第119話『聖女、独白:活路(2)』
教会が私を捨てた?
「いや、いやよ……そんなはずないわ!」
髪をかきむしる。
ブチブチとちぎれた髪が散乱する。
「なんでよ! どうしてよ!? 勇者も司教のジジイも! 裏切り者どものせいでどうして私がこんな目にあうのよ!?」
全部あいつらが悪い。
皇子も聖騎士も、あいつらがいなければ予定通り始末できたはずなのだ。
いや、なにより。
「魔王、アレのせいで! あんな服で皇子たちを煽ったり、陰からこそこそと私たちを見て道化代わりにしたり……人を弄ぶ魔人! 天罰が下るといいわ!」
それから私は思いつく限りの罵倒をあの魔人に向けて叫ぶ。
わかっている。
ここでどれほど口汚くののしろうと負け犬の遠吠え。
だが私の心は散り散りとなり、どうにもできない絶望の闇の中だ。
他に何が出来るというのか。
「死ね、死ね、魔王、死ね! この島の全ての生き物は死ねばいい!」
泣きながらひたすらに怨嗟を唱える。
このまま恐怖に狂い死にできればどれほど楽だろうと願うように、魔人たちを呪い続けた。
背後でギシリ、と物音がした。
「……ひっ!?」
もう助かりようがない状況だというのに、それでも命の危機に私は正気に戻る。
ギシリ、ギシリ、と物音は続く。
いや、近づいて来る。
物音ではない。
足音だ。
この船に棲みつく何かが帰ってきたのか?
私はとっさに懐に手をのばす。
聖騎士の足を貫いた魔剣のナイフの残りはさきの騒動で置いてきてしまった。
私が服の中で握りしめていのは宝物庫で最初に見つけた美しい短刀。
これだって相当のもののはずだ。自衛のために振るうには十分。
私は音のした物陰へと目をこらす。
そこへふらりと姿を現したのは、ひどく傷んだ船員服を着た若い男だった。
さきほどの畑の主だろうか?
みすぼらしい恰好に対して、頭には羽根飾りのある立派な帽子をかぶっている。
どうにもちぐはぐな格好だがこの船の生き残りのよう……いや、ありえない。
よしんば生き残ったとしても、生身の人間をこの島のスケルトンが見逃すはずがない。
という事は魔王の庇護下にある人間の部下か従僕だろう。
こんな残骸を住処と与えられているならば扱いは奴隷のようなものかもしれない。
もしかすれば元はこの船の水夫だったかもしれないが、なんにせよ魔人が人間をまともに扱うはずがないのだ。
「……」
水夫は無言のままこちらを見ている。
すぐに襲い掛かってくる様子はない。
自分の住処に侵入してきた者が聖職者と知って驚いている?
それとも……若い女を見てどうするか思案しているのか?
だが自分の姿を見られた以上、魔王に伝わってしまう。
そうはさせない。
私はまだあきらめない。
教会はきっと助けてくれる。
先ほどは取り乱したがあの聖印はきっと何かの間違いだ。
生きてみせる。
生き延びてみせる。
私はすぐに笑顔を浮かべた。
「お住まいにご挨拶も無く失礼いたしました。わけあって追われています。少しだけここに居させてもらえませんか? 私にできる事であればなんでも……」
そして服の下で握りしめていた短刀から手を放し、服を少しだけはだけさせる。
肩と胸元の肌を露出させて、相手の反応を見る。
船員は無言のまま、ゆっくりとにじり寄ってきた。
男の口元が少しだけゆるみ、白い歯がのぞく。
唾液が垂れた。
汚らしい。
「ふふ、どうぞ。お気のままに……」
私は笑みを深め、男に背中を向けながらさらに服をはだける。
男から見えないように短刀を逆手に握りしめ、鞘からゆっくり引き抜いた。
ギシリ、ギシリ、と足音が近づいてくる。
「死ね、背信者!」
男の息遣いが聞こえるほどの距離になったのを見計らい私は振り返りざま、短刀をふりかぶった。
首元を狙って突き立てた。
柄の根本まで刃が埋まる。
思いのほか軽い感触は、この魔剣の切れ味ゆえか。
短刀を持つ私の手は、盛大に舞った血しぶきに赤く染まる。
「あはは、いいザマよ! 私は聖女、そんな私に触れようなんて……」
至近距離で水夫と目が合った。
違和感が走る。
「え……?」
その目はひどくにごっているように見えたのだ。
そう、まるでさきほど召喚したドラゴンゾンビのように。
「お、お前……?」
何より、突き立てたナイフに動じる事もなく水夫はこちらを見ている。
そしてゆっくりと口を開いた。
何事か話し出すのかと構えていたら。
「……ッ!?」
水夫が私の肩に食らいついた!
肉に歯が食い込む激痛が走る。
「ぎっ……なにを……やめ! こ、この……死ね、死ね!」
私はナイフを何度も水夫の体に突き立てた。
血しぶきだけが盛大に舞うそれは、しかしまるで痛みを与えていない。
それどころか。
「な、なによ、これ……」
短刀の刃が柄にもぐりこんでしまった。
わけもわからず振り回すと、再び刃の部分が突き出してきた。
再びそれを水夫に突き立てるが、刃の部分が柄へともぐりこんでいくだけだ。
「なによ、なによ、これは!!」
聖女は短刀を放り投げて、水夫の体から逃れようとその背中を何度も叩く。
しかし屈強な男の背中に聖女の細腕がどうこうできるはずもなかった。
「ぐぐっ……」
水夫は肩にくらいついたまま離れない。
「うぎぃ!」
激痛の中で強引に身をふりほどき、ようやく水夫を突き飛ばす。
「く、この……――、――!」
痛みに耐えながらヒールを唱え出血を止めながら、距離をとって身構える。
水夫は変わらず濁った目で私を見ている。
口のまわりを私の血で赤く染めた水夫は、私の肩から引きちぎった肉を飲み込んだ。
とても正気ではない。
「狂ってる……」
水夫は私の肉を咀嚼したあと、再び私へとにじり寄ってくる。
付き合いきれない。
相手は自分の有利を確信して油断している。
私は素早く右手の手袋をとりさり、女と甘くみていたその隙だらけの顔面へつかみかかる。
途端に水夫の顔から肉が爛れる音と臭いが漂った。
どれほどの男であろうとこうなったら痛みで体が硬直して、私に危害を与えるどころではなくなる。
「苦しめ! そして、そのまま死ね!」
水夫の顔をつかむ右手に力をこめる。
つかんだ水夫の顔の皮膚が破れ、中の肉が崩れる感触。
かまわず爪をくいこませると、やがて骨に触れた。
「あはは、どう? 痛い? 痛い?」
私の指の間から、血と膿がとめどなく流れる。
だが、その指のすきまから水夫の眼はジッと私を見ていた。
目が合った瞬間、私の背中におぞ気が走った。
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