花塵を踏む(4)

 エルラは、跪くノーラマリーの首へ〈リリ〉の刃を振り下ろした。

 黒い閃光が走り、ノーラマリーの命は絶たれた。

 骨肉を断つ手応えとともに薄氷を割るような感触をエルラは感じた。


 続けざまに、遺体を足で仰向けにし、胸と下腹に剣先を突き刺す。鑿にも似た切先で何度も、潰すように。肉と内蔵、骨を挽き砕く鈍い音が、祈祷合唱にかき消されぬほどの異物感で響いている。


 魔力と魔力源たる流体の貯蔵庫である心臓と子宮を破壊することで、術師を完全に無力化する。ノーラマリーの遺体に残った魔力と流体を再利用させないためにも必要な処置だが、絵面としては彼女の尊厳を踏み躙っているようにしか見えなかった。


 エルラはチラとダグマルのほうを見やる。出会って間もないながら、年少者であるダグマルはエルラにしてみれば、気にかけるべきか弱い人間だった。

 ダグマルはノーラマリーの損壊された遺体を無感動に眺めていた。エルラは、彼女が泣きだすか嘔吐くだろうと予想していた。しかし、それは当たらなかった。ダグマルという少女は、エルラの思うよりもずっと〝強い〟人物のように思える。


 サリクスも、このときまではエルラと同じように考えていた。

 おそらく、経験は浅いが聖女としての〝格〟はノーラマリーよりもダグマルのほうが上なのだろうと、評価を改める。彼女の力を知りたい、と興味が湧きかけるが、個人的な欲求はこの状況において優先されるべきものではない。

 他組織の人員を部外者が処理してしまったことを釈明しなければ、とサリクスは考えた。


「すみません。出過ぎた真似をしました。ですが急を要するようだったので」


 サリクスがハウスマンへ頭を下げた。エルラの剣が術式破壊の能力を持っていることを全貌をぼやかしながら告げる。

 対しハウスマンは、構わない、と答えた。


 いつしか祈りの合唱は止んでいる。


「遺体の処遇はそちらに任せます。必要であれば、彼女自身は潔白であると証げ――」


 言い終える前に、堂内に声が響く。


「嗚呼、ひどいわ」


 子供の声。底抜けに明るい、無邪気というには作り物感の強すぎる場違いな調子。

 さきほどまでノーラマリーと共にいた少女が、ノーラマリーの首を抱きかかえ、通路に立っていた。


「お母さんにするのにちょうどよい躰だったのに」


 少女が明るい声音のままで残念がった。


 エルラは振り向きざま、考えるよりも早く拳銃を抜き、少女を撃った。

 怪物を倒すための大口径弾は、幼い子供の頭を容易く砕いた。

 少女の身体は後ろへ倒れかかる。しかし完全には倒れず、糸で吊られているように不自然に反った形で静止し、立ち直った。ぼこぼこと泡のように肉塊が蠢き、弾けた頭部が元の形へ戻っていく。


「なに……?」


 思わず呟きが零れる。


『妙な気色だとは思ってたけど……とんだバケモノね』


「他人から見れば、わたしもあんな感じなのか……」


『違っ、お姉ちゃんのことじゃなくて。お姉ちゃんはもっと綺麗に治るから』


 欠損が元通りになる時点で怪物の仲間に違いはないのでは、とエルラは内心思った。とはいえ、そんな自虐的な軽口で妹とじゃれあっている場合ではない。


「せっかく準備したのに台無し」少女は撃たれたことを意に介していない様子で喋り続ける。「この際、あなたでもいいかと思ったけど、やっぱり吐き気がするほど気持ち悪いわ。どうしようかしら? この身体は幼すぎるから好ましくはないのだけれど」


 掴みどころのない調子で少女がエルラへ告げた。


「どういう意味? よくわからないけれど、〝お母さん〟が目的なの?」


 少女はエルラの問いには答えない。代わりに、目を閉じ、いかにも演技然とした様子で首を傾げ、思案する素振りをしてみせる。


「……あの子でいいかしら、ちょっと気持ち悪いけれど、この中では一番マシだわ」


 少女がサリクスを見た。

 エルラはサリクスが標的になったのを悟り、サリクスへ振り向き、口を開く。


「サリュ!!」


 呼びかけとほぼ同時に、礼拝者の一人が口を大きく開け、その喉奥から触手がサリクス目掛けて放たれた。

 すでに警戒態勢で拳銃と術符を手にしていたサリクスだったが、注意の薄い方向からの不意打ちに反応が遅れる。攻撃元を視認したときには、触手は彼女の数歩先にあった。


 反射的に術符を撒き、引き金を引く。

 装飾の施された雷管式リボルバーから誘導術の付与された弾丸が撃ち出される。その弾丸は触手を撃ち落とすことを意図したものではなく、触手の基部――つまりは人体、中でも脳幹部を狙ったものだった。しかし弾丸は触手がサリクスに到達するよりも先に標的に命中し、行動を止めることはできない。縄が投げられた後に投擲者を捕まえても、縄が空中で静止することはないのだ。

 だからこそ、術符で防いで、相手の回避不可能なタイミングで反撃する。攻撃者にとって最も無防備な瞬間は攻撃時だ。ことに奇襲が成功したと思うときは。

 仮に触手の槍が術符の防御を打ち崩す威力があったとしても、最悪は〈影〉で止められる。


 不意打ちに対して、持ちうる限りの余裕さで待ち構えようとしていたサリクスだったが、彼女の手の届く距離まで触手が辿り着くことはなかった。

 サリクスが発砲した瞬間には、ハウスマンが触手を斬り落としてしまったからだった。まさに瞬きする間の出来事で、サリクスには彼の動きのすべては捉えられなかった。


 両手に淡く光を放つ光剣を握り、ハウスマンは攻撃者とサリクスをそれぞれ一瞥した。

 触手を吐き出した礼拝者は頭部に被弾し項垂れ、斬り落とされた肉塊は青白い炎に包まれ形を失いつつある。


 断たれた触手が燃えているのは光剣の能力によるものだ。


 光剣は武装聖職者の標準武装の一種。光芒の刃を創造する術の補助魔道具であり、剣として扱うための柄。実体を持たない刀身は、敵や害と認識したもののみを傷つけ灰に帰す。いわば断罪の剣で、執行者としての武装聖職者を象徴するものの一つである。



 不意打ちが未遂に終わった少女は顔を歪め、呟きかける。


「やっぱりそんな簡単には――」


 その言葉が出切る前に少女の首に鋼の一撃が叩き込まれた。

 すかさずエルラは少女の手からノーラマリーの頭を取り上げようと手を伸ばした。胴体のほうはひどく傷つけてしまったから、無傷の頭部だけでも教会の元へ返したいと思った。これ以上少女の手元に置いておけば、サリクスへ危害を加えようとした町人のように何かを仕込まれる危険が増す。

 エルラの考えは当たっていた。

 しかし遅かった。ノーラマリーの命運はエルラやハウスマンがこの町に到着した時点ですでに決まってしまっていた。


《――開け》


 奇妙な声が響き渡った。


 ついとノーラマリーの目と口が開く。開き切った瞳と視線が交わった。吸い込まれそうな虚無の澱が瞳孔の奥で沸き立っていた。

 さざめきがエルラを包む。

 エルラの身体が出し抜けに硬直し、意識もぼやけていく。


『お姉ちゃん!!』


 リリの呼びかけにエルラはハッと我に返り、飛び退った。


 少女の身体が黒い粘液質の塊に変容し、床に広がっていた。ノーラマリーの遺体を飲み込むと波打ち、黒色の水溜まりの中心に浮かぶノーラマリーの首が突き刺すような悲鳴をあげた。

 その絶叫に呼応し、礼拝者たちの身体が変化し始めた。脱皮するかのように皮膚が裂け、朽ち木と水の匂いが混じったような臭気を吐き出し、中から怪物が姿を現す。細長い手足に肥大した胴、口以外の器官が存在しない頭、円形に並んだ鋸歯。


 エルラの眼前では、ノーラマリーと少女だった黒い淀みは膨れあがり、弾けるように開いていった。シダ植物のものに似た〝葉〟を広げ、中心には蕾や卵を思わせる長球状の塊が座している。表面に血管の浮き出た蕾は、人間の鼓動に近いリズムで拍動し、葉は漂うようになびいている。


「……これからが本番ってわけね」


 エルラは呟き、〈リリ〉を握り直した。

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