シの英雄

秋夜【あきよる】

第1話「鎮魂歌」

——いつか世界が君を「反逆者」と罵り、生きとし生ける全ての生物が宿す悪意の刃が振りかざされてしまうのかもしれない。


 この身に受け継いだものがどんなに呪われたチカラだったとしても、関係ない。


 たとえ君以外の全てをゼロに還すことになったとしても、関係ない。


 君が心から笑顔で生きている、その未来を想うだけで私は——



 


 世界を滅ぼす恐ろしい悪魔にだってなれるだろう。





————————————————————————————————————




——6月1日、午前4時過ぎ。


 40型の液晶テレビ、使ったものから好き勝手に居座っていく黒いローテーブル、そして、参考書などではなく少年漫画やラノベが丁寧に差し込まれた本棚。

 そんなごく一般的な環境(他からしたらそれは「一般的」でないのかもしれないが)に、彼はいた。無造作に伸ばした髪の毛を額あたりで束ね、眉間にシワを寄せながらモニターと相対する彼——葉鳥はとり 蓮れんは日課のゲームに勤しんでいた。


 そのゲームの名は「Apex Shooters 」。サービス開始時から絶大な人気を得て現在に至るまで数多くのプレイヤーを魅了し続けるFPSゲームだ。その人気は、シューティングゲームに対して目が肥えている彼もまた、その魅力と中毒性に取り憑かれるほどだった。


「ここで裏取りして......っと」


「よし別チーム戦ってるし、うまく漁夫って潰しとこうか」


 6畳半ほどのスペースの中央で前のめりになり、静かに力感のない独り言を画面に向かって投げかけ続ける。

 当然のことながら、誰も返事はしない。客観的にみれば奇妙にも思える状況かもしれないが、誰も聞いていないのだから特別気にする必要性は皆無だ。


 ......のはずだが、どことなくあるはずのない人目を気にしてしまうのは、子どもの頃からの癖だろう。


 「はあ......やっと勝った......」


 激しい銃撃戦の末に勝利を納めた彼は、その余韻を孕みながら相棒をテーブルで休ませることにした。銃の発射速度に比例するように鼓動が高鳴っていくまま、ソファに背中を預けた。

 相棒を握りしめていた手は緊張感から解き放たれた代償なのか、コップの水面が忙しなく揺れるほどに震えて止まない。これは勝利したものの前にしか訪れない、「選ばれた」者へのギフトだ。


 そんな彼には大学生になってもいまだ友人が出来ていない。丁度2年前あたりから新型のウイルスがここ日本で猛威を振るい、大学デビューを夢見ていた彼は出鼻を挫かれた形となったのである。その為、画面上の戦争に勝利した後も、その優越感に隠れて悲哀に似た感情が時折顔を出していた。


 「......別にこれまでも多かったわけじゃないけど、一人もいないと流石になぁ」


 「たまには、誰かと通話繋げながらとか——」


 そんな薄い希望が頭をよぎるも、思考の内側で常に渦巻いている自己否定感が微かな願いすら抉り取っていってしまった。


 「......イヤ、俺なんかと通話してもしょうがないよな」


 そう言って深いため息をつくと、気が緩んだのか息を潜めていた疲労と睡眠欲が徐々に顔を出した。思えば、ご飯を食べ終えた22時頃からテレビの前を微動だにしていない気がする。

 今にも瞼を閉じたい欲求をぐっと堪えようとするも、流石に動物の三大欲求の一つに数えられるだけはあるらしく、徐々に理性が飲みこまれていく。


 そして降参を懇願しつつ迫り来る「悪魔」に身を委ねると、彼はその溺れかけた意識を暗闇に沈めた。





————————————————————————————————————



 暗くて何も見えない......体が自分の体じゃないみたいな違和感が指の先まで支配している。


 違和感の正体を突き止めようと、ひとまず瞼をゆっくり開く。すると自分のいるこの場所が、明らかに先ほどまでいた見慣れた部屋とはあまりにかけ離れていることは容易に理解できた。

 まるでこれまで過ごしてきたあの世界ごと、誰も知らない未知の場所へワープしてしまったような衝撃だった。


 「......え?」


 一切思考が目の前にある視覚情報と接合しようとしない。それどころか、19年間見てきたはずの「現実」をほんの数秒で全否定されたような感覚が全身に襲いかかっていた。


 目前に広がっていたのは、先程まで重労働を強いられていた40型液晶テレビでも、住むようになって2年ほど経過したアパートのどの風景とも一致しない、不可思議な景色だった。


 そこには、葉が全て枯れ落ち枝の集合体と化してしまった木々、とても元いた世界の感覚では考えられないほど不安定で、重く淀んだ空気を漂わせる紫紺の大地が果てしなく広がっている。気味の悪さを際立たせる生ぬるい温風は地面を這い、紫がかった葉を舞い上がらせている。


 「なん......で、こんなとこ見たことも行ったこともない......」


 「ってことは夢......だよな」


 「夢」であると未だ疑わない彼の目の前には、全身を黒装束に包んだ大男が何千、何万と首を垂れている。土埃のせいでぼやけてはっきりとは見えないが、黒装束に何か紋章が刻まれている。何らかの宗教集団のようにも見える。

 その不気味すぎる事態に全身のありとあらゆる器官が警告を発し始めている。


 「な......なぁ!ここはどこなんだ!?」


 あまりの不可思議さに、目の前にいる彼らに問いかけてみるも、一切の返答がない。


 190cmはあるだろうか。顔がベールのようなもので隠れた大男たちがこぞって傅いている状況も十分理解できないが、彼らが一向に喋る気配すら見せないのが一層不気味さを加速させている。


 「......本当に、なんなんだよ......」


 訳が全く分からず、もはや呆れすら感じてしまう。しかし、なぜか彼らを意識すればするほど呼吸のリズムが瞬く間に崩れ落ちていく。体全体を揺るがすような動悸が止まらない。

 そんな気味の悪すぎる光景に、喉の奥を粘着性の強い液体で封鎖されてしまったような閉塞感を覚える。


 やっぱり夢? でも、夢にしてはどうしても感覚がリアルすぎる——


 まさか、と最悪のパターンが頭をよぎったその瞬間、ヤスリのようにザラザラした紐でずっと擦り付けられているような鈍痛が手足を覆っていたことに気付かされた。

 そして、一向に消える気配のない痛みの根源を探ろうと、まずは手首の方に焦点を合わせた。


 ——十字架。


 歴史の教科書のどこかで見たような、磔。実際に客観的にその十字架を見ることができたわけではないが、手足の縛られ方から最も近いのは「十字架」だと判断できた。


 しかし、自分がその当事者になっているというのは、いくら夢だとしてもあまりに不吉すぎた。十字架ということは、なんらかの重罪か、国家転覆でも働いたか、死が唯一の罰になり得るような大罪人でないとこんなことにならないはずだから。


 「十字架なんて、何千年も前の話だよな......? 世界観どうなってんだ......」


 蓮は意外にも突っ込めるほどの冷静さを取り戻していた。この現代のものとは思えない世界観で磔にあっている、という異常事態は、あまりに自分が過ごしてきた「日常」とかけ離れていたためだ。

 もちろん目前で微動だにせず鎮座している黒装束集団も同様であった。あまりに現実離れしすぎているというか、創作物の世界でしか見ないような光景だ。


 ——これが実際に起きていると考える人間の方がイカれているだろう。そう苦笑した瞬間、唐突に耳を貫いた自分以外の声に、自分の体に起こっている異常事態ですら意識の遥か遠くへ行ってしまった。


 「......たは......して......!」


 「......!? 誰だ!?」


 ——他に、誰かいるのだろうか?


 これまで風の轟く音だけが響き渡っていた中で、自分の他にまだ誰かがいる。そんな期待と、得体の知れない世界にいる「誰か」への不信感が同時に全身を駆け巡る。

 その声をなんとか聞き取ろうと、これまでここまで耳を傾けたことが無いであろうほどに全神経をその声に集中させる。


 「......! ......!」


 しかしその声は朧げで、不可思議なこの空間に解け入ってしまうような、何か別の誰かの感情がフィルターとなっているのか言葉の全体像を聞き取ることは叶わない。


 「わたしは......んな......ここに......」


 微かにその輪郭を捉えられた程度だが、徐々にその言葉の一つ一つにかけられたベールが剥がされていく。


 ——とても儚く、脳の奥をメープルシロップで浸されたように甘美に伝播する女性の声だった。


 「一体、どうしてここに女の子が......?」


 ......まぁ、自分もそれは同じかもしれないが。


 荒野のど真ん中に謎の集団と対峙しているのだから、明らかに普通の状況でないことは理解できる。しかし、一番気になるのは自分が置かれている状況だ。手足を常に摩擦されるような痛みは消えないが、この場所に来てからずっと体が眼球以外一切動かせない。


 ——まるで、誰かの体に意識だけ乗り移ってしまっているかのように。


 金縛りのようなその感覚に妙な危機感と焦燥感に駆られ、目を背けようと必死に瞼を閉じた。その時だった。


 「......報いを。報いを。報いを。報いを。報いを。報いを。報いを。報いを。報いを。報いを。報いを。報いを——」


 傅いていたはずの黒装束たちが一斉に立ち上がり、ザッザッと規則的な音を揃えて十字架の元へ向かってきた。その瞬間、これまで「夢」だと思うことで抑えられていた恐怖、不安、困惑などが濁流のように押し寄せる。


 「......ひっ......!?」


 全身は入れる力の行き場を失ったかのように動かない。内側から溢れ出るような鳥肌と寒気が止まらない。

 現実では絶対に起こり得ないはずなのに。今までの人生でも、これから先の人生でも、体験しないと言い切れるものであるはずなのに、目の前で心臓を手のひらで転がして査定されているかのようで気味が悪い。


 黒装束がこちらに変わらず向かってくることを一瞥し、混乱しながらも動かせる限りの範囲で周りを見渡す。しかし、ここは相変わらず不明瞭かつ不気味な空間であることに変わりはなかった。


 そのような不可解な状況の中でも、蓮はどうしても当事者意識を持つまでには至らなかった。


 ——確かに、夢にしてはリアリティがあるけれども、これが「夢」であるとまだ明確に意識することができる。これが実際に体験した話でした、なんて展開はファンタジーやらラノベやらに出てくるありきたりのパターンだ。

 頭で必死に合理化を図ろうとするも、視覚から強烈に捩じ込まれるソレらの悍ましさは変わらない。


 ——それでも、ヤツらは迫ってくる。


 腕も、足も、指の末端に至るまでやはり思うように動かない。当然磔にされているので四肢を自由に動かすことはできないのだが、全身を駆け巡る恐怖も相まって唯一動かせた眼球の動きすら鈍くなってきている。


 「......!」


 その中でも、何処かで先程の女の子が必死に声を上げているらしい。しかし、今にもこの異常な空間に消え入ってしまいそうなその声は、断片的にしかこちらに届いてくれない。


 「——報いを。彼らに、報いを」


 統制されたように揃えて声を発してくる黒装束の男たちはついに、蓮が磔にされた十字架に到達した。


 ——その手に、ロザリオを模した鈍い銅色のナイフを携えて。


 蓮は鼓動と呼吸がこれまで体験したことが無いほどに荒ぶっているのを感じた。シャトルランで130回やり切った後の息の乱れや、急に背中を叩かれた時の鼓動の高鳴りとは比較することも恐れ多いような、戦慄。


 「......どうして......? 俺は、このまま殺されるのか? ......死ぬ......のか......? なんで?」


 あれだけ明確に意識できていた「現実」と「夢」が混同していくのを、言葉を途切れ途切れに紡ぎながら感じていた。


 ——死。それは、現代社会に生きる上で特別な出来事がない限り「人生」の中でなぜか当事者意識を持つことが少ない概念。そして、人間が間違いなく「動物」のままであり、生きとし生ける生命体である限りは必ず付き纏う根源的な恐怖。


 幼少期では悪口として聞き慣れ、ゲームなどでは敵の死が目標達成の必要条件となるように、生きている限りすぐ後ろに存在するのになぜか他人事のように考えてしまう。

 彼は、人生で初めて、自らにも死が訪れることを改めて思い知らされることとなった。鈍く光るナイフで全身を貫かれ始めたその瞬間から——


 「ア゛ッッ......ガ ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ......!!」


 次々とズドッズドッと、いっぱいに詰め込まれた砂袋に鋭利なものを差し込んだかのような鈍い音が、体内に反響している。

 言葉にならないほどの悲鳴が、嗚咽が、不明瞭な世界に響き渡る。その感覚は「夢」というにはあまりに「現実」的で、生々しく、まるでこの世界に拒否されているかのような衝撃であった。


 そのような感覚を味わう暇もないほど、次々と異物が体内に捩じ込まれてゆく。一本は脇腹の奥底にある内臓をナイフで探り当てるように、またもう一本は腸を引き摺り出すかのように——


 それでも傷口を恐る恐る一瞥すると、不思議とあの鉄の匂いがする赤い液体がナイフと身体の隙間から漏れ出てくることはなかった。


 「はぁっ......はぁっ......何が、俺に起きてるんだ......!?」


 ——苦痛と視覚情報が比例しない。抉られるたびに意識を丸ごと噛みつかれるような痛覚も、変わらず全身を駆け巡っている。

 もう既に彼には、死の概念をじっくり味わう余裕は残されていなかった。死を前にした絶望も何故か息を潜めている。


 体の底からフツフツと溢れ出る衝動的な怒り、世界を丸ごと消し去ろうとするような殺意。


 ——自分を原点とする感情などでは無い。無いはずなのに、その感情と共鳴するように心の中が占領されていくのを確かに感じた。

 そのような状況下で、一言一言に自らの揺るがない信念を感じ取れるような、それでいて何かを裁こうとするような男の声が全身に響き渡る。


 その言葉は、消えゆく意識の中でははっきりと掴み取ることはできなかったが、黒装束に身を隠した大男は、静かに呟いた——


 「懺悔せよ。憎き 世界の反逆者よ」


 「どうか——」



 「世の理および『天帝の意思』に叛いた罰を、永遠に続く『救い』の中で味わい続けるがよい」

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