第40話 敗北と決意

 龍――それは、魔の王。

 かのキマイラ――ルベド・アルス=マグナを後天的な魔王と呼ぶならば、こちらは生まれながらの王。

 支配者たるのが至極当然な存在。

 故に、龍たる存在が一言命ずれば、大気に散った魔力さえ拝跪する。


 龍が下す奇蹟――〈龍炎ドラゴニック・ブレイム〉は、尋常の炎ではない。

 炎は一定の温度へ達する青くなるというが、龍のそれに通常の法則は働かない。

 謂わば、それは神秘の炎。蒼き炎は対象を物質的に燃やすと同時に、霊的な本質すら焼き焦がす。

 物理的な盾で防げば、守りを超えて対象の魂を焼く。魔力的な盾で防げば、今度は肉体を焼き焦がす。


 故に、カーラインらが全霊で防御を行ったのは正しかった。物理的な防御、魔力への防御、どちらかが欠けていれば命は無かっただろう。

 

「――っ!?」


 激突。

 展開された結界を破るべく、蒼い炎の奔流が嚙みついてくる。

 衝撃が結界越しに伝わってくる。錫杖を握る手に力が入る。魔力を供給し続けなければ、すぐにでも術式が破綻して結界が崩壊するだろう。

 それほどの力がカーラインらを喰い殺そうと襲い掛かってきている。

 

「くっ……」


 一度に魔力を放出し過ぎたせいで、僅かに眩暈を感じ、カーラインは蹈鞴を踏む。

 

「ぐぉぉおぉ! 化け物め!」


 盾を構え、腰を落とし、結界を展開して踏ん張り続けるマルスは咆哮する。まるで、そうしなければ押し負けてしまうかのように。


「――っ」


 アイリスは目を閉じ、静かに聖遺物を行使する。精緻な操作を以って、今降り落ちた災禍を退けんと。

 

 ――拮抗。

 二重の結界と、それを覆う光の粒子。それすら喰い殺そうとする、蒼い龍の顎。

 視界が蒼い極光のみに呑まれ、天光めいて瞳を焼く。

 やがて、永い、永い――久遠にも似た刹那が終了した。


「ハァ、ハァ……」


 炎が掻き消え、同時に役目を終えた結界が明滅、消滅した。

 大量の魔力を注ぎこんでいたカーラインは、損耗による疲労はもとより、魔力回路の酷使によって全身に鈍い痛みが奔っていた。

 堪えかねて、彼女は深い息を吐いた後、膝から落ちる。


「はぁ……はぁ、クソ」


 玉のような汗を掻いて、荒く呼吸するマルスが、合間に搔き集めた気力で罵倒を投げる。


「――」


 アイリスは聖遺物に祈りを奉じる所作を保ったまま、未だに集中している。

 全員、ボロボロだ。

 死に体ではあるが、生き延びた。


「この程度か。未だ完全には遠いな」


 そんなボロボロのカーライン達を見て、リンドは失望したように首を振る。

 

「まあいい。それも何れ時が解決する事だろう」


 意味深長な言葉を残したリンドは、最後にカーラインらを一瞥すると、結界に閉じ込められている錬成竜を見据える。


「貴様を使命より解放する時が来た」


 カーラインらの時のような、偽りの優しさではなく、心の底からの慈悲を滲ませる声音で錬成竜に語り掛けるリンド。


「何を……企んでいる」


 膝をついたカーラインは、錫杖で身体を支えながら立ち上がり、リンドに問いかける。


「企むなどとは人聞きの悪い。ただ、此処に来た所用を果たそうとしているだけさ」


 そういって肩を竦めるリンドだが、やがて興味を失ったように再び結界に向き直る。

 リンドは結界に軽く触れると、膨大量の魔力を放出――百二十年に渡って災厄を隔離し続けた檻を、刹那以下の時間で破壊して見せた。


「なっ!?」


「バカな……」


 余りに呆気ない光景に、カーラインとマルスは示し合わせたように絶句する。


「閉じ込める為の結界というのは、大抵外部からの力に弱い。何もそこまで驚く事じゃないだろう?」


 視線だけを驚く二人に投げて来たリンドは、いたずらっぽく笑った。

 確かに、拘束結界というのは、内部の強化に術式の容量を割いている。故、比較すれば外部の方が弱いのは道理だ。だが、それでも第十一位階の結界なのだ。ただの魔力放出で破壊できるほど、ヤワではない。


「く、そ……やめろ。再び、災厄を、世界に放つ気か……っ」


 息も絶え絶えなマルスが、リンドに向けて翻意を促すが、無意味だろう――と、カーラインは悟っていた。

 予想通りか、リンドは超然とした微笑みを崩さない。


「是だ。先に述べた通り、我はライデルに混沌を齎す者。災禍の手先が、人の子によって封じられているとなれば、其れを放つのもまた使命」


 あくまでも自分は人外の魔――そう言い放つリンドに何も言う事が出来ず、両名は黙りこくる。

 このままでは再び錬成竜アルケム・ワイバーンが世界に放たれる。

 ――だが、よしんば抵抗を試みて、それが実を結ぶだろうか?

 否、有り得ない。錬成竜単騎ならば兎も角、リンドなる超越者までいるのだ。両者を同時に敵に回せば、今度こそ抵抗すら許されず死ぬ。

 そうなれば、自分達は無駄死にすることになり、新たなる脅威についての情報も無く、秘蹟機関は彼らと対峙する羽目になる。


 ――屈辱の極みだが、ここは何もせずにいるしかない。

 最悪な答えだが、それが正解だろう。そしてそれを厳守せねばならない。

 その無力さを、愚かさを感じ、カーラインは歯噛みする。


「さあ、帰るがいい。そして最後の役目を果たすのだ」


 リンドを圧倒的上位者と感じたのか、それともそもそも主だったのか、また或いは、あの怪物の創造主と浅からぬ縁を持っているのか――兎も角、錬成竜は龍の少年に従い、首を垂れる。

 リンドの言葉に従い、錬成竜は翼を広げ、大空へ飛翔する。既に〈領域封鎖〉は解けているのだろう、妨害されることも無く、錬成竜は彼方へ消えていった。


「では、励めよ勇者共」


 何故に見逃してくれるのか、終ぞ理解も出来ないまま、リンドはカーラインらの前から立ち去る。無詠唱の転移魔法によって、龍の少年が掻き消える。カーラインとマルスは、リンドがいなくなったハズの空間を見据え続ける。

 一瞬というには余りに長い静寂が過ぎ、やがて完全にリンドが消失したことを確認した。

 ようやくカーラインを苛んでいた緊張が解ける。


「……っ」


 気が抜けたように、今まで無言で立ち尽くしていたアイリスはふらりと揺れ、そして崩れ落ちる。


「アーレント……っ」


 彼女が地面に激突する前に、カーラインはアイリスを受け止め抱き抱える。


「……」


 アイリスの体温は異常なほど高く、玉のような汗を掻いていた。身体が震え、呼吸も荒い。今にも死にそうなほどだ。

 そんな不吉な契約者の行く末を暗示するように、宙に浮いていた彼女の聖遺物が落下し、地面に突き刺さった。


 ――聖遺物、〈両天秤の黒剣ティルフィング

 アイリスが契約した聖遺物、代償の魔剣。

 天秤の意匠が指し示すように、契約者は対価を支払う事によって、コストと釣り合う事象を引き起こすことが出来る。

 先の様に、展開された難攻不落の結界を、絶対防御へと昇華させることも可能。

 この世界で叶えられない事などない、謂わば万物統制の魔剣。

 ただし、対価は大きい。

 契約者の生命力を用いて異能が発現する故だ。魔力でも発動可能だが、命の方がコインとしての価値が大きい。

 正に魔剣。この聖遺物の契約者は、性質上、短命である。先代も契約してから数年で死亡している。

 

 そのような魔剣の力を以てしなければ、今の窮地は凌げなかった。

 自分より年下の少女に命を賭けさせたという事実が、カーラインを自己嫌悪に陥らせる。


「アーレント……すまない。すぐに治癒を施す」


 意識の無いアイリスに小さく謝って、カーラインは神聖系統の治癒魔法を行使する。

 ――神聖系統による、対象の生命力を直接補う事による回復効果が、消耗したアイリスを治癒していく。

 対処療法だ。焼け石に水程度だろうが、やらないよりはマシである。

 

「……うぅ」


 僅かに呻くアイリス。どうやら命に別状はないようだ。――今の所は。


「……とんだ初任務になってしまったな。申し訳ない」


 一通り治癒魔法を施したカーラインは、乱れたアイリスの髪を撫でてそう呟く。


「……」


 施術の様子を眺めていたマルスは、真剣な表情でカーラインを見据える。


「第十席次……」


 呼ばれたカーラインは、アイリスをゆっくりと地面に寝かせてから振り向く。


「……俺は、貴様が嫌いだ。だが確かに、これほどの相手と見えれば、逃走して情報だけでも、人類に貢献しようという考えは理解できる。いや、理解してしまった」


 そういうマルスの表情は真剣そのものだ。


「……今までの非礼を詫びさせてほしい。すまなかった」


 茶髪よりも深い、焦げ茶色の瞳が、真摯にカーラインを貫く。

 そんな真っ直ぐな目に耐えられなくなって、カーラインは顔を逸らした。


「……やめてくれ。貴方が言った事は全て事実だ。私はどうしようもない人間で、機関の任を全うするには相応しくない落伍者だ。先の一戦も、初めから引いていれば、アーレントが聖遺物を行使する必要も無かった」


 暗い口調で語るにつれ、カーラインの表情は沈んでいく。


「……結局、私は自らのエゴで諸君らを巻き込んでしまった。不死断ちの聖遺物があるから、或いは――バカだな私は。ルベド・アルス=マグナに敗北し、犯してしまった失態を取り戻そうと躍起になっていたのだ」


 ――そうしないと、あの時殉じた彼が、意味の無い死を迎えてしまったようで、耐えられなかった。


 最後の一言だけ胸中で呟いたカーラインは、澱んだ溜息を吐く。


「謝るべきは、私の方だ。すまない」


 謝罪を返すと、マルスは首を横に振った。


「止せ。貴様の考えがどうあれ、悪しき魔族である彼奴を逃したくないというのは、俺もまた同じ考えだった。第十三席次に聖遺物を行使させたのが罪ならば、俺も同罪だ」


 そういって、マルスは息を大きく吐いた。


「不本意だが、貴様には才能がある。任務への信念も、あるのだろう。そして、あの絶望と既に二度も邂逅していながら、尚前に進める精神……それだけは、一応、尊敬できなくもない」


 最後の方の言葉を早口かつ小声で言ったマルスは、咳払いをして立ち上がる。


「一先ず、本部へ戻り、然るべき者に第十三席次を診せるべきだ。勿論、報告もせねばならん」


 尤もな意見だ。カーラインは頷いて、意識の無いアイリスをマルスと共に運んで馬車まで戻った。




 

 

 

「……すまない、もう一度報告を頼めるか?」


 秘蹟機関本部、執務室で相も変わらず書類と格闘していたフレン・スレッド・ヴァシュターが、頭痛を抑えるように眉間を捏ねた。


「……ドグレン旧鉱山都市廃墟に封印された錬成竜アルケム・ワイバーンの封印更新の際に、未知の魔族と遭遇。リンド=ヴルムと名乗る『龍』と戦闘――〈滅断聖槍グラム・ミストルティン〉すら無効化され、敗北。敵の攻撃を凌ぐ際に、第十三席次アイリス・エウォル・アーレントの聖遺物を行使、代償として彼女は戦闘不能に。リンド=ヴルムは封印魔法を解体し、封じられていた錬成竜を解放、消失しました」


 カーラインは思わず低くなる声を自覚しながらも、報告を滔々と行う。

 一通り聞き終えたフレンは、頭を抱えて執務机に置かれた、大量の書類の中に埋まってしまう。


「………どうすればいいんだ」


 たっぷり一分ほど黙っていたフレンが、ようやく絞り出したのは呻きにも似た絶望だった。


「クソ……龍だと? 絶滅した種族が、今になってどうして……。全メンバーに通達を……いや、そもそもどう説明すれば。対策……何も思いつかない。うう、胃が痛い……」


 小声で何事かをブツブツと呟くフレン。彼が人間種であれば、とっくに顔色を真っ青にしていたであろうことを、容易に想像させる態度だ。

 このような報告を、普段から心労を背負っているフレンに申し上げなければいけないのは、カーラインとしても心苦しい事だが、事実は事実だ。重要な情報でもある。


「はぁ………」


 深く、憂鬱そうな溜息を一つしたフレンは、顔を上げてカーラインを見据える。


「……兎も角、先走らず、生存して帰って来てくれて助かった。君たちの命は元より、この情報も重要だ。下手をすれば、勇者を三人も失った上で、何の情報も無しに『龍』と対峙し、錬成竜が消えた要因に悩む羽目になったやもしれない」


 それに比べれば、幾分かまともな結果だ、とフレンは言った。


「……申し訳ございません」


「いいさ。例え私がそこにいたとしても、どうにか出来る自信はないからな。仮に龍とやらに対抗できるとすれば、やはり第一席次しかいないだろう」


 生きる伝説、勇者の中の勇者。

 最強の英雄、第一席次ならば確かに、かの龍とも互角に渡り合えるかもしれない。

 

「そういえば、第一席次は現在どちらに?」


「各地の霊脈を巡り、魔力放出量の調整をしている。最近になって、霊脈からの魔力放出が増大してきているのだ。恩恵がある一方で、過ぎたれば災厄を起こす原因ともなる。スルデッド火山の噴火など、有名な話だしな」


 フレンが言った、第一席次不在の理由。あの人はいつだって忙しいが、今回もまた納得できる、喫緊の要件故だったようだ。

 

 霊脈というのは、星を流れる魔力の血管だ。

 ドグレン旧鉱山都市廃墟のように、霊脈の上にあったからこそ、魔鉱石などの恩恵に預かれた場所もある。

 人類にとって、霊脈は得難いモノを齎す一方で、時に災厄を生む種ともなる。

 魔力濃度が高すぎる場合、人体に悪影響を及ぼす場合がある。学術都市セフィロトのセントラルを守る、ケテルの鏡などいい例だ。或いは、濃い魔力に惹かれ、魔物を呼び寄せる事もある。

 また、フレンが言ったように、環境に影響を及ぼす点も頂けない。帝国の方にある火山が、霊脈の上にあったばかりに、強力な噴火を起こし、様々な災厄に見舞われる羽目になったというのは有名な話だ。


「にしても、霊脈の操作とは、やはりあの方は規格外ですね」


「操作と言っても、霊脈の流れを滞りなくしたり、或いは湧き出る魔力を一部抑える程度らしいがな。まあ、それでも十分驚愕出来る事をしているのだが」


 そういうフレンには、僅かな苦笑が滲んでいた。

 世界を守るためとはいえ、規格外なヒトだ。そんな想いを抱いているのだろう。

 

「まあ、それは兎も角、無事で何よりだった」


「はい……」


「アイリス・エウォル・アーレント第十三席次は無事か?」


「今の所は問題ありません。現在は安静にしています。数日もすれば、完全に復帰できるでしょう」


「そうか、それは何よりだ」


 そういってフレンは立ち上がり、凝り固まった身体を解すように室内を歩き、壁に背中を預け、寄りかかる。


「……錬金術師、キマイラ、今度は龍と来たか」


 フレンの声は酷く剣呑で沈んでいた。


「リンド=ヴルム……かの存在は一体、何者なのでしょうか」


「恐らくは、錬金術師の一派だ。でなければ、錬成竜を態々解放しに来た理由が分からん。アレに、何かしらの利用価値がある故に現れたのだろうな。ただ戦力として用いるのであれば、龍自身の方が余程強力だろうし……」


「……妥当な線ではあると、愚考します。勿論、龍自身が錬成竜に利用価値を見出しただけの、別勢力というのも考えられますが――」


「まあ、まずないだろうな。君が聞いた龍の発言――『主の所へ帰れ』だの『役目を果たせ』だの、明らかに関係がある物言いだ」


「で、しょうね……。錬金術師の一派という事は、アレも作品なのでしょうか?」


「どうだろうな。さしものパラケルススでも、龍を錬成できるとは思えないが……。第一、ルベド・アルス=マグナは自ら作品だと名乗ったのだろう? ならば、龍もそれに倣うハズだ。そうしないということは、やはり協力者――というのが妥当ではないだろうか」


「……厄介極まりませんね。災厄の錬金術師に、その最高傑作。おまけに龍とは」


「まあ、下手に別の勢力として振舞われると、懸念材料が増える事になる。同じ勢力ならば、少なくとも軌を一にする者だろう。ならば、多少は行動の推察も出来る――と、考えねば精神が持たんな」


 そういって、フレンは力なく首を振った。

 人を超越した錬金術師に、その作品。おまけに文字通りの人外たる龍と来た。考えるだけで絶望に焼かれそうになる。

 

「……まあ、今後についてはまた会議で討論すべきだろう。君も、別命があるまでは待機してくれ。龍と戦った者として、意見を聞くこともあるだろうしな」


「分かりました。では、私はこれで」


「ああ、下がってくれて構わない。存分に休み、英気を養っておくことだ。いつ龍やら何やらが現れるか、分からないしな」


 報告を終え、カーラインは執務室を去った。

 無力感に苛まれる結果となった。ならばこそ、もっと実力を――リンド=ヴルム曰く、地力を高めねばならない。

 

(龍に錬金術師……必ず、後悔させてやる)


 秘めたる決意を胸に、カーラインは力を欣求する。
















―――――――――

あとがき

PVが3万を超えました。皆さまのお陰です。

今後も拙作をよろしくお願いいたします。

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