第34話 真実5

 玄関から顔を出したアオイの母親の恵子けいこさんを見た時の第一印象は、「おや?」と言う程度のものだった。


 恵子さんも僕を見て、「おや?」と言う顔をした。 


「初めまして、大崎です。葵さんとバイト先が同じでした」

 「同じです」と嘘は付けなかった。僕たちの関係の事は言わなくても判るとアオイは言っていたし、雑談の中で自然に話していければいいやと思っていた。


「初めまして、アオイの母です。遠いところ良く来てくれたね、さあ上がって」

 そう促されリビングへ向かう。すすめられたソファーに腰掛けてぼんやりと部屋を眺めた。アオイは母子家庭と言っていたけれど、父親の仏壇らしき物はないし、他の男性の形跡も見当たらない。


 アオイがアイスコーヒーを持って戻ってきてソファーの前のローテーブルに置くと僕の横に座った。

 恵子さんも後からやってきて僕たちの正面に座る。僕を見た恵子さんがそこで初めて眉をひそめ、本当に微かに首を傾げた。


 僕も恵子さんの視線から目を逸らせなかった。気まずいとか居心地が悪いとか言うんじゃなくて、吸い寄せられるように視線が固定された。最初に僕が「おや?」と思ったのは恵子さんの目だった。どこかで見た事がある目。どこかで過去に感じた事がある同じ気持ち。アオイを初めて見た時だ。可愛いと思うのと同時にどこかその目に懐かしさを覚えたんだ。恵子さんの目がアオイと同じ目だからそう感じたんじゃない。逆だ。きっと、アオイを見た時に恵子さんと同じ目だったから吸い込まれたんだ。アオイの目に恵子さんの目を重ねたんだ。僕の記憶の片隅に、この目が記憶として残っていたんだ。


「あ、あの……」

 恵子さんが口を開きかける。だけど、すぐに、

「ああ、何でもないの。どうぞ召し上がって」とアイスコーヒーをすすめてくる。


 鼓動が早くなっている事に気付いた。「はい、頂きます」と言った僕の声は震えていた。


「アオイ、大学はどう?」

 完全に僕から目を逸らした恵子さんがアオイに訊ねる。

「うん、ぼちぼちだよ」

「東京には慣れた?」

「ううん……人多くて死にそう」


 他愛もない会話を紡いでその時間をやり過ごす。時折、僕に話を振られるのだけれど、適当にやり過ごした。意識してなのかどうかわからないけれど、恵子さんは僕の現在の仕事や生活などを当たり障りのない程度に訊くだけで、僕の幼少期や学生時代のこと等、過去の事については何も訊いてこなかった。


 僕の中の疑惑は黒い渦となって広がって行く。嫌な汗が滲みこめかみの辺りがピリピリと痛んだ。


 僕は過去にアオイから母子家庭であるとしか聞いていない。父親がどうなっただとか、他に兄弟がいたのかとか、そう言った話を何も聞いていなかった。もしいたのであれば、アオイと接してきた4か月ほどの間で一度くらい話題に出ても良さそうなものだけれど、そう言った話は無かったから本当に一人っ子なのだろう。

 彼女の中では・・・・・・


 また、母親からも、アオイ自身に兄がいたという話はこれまでも聞かされていなかったのだろう。では僕の杞憂なんだろうか。これ程までに違和感を感じて杞憂で済むのだろうか。


「今日中に帰るんだよね?」

「うん、明日はバイトあるし」

「お昼ご飯だけでも食べていって頂戴。材料を買って準備してあるから」

「うん」


 アオイも手伝って昼食の準備が始まった。僕は手持無沙汰になり、ぼんやりと部屋を眺めまわした。だからと言って僕に繋がる何かが見つかる訳でもない。だけれど疑惑は次第に確信へ変わって行く。この匂い。最初に部屋に入った時からどこか懐かしい匂いがした。匂いと記憶は密接に関連付けられていると以前聞いたことがある。この匂いを嗅いでいるとまだ子供だった頃の記憶がぼんやりと蘇って来る。

 僕は確かにこの匂いに包まれて生きていた。情景は浮かんでこないけれど、まだ小さい僕がこの匂いに包まれてすごしていた記憶は残っている。きっと、そうなんだろう。


 アオイと並んで料理を作っている恵子さんの背中を見つめた。父の存在が大きすぎたのか、僕の記憶の中に母の姿は無い。でも、きっとそういう事なんだろう。僕はそう結論づけた。


 テーブルに山の様に唐揚げが盛られた皿が並んだ。3人で黙々と食べる。美味しかった。恵子さんはもう僕を見つめる事はない。僕も必要以上に見ない様にした。


 食後、お茶を飲みながら少しの時間雑談をする。その中で僕は今の状況を簡単に語った。都内のホテルで働いている事。そこでアオイと出会い交際している事。今回社員になった事。

 恵子さんは僕の話に熱心に耳を傾けた。



 帰り支度をし、お暇する時間になる。


「忘れ物ない?」

「ちょっとトイレ行ってくる」

 アオイがトイレに向かい恵子さんと2人だけになった。


「お名前、なんて言うの?」

「真也です」

「そう……真也君……」

 彼女の瞳には間違いなく涙が滲んでいた。


「これ、持っていて」

 そう言って一枚の紙切れを手渡された。広げてみると携帯の電話番号が書かれてある。


「何かあったら、連絡頂戴」

「わかりました。……恵子さん」

 スンっと鼻をすすって涙を見せないように僕に背を向けると2,3歩キッチンの方へ歩いた。


 映画『LION』では、主人公は故郷を見つけ、生んでくれた母と再会し手を取り合って喜びを分かち合った。同じように僕も故郷を見つけ、それらしい人を見つけたのだけれどお互い手を取り合って再会を喜び合う事は出来なかった。それは僕を捨ててしまった彼女の罪悪感からなのか、僕とアオイの関係を知ってしまったからなのか良くわからない。僕たちにはお互いが親子であることを隠さなければいけない理由がお互いに存在したという事だろう。それだけの事だ。


 トイレから水を流す音が聞こえると恵子さんはこちらに向き直った。瞳にはすでに涙はなく笑みが浮かんでいた。


「じゃあ、車に乗って」


 恵子さんに山形駅まで車で送ってもらった。


「じゃあアオイ、またお正月に帰っていらっしゃい」

「うん、またねお母さん」

「大崎さん、アオイをよろしくね」

「はい」 


 山形駅で職場の皆へ配るお菓子を買う。途中アオイから差し伸べられた手をつい避けてしまった。その後は片手で持てる荷物をわざわざ両手で持ち両手を塞いだ。僕のよそよそしい態度にアオイは少し戸惑った表情をした。


 つばさ号に乗り東京へ向かう。


 アオイは疲れたのか僕の肩に頭を預けすぐに眠ってしまった。それとも、僕が何も話さないから寝たふりをしているのかも知れない。戸惑いの中、僕は車窓から外を眺め今後アオイとどう接していけば良いのか考えていた。


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