第36話

 宇宙暦SE四五一四年六月三日。


 ゾンファ共和国国民解放軍第八〇七偵察戦隊司令、フェイ・ツーロン大佐は、今回の作戦の報告書を携え、ジュンツェン方面司令本部に出頭していた。

 既にハイフォン星系駐留艦隊の情報通報艦により、作戦の失敗が報告されている。


 彼を案内する二十代半ばの大尉は、近寄れば自分にも火の粉が降りかかってくるとでも言うように、彼とは一切口を利かなかった。


 司令長官室に入ると、苦虫を噛み潰したような表情のフー・シャオガン上将がフェイ大佐を迎え入れた。


「報告書は既に見ている。付け加えることはあるか?」


 フー上将はフェイ大佐を立たせたまま尋ねる。


「ありません!」


 フェイ大佐は背筋を伸ばして答えた。


 フー上将は副官を下がらせると、表情を緩めて、フェイ大佐に椅子を勧める。

 上将の行動にフェイ大佐は驚きを禁じえなかった。自分は任務を失敗した指揮官であり、スケープゴートとして処分されると思っていたからだ。


「本心を言わせてもらえれば、君が失敗してくれて良かったと思っておるのだ」


 フェイは上将の言葉に「どういうことでしょうか!」と声を上げてしまう。


 彼は数百名の部下を失ったこの作戦が、最初から成功を期待されていなかったと思い、怒りを覚えたのだ。


 上将は「落ち着きたまえ」と言った後、


「君に命じた時点では我々も成功を祈っておったのだよ。しかし、今回の作戦の全貌を知った今、その考えは変わった。もし、この作戦が成功していたならば、我が祖国は滅んでいただろうと」


 フェイは怒りを忘れ、「滅ぶ……ですか」と思わず聞き返す。


「その通り」と言って上将は頷き、詳細を話し始めた。


「私はここでできる限りのことを調べた。さすがに三十パーセク離れた本国の情報はまだ入っていないが、それでもヤシマに向かう侵攻部隊から情報は入手できた。その結果だが、私が怒りを覚えるほど、この作戦は杜撰ずさん極まりなかったのだ。もし、君が成功の報を持ってきたとしても、私はヤシマへの侵攻を承認しなかっただろう……」


 フー上将はそこで言葉を切り、トリビューン星系での私掠船用拠点建設に始まる一連の流れを説明し始めた。


「ことの始まりは二年ほど前のトリビューン星系での失敗にある……」


 宇宙暦SE四五一二年十月に軍事委員のスゥン・チンピン委員が強引に進めた作戦で、ヤシマとアルビオンの関係に亀裂を入れるというものだった。しかし、拠点建設中にアルビオン軍に発見され、その計画は何の成果を上げることなく頓挫した。


 それだけでなく、アルビオンとヤシマはゾンファに対し、侵略行為であると非難した。ゾンファ側は証拠捏造と言って突っぱねたが、アルビオンとヤシマの関係は以前にも増して親密になってしまった。スゥンの思惑は完全に裏目に出てしまったことになる。


「……スゥン委員は自らの失点を挽回するため、再び大胆な作戦を考えたようだ……」


 スゥンの作戦はターマガント星系で哨戒を行っているアルビオン艦隊に対して謀略を仕掛け、通信機能を奪った上で通信に応答しない敵対行為という名目で敵艦隊を殲滅し、開戦の切っ掛けにする。


 そして、アルビオンへの侵攻の足掛かりとして、まずはヤシマ星系を占領しようという大胆なものだった。


 支配星系の公的機関が行う誰何の通信に対し、応答しないという行為はどの国でも敵対行動と認識されている。しかし、同星系は先の停戦合意でアルビオンの支配宙域と確定しており、ゾンファ軍にその資格はない。


 百歩譲ってゾンファ艦隊が安全のため、敵対行動として敵を葬ったとしても、その後が杜撰過ぎた。


 ターマガント星系で国籍不明船団を殲滅したとしても、アルビオン及びヤシマに対する宣戦布告の大義名分にはならない。つまり、論理破綻している理由でこじつけようとしていたのだ。


 スゥン委員は戦端を開き、勝ってしまえば、そんな細かいことは問題にならないと考えていると、フー上将は予想した。


「……何より問題なのは、我が国が停戦合意を守らない国家だと認定されることなのだ。仮にヤシマを占領し、アルビオンに打撃を与えたとしても、アルビオンを降伏させることは困難だ。その場合、我が国かアルビオンが滅ぶまで、停戦はおろか休戦すら望めないだろう……」


 フー上将の言葉にフェイ大佐は言葉を失った。そんなフェイ大佐を無視してフー上将の説明は続く。


「……二ヶ国だけならば、それでもいいだろう。だが、スヴァローグ帝国がいる。我々が戦い続け疲弊すれば、帝国が漁夫の利を得るだけだ。更に自由星系国家連合フリースターズユニオンも死力を尽くして我が国に抵抗してくるだろう……その先に見えるのは我が国の滅亡しかない」


 フェイは小さく首を横に振り、毒気を抜かれたような呆れた声で上将に質問する。


「軍事委員会はなぜそのような作戦を承認したのですか? 党はなぜそれを認めたのでしょうか?」


 党とは国家統一党のことで、ゾンファ共和国を実質的に支配する政治組織のことで、ゾンファ共和国では戦争を含め政策全般は党で決められる。


 フー上将は「誰も認めておらんよ」と言って、首を横に大きく振る。


「先ほども言ったが、スゥン委員の独断なのだ。ヤシマ派遣軍は先日この星系に到着したが、彼らが持つ命令書には国務院総理の承認はおろか、軍事委員長の承認すらなかった。あったのは、軍事委員長代行のスゥン委員の承認だけだった。ヤシマ派遣軍の司令官は私の権限で軟禁してある。もし、私に疑念が生じなければ、そして、君が成功させていれば、我が国は無名の師むめいのしを興していただろう……」


 国務院総理は国家元首であり、その承認がないということは彼が言うように“無名の師”、つまり大義名分のない戦いということになる。


「では、私たちの戦いは全くの徒労だったと。死んでいった部下たちは犬死だったと……」


 フェイは力なくそう呟いた。


「犬死などでは決してないぞ! 独断専行が過ぎるスゥン委員は我が国にとって危険な存在だ。その存在を葬り去るための証人が必要なのだ。実際に無茶な作戦を押し付けられ、死んでいった兵たちの存在は軍事委員会、そして、党の指導者たちの心を打つはずだ……念のため、チェン委員に内々に伝えてあるから、今頃、スゥン委員の排除に動いておられるだろう。そして、君が本国に帰れば……」


 フェイは軍事委員会での証言を承諾し、ゾンファ星系に向かった。一ヶ月前の彼の思惑とは全く違う目的で。



 七月十三日。


 フェイ大佐はゾンファ星系の首都星ゾンファに降り立った。

 彼は軍事委員のチェン・トンシュンの私邸を訪れた後、秘密裏に開催された軍事委員会に呼び出される。


 彼が会議室に入ると、八名いる委員が一斉に彼を見た。

 そして、委員の一人が今回のターマガント星系での作戦について、彼の報告書を読み上げていく。


 フェイはフー・シャオガン上将とチェン委員と相談し、追加の報告書を提出していた。

 その報告書にはアルビオン側が謀略を逆手に取った可能性が高いと記載されている。これは作戦の前提であった謀略自体が失敗しており、それを命じたスゥン・チンピン委員を追い詰めるためだった。


 彼自身、作戦失敗に対して言い訳がましい説明をするのは不本意だったが、部下たちを守るため、上将と委員の思惑に乗るしかなかった。


 報告書が読み上げられた後、彼に向かって質問と叱責が飛んだ。


「……すると、君は二倍近い戦力をもち、通信を制限された敵に勝てなかった、いや、敗れたと言うのかね。諜報部の工作通りなら、戦闘指揮所にいたのは若い士官だが、その若造に君は敗れた。そう言うのだな……君にはプライドと言うものがないのか!」


「追加の報告書にある通り、ジュンツェン方面軍にて敵の動きを解析した結果、敵の通信不能は我が軍を惑わす擬態である可能性が高いのです。更に敵の戦闘指揮所を孤立させたことに関しては、間違いなく失敗しております」


 質問した委員に代わり、スゥン・チンピン委員が「証拠はあるのかね」と詰問する。


「もちろん証拠はありません。ですが、諜報部の工作が成功したという証拠も同様にありません。諜報部の報告は客観性に乏しいですが、追加報告書は我々が得たデータに基づいて解析した結果です。恐らく敵は諜報部の工作に気付き、我が軍に対し、逆に罠に掛けてきたのでしょう」


 スゥン委員は追加報告書をバンバンと叩きながら、「その都合のいい仮説を信じろと言うのか」とフェイを睨む。


「いいえ。ですが、客観的に見て敵が何らかの対策を打って戦いに望んだことは間違いありません」


 その言葉に他の委員から「対策を打つのなら、戦力を増強してくるのではないかね」と質問が出る。


「現場の意見を言わせていただくなら、戦力の増強は考えにくいでしょう。もし、敵が通常の哨戒艦隊規模より強力な戦力を整えていた場合、私は戦うことなく、撤退しましたから」


「では、敵の目的は何かね。この報告書には我が祖国を国際的に非難するために、あえて戦闘を回避しなかったとあるが、俄かには信じられんのだが」


 別の委員の問いに対し、フェイは真っ直ぐに正面を見据え、感情を押し殺した声で答える。


「一介の大佐である私には、そのような政治的な思惑は判断できません。その推測は方面軍参謀部のものです」


 再びスゥン委員が、「君は今回の敗戦の責任を取らぬつもりか!」と一喝する。


 フェイが答えようとしたとき、チェン委員が割り込んできた。


「スゥン同志。今回の委員会の目的はフェイ大佐の査問ではない。アルビオンが我が祖国にどう出るかを現場にいた大佐に確認する場だ。勘違いしないでいただきたい」


 そして、周囲を見回し、「他に質問が無ければ、本題に入った方が良いのではないかな」と言った。そして、誰も何も言わなかったため、「大佐、ご苦労だった」と言って、退出を促した。


 フェイはその部屋を出て、控え室のような小部屋に待機させられる。


(うまくいったのだろうか……あのままでは、捕虜になった部下たちは脱走兵扱いになると聞いた。スゥンを排除すれば、最悪、現場責任者の私の暴走ということで片付けられる。チェン閣下がどうにかしてくることを期待するしかないのか……)


 焦慮を抱えたまま、一時間ほど待っていると、満面の笑みを浮かべたチェン・トンシュンが現れた。


「うまくいったよ、大佐。スゥン同志はもうすぐ病気に掛かるはずだ。それも不治の病にな」


 フェイはそれですべてを悟った。スゥンは自らのミスにより処分されるのだと。そして、次は自分の番であることも。


 彼が覚悟を決めていると、チェンは小さく首を振り、笑った。


「君にはジュンツェンのフー上将の下に行ってもらう」


 フェイはその言葉が信じられず、「自分は処刑されると思っておりました」と呟いた。


「死にたいのかね? 死んでも構わんが、アルビオンが今回の責任者の首を要求した時まで待ってくれんか。その時は喜んで君の死を有効活用させてもらうから」


 フェイはその言葉で自分が外交カードの一枚になったことを理解した。


(とりあえず、国の体面を保つために、今回の戦いの事実は無かったと主張するのだろう。その上で、アルビオン側に証拠を突きつけられ、誤魔化しきれなかった時に、現場指揮官の暴走として、私を処分する。そんなシナリオなのだろうな……)



 八月になると、軍事委員会のメンバーの交代が発表された。急病によりスゥン・チンピン委員が死亡されたためと報道された。


 八〇七偵察戦隊の敗北は公表されず、戦隊は解隊された。解隊理由及び艦の損失については緘口令が敷かれた。

 戦死者たちは事故死として処理され、捕虜となった兵たちは行方不明とされ、ターマガント星系の戦いは闇に葬り去られた。


 当然、フェイ大佐の処分も発表されなかった。

 フェイは連絡艦に乗り、三十パーセク離れたジュンツェン星系に向かった。

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