第39話

 宇宙暦SE四五一八年七月二十四日 標準時間〇八五〇。


 戦闘が始まってから五十分が過ぎた。


 ホアン艦隊は多くの犠牲を出しながらもアルビオン艦隊の右翼側を突破しつつあった。

 エルフィンストーン提督率いる第九艦隊を中心に敵の側面に出つつあったが、アルビオン艦隊もその強引な攻撃により戦列が乱れていた。


 そのため、そのまま方向転換をすることが難しく、一旦前進した上でホアン艦隊を追うように右旋回しつつ、戦列を再編する必要があった。


 しかし、その艦隊機動を行うということは、ホアン艦隊とマオ艦隊の合流を許してしまうことを意味している。


 唯一、合流を防ぐ方法はハワード・リンドグレーン提督率いる第三艦隊がホアン艦隊の針路を妨害することだが、僅か四千隻では勢いに乗るホアン艦隊を止めることはできない。


 この状況にリンドグレーン提督は迷っていた。

 自分たちの前方を減速することなく通過しようとしているマオ艦隊を攻撃するか、ステルス機雷とサクストン提督麾下のアルビオン艦隊によって傷ついたホアン艦隊を食い止めるかの選択を迫られていたのだ。


 リンドグレーンは自らの行動によりアルビオンが勝利を逃したことに気づいていた。

 戦場での臨機応変な判断はともかく、既に終わった事象から原因を導き出すことは官僚的な彼の得意とするところだった。


(私の決断が我々の勝利を逃す原因となってしまった……あの時、なぜあのような決断をしてしまったのか……これで私の経歴も終わりだ。いや、最悪、軍法会議にかけられ処断されることもありうる……)


 リンドグレーンの精神状態は冷静さとはかけ離れたところにあった。

 明確な裏切りや敵前逃亡であれば別だが、アルビオン王国において“大将アドミラル”という地位の将官が軍法会議にかけられ処刑される可能性はない。もちろん、敵国であるゾンファ共和国なら別だが。


 この時、リンドグレーンは完全に恐慌に陥っていた。


(私が命じた航路はハイフォン星系に向かう航路と一致する。このままでは敵前逃亡の汚名を……どうする……)


 司令官がパニック状態の第三艦隊はマオ艦隊に向かうでもなく、ホアン艦隊を迎え撃つこともなく、ただ漫然とその中間の宙域に漂っている。


「提督、ご命令を。このままではホアン艦隊に強襲されてしまいます」と参謀長であるジャスタス・ノールズ中将が耳打ちする。


 ノールズはリンドグレーンを止められなかったことに忸怩たる思いをしていたが、無為に全滅する気はなく、次の行動に有利になる機動を行うよう、進言する準備をしていた。


 リンドグレーンはその言葉で我に返り、慌てた様子でメインスクリーンを見つめる。そして、焦った声で命令を発した。


「前進! マオ艦隊の前方を横切りながら攻撃する!」


 その言葉にノールズら幕僚たちは呆然とする。


 マオ艦隊は一万七千隻、つまり自分たちの四倍以上の戦力であり、その艦隊の進路を横切るように進むことは常識的にはありえない。


 通常、艦隊戦では高速で移動している方が不利になる。これは防御スクリーンを進行方向に展開する必要があるためで、その分、防御力が落ちるからだ。


 現段階でマオ艦隊との相対距離は七十光秒を割り込み、マオ艦隊は艦隊戦のための最終減速に入っていた。今すぐ加速を開始すれば、ギリギリでマオ艦隊の射程外を掠めるように移動できるが、逆に言えば第三艦隊も攻撃できない。


 更に言えば、第三艦隊が最大加速度でマオ艦隊の前を横切ると、アルビオン艦隊主力に合流するためには三十分以上の時間を浪費してしまう。その間にマオ艦隊とホアン艦隊が合流すると、敵の総数は二万六千隻を超え、アルビオン艦隊の二万一千隻を凌駕する。


 ノールズは翻意を促すため、上申を行った。


「一旦、ホアン艦隊の進路から外れ、早期に本隊と合流すべきです。今ならまだ間に合います」


 しかし、リンドグレーンは「それではホアン艦隊に押し潰されるだけだ。早く命令を実行せよ」と焦りを含んだ声で命じるだけだった。


 ノールズは納得しがたかったが、この場で議論することは時間の浪費であり、早急に移動が必要と考え、リンドグレーンの命令を各艦に伝達する。


 その命令を受け、第三艦隊はマオ艦隊の射程ギリギリを掠めるように横断していく。


 横断しながら戦艦が主砲を発射し、他の艦はステルスミサイルを放つが、僅か四千隻の攻撃ではマオ艦隊に有効なダメージを与えることなく、逆にマオ艦隊からの攻撃を受け、ダメージを被ってしまう。


 ダメージを受けながらも第三艦隊はホアン艦隊から追撃を受ける危険な宙域から脱出した。しかし、アルビオン艦隊の本隊であるサクストン隊とは大きく離れてしまった。


■■■


 メインスクリーンに映るアルビオン第三艦隊の姿を見て、マオ・チーガイ上将はジュンツェン星系を守りきれたと確信する。


(ここに至ってはアルビオン側も無理に攻撃を仕掛けてくることはなかろう。こちらは防備を固めて、敵が逃げられるように位置を変えていくだけだ……懸念があるとすればホアン上将だけだな……)


 マオはアルビオンの戦略目的であるヤシマ解放がなったことと、ゾンファ側が合流し、数の上では不利になったことから、アルビオン艦隊はこれ以上の戦闘を避けてくると考えていた。


 ただ、好戦的なホアン・ゴングゥル上将がこの機に敵を殲滅すべきと主張するのではないかという懸念を抱く。

 彼の懸念はすぐに現実のものとなった。


「ホアン上将から通信です」という通信士の言葉に小さく頷くと、司令官専用回線を開くように命じた。


 すぐにホアンがスクリーンに映し出され、「何とか合流できましたな」と笑いかけ、「では、アルビオンを叩きだしましょう」とすぐに今後の戦闘の協議に入ろうとした。


「一旦引くべきでしょうな」とマオが言うと、ホアンはなぜだという顔をし、「この絶好の機会を逃すというのか!」と叫んだ。


「貴艦隊の損害が大きすぎる。一度、J5要塞に帰投し、万全の体制をもって雌雄を決するべきでしょう」


 事実、ホアン艦隊約九千隻のうち、三割以上に当たる三千隻弱が何らかの損傷を負っていた。


 ホアンは正論であり、常道でもあると考えるが、この程度の戦果ではヤシマを放棄した事実を覆すことができないと考えた。


「貴官はそういうが、我が艦隊はまだ充分に戦える。敵第三艦隊が戻る前に一気に雌雄を決するべきだ」と譲らない。


 ここで問題になるのは指揮権がどちらにあるかという点だ。

 先任順位で言えば、ホアンが上であるが、ジュンツェン防衛に関してはマオに指揮権がある。


 常識的に考えればマオに指揮権があるのだが、この作戦がヤシマ解放・・作戦の一環であるならば、ホアンに指揮権があることになる。


 ホアンはそのことを主張し、主導権を得ようとしたが、第一次ジュンツェン会戦の緒戦で先任であるティン・ユアン上将に配慮したため、大きな損害を被ったマオはその主張を一蹴する。


「ヤシマ解放作戦はシアメン星系以遠で適用されるものである。本星系の防衛に関する一切の権限は小官にある」


 ホアンはこれ以上時間を空費することは敵に利すること、また自らの艦隊の損傷が大きく戦闘に勝利したとしてもマオの功績になるだけだと考え、指揮権を諦めた。


 ゾンファ側の指揮命令系統が統一された。

 しかし、アルビオン側はシアメンJPから離れる動きを見せなかった。



 標準時間〇九時一〇分における各艦隊の情況をまとめる。


 アルビオン側の本隊、すなわちサクストン提督率いる五個艦隊二万一千隻はシアメンJP付近において、艦隊戦が可能な最大速度、最大戦速〇・〇一光速で時計回りに方向転換を行っている。


 リンドグレーン提督率いる第三艦隊はその後方十光秒付近、つまりゾンファ艦隊に近い側で同じく時計回りの方向に展開しようとしていた。現状では巡航速度に近い〇・一Cで移動し、ゾンファ艦隊の前を横切った後、サクストン隊とも離れる航路を進んでいる。


 一方のゾンファ側は、マオ艦隊一万七千隻がサクストン隊とは四十光秒離れた宙域で減速を終え、待機していた。


 ホアン艦隊九千隻はサクストン隊から三十光秒の位置にあり、〇・〇三Cでマオ艦隊に向かい、あと十分ほどでマオ艦隊と合流できる位置にいる。但し、九千隻のうち、半数が何らかの損傷を受けており、戦力的には三割程度割り引いて考える必要があった。


 戦力的にはアルビオン艦隊とゾンファ艦隊はほぼ互角であるが、現状ではリンドグレーン艦隊が本隊と早期に合流できないため、アルビオン側が不利な状況であった。


 全体の戦局には影響はないが、危機的な状況にある部隊があった。

 それは第三艦隊の砲艦戦隊で、ホアン艦隊の駆逐艦戦隊三十隻に追われていたのだ。その時、周囲に味方はなく、その命運は風前の灯であった。

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