第35話

 宇宙暦SE四五一八年七月二十三日、標準時間〇五三〇。


 ホアン・ゴングゥル上将からの連絡を受けたジュンツェン防衛艦隊司令官マオ・チーガイ上将は、彼の幕僚たちと今後の作戦について検討を行っていた。


 既に一ヶ月以上、要塞に篭っている状態であり、ヤシマ侵攻艦隊――ゾンファ側の呼び方ではヤシマ解放艦隊が転進してくることは既定事項として捉えられていた。


 その上でどのようにアルビオン艦隊をここジュンツェン星系から排除するかを検討していたのだが、現状の戦力差では有効な作戦が立案できず、敵の補給線を脅かす程度のことしか考えられなかった。


 情報通報艦の決死の連絡により、三十時間後にホアン艦隊が戻ってくることが分かっているが、この状況をどう生かすかについても明確な方針が打ち出せないでいる。


 マオ艦隊は第一次ジュンツェン会戦によって、巡航戦艦、重巡航艦など高機動の主力戦闘艦を多数失っている。艦隊全体の加速度は三kGであり、敵高機動艦からの追撃を防ぐためには少なくとも三百光秒の距離を保つ必要があった。


 この三百光秒という距離が微妙なのだ。

 三百光秒、つまり六光分先の敵と戦闘を行うには敵が動かないと仮定すると、射程距離である三十光秒以内に接近するためには約二十分の加速、約三十分の慣性航行、約二十分の減速が必要になる。減速中に攻撃を受けないように機動する場合、更に二十分は考慮しておく必要がある。つまり攻撃位置に着くまでに一時間半もの時間を要するのだ。


 もし、ホアン艦隊の出現を確認してから攻撃位置に着こうとすれば、ホアン艦隊は一時間半という時間を、ステルス機雷を排除しつつ優勢な敵と単独で戦い続けなければならないことになる。


 逆に情報を信じて先に攻撃位置に着こうとした場合、敵が指を咥えて見ている可能性は低い。三百光秒ラインを越えたところで、自分たちに向けて動くと考えられる。


 仮にホアン艦隊がジャンプアウトする三十分前に接近を開始したとすると、アルビオン側が同時に動いたとして、交戦時のアルビオン艦隊の位置はJPから第五惑星側に百三十光秒の位置となり、交戦開始時刻はホアン艦隊ジャンプアウト後の十五分後となる。


 ホアン艦隊がアルビオン艦隊を攻撃できる位置に着くには千二百秒の加速と同じ時間の減速、つまり四十分の時間を要する。


 僅か二十五分単独で持ちこたえればよい計算になるが、実際にはホアン艦隊がステルス機雷を排除する時間が必要で、実際に艦隊として移動するには少なくとも一時間程度の時間余裕は見ておく必要がある。


 つまり、一時間半もの時間をマオ艦隊は単独で持ちこたえなければならないことになる。

 逆にホアン艦隊が現れなかった場合、要塞に逃げる術を失うことになり、多大な損害を受けることは必至で、特に加速性能が劣る戦艦は全滅の危険があった。


 つまり、ホアンが考えたヤシマ侵攻艦隊とジュンツェン防衛艦隊による挟撃作戦は非常に分の悪い作戦だったのだ。


 もちろん、ホアンが楽観的に想定していたように、ジュンツェン防衛艦隊の兵力が二万隻を超えていれば、守りに徹することで一時間半程度は充分に稼げる時間ではある。


 しかし、マオの持つ兵力は一万七千隻とアルビオン側の二万七千隻に対して六割強しかなかった。

 更に作戦の幅を広げる高機動艦を失っている影響が大きい。


 高機動艦があれば艦隊を分離し、敵の側面を突くなり、ホアン艦隊と合流すると見せかけるなりの策が取れるが、鈍重な戦艦と脆弱な駆逐艦が主力では全艦が固まって動くしか選択肢はなく、更に戦艦以外が脆弱すぎて早期に艦隊としての秩序が失われる可能性があった。


(この状況を打破するにはホアン上将の策に乗るしかないが……いずれにせよ、大きな損害を被るだろう……いや、艦隊戦で勝つことはほぼ不可能だ。あとはいかにしてジュンツェンを守るかだ……)


 この時、マオは艦隊戦での勝利を諦めていた。その上で戦略的に祖国に最も有利になることを考えるしかないと腹を括る。


(ホアン艦隊がヤシマから転進したことが分かれば、アルビオンもジュンツェンに固執することはあるまい。ホアン艦隊には悪いが、ここで各個撃破されればJ5要塞すら失いかねない……我々はホアン艦隊が現れてから動くしかない。うまくいけば挟撃の形を作ることによって、敵が混乱することもありえる。いや、撤退する可能性も……)


 そこまで考えて、心の中で自嘲する。


(敵の失策を期待するような策は策とも呼べんな。敵はサクストン提督とハース参謀長だ。そのような愚かな失策を犯すとは到底思えん。それに我々が把握していない知将もいる……敵がジュンツェンを諦める程度の損害を与えることだけを考えるべきだろう……)


 マオは砲艦と戦艦を使った戦術を考え、それを実行させて人物が総司令部にいると考えていた。常識的に考えれば、六個艦隊の砲艦と戦艦を使う戦術は総司令部の命令でしかありえない。このため、マオはハース以外の知将がいると思いこんでいた。



 マオは幕僚たちに向かって、「ヤシマ解放艦隊と共同し、敵を殲滅する!」と宣言した。


「七月二十四日〇七三〇に、敵艦隊の後方三百光秒の位置に艦隊を展開させる」と命じる。


 マオは麾下の将兵に対し、演説を行うためマイクを握る。


「ゾンファ国民解放軍将兵諸君に告ぐ! 既に承知の通り、我が祖国は存亡の危機に立たされている。ここジュンツェン星系を失えば、我が祖国は外への扉を失うだけでなく、我らが故郷、ゾンファ星系すら失いかねない! 我々ジュンツェン防衛艦隊将兵は一丸となって祖国を守る! そのためには多くの犠牲を払うかもしれない……」


 そこでCICにいる将兵の様子を僅かに伺う。誰もが聞き入っていることに満足し、演説を続けていく。


「しかし、立ち止まることは許されない! 侵略者アルビオンを本星系から排除するまで、我々はどのような犠牲も厭うことは許されないのだ!……」


 マオはそこで言葉を切り、呼吸を整えた後、今までのような激しい口調ではなく、静かに語り始めた。


「小官は諸君らの上官である前に、兄であり父でありたいと思っている。小官の命令に理不尽なところもあるだろう。しかし、それはすべて侵略者の手から祖国を守るためだ……この一戦に祖国の存亡が懸かっていると小官は言った。そのためには隣にいる戦友たちの生命を見捨てねばならぬ決断を要求するかもしれない。今はそれほどまでの危機なのだ……」


 将兵たちに自分の言葉をかみ締める時間を与えた後、更に演説を続けていく。


「既に知っていると思うが、我が軍の補給物資はあと一月で尽きる。もし、ここで死を躊躇い逃亡を図ったとしても、生き延びることは不可能だ。そのような不名誉な死より、祖国のために共に戦い、共に死んでいこうではないか。小官に、いや、私に力を貸してほしい……もう一度言おう。祖国の存亡はこの一戦にあり! 諸君らの健闘を期待する! 以上!」


 ゾンファの上級将校が自軍の不利な情報をあえて明かしたことに、兵士たちは驚きを隠せなかった。


 確かに補給部隊の兵たちから漏れ伝わってきた情報から、食糧は一ヶ月分しかないことは知っていた。


 マオ以外の指揮官なら、その事実を隠し、ただ従順に命令に従うことだけを求めただろう。兵士たちもそう考えており、実直に事実を話した上で、自分たちのような下級兵士に力を貸してほしいと言ったマオに感動すら覚えていた。


 マオの演説の後、各艦では「共和国万歳!」という叫びが響き渡り、静まるまで十分以上の時間を要したという。


 士気が上がったジュンツェン防衛艦隊は直ちに出撃準備を開始した。



 七月二十三日、標準時間一〇〇〇。


 マオ上将率いるジュンツェン防衛艦隊はシアメン星系側ジャンプポイントJPに向けて進軍を開始した。


 その数一万七千隻。

 戦艦と駆逐艦が主力といういびつな編成であるものの、祖国の存亡を賭けた一戦というマオの演説により士気は高かった。


 マオは出撃前にもう一度マイクを取った。


「今回の作戦は敵に出血を強い、本星系から排除することである。そのためにはどのような状況にあっても司令部からの命令に従い、全力を尽くしてほしい……祖国のために! 共和国万歳!」


 一万七千隻の戦闘艦の中で再び万歳の嵐が吹き荒れる。

 興奮の坩堝にある将兵たちを見ながらも、マオは冷静さを失っていなかった。


(あの演説で兵たちを奮い立たせることができたとはな。だが、重要なのはこれからだ。ホアン艦隊を囮にして敵に出血を強いる。少なくとも三割は沈めねば、敵は引かぬだろう。敵が引けば、ホアン艦隊の輸送艦が戻ってくる。恐らく食糧などは満載しているはずだ。そうなれば敵が再び戻ってきたとしても、持久戦に持ち込める……)


 そして、最悪の事態についても考えていた。


(我ら防衛艦隊が全滅すれば、要塞しか残らない。しかし、要塞の将兵だけなら補給がなくとも持久戦に持ち込める。アルビオンの現有戦力では対要塞戦は行えない。仮に増援があったとしても、多大な犠牲を払ってまで確保する気はないだろう。だとすれば、アルビオンはそのまま自国に戻る……ジュンツェンを守るという一点に限れば、仮に我々が全滅しても目的は果たし得る。これは参謀たちにも言えぬことだな……)


 マオはアルビオン王国の戦略を正確に理解していた。

 アルビオン王国はアルビオン星系とキャメロット星系という二つの豊かな星系を保有し、その星系も開発の余地は十分にある。


 そのため、支配星系を増やすことにより、安全保障上の負担が増えることを嫌っている。対ゾンファ戦略においてもそのことは明確に示され、キャメロット星系とジュンツェン星系を結ぶ航路においては、中間点に当たるターマガント星系を緩衝地帯とする戦略であり、あえてハイフォン星系に進出していない。


(今回のヤシマ作戦は無謀だった。分かっていたが、ここまでの犠牲を強いられるとは……この会戦で我々が勝つにしろ、負けるにしろ、本国で政変が起きることは必至だ……いずれにしても、私がそれを見ることはないだろう……)


 彼はこの戦いが終わった後、自分が生きていられるとは考えていなかった。

 負ければ戦死しているだろうし、勝ったとしても、ホアン上将のような強硬派がヤシマを放棄せざるを得なくしたのは、ジュンツェン星系を危険に曝したマオのせいだと訴えるはずだ。


 そうなれば処刑は避け得ない。

 割に合わないと思っているが、いずれにしても死しか待っていないなら、思う存分戦って死のうと考えていた。

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