌ただしく揺れている。精霊の補正が効いておらず、俺の慌てぶりも反映されていた。
初めて知った。精霊達が俺の感情に左右されるなんて。英雄の力は無償の強さではないのか。
動揺をしつつ、最後の一本となった弓矢を放つ。頭を狙ったものの、腹に突き刺さった。脂肪に阻まれ、微塵も動きが鈍ってはいない。
どうして。
狙ったところへ当たらず、矢が尽きてしまった。
歯がカチカチと鳴る。腕が、足が、震えてきた。
なんで、なんで、なんで。
オークが振り上げた腕。普段の俺なら避けられるもの。
凪ぎ払うように振るった大腕を屈んで避ければいい。
――だが、そうしようにも直撃してしまった。
「――ッ、ぐっ、ぁぁあ!?」
避けるという手段が思い浮かばなかったわけではなく、足が動かなかった。
咄嗟に左腕で防御してみたものの、腕がひしゃげている。折れた。変な方向に曲がってしまった。
俺が考えていた以上に身体強化ができない体は脆弱だったらしい。吹き飛ばされた衝撃で地面を何度も転がって木にぶつかり、背中を盛大に打ち付けた俺は肺の中に溜まっていた空気を吐き出した。
「がはッ!」
痛い。腕が熱い。感覚がない。
痛覚が遮断し、熱さだけが襲ってくる。体が動かない。
「に、逃げなさいよ、バカ!」
「どどど、どうすれば!?」
吹き飛んだ俺を見て彼女達が慌てている。
「――うるせえよ。お前らのせいだろ。さっさと逃げろよクソ野郎ッ!」
そんな暇なんてないのに、痛みに支配された俺は益体のないことを吐いてしまう。
もちろん、オークは待ってはくれなかった。
追い討ちとばかり短い足で蹴ってくる。
腹に受けた衝撃。内蔵が潰れたと錯覚するほどだった。胃の中身をぶちまけ、血を吐く。
「う、う、ぇぇぇ」
これは夢なのだろうかと、意識が飛びそうになる頭で思った。思考が考えることを放棄してしまいそうになる。
オークが目と鼻の先に居て、俺を殺そうとしているのに。
痛みと恐怖がない交ぜとなって胃の中身を何度も吐き出し、汚物が強烈な臭いを伴って嗅覚を刺激する。
否が応でも現実と認識してしまう。
いやだ、しにたくない。
脳内を支配するのはそんな言葉。
「フゴ! フゴッ!」
醜い顔をしたオークは近付いてきて、俺の頭を捕まえた。そのまま地面へ何度も打ち下ろしていく。
やめろ、やめてくれ、いたい、しにたくない。
地面に何度も打ち付けられ、頭が割れそうな衝撃に堪える。鼻が折れ、口内が裂けて血が流れる。
口に入った土に嘔吐物の不快感。
涙か血か分からないが、視界も滲んでいる。
理不尽さを痛感し、歯噛みしてしまう。場を好転させるだけの力が不足していた。
あと少しだった。だけど関係ない。結果が全て。
俺を含め、彼女二人は死ぬ。
――笑えるだろう。英雄に選ばれたというのに、救うことすら出来なかったんだ。何が、英雄だ。
二人の少女すら、満足に助けられていないじゃないか。
歪んだ視界。
死にたくない。でも、彼女達を見過ごせなかった。助けたいと思ったから行動した。
後悔はない。
だけど、覆せない自分の弱さに嫌気が差す。
「ティリアッ! 撃ちなさい!」
「は、はい! ファイアーボール!」
火球がオークの頭を穿つ。焼け焦げた臭いを充満させ、オークが悲鳴を上げた。
俺の頭を鷲掴みにしていた手が外れ、オークが後ろを振り向く。
彼女達の援護に、オークの意識が俺から逸れた。
――二人の少女へと、標的が移ってしまう。
俺に背中を向け、歩いていくオークを呆然と眺める。その足取りは確かで、先程の魔法が致命傷になっていないことは明らか。
次手として、魔法使いの子が詠唱しているが、駄目だ。あまりにも遅すぎる。一撃で殺すための高威力魔法を唱えているのだろうが、それじゃ間に合わない。
もう一人は剣を握っているも、足を潰されて立つことすらままならない状態だ。
このままでは、二人がオークの餌食となる。
自明の理なのに、そんな彼女二人の戦意は少しも失われてはいなくて。
それを見た俺は、歯を食い縛った。地面に着いた右手を強く握り、土が爪の間に入って激痛が走る。だが、形振り構わず、ふらつきながらも立ち上がった。
――守らないと。彼女達を守らないと。オークを殺さないと。
体中が痛い。だけど、それがどうしたってんだ。俺だけが諦めるなんて、馬鹿みたいじゃないか。
だが、曲がった左腕は使えない。残った右手で何が出来る?
自問自答。思考を加速させ、答えを導き出す。
両手がなければ弓は使えない。魔法なんて初級すら唱えることができない。
無能と言われ続けたからこそ、己の出来ることは理解している。
だから。
「――おいっ! 剣を貸せぇぇぇぇ!」
「え、剣!? こ、これね、はい!」
喉がつぶれそうなほど叫んだ。勝機は五分。だが、やってみせる。
オークの頭上へ放射線を描いて投げ渡された剣。受け取ってみると左腕が折れているせいか、重心が崩れて倒れそうになる。
踏ん張って堪えると体中が悲鳴を上げた。焼けたような痛みに奥歯を噛み締める。
少女から投げ渡された剣は薄青色の刀身だった。束の部分は装飾がなされ、持ってみれば岩を切れば逆に折れそうなほど軽い。
その分、切れ味は期待できそうだった。これならいけるのかもしれない。
更に俺は居るのかもどうか不確かな神へと想いを告げる。
「――なあ、俺を英雄に選んだんだろ。頼むよ、力を貸してくれ。オークを殺せる力を、俺に寄越せ」
俺は揺らめく視界の中で呟き、オークの背中を睨む。顔は血だらけで、目には流れた涙。
だが、拭わない。代わりに、剣を強く握った。
俺は、殺意を持ってオークを標的にする。
――人生で初めて持つ、本物の殺意。
オークとの距離は僅か五メートルで、三歩も跳べば間合いに入る。
背中を晒したオークはこちらに注意が向いていないため、絶好の好機と言えよう。だが、俺は最初から距離を詰めようと考えなかった。
俺は、剣をまともに扱う技能がない。
分かっている。
俺は無能。魔力がない。
オークに対して剣を振ったところで、一撃で殺らねばこちらが殺される。身体強化を使えないのなら、傷を負わせることすら不可能だ。
だから、俺は剣を振らない。振らずにオークを殺すにはどうすればいいか。
振って当たらなければ剣を投げればいい。
簡単なことだった。確実性を求めた結果がこれに行き着く。
剣を逆手に持った俺は、投擲の構えを取った。
――精霊が剣にまとわりつき、弓矢同様の補正が掛かっていく。
剣先の角度を調整し、体を捻り、渾身の力を込める。体の至るところから嫌な響きが鳴るのを飲み込み、全身全霊を持って一撃に賭けた。
「――貫けええぇ!」
倒れる勢いで振り抜いた剣は真っ直ぐと飛んでいった。放たれた青色の線がオークの喉元を打ち抜き、貫通する。
「グギャ、アァァ!?」
血飛沫を上げたオーク。
どうみても即死だろう。これでオークが生きていたら勝ち目がない。
ゆっくりと生気が失われ、数秒後に地面へ倒れたオーク。それを見た俺は、力が抜けた。
受け身を取ることもできず、顔から地面へ倒れる。
体の神経が薄れていく感覚があった。寒気もする。
森から抜け出さなきゃいけないっていうのに、意識が保てなくなってきて朦朧としてきた。
やばい、今にも目を閉じてしまいそうだ。
幻覚なのか、女の子が二人のはずなのに三人見えるし、青色の光が眩しい。いや、ほんと、精霊の力のおかげだよ。ありがとう。
俺に駆け寄ってきて何か喋っている少女達だが、何を言っているのかさっぱりで眠さに負けそう。
ああ、本当に眠すぎる。すぐに俺の意識は闇へ誘われていき、俺の意思とは反対に視界が暗転した。
目を覚ますと見覚えのない天井だった。俺の家でもないし、実家の部屋でもない。借りたばかりの宿屋でもない。
俺、何してたんだと改めてみると、森に行っていたことを思い出す。
あれでも、なんで俺はベッドで寝てるんだ。
「っ、ぅ、あぁ?」
とりあえず、体を起こそうとすると激痛が走った。痛みに叫ぼうにも喉が枯れている。声が出ない。
その呻き声に、ベッドの横に居たのであろう人物が顔を上げた。
目線を向けると髪を肩ぐらいまで伸ばしたおっとりした子で、魔法使いの格好をしていた少女だった。
慌てた様子で涎を腕で拭き取るや、俺と視線が交差する。
「お、お目覚めです! おはようございます! リティちゃん!」
そう言って背を見せ、揺する音。
「う、んん。……あ、ティリア。おはよ、起きたの?」
「おはようです、ですっ!」
少女二人が俺を覗き込む。
そういえばオーク共に襲われていたところを助けたんだったか。こうして生きているってことは無事に森から抜け出せたか。
いや、本当に良かった。安堵の息を吐く。
「あ、あのさ、ありがと。助けてくれて」
「もう、リティちゃん! もっと感謝するべきです!」
「う、うるさいわねっ。そう言うなら、ティリアが感謝すればいいじゃない!」
「わたしは感謝してますよっ。ハルトさんのおかげで生きていられるんですから。本当に、本当にありがとうございました!」
どちらも美しいと称していい顔立ちの少女。
リティと呼ばれているほうが気が強そうな感じで、つり目気味で眉が寄っている。艶のある金髪は後ろに一束結われ、口調や仕草から育ちの良さが窺える。
もう片方のティリアも貴族の出だろう。学園の生徒だからそのはずだ。
その二人が言い合っているのは微笑ましいが、お願いしてみる。
「なあ、水をくれないか……」
体が水分を欲していた。俺の切望におっとりした子が水差しをくれた。有り難く受取り、右手で流し込むように飲んだ。
というか、左手も治ってないか?
めちゃくちゃ悲惨な曲がり方をしていたはずだが。
「ありがとう。……で、ここは?」
一息つけると二人に質問する。森から上手く抜け出せたとして王都に帰ってきたのか。
「ギルド指定の宿よ。あなたが目覚めるのを待ってたの。あ、傷はティリアが治したから安心してよね」
「な、治しましたけど、安静にですよ?」
ギルド指定の宿ということなら王都の冒険者区画か。どうやら無事に帰ってこれたようで一安心だ。
彼女達が言ったように、オークに手酷くやられたはずだが、顔や腹を触ってみても傷がない。ひしゃげていた左腕も、折れた鼻も治っていた。
少しだけ違和感が残っているが、劇的に回復している。
「……ありがとう」
「いえ、その言葉はわたしたちの言葉です。助けて頂いてありがとうございました。ハルトさんには何かお礼をしたいと思っています!」
おっとりしているティリアが頭を下げる。片手で制すが、途中で止まった。
なんで、俺の名前を。
「……って、やっぱり俺の名前は知ってるか」
無能のハルト。学園を既に卒業したものの、語り継がれるほど有名なのだろう。史上初の最低成績らしいし、教師陣が呆れていたのは今でも鮮明に思い出せる。
「まあ、魔力鑑定でほぼ確信してたけど、これも見たしね」
金髪のリティが手に持って見せてくるもの。首にかけることを義務付けされているギルドプレートだった。
ブロンズの色をした板、そこには俺の名前があった。
「……返してくれ」
「ええ。あなた、無能のハルトなのね」
「リティちゃん!」
彼女が口にして俺は俯いた。
無能と指を差された嘲笑い。かしましい嘲笑。ずっと言われ続けてきたものだ。嫌でも耳に残っている。
弓矢に打ち込んだのだって、学園に行くのが嫌になったから。英雄に選ばれたから、力をまともに扱えるようになんてただの言い訳だ。
逃げたのだ、俺は。
「……そうだ、俺は無能だ」
英雄に選ばれても、何も変わらなかった。
弓矢を使えるようになっても、魔力がない。
自覚している。一番必須とされる魔力が少しもないのは致命的だと。誰であろうと持っているものを持っておらず、身体強化すらもできない。
無能だと笑われても当然だと、何も反論できなかった。
俺は無能になりたくてなったわけじゃないのに。
「そんなことないじゃない。無能には見えなかったわ。一人でオークに立ち向かえるなんて、そこらの騎士より優秀よ。こんなことあるから世間の噂って信用出来ないのよね」
「そうですよ、弓の腕前も凄かったですし、一人で四体もオークを倒したんですよ!」
「そうそう、弓なんて連続で当ててたしね。無属性すら使えない無能が学園に居たっていう話は聞いたことがあるけど、あなたは無能ではなかったわ。ほとんどの人間は一人で魔物に立ち向かうことなんて出来ないから」
彼女達の称賛は何故か胸にきた。
褒めているのは英雄の力に頼った弓矢の腕前だが、魔力が無くても俺のことをちゃんと見てくれている。
学園時代では、魔力が無いというだけで今まで散々馬鹿にされ、誰も俺のことを見てくれなかった。
へらへらと媚びを売るように笑ってきた学園生活。
ちょっと嬉しくて笑う。
「ちょ、ちょっと、なんで泣いてるのよ!?」
「ほんとです! ど、どこか痛みますか!? 治しますっ!」
「な、泣いてなんかねえよっ。目にゴミが入ったんだよ」
よかった。彼女達を助けて。こう言われただけで、俺にとって何倍もの報酬だ。
これからも頑張っていこう。そう思えた。
「ねえ、良かったら私たちとパーティーを組まない?」
と、思っていたら彼女達からのお誘い。
「は?」
「ほら、私たちって二人だけだし、バランスが悪いのよね。あなたの腕を見込んでお願いしてる」
「はい、是非っ。一緒に依頼を受けたいです」
「……俺は無能って言われてる意味を分かってるのか。身体強化も魔法もできないんだぞ」
「あんたが無能なら、ほとんどの冒険者が無能よ。あなたの……ハルトのオークへ立ち向かう勇気を見て、仲間になってほしいと思ったの」
「……こんな俺でも、いいのか?」
「歳上にこう言うのもなんだけど、自信を持ちなさいよ。あなたの弓って高ランク冒険者でも通用するわ。まあ、近距離はダメダメだったけどね」
「……俺に、近接戦闘は専門外なんだよ」
「決まりですね! わたし、ティリアです! よろしくお願いします!」
俺の手を強引に両手で握り締めたティリアが朗らかに笑う。どぎまぎしてしまうような笑みに、俺は引きつつ自己紹介を返す。
「お、おう。俺はハルト。よろしく、でいいのか?」
「ええ、よろしく。私はリティ、見てたから分かると思うけど剣士をやってるわ。前衛は任せなさい」
リティもティリアの笑みに釣られ、微笑みながら俺に名乗ってくる。
どうやら、これからの冒険は俺一人じゃなくなるようで。
彼女達との出会いで、これからどう変わるのか。それはまだ分からないが、きっと冒険者として俺の道を明るく照らしてくれそうであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます