第10話
「あとは、告白さえできれば、もっと・・・」
「こんなところで何してるんだ?」
反射的に身体が硬直し、ワンテンポ遅れて振り返る。
「リュカさん」
「酒癖の悪い馬鹿共の相手に疲れただろ、無理しないで部屋に戻っていいんだからな」
少しだけ顔を赤くしたリュカがご機嫌そうに甲板の淵に寄りかかる。セレナとは肩が触れそうな距離だ。
「え、えぇ」
途端に意識する。今日、二人きりに慣れたら告白をしようという決意を思い出したからだ。宴の途中で船の隅である甲板に来る人は殆どいない、波の音の響く静かな夜の海を目の前に、二人きり。セレナの心臓はどくどくと暴れだす。
「どうした?本当に具合悪い?」
顔を覗き込まれて、目が合う。リュカの丸くて大きな目にはいまだに見慣れない自分の顔が映った。
「あ、いえ、その。大丈夫です」
自分の心音で、波の音と遠くの笑い声がかき消されていく。目の前にいる青年はあの日見た時よりもずっと凛々しくて魅力的に見える、このまま見とれていたら人魚の自分が魅了されそうなほどに美しく輝いてすら思えた。
「・・・その、リュカさん」
「ん、どした?」
「前にリュカさんは人魚に出会ったことがあるって、言いましたよね」
「またその話?セレナは本当に人魚に興味があるんだな」
「そ、そ、その、その時の人魚にもう一度会えたら、どうしますか!」
興奮の混じった勢いのある語尾。リュカは少し驚くが、真面目な質問をしていると気付いたのか少しだけ考えて、口を開く。
「うーん・・・どうもしないと思うけど」
「そ、そうなんですか」
「あー、あの時見逃してくれてありがとうくらいは言うかも」
私はあの日、あんなに貴女に惹かれたのに。とセレナは心の中で呟く。
リュカの感性は人間にとっては当たり前のものだ。人魚が人間になるなんてお伽話でしか考えられないし、人間から見た人魚は怪しくも美しい怪異的存在、魅了されたり畏怖することはあれど特別な感情を抱くことはない。
しかしリュカの解答は、セレナの心の中にある海にぽつり、と一つの毒を垂らした。セレナは臆病な思考の奥底、本心では少しだけ都合のいい夢を見ていたからだ。初めて出会った夜、自分が感じた感情と同じものをひょっとしたらリュカも感じていたのではないか、リュカもセレナと同じように異種族の女性へ運命を感じてくれていたのではないか、という希望をもっていたのだ。
「なんでそんな話?」
しかしリュカは人魚の心を知ることは無いし、目の前の女性の正体すら勘付いていない。無邪気に尋ねる想い人の平然とした言葉にセレナの心はえぐられるようだった。
「・・・私だからです」
理想との差異は、反転してセレナに勇気を与えた。
「なにが?」
「私があの時の人魚だから」
リュカを見つめるセレナの瞳は、真っ黒が月を反射して、二重の輪のようになっていた。強い意志を感じるその目を茶化すことも、素直に肯定することも人間のリュカには困難だ。
「リュカさん、この歌を知っていますか?」
お気に入りの『セレナ』を優しくハミングする。
リュカはその歌を穏やかな表情で聞き入り、ワンフレーズ聞き終わると小さく拍手をしてくれた。拍手に礼も言わず、セレナは厳しい視線でリュカを捉え、言い放つ。
「あの日、人魚が歌っていた曲だと思います」
リュカは小さく頷いた。
「信じてもらえますか・・・いえ、別に信じてもらう必要はないのですが」
想いを伝える前に後ろめたいことを無くしたいだけだった。リュカがあの時の人魚に特別な恋慕を抱いていない以上、セレナにとって自分の過去に何の価値も執着もなかった。人魚の存在すら伝承扱いの人間がこの話を信じられないことくらいは理解できているし、信じてもらったとしても結末に変化は無いということもわかっていた。
「確かにあの時の歌だ・・・他では聞いたことのない、多分外国の曲だ。セレナはこの曲が好きなの?」
当たり前のように返ってきた言葉は、直接肯定こそしないがセレナの話を信用している前提のモノだった。
「はい、私の名前と同じだからです」
「・・・・・・」
しばらく考え込んでから、リュカは納得した顔をする。
「なるほど、セレナーデか」
「本当は、そういう名前の曲なのですね」
「確か、夜に恋人に向けて歌う曲だった気がする。悪いけど音楽には詳しくないんだ」
恋人に向けた曲、と聞いてさらに頬が熱くなった。
「本当は、この歌の意味を心から理解したうえであなたに聞いて欲しいのです」
「・・・え?」
一度目を閉じ、再び開ける。少しだけ眩しく感じる月明かりが、セレナの背中を押す。
「私は、あなたを追い掛けたくて人間になりました」
セレナの黒い瞳の奥に、青空が一瞬だけ映った気がした。
「・・・・・・あなたのことを愛しています」
あの日見た人魚と、セレナの姿が重なる。突拍子もない話を、何故かリュカは信じることが出来た。セレナの声が、あの日の歌声によく似ているからかもしれない。
「あなたが褒めてくれた外見はもう無いですが、あなたが美しいと言ってくれた歌声と、あなたの傍にいられる両足があります。私には記憶が無いのではなく『人間としての』記憶も過去もありません。これからあなたと作っていきたいです、陸の世界で、リュカさんのお傍で一生を添い遂げたいです」
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