サキュバスとマシュマロ

三郎

第1話:初めてのマシュマロ

 サキュバス。それは、人間の精気を啜る悪魔のこと。


「お腹空いた……あ、ねぇ、そこのお兄さん」


「ん?」


「あなた、とっても美味しそう……。ちょっと、こっち来て?」


 サキュバスは美しい女性の姿をしており、催眠術を使うことができる。催眠術にかかった人間は魅了され、逆らえない。


「あ……あぁ……っ……」


「んふ……ごちそうさま」


 食事を終えたサキュバスのリリは、夢見心地な顔をして、だらしなくよだれを垂らしながらぐったりとする名前も知らない男性の催眠術を解き、綺麗に服を着せ直してから再び街に溶け込んだ。

 彼女は普段は、普通の女子高生として人間に紛れて学校に通っている。人間に擬態するために人間と同じ食事をしているが、それだけではサキュバスの腹は満たされない。だからこうしてたまに街へ出て、見知らぬ男性の精気を啜っている。学校にも男性はいるが、学校では吸わない。単純に、十代の若い男性がリリの好みから外れているというのもあるが、一番の理由はサキュバスだとバレるリスクが高いから。サキュバスの催眠は、異性にしか効果が無いのだ。捕食場面を見られた相手が男性なら催眠で誤魔化せるが、女性の場合はそうはいかない。

 ちなみに、サキュバスと対になるインキュバスという悪魔が存在する。彼らは女性から精気を吸い取る淫魔で、男性の姿をしており、女性にしか効かない催眠術を使う。彼らと手を組めば見られるリスクも格段に減るのだが、サキュバスとインキュバスは基本、仲が悪いため、手を組むことはほとんどない。


「あ、リリちゃんだ。やほー」


「うわっ……」


 リリを見つけるなり犬のように駆け寄ってきた20代くらいの若い金髪の男性。彼の名前はロゼ。インキュバスだ。

 ちなみに、インキュバスもサキュバスと同じく人間に擬態しているが、お互いに淫魔であることは匂いでわかるため、間違えて襲ってしまうことはほとんど無い。


「で、私に何の用?」


「分かるだろ?お腹ぺこぺこなのよ」


「……はいはい。どの男?」


「流石リリちゃん。……いつもごめんね。ありがとう」


「急に真面目な雰囲気になるのやめて。キモい」


「あははー。感謝してるのは本当だよ。あの筋肉質なお兄さんにしようかな」


「了解」


 ロゼはインキュバスでありながら、女性が苦手だった。彼が好むのは男性の方。淫魔にとっての餌は人間の精気。人間であれば性別は問わないが、ロゼのような同性の精気しか吸わない淫魔は稀だった。なぜなら、催眠術は基本、同性には効果が無いから。相手が同性愛者であろうがそれは変わらない。

 催眠術無しの捕食には悪魔であることがバレるリスクが伴うため、プライドを捨ててサキュバスに協力を仰ぐしかなかった。同族からは面汚しだと罵られ、サキュバスからは嘲り笑われた。


「ふぅ……ごちそうさん。あー。食った食った」


「あら。まだ残ってるわよ?」


「お礼にちょっと残した。あげる」


「そう。じゃ、遠慮なく」


 リリはぐったりとする男性に口付け、死なない程度に精気を吸い取る。悪魔とはいえ、人間が死ぬまで搾り取ることはしない。悪魔の世界にはいくつかルールがあり、人間を殺してはいけないというのもその一つだった。


「……ふぅ。ありがとう。ロゼ」


「美味しいものはシェアしたい主義なんで」


 基本、淫魔は誰かと一緒に獲物を分け合うことはしない。自分で捕獲して、一人で食す。ロゼのような義理堅い淫魔は稀だ。


「あなた、どうしてそこまで男性にこだわるの?」


「女の精気は口に合わんのよ。生きるためにあれを食べ続けなきゃならないなら餓死した方がマシ。まぁ、悪魔だから餓死も何もないんですけど」


「そんなに?」


「リリちゃんだって、若い男より20代以降の成人が好きだろ?それと一緒。俺は女より男が好きなだけ」


「ふーん」


「リリちゃんも一回女の精気食ってみる?協力するけど」


「遠慮しておく。不味いんでしょう?」


「俺の口には合わないってだけだよ。甘党のリリちゃんなら気にいるかも」


「甘いの?」


「甘ったるい。そうだなぁ……例えるなら……あれだな。マシュマロ」


「マシュマロ?どういう食べ物?それ」


「食ったことないのか。女子高生はああいう甘くてふわふわしたやつ好きそうなのに」


「私のクラスメイト達は写真撮るだけで食べないわね。太るから代わりに食べてって私に押し付けてくる」


 淫魔にとって栄養になるのは人間の精気。人間の食べる物は栄養として取り込めずにそのまま排出されるため、いくら食べても太ることはない。しかし、食事をすることで満足感を得ることは出来るため、リリにとっては願ったり叶ったりだ。


「なんじゃそりゃ。写真撮ってどうするわけ?」


「SNSなるものにアップするらしい。これが彼女達が撮った写真よ」


 スマホを取り出し、ロゼに写真を見せる。


「リリちゃん制服似合うね。可愛い」


「褒めても何も出ないわよ」


「てか、友達みんな細いなぁ。ただでさえ不味そうなんだからせめてもっと栄養とれよ」


「細い方が魅力があると思ってるみたい」


「細ければ良いってもんじゃねぇよな」


「言っても聞かないのよ。『リリは何食べても太らないから良いよね』って。……はぁ。人間ってめんどくさい」


リリにとっては彼女達は友人でもなんでもない。ただ、ついて行けば甘いものを食べさせてもらえるからついて行っているだけである。利用しているのはお互い様だ。


「淫魔も割とめんどくさいけどね。プライド高いし」


「あなた孤立してるものね」


「ふふ。それはお互い様じゃないか。あっ、そうだ。ちょっと待ってて」


「何?」


「マシュマロ。買ってきてあげるよ」


 リリが断るより早く、ロゼはたまたま見つけたのはマシュマロ専門店の看板に向かって走って行った。

 リリはため息を吐き、近くの噴水に腰掛ける。


「……遅いわね」


 数十分待っても来ないロゼにイラついていると、三人の男性がリリに近づいてきた。


「お姉さん、可愛いね。一人?」


「何?ナンパ?」


「そう。もしかしてナンパ待ちしてた?」


「別にそういうわけじゃないけど……良いわ。遊んであげる。私に従いなさい」


 淫魔にとってナンパは餌が向こうからやってくるようなものだ。リリは催眠をかけて男性達を従わせ、隣に座らせてロゼの帰りを待つ。


「お待たせ。ごめんね。意外と混んでてさー……って、おお?な、何?この人たち。ご飯?」


「ええ。あなたを待ってる間に活きの良いのが三匹釣れたからわけてあげる。どれ食べる?」


「んふ……リリちゃんと居ると食事に困らなくて良いねぇ。全部食べて良いの?」


「欲張りね。まぁ良いわ。けど、半分ずつ残して」


「はぁい。じゃ、丁度俺の家近いし、行こ行こ」


「ん。行きましょうか。お兄さん達」


 男性達を従えて、リリはロゼの家に上がる。


「じゃ、ちょっとお食事するから。覗かないでね」


「興味ないわよあなたの捕食シーンなんて」


「はい、マシュマロ食べて待ってて」


 マシュマロと男性三人を交換して、ロゼは個室に入っていく。リリは部屋の外で、中から微かに聞こえてくる男性達の喘ぎ声をBGMにしながら平然とマシュマロの箱を開けた。


「……これがマシュマロ」


 初めて見るふわふわの白いお菓子の感触を指で楽しんでから、口に運ぶ。


「……なるほど」


 初めて味わう食感に、リリは思わず笑みをこぼす。嫌いではない。むしろ好きだ。これに似ているという女性の精気に少しだけ興味が湧いた。気付けば、箱の中のマシュマロは数分もしないうちに空になっていた。

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